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主題のゲームをソロでプレイしました。前回は第3ターン(1941年夏)までを紹介しました。今回は第4ターン(1941年冬)からです。いよいよ赤軍による冬季反攻が開始されようとしています。

第4ターン(1941年冬)

ソ連軍にとって待ちに待った冬季反攻が開始された。シベリア方面からの増援部隊を得て、さらに歩兵、戦車を増産してドイツ軍に挑む赤軍。まずモスクワ正面に陣取るグデリアン軍に対してその矛先を向けた。退路を絶たれたグデリアン軍はモスクワ西方の雪の中で壊滅。レニングラードで拘束されているマンシュタイン軍も退路を絶たれて壊滅した。他に戦車3、歩兵3を失ったドイツ軍は、まさに壊滅的な打撃を被っていた。
一方赤軍も歩兵3~4個を失うという少なくない打撃を被ったが、それでもモスクワ、レニングラード戦線でドイツ軍を撃滅した戦果は大きかった。

地中海戦線ではモントゴメリー将軍指揮する歩戦連合の英軍部隊がトブルク要塞を守るイタリア歩兵に襲い掛かった。地中海の制海権を奪われ補給切れのイタリア歩兵に勝ち目はなかった。イタリア軍は壊滅し、北アフリカの枢軸軍は一掃されてしまった。

第5ターン(1942年夏)

前のターンに書き忘れたが、第4ターンに米国が参戦している。強力な米艦隊が連合軍に加わった。その圧倒的な海軍力に対し、枢軸海軍も果敢な抵抗を試みた。温存されていたUボート3ユニットが北海に出撃し、通商破壊戦を挑む。それに対して米英軍は米空母「レンジャー」等空母3ユニット、戦艦2ユニットでUボート狩りを行う。Uボート2ユニットが沈没、1ユニットが大破帰還を余儀なくされ、枢軸軍による通商破壊戦は失敗に終わった。

東部戦線では戦力を立て直したドイツ軍が再びモスクワ、レニングラードを目指す。ロンメル将軍指揮するドイツ軍がモスクワ西方に突進。赤軍歩兵を撃破しつつモスクワへ突進する機会を伺う。マンシュタイン将軍の部隊はバルト海沿いにレニングラードに迫った。対する赤軍はレニングラード、モスクワに要塞を構築。さらに歴戦のジューコフ将軍をモスクワに派遣し独軍を待ち受ける。
マンシュタイン軍によるレニングラード攻略戦。独空軍による支援の元、開始されたレニングラード戦は、しかし期待の独戦車部隊が赤軍戦車部隊に敗れたために失敗。マンシュタイン軍は後退を余儀なくされた。
しかしロンメル軍が快挙を成し遂げた。首都モスクワを巡ってジューコフとロンメルが激突する。ロンメル軍は要塞攻撃という不利な状況にも関らず「5」「6」を連発。ジューコフ軍を完全に撃滅しモスクワを占領した。歓喜するドイツ軍。しかしソ連はなおも戦いを継続する決意を固めていた。

その頃地中海戦線では異変が起こっていた。英将軍モントゴメリーがたった1人でローマに上陸してきたのである。驚くドイツ軍は慌ててルフトバッフェを派遣し上陸を阻止せんとする。ルフトバッフェがスピットファイアを撃墜。またローマ守備隊の奮戦もあってモンティの「1人ローマ侵攻」は寸前の所で阻止された。
しかし連合軍は諦めない。今度は英歩兵部隊がローマに上陸してきた。再びルフトバッフェが立ち向かうが、今度は米サンダーボルト戦闘機によってフォッケウルフが撃墜されてしまった。艦砲射撃と航空支援によって英歩兵はローマを占領。この瞬間イタリアは枢軸陣営から脱落した。

ローマが簡単に陥落したのは、枢軸側の防衛に欠陥があったためだと言わざるを得ない。米英軍は上陸作戦を行う場合、艦砲射撃の支援1がつくため、防御側が歩兵だけなら撃退される可能性が高い。歩兵に加えて戦車か指揮官をスタックさせておくのが望ましいと思われる。またローマ守備隊も弱体なイタリア兵ではなく、ダイスを振る機会の多いドイツ兵を配置すべきであった。

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第5ターンの状況。ローマが連合軍の奇襲上陸により陥落し、イタリアが枢軸陣営から脱落。ドイツはさらなる苦境に立たされた。

第6ターン(1942年冬)

米英連合軍は苦境に立たされたソ連を救うべくレンドリース船団をバレンツ海に派遣した。それを空母3ユニット、戦艦2ユニットを擁する米英艦隊が援護する。ドイツ海軍はベルゲンに展開する基地航空部隊となけなしのUボート1ユニットで船団阻止に向かう、が、圧倒的な米英艦隊を前になす術もなく敗退。Uボート1ユニットが撃沈され、レンドリース船団は無傷のままムルマンスクに入港した。

米英軍の重爆撃機隊がドイツ上空に現れた。対空砲火が米航空機1ユニットを撃墜したが、残りはドイツ工業地帯を爆撃し、ドイツ軍は2生産ポイントを失った。

ドイツ軍はイタリア戦線にグデリアン将軍率いる部隊を派遣。その質的優位を持って米英軍のイタリア半島北上を阻止せんとした。対する米英軍はパットン将軍をイタリア戦線に派遣してグデリアンに対抗する。パットン対グデリアンの戦いは両者一歩も譲らなかったが、米英軍の別働隊がアルバニアに上陸し、アドリア海沿いに北上を開始した。

東部戦線では復活したジューコフ将軍がモスクワ奪回作戦に乗り出していた。レンドリースで到着した戦車隊を展開して独軍戦線全域に渡って攻撃を行う赤軍部隊。兵力に劣り、冬期装備にも欠く独軍部隊は各個に撃破されていった。モスクワでは包囲されて退路を遮断されたロンメル軍が壊滅。モスクワは再びソ連軍の手に帰した。さらに赤軍の先鋒はキエフ市にも達していた。

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第6ターン終了時の状況。東部戦線とイタリア戦線で守勢に立つドイツ軍は苦しい状態になってきた。

第7ターン(1943年夏)

窮地に立たされたドイツ軍は東部戦線で守勢に転じつつ、イタリア戦線で反撃を行うことにした。グデリアン将軍指揮下の部隊がバルカン半島に進出。北上中の英歩兵部隊を捕捉した。圧倒的兵力差で英歩兵を撃破したグデリアン軍。この時は「無敵ドイツ軍」が甦った感があった。

東部戦線では赤軍が全域に渡って大反攻を行う。リガ~ミンスク~キエフ~オデッサの線で戦線を張るドイツ軍に対し、歩兵と戦車の連合した赤軍部隊は広域で攻撃を開始した。局地的にはドイツ歩兵の質的優位によって赤軍を撃退する場面も見られたが、多くの戦線では歩戦共同の赤軍の勢いが勝った。ドイツ軍は徐々に後退を余儀なくされていった。

米英軍は遂に大陸反攻に着手した。ノルマンディ地区に(ローマの海底から不死身の如く甦った)モントゴメリー将軍指揮する英軍部隊が上陸。そのまま東進してリールを占領した。当時フランス地区には有力なドイツ軍部隊がいなかったため、米英軍に対して反撃することができなかった。今やドイツはフランス、イタリア、ロシアと3個所から迫る敵に備えなければならなくなった。

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第7ターンの状況。米英軍のノルマンディ上陸によりドイツはさらなる苦境に立たされた