Game Journal誌の傑作ゲーム「信長最大の危機」(以下、本作)をソロプレイしてみた。このゲームは、1570年(元亀元年)の金ヶ崎からの撤退戦から始まる織田信長による平定戦を1Turn=半年、1ユニット=1500~2000名、ポイントトウポイントシステムで再現する。
今回はVASSALを使ったソロプレイにチャレンジしてみた。今回上級ゲームでプレイしたが、選択ルールは採用しなかった。

前回までの展開は-->こちら

10Turn(天正二年)

徳川家康織田、徳川連合軍が甲斐へ進攻。甲府を攻める。甲府を守る山県昌景は躑躅ヶ崎館に籠って抵抗するが、兵力で圧倒する織田、徳川連合軍の攻撃を受けて壊滅した。その結果、武田家は滅亡。信長公は甲斐、信濃の広大な地域を手中に収めた。

Turn10a


11Turn(天正三年)

雑賀、本願寺の連合軍は筒井順慶の大和郡山城に総攻撃を行った。圧倒的な兵力を持つ本願寺勢に対し、筒井勢は成す術もなかった。大和郡山城は落城。筒井順慶は壮烈な最期を遂げた。

13Turn(天正四年)

毛利輝元武田を降ろした信長公にとって、新たな強敵が西方から出現しつつあった。毛利輝元。山陽山陰一帯を制する西国の雄である。その頃、織田側の西方作戦は、羽柴秀吉、明智光秀を中心として丹波地方の平定に取り掛かっていた。彼らは黒井城を守る小豪族(赤井氏)の抵抗を受けて苦戦中である。

一方畿内では大和郡山を手中に収めた本願寺勢が遂に山城国に侵入。細川藤孝が守る勝竜寺城を囲んだ。ここが落とされると、一揆勢が京に雪崩れ込んでくる可能性もあった。信長公としては、勝竜寺を見捨てる訳にはいかない。

信長公は自ら約2万5千の兵を率いて勝竜寺に攻め込み、雑賀、本願寺勢に対して野外戦を挑む。兵力的には織田側が5割方優越していたが。戦いは凄惨なモノとなった。雑賀孫一の野戦指揮能力は傑出しており、兵力的な優位にも関わらず信長公は苦戦を余儀なくされた。最終的には信長公は2万以上の兵を失って京に後退。雑賀、本願寺勢も2/3近い戦力を失っていたが、なおも勝竜寺を包囲していた。

Turn13b


浅井、朝倉も攻勢を仕掛けてきた。浅井の旧領横山城を浅井、朝倉連合軍約1万6千が包囲したのである。横山城の守備隊は城に籠って増援を待つ。

Turn13c


そして毛利が動く。吉川広家が1万6千の兵を率いて鳥取を進発して山陰道を進む。山陽道には小早川隆景が約2万の兵を率いて東へ進む。山陽道には宇喜多秀家麾下の1万2千も加わっていた。

16Turn(天正五年)

雑賀孫一1年ほど意味不明の停滞があった後(2Turn連続で「終了」チットを最初に引いた)、最初に動いたのは「織田」であった。丹波方面では調略により黒井城を攻略した明智光秀が方面軍総大将に任命された。また近江方面では徳川家康が約1万5千の兵を引き連れて佐和山へ急行。横山城を囲む浅井・朝倉軍と対峙する。

そして京で兵力を回復した信長公は約1万6千率いて京を進発。再び勝竜寺を囲む雑賀・本願寺連合軍に対峙する。勝竜寺の雑賀勢はこれまでの消耗戦で兵力6千まで減少していた。対する織田側は勝竜寺で包囲されている細川勢と合わせて2万近い兵力になっていた。
流石に3倍の兵力相手に勝機はないと見た雑賀勢は、包囲を解いて撤退を開始。しかしそこに大兵力を誇る織田勢が襲い掛かる。前回の「第1次勝竜寺合戦」と打って変わって溌剌とした動きを見せる織田勢は雑賀勢を圧倒。雑賀孫一も激戦の中で遂に討ち取られてしまう。

Turn16a


本願寺勢は再び兵力を集めて、今度は南山科の槙島城を攻めた。しかしここも一撃陥落とは行かず、城を守る織田勢は持ちこたえてる。

続いて「毛利」を引いたので小早川隆景が1万6千の兵を率いて姫路を包囲。一撃で落城させた。

続いて「浅井・朝倉」を引いた。佐和山に徳川家康が布陣したのを見た浅井・朝倉連合軍は、横山城の包囲を解き、小谷城方面へ撤退していった。能力に勝る徳川家康相手の野外戦は不利と判断したのだろう。

最後に動いたのが「上杉」である。既に第15Turnから活動を開始していた上杉勢だったが、ここにきて漸くチットを引く機会に恵まれた。約2万の大兵力で富山城を囲んだ上杉勢は、一撃で富山城を落城させていた。

19Turn(天正七年)

本願寺またもや「終了」チットのイタズラで2Turnほど動きが止まった。その間、僅かに村上水軍が瀬戸内海を経て大阪湾に進出してきたぐらいが動きと言えば動きであった。

「織田」が動く。雑賀勢の脅威を退けた信長公の次なる目標は何か。まずは先に槙島城を包囲した本願寺勢を撃破すべく柴田勝家を「方面軍総大将」に任じて兵約2万で討伐に当たらせた。人海戦術が頼みの一揆勢であったが、正規軍と野戦で正面から戦う力はない(雑賀孫一のような優秀な野戦指揮官が居れば別だが・・・)。忽ち包囲を解いた一揆勢は柴田隊の猛攻を受けて兵力の約半数を失って撤退していく。
また佐和山には丹波長秀率いる2万弱の兵が到着した。いよいよ浅井の本拠、小谷城を総攻撃する構えである。

Turn19a


20Turn(天正七年)

織田信長信長公は丹波長秀の兵約2万を佐和山から摂津へ移動せしめた。そこに信長公の本隊も加わり4万近い兵力が摂津茨木城下に集結した。さらに後方の京には柴田勝家、佐久間信盛麾下の兵2万以上が予備として待機している。機内に集結した野戦兵力は6万以上。この大兵力が一体何を狙っているのだろうか。

Turn20a


信長公の狙いは石山本願寺であった。6万以上という大兵力を率いて難攻不落と言われている石山本願寺に総攻撃を加えたのである。しかしさすがは天下に名にし負う石山本願寺である。信長公の揃えた空前の大兵力による総攻撃をギリギリで凌いだ(あと1Hit足らなかった)。

Turn20b


一方、本願寺に対する毛利の援軍は、小早川隆景麾下の2万弱が加古川を超えて花隈(現在の神戸)まで進出してきた。しかし織田側の大兵力とまともに戦えば壊滅は免れない。花隈よりは先に進まず、この地で様子を伺う。

つづく