220102_NewType

NEWTYPEの時代

山口周 ダイヤモンド社

かつて多くの人々を魅了した共産主義であったが、ソビエト連邦の崩壊によってその化けの皮が剥がされ、資本主義を前に完全な敗北を喫した。とはいえ、勝利した資本主義も決して万能ではなく、地球環境問題を初めとする様々な問題に直面している。
筆者は現在我々が直面している地球的な課題の真因を資本主義システムに求めつつ、資本主義システムそのものは肯定しながらもその中での人間の行動様式を変えることで資本主義社会が直面している課題の解決を目指している。そして筆者は、かつて資本主義社会では賞賛されつつも今では無価値となりつつある行動様式を「オールドタイプ」と定義し、逆にかつては資本主義社会であまり賞賛されなかったが今ではより望ましいと思われる行動様式「ニュータイプ」と定義。それぞれの特性を論じている。
本書の内容を要約すると、「生産性向上へのあくなき取り組みは問題を拡大再生産している」「量よりも質を求めよ」「解決策よりも課題設定が重要」「論理だけに頼らずに直感を重視せよ」「ルールに従うのではなく自らの価値観を持て」「経験の大小は意味を失う」「リーダーシップは権威からではなく問題意識から生まれる」等
筆者の主張は理解できるし、現実に起こっている出来事を見ると、筆者の主張を首肯させられる面も多い。しかし私自身は筆者の主張にどうしても同意できない部分、あるいは違和感のようなものが拭えなかった。それは何か。
筆者はスティーブ・ジョブス、チェ・ゲバラ、キング牧師といった人々を所謂「望ましい人格」の事例として挙げている。しかし果たしてそうだろうか?。彼らは確かに「成功者」であったかもしれないが、筆者が危惧する「資本主義社会の歪み」の解決に寄与したとは必ずしも言えない面がある。逆にナポレオンやヒトラーを筆者は評価しないようだが、もし彼らが「成功者」であったら筆者は無批判に評価したのか?。あるいは「成功者」とも評価できる毛沢東や金正恩についてはどのような評価を下すのか?。
結局の所、筆者の主張は特定個人の様々な側面から、筆者の主張する特定の面のみ取り上げ、そのことにより自身の主張を代弁させているように思える。そういった意味において筆者の主張は表面的かつ独善的であるとも言えよう。

お奨め度★★★★