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F4U「コルセア」。第2次世界大戦の米海軍を代表する戦闘機の1つである。
最大速度約700km/h。12.7mm機関砲6門で武装し、最大約2トンもの爆弾を搭載し得る「コルセア」は、少なくともカタログスペックで比較する限り、零戦はもとより、「疾風」や「紫電改」といった新型戦闘機ですらも圧倒する性能を持っていた。
しかしその「コルセア」が、格下であるはずの日本機相手にしばしば苦戦を強いられることになる。
これから紹介する「聖バレンタインデーの空中戦」も、そのような「コルセア」の苦戦を物語る1つのエピソードである。

聖バレンタインデーの空中戦

1943年2月12日。VMF-124に所属する12機の「コルセア」がガダルカナル島に進出してきた。"Death's Heads"(死の頭)という愛称を持つ同部隊は、1942年9月に編成された比較的新しい部隊で、米海軍/海兵隊を通じて最初に「コルセア」を装備した飛行隊として知られている。
彼らは翌13日より早くもブーゲンビル方面に出撃するが、その時は日本機と交戦することなく全機無事に帰還した。

翌14日。12機の「コルセア」は海軍のPB4Y「リベレータ」4発爆撃機、米陸軍のP-40、P-38戦闘機と共にブーゲンビル島南東の航空基地カヒリを攻撃するために出撃した(*1)。しかし今回は昨日のようにはいかなかった。戦意と技量に優れた零戦約50機(*2)が手ぐすね引いて待ち構えていたからである。
空中戦の結果は悲惨だった。米軍編隊は日本側迎撃機によって文字通りズタズタに引き裂かれたのである。米軍の損失は「コルセア」2機をはじめとして、「リベレータ」2機、P-40 2機、P-38 4機の計10機に及んだ。日本側の損害は1機のみ(*3)である。

後に「聖バレンタインデーの大虐殺」と呼ばれることになるこの空中戦は、「コルセア」戦闘機にとって苦いデビュー戦となった。

(*1)この戦いに参加した米軍機の総数はハッキリしない。この戦いに限らず、米軍に関する記録では、USAAF(米陸軍航空隊)関連の情報が手薄であり、研究者泣かせである。ちなみに日本側の記録によれば、B-24*9,F4U*12,P-38*12,P-39*9の合計42機となっている。仮に日本側の報告が正確だとすれば、機数面では日本側の方がやや勝っていたことになる。

(*2)日本側の記録によれば、この日迎撃したのは零戦33機、水戦11機、零観4機となっている。「機数約50機」という米軍の評価は数で言えば概ね正解だが、機体性能で言えばかなり過大評価していると言える

(*3)米側の資料では、この日の零戦の損失を3機としている場合が多い。しかし日本側の記録では自爆1機のみとなっている。米側の記録は恐らく前日の零戦2機自爆を追加してカウントしているのであろう。この日の空中戦に関しては、10:1で日本側の圧勝であった、とするのが恐らく正しい。

「コルセア」の弱点

「コルセア」が苦戦した原因は何か。人的要素、機械的要素、その他に分けて考えてみる。
まず人的要素で言えば、搭乗員の技量が劣っていたことが考えらる。この戦いに参加したVMF-124は1942年9月に開隊された比較的新しい飛行隊であり、この戦いが事実上の初陣であった。また機材の初期不良に伴う慌しいメンテナンスや機材更新により飛行訓練時間が削られたVMF-124のパイロット達は、「コルセア」による飛行時間が平均20時間という状態であった。さらにP-40やP-38についても実戦経験が豊富とは言えない状態であった。
それに対して日本軍は零戦隊が204空、251空、582空といった面々で(*4)、水戦や零観にしてもガダルカナル戦以来の猛者揃いであり、戦闘経験の面で日本側に一日の長があることは否めなかった。

(*4)204空は旧第6航空隊、251空が旧台南空と書けば、彼らの技量を概ね推し量ることができよう

では機材はどうか。
先にも書いた通り、「コルセア」のカタログスペックは零観や水戦はもとより、零戦ですら容易に追随できないものであった。従ってまともに戦えば零戦は「コルセア」を追い回すことすら難しかったのである。しかし実際は違っていた。
この時期、戦場に登場してきた「コルセア」は、F4U-1と呼ばれる初期型であった。下のイラストを見ていただきたい。ここに描かれている「コルセア」はVMF-124が当時使用していたモデルである。我々が知っている「コルセア」とは少しイメージが異なっていることに気づかれたと思う。

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これは所謂「鳥かご風防」と呼ばれるモデルである。このモデルは後のモデルに比べると視界が狭く、離着陸時や空戦時に大きな障害となっていた。が、これはまだ軽微な欠陥である。
一番大きな欠陥はエンジンにあった。「コルセア」で採用されたR-2800「ダブルワスプ」は2000馬力を誇る高性能エンジンであったが、初期型は電波干渉に対する点火装置のシールドが不十分であり、特に29,000ft以上を飛行する際にはしばしばエンジンが停止してしまうというトラブルが発生した。そのために当初は29,000ft以上の高度を飛行することが禁じられていたという。
その他にも多くの問題を抱えていた「コルセア」。「コルセア」の諸問題が概ね解決し、実用上問題がないとされるのは、1944年5月より登場したF4U-1D以降とされている。

(*5)兵器研究家の大塚好古氏は、その著書「米海軍戦闘機」の中でR-2800エンジンの初期不良について触れ、「問題が殆ど解決した後で実用化された「F6F」は非常に幸運だった」と評している。

環境面でいえば、それまで迎撃一辺倒であった米海兵隊戦闘機隊が、初めて本格的な侵攻作戦を行ったのが上記の空中戦であった。彼らの出撃基地であるヘンダーソン基地からブーゲンビル南端のカヒリ飛行場までの距離は凡そ300マイル。これはガダルカナル戦当時にラバウルからガダルカナルに飛んだ零戦隊の約半分に過ぎないが、それでも米海兵隊にとっては破格の遠距離攻撃であったことは確かである。そして零戦よりも「コルセア」は航続距離が短い。一方で日本側は今まで苦しめられ続けた距離の制約から解放され、思い切った戦いができるようになったのであろう。

人、機材、環境。これらの不利が重なった結果、「コルセア」の初陣は悲惨な結果に終わった、と見るのが妥当であろうか。

おまけ

GMT社のカード空戦ゲーム「Corsairs & Hellcats」では、「コルセア」は日本機を圧倒する高性能機として評価されています。しかし例えば1943年シナリオでは「超高高度飛行は禁止」といった制約を課すのも面白いかもしれません。

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