色々調べていくうちに、
「どうしてあの時期にあの場所で決戦しなければならなかったのか」
「もう少し時間をおいて決戦した方が戦力的にも有利に戦えたのではないか」
という疑問がもたげてきました。
「どうしてあの時期にあの場所で決戦しなければならなかったのか」
「もう少し時間をおいて決戦した方が戦力的にも有利に戦えたのではないか」
という疑問がもたげてきました。
確かにマリアナ・カロリンの線を抜かれれば日本の戦略的立場はさらに悪化することは間違いありません。
しかし史実のあ号作戦において、準備不十分のまま各個撃破された基地航空部隊と母艦部隊。敵からは「マリアナの七面鳥撃ち」と嘲られ、何ら戦果を上げることなく南海の空に空しく散っていった若いパイロット達の姿を振り返ってみると、もう少し何とかならなかったのか、という思いに駆られます。
しかし史実のあ号作戦において、準備不十分のまま各個撃破された基地航空部隊と母艦部隊。敵からは「マリアナの七面鳥撃ち」と嘲られ、何ら戦果を上げることなく南海の空に空しく散っていった若いパイロット達の姿を振り返ってみると、もう少し何とかならなかったのか、という思いに駆られます。
当時の日本軍も、特に陸軍省あたりからはマリアナ決戦に対して否定的な見解が強く、むしろ大兵力の展開が可能で大飛行場群を整備できる比島の線で決戦する意見が強かったようです。それを強引に押し切ったのは、軍令部、特に源田實に代表される佐官級の参謀であったことが「戦史叢書」には記されています。
無論最初からマリアナの線を放棄し、比島の線で決戦したとしても恐らく最後は負けたでしょう。しかし少なくとももう少しマシな戦ができたのではないかな、と思えてきます。
以下余談
友邦ドイツにはフォン・マンシュタインという偉い将軍がいたそうです。彼はヒトラー総統の再三に渡る「死守命令」と戦い、機動的な防衛戦を展開してたびたび赤軍に痛打を与えたらしいです(欧州戦線は専門外なのでちょっと自身ありません)。我が国にももしマンシュタインのような将軍がいたら、機動性を生かした防衛線で米軍に痛打を与えることも不可能ではなかったかもしれません・・・・、(てやっぱり夢かな?)
友邦ドイツにはフォン・マンシュタインという偉い将軍がいたそうです。彼はヒトラー総統の再三に渡る「死守命令」と戦い、機動的な防衛戦を展開してたびたび赤軍に痛打を与えたらしいです(欧州戦線は専門外なのでちょっと自身ありません)。我が国にももしマンシュタインのような将軍がいたら、機動性を生かした防衛線で米軍に痛打を与えることも不可能ではなかったかもしれません・・・・、(てやっぱり夢かな?)
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