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Interceptor Ace(以下、本作)は、2019年に米国CompassGames社から発売されたシミュレーション・ウォーゲームである。本作のテーマは1943~44年にかけて行われたドイツ本土防空戦。プレイヤーはドイツ空軍の戦闘機パイロットとなり、ドイツ本土に飛来する米第8航空軍の重爆撃機隊と戦う。
本作はソロプレイゲームで、米空軍はゲームシステムによってコントロールされる。プレイヤーはドイツ空軍パイロットの役割を演じるが、小隊長として2機の戦闘機を率いて米重爆撃隊と戦う。ゲームシステムについては、 こちらの記事こちらの記事を参照されたい。

準備

ゲーム開始前にプレイヤー自身が配備される戦闘機隊と装備機種を決定する。ダイス判定の結果、Fw190A-4を装備してフランス国内に展開するIII/JG2(第2戦闘航空団第3中隊)に配備された。

Fw190A-4


1943年3月

第1出撃

ロリアン上空に飛来したB-17の編隊を迎撃した。爆弾を投下する前のB-17の編隊を捕捉。激しい防御砲火を浴びて数発被弾したが、B-17 1機を見事に撃墜。私自身にとって初撃墜を飾った。被弾が激しかったので一航過だけで離脱。無事フランスの基地に帰還した。

写真B-17


第2出撃

ルーアンに敵機が飛来した。またもやB-17の編隊である。敵機の正面から一撃を加えてこれを撃墜。私にとって2機目のスコアを記録した。しかしB-17の反撃が酸素タンクに命中。高高度飛行が不可能になったので、追撃を諦めて帰還した。

第3出撃

1週間後にアミアン上空に敵機が飛来した。今度もB-17の編隊である。今回は僚機と共同で1機を撃墜。こちらも僚機が損傷し、私の機体も前部機関砲が損傷したため、追撃を諦めて帰投した。


第4出撃

またもやルーアン上空に敵機が飛来した。今度の敵はB-17ではなくB-24である。B-17に比べるとやや防御砲火と防弾性能に劣るB-24は、我々にとっては与し易い相手である。最初の航過でB-24の1機を撃墜(僚機の射弾が爆弾倉をぶち抜いて誘爆させた)。さらに別の編隊に襲いかかったが、そこで護衛のP-47サンダーボルト戦闘機と交戦。ヘッドオンで撃ちあった結果、こちらの射弾が相手のパイロットを射抜いて撃墜したものの、こちらの機体も被弾によって致命傷を負った。私は落下傘降下して無事に生還した。

写真B-24D


今月の成果は、僚機との共同だがB-17 3機、B-24 1機、そしてP-47を1機撃墜した。1ヶ月でエースの称号を得たことになる。

1943年4月

第1出撃

前回の出撃で撃墜されたため、乗機がFw190A-4からFw190A-5に変更になった。正直、何が違うのかよくわからないが・・・・。
ブレスト上空に飛来したB-17を迎撃する。2撃を加えてB-17に損傷を与えたが、B-17の反撃で燃料タンクに被弾。火災が発生したのでベイルアウト。何とか脱出には成功したものの、脱出の際に火炎を浴びて重傷を負ってしまう。

1943年5月

第1出撃

負傷が癒えて戦列に戻ったのは1ヶ月以上が経過した5月上旬のことであった。しかも連合軍の攻撃目標がキールやブレーメンといったドイツ本土北部に集中していたため、私が守るフランス上空にはなかなか飛来しない。ようやく米軍機が飛来したのは5月も終わりに近づいた29日の事であった。B-17の編隊がサン・ナゼールに接近してきた。僚機と共に出撃した私は、まず1機目を撃墜(僚機と共同)。僚機が被弾して引き上げた後も単独で別のB-17を追撃し、さらに1機を撃墜した。しかしこちらもB-17の反撃で多数を被弾し、機体が穴だらけになりつつも何とか無事帰還した。

今月終了時点での撃墜数は、僚機との共同でB-17 5機、B-24 1機、そしてP-47 1機の計7機となった。

写真Fw190A-3


1943年6月

第1出撃

ルール工業地帯上空にB-17の編隊が飛来したため迎撃のために発進した。最初の航過で1機のB-17を撃墜。爆弾倉に命中したらしい。しかしこちらも反撃による被弾で全機銃が故障したため、これ以上の攻撃を行わずに帰還した。

第2出撃

ボーモント上空に飛来したB-17の編隊を迎撃した。最初の1航過でB-17の1機を撃墜。さらに次の編隊に向かった所、護衛のP-47戦闘機と遭遇した。ヘッドオンからの射撃で数発を被弾したが、それを回避してP-47の背後を取った。最初の連射は躱されたが、次の連射がP-47の燃料タンクに命中。火炎を発したP-47は長い炎を噴いて落ちていった。

第3出撃

月の下旬にルール上空に再びB-17の編隊が飛来した。この出撃で僚機の共同で2機のB-17を撃墜した。

今月終了時点での撃墜数は、僚機との共同でB-17 9機、B-24 1機、そしてP-47 2機の計12機となった。さらにこの月の終わりに昇進チェックがある。私は順当に昇進し、大尉となった。これで中隊長の地位を手に入れた。そしてオランダ方面へ展開するII/JG1に転属となる。

1943年7月

第1出撃

キール上空に現れたB-17を迎撃し、僚機と共同で1機を撃墜した。

第2出撃

フランスのヴェリジー=ヴィラクブレーに現れたB-17を迎撃する。1機のB-17を撃墜したが、反撃によって乗機も中破してしまう。

写真03


第3出撃

機体修理のため1週間の休暇があり、次に出撃したのはルール上空だった。P-47の護衛を伴うB-17の編隊である。P-47との交戦を選択。ヘッドオン射撃で数発被弾したが、空戦機動で敵機の背後を取り、2連射。敵パイロットに重傷を負わせたが、撃墜するには至らず。

写真02


第4出撃

ブレーメン上空に現れたB-17編隊を迎撃する。1機のB-17を追い詰めて煙を吐かせたが、撃墜には至らず。僚機がB-17の防御砲火を食らって撃墜されてしまう。

第5出撃

フランス上空でB-17編隊を迎撃する。爆弾は投下した後であったが、1機の右翼に攻撃を集中し、翼を吹き飛ばしてこれを撃墜した。

第6出撃

引き続きフランス上空に出撃。B-17を激しく追い詰めて遂にこれを撃墜した。

今月終了時点での撃墜数は、僚機との共同でB-17 13機、B-24 1機、そしてP-47 2機の計16機となった。


1943年8月

第1出撃

ボン上空に米軍機が飛来した。護衛のP-47戦闘機が随伴している。護衛なしで「狩り」を楽しめた時代は過ぎ去ってしまった。しかもいきなり不利な状況でP-47の攻撃を受けることになってしまう。懸命に回避を図るが、機体性能に勝るP-47は逃がしてくれない。機体は穴だらけとなり、私自身も被弾して受傷。機体のコントロールも失われたので、やむを得ずベイルアウト。その際にさらに傷を深めてしまう。なんとか生還できたものの、全治1ヶ月と診断されてしまう。

写真P-47D


つづく