以前に「ウォーゲームの物語性」というものを話題にした事がありましたが、私自身の中で「物語性」という言葉についての定義を明確化しなかったせいもあって、一部で混乱を招いてしまいました。

そこで今回、私の考える「ウォーゲームの物語性」というものについて、定義つけしてみたく思います。

ウォーゲームの魅力とは

ウォーゲームの魅力。人それぞれだと思いますが、私にとってはその1つとして「歴史の醍醐味を追体験できること」をあげたいです。これが単なるパズルや将棋等とは一線を画することができるウォーゲーム独特の魅力であると思っています。
「歴史の醍醐味を追体験」するためには「物語」というものがあった方が良いのでははないか、と私は思います。
では「物語」とは何か。それについては以下のように定義させていただきます。

(1) 「物語」は「歴史の醍醐味」をわかりやすく演出したもの
(2) 「物語」は「筋書き」があるもの
(3) 「物語」はプレイヤーに対して娯楽を提供できるもの
(4) 「物語」はプレイヤーの共感を得ることができるもの

とまあ4項目を書き出してみましたが、如何でしょうか。
 (1)についてはデザイナーが考える「歴史の醍醐味」をプレイヤーが理解できる形で表現するということです。
 (2)はいわゆる「起承転結」です。ここで注意して頂きたいのは、ウォーゲームの「物語」は、小説や映画とは違って厳密に定義されているものではないということです。むしろ「小説」「映画」に比べると遥かに緩やかに定義されています。だから「筋書き」とは言っても厳密な縛りではなく、ある種の「枠組み」や「アウトライン」のようなものとお考えいただければ良いかと思います。
 (3)(4)については「物語性」の良否を判断する際の基準になります。いくらデザイナーが「これは素晴しい物語だ」と考えても、プレイヤー側に娯楽を与えないもの、あるいはプレイヤーの共感を得られないものは、「物語性が高い」とは言えないでしょう。

「歴史の醍醐味」と一言でいっても、何をもって「歴史の醍醐味」とするかは個人差があります。デザイナーは自ら考える「歴史の醍醐味」を「物語」の中心テーマとすれば良いのですが、それが独りよがりのものであれば、プレイヤーの共感を得ることはできません。


物語性を高いウォーゲームをデザインするためには

私なりに「物語性の高いウォーゲームをデザインするノウハウ」について考察してみました。順番に書いてみると以下のようになります。

1.ゲームが描く「物語」を定義する。
2.史実を構成する無数の要素の中から「ゲーム上重要度が高いと思われる有限個の要素」を抽出していく
3.2.で抽出した要素を元にゲーム世界を「再構築」する。

1.物語の定義

何事も目標を決めなければ話は進みません。デザイナーは自分が再現したい歴史の「物語」を決める必要があります。「物語」とは歴史の醍醐味そのものですから、その選択は重要です。例えばWW2の北アフリカ戦線をゲーム化するとして、単に「北アフリカ戦線を描く」というのも「物語」ですが、それよりはもっと具体的に「北アフリカ戦線を両軍の補給活動を軸に描く」とした方がよりハッキリと物語を描くことができます。逆に「物語」が曖昧だとゲーム全体の焦点が曖昧になります。

拙作「ソロモン夜襲戦」の場合、「ソロモン海域における日米両軍の夜戦技術の変遷を戦術レベルで描く」というのを「物語」としました。

2.要素抽出

所詮は紙の駒と地図だけのウォーゲームの世界。再現性については自ずと限界があります。オーダーオブバトルが正確だとか、戦車の火力/装甲厚が正しいとか、そういったレベルの正確性を誇った所で「物語」をプレイヤーに追体験させることはできません。現実世界とは「オーダーオブバトル」や「戦車のスペック」だけで表現できるほど単純なモデルではないのです。
そこでゲームデザインには適切な誇張と省略が必要になりなす。これは別に「歴史的事実を曲解する」訳ではありません。そうではなく、歴史的事象を構成する無数の要素の中から「物語を作っていく上で重要度が高いと思われる有限個の要素」を抽出していくことです。北アフリカ戦線を例にとれば、「独英伊軍の質的相違を軸にゲーム化する」のか「補給活動を軸にゲーム化する」のかで抽出する要素は自ずと異なってきます。そのためには、ゲームデザイナーは対象となる歴史的事象に対して広くて深い知識が必要になってきます。それと同時に無数の構成要素からゲーム上重要な有限個の要素を見抜く鋭い洞察力(センス)が重要になってきます。

ここで「ゲーム上重要な」と書いた点に着目願います。「ゲーム上重要な」というのはゲームを面白くするため(つまり演出)という意味も当然含まれます。例えば拙作「ソロモン夜襲戦」では「1発単位の命中判定システム」を採用しましたが、これは「1発単位の命中判定」を「ゲーム上重要な」要素であると考えた結果です。必ずしも歴史的に「1発単位の命中判定」が重要だったわけではありません。

3.再構築

その次にデザイナーは抽出した有限個の要素を再構築し、ゲームの世界を作り上げます。この時、現実のルールをそのまま適用しても歴史を正しく再現できる訳ではありません。何故なら現実を構成する無数の構成要素は、先の「要素抽出」作業の中で既に「有限個の要素に削り落とされ」ているからです。デザイナーは抽出した有限個の要素を使った、そのゲームに適合する新しい原理原則を構築していく必要があります。その時、新たに構築された世界は、物語を再現できるようなものでなければなりません。それは歴史に対する近似式にはなりますが、決して歴史そのものにはなりません。

いわゆる「演繹的ゲームデザイン」の限界がこの点です。ウォーゲームがいくら「正しいデータと正しいルールに則っている」とした所で、元々有限個の要素しか扱っていないのですから「正しい結果」が得られるはずがないのです。ウォーゲームは「歴史の全てを正しく再現する」だけのキャパシティを持っていないのです。デザイナーは必然的に現実とは異なる近似式に依存せざるを得ず、近似式の出来不出来がゲームの完成度を大きく左右します。
例えば物理モデルだけでデザインされた戦車戦ゲームでは「小銃弾の命中に怯える戦車兵」の姿を再現することができません。では戦車兵の「士気チェック」のルールを加えれば完璧か、という訳でもなく、例えば「全般の戦況がわからずに右往左往する戦車の姿」を描くことはできません。ゲームで扱うことのできる要素数は「プレイアビリティ」という制約によって自ずと限界があり、それは現実世界のすべてを正しく再現するには程遠い数なのです。
例えば「二次移動ルール」等は「現実にはないがゲームに適合する原理原則」の代表例です。

一連の作業の中で、プレイアビリティに対する配慮は常に必要です。プレイヤーに対して不必要な労力を要求するゲーム、あるいは非現実的なプレイ時間を要求するゲームは問題があると言えます。ゲームはあくまで「娯楽商品」なのですから、遊べないゲームに高い価値はありません。

この時、どの程度の時間や労力を許容するかは当然個人差があります。この差を埋めることは不可能で、結局「人それぞれ」というしかありません。

まとめると

(1) 物語が明確に定義され
(2) 歴史に対する深い知識と洞察力によって導き出した有限個の要素により
(3) (1)の物語が適切な近似式で再構築され
(4) それを許容範囲内のプレイアビリティで実現したゲーム

が「物語性」の高いゲームではないか、と思うわけです。