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枢軸軍相手に奮戦した「駄作機」

P-36という戦闘機をご存知でしょうか?。カーチスP-36「ホーク」。1936年に初飛行に成功したこの戦闘機は、米国陸軍航空軍団(USAAC)で最初期の近代的な単葉戦闘機です。英国のスピットファイアやドイツのメッサーシュミット109とほぼ同時期の機体です。

P-36は太平洋戦線で活躍する機会に乏しかったため、我が国では「駄作機」と見なされることの多い戦闘機です。しかし欧州戦線ではそれなりの活躍を見せた機体であり、決して「駄作機」「旧式機」と一言で片付けられるようなのではなかったようです。

前回、前前回は、P-36とBf-109あるいはP-36と零戦との対決を追いました。


今回は太平洋戦線に目を向けてみます。

ビルマ1942

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米陸軍におけるP-36の実戦はただの一度に終わってしまいましたが、他国においては数多くの実戦を経験しています。前前回取り上げたフランス空軍もそうでしたが、今回取り上げる英国空軍においても、P-36は日本機相手に期待以上の働きを見せました。

英国空軍(RAF)がP-36に興味を示すきっかけとなったのは、フランス空軍における試験飛行をRAFのパイロットが担当したことです。その時の報告を元に「ホーク75A」と「スピットファイアⅠ型」との間で性能比較を行った所、格闘戦性能や上昇性能等で「ホーク」は「スピット」よりも優っていることが明らかになりました。

1940年のフランス崩壊に伴い、フランスに渡される予定だった「ホーク75A」(大半が最新の「ホーク75A-4」)とフランスから逃れてきた「ホーク75A」を英国空軍が接収し、最終的には229機の「ホーク75A」を英国空軍は手にしました。「モホーク」(Mohawk)と名付けられた彼らは、武装や操縦装置を英国風に改良され、英国空軍に再就役しました。

再就役した「モホーク」は、欧州戦線では不向きであると判定され、南アフリカ空軍やインド方面に配置されました。インド方面ではRAF第5中隊と第155中隊が「モホーク」を受領し、ビルマ戦線で日本陸軍の一式戦闘機「隼」相手に立ち向かっていくことになります。

インド方面での「モホーク」が最初の勝利を収めたのは1942年8月20日のことでした。RAF第5飛行中隊所属ガーネット曹長の「モホークⅣ型」が日本陸軍の「九七戦」(実際には九八式直協機)撃墜を報じたのです。

1942年10月に入ると「モホーク」装備の2番目の部隊としてRAF第155中隊がビルマ戦線に登場してきました。そして「モホーク」と一式戦Ⅰ型の最初の激突が1942年11月10日に戦われることになったのです。

この日アギャップ向けの輸送船「硯山丸」の上空援護を行っていた日本陸軍第64戦隊の一式戦6機は、RAF第155中隊の「モホーク」8機に援護された「ブレニム」8機の攻撃を迎えた。これが一式戦と「モホーク」の最初の交戦となったが、この戦いで一式戦は「モホーク」2機を撃墜し「モホーク」相手に最初の勝利を飾った。しかし同じ日、RAF第5中隊の「モホーク」と交戦した一式戦は2機を失い、他に1機が被弾後搭乗員戦死、さらに3機が被弾する等大きな損害を被った。
この戦いで日英双方の搭乗員は、一致して「モホーク」と一式戦Ⅰ型の旋回性能がほぼ同等であることを認めた。水平速度では「モホーク」が優り、火力でも7.7mm6挺という重武装を持ち、さらに防弾も施された「モホーク」は、一式戦にとって意外な難敵であった

ビルマ戦線での一式戦対「モホーク」の戦いは、1943年11月に「モホーク」部隊が機種改編するまで引き続き行われました。一式戦が撃墜した「モホーク」の合計は5機、対して「モホーク」が撃墜した一式戦も合計5~6機と、両者は殆ど互角の戦いを繰り広げたことになります。駄作機と言われた「モホーク」ですが、このビルマ戦線でも日本機相手に予想以上に善戦していることになります。

余談ですが、ほぼ同時期に「ハリケーン」戦闘機は一式戦相手に9機を撃墜し、36機以上を失っていますから、キルレシオは1:4以下です。それと比較すると「モホーク」は善戦していることがわかります。

一式戦Ⅰ型と「モホークⅣ型」を比較したのが下表です。

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サイズや重量は殆ど同じ。翼面加重も似たり寄ったりです。一式戦と「モホーク」の運動性が「ほぼ同等」という日英パイロット達の感想は実際のデータを見ても頷けるものがあります。水平速度は「モホーク」の方が30km/h近く高速で、火力も「モホーク」が優っています。そう考えると一式戦が「モホーク」に苦戦したのも頷けます。その一方で総合性能において劣っていたはずの一式戦で「モホーク」と対等に戦い得たのは、何か秘密があったのか、あるいは日本側搭乗員の技量が優れていたのか、果たして何が原因だったのでしょうか?。興味深い所です。

(おわり)