主題のゲームをソロプレイで試してみたので報告致します。
このプレイ、実はこちらよりも先に実施していたのですが、記録の整理に手間取ってしまい、発表が前後してしまいました。

第1Turn(7月4週)

このゲームは第1Turnが重要で、ここでどれだけ赤軍ユニットを捕捉撃破できるかが今後の展開を左右する。私が独軍を担当する場合、最初に第12軍戦区(ピンク)を突破した後、左右に別れて第37軍(紫)と第18軍(緑)を包囲する作戦をとることが多い。今回も同じ方針でプレイした。第1インパルスで第12軍を撃破した独装甲部隊は、第37軍を包囲、第18軍を半包囲した。

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赤軍は第37軍の放棄を決定。主力は南西方向に後退し、戦線を固める。見捨てられた第37軍の部隊は、消耗チェックに引っ掛かって大半が壊滅した。

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第2Turn(8月1週)

独軍はロストフ鉄道沿いに南下する。Paviovskaya(1534)及びTikhoretsk(1733)付近の赤軍を撃破した独軍はそのままクバン川を渡河。Belorechenskaya(2134)に展開するソ連戦車旅団を撃破した独装甲部隊はそのまま南下し要衝Maikop(2234)を占領した。

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赤軍はKRASNODAR(2037)をハイスタックで守る一方、東部戦線ではVoroshilovsk(2029)付近まで後退し、そこで二重戦線を張った。

第3Turn(8月2週)

独軍は部隊を二手に分けた。一つはKRASNODARを目指す部隊で、第13装甲師団を基幹とし、独軍歩兵師団、同山岳師団、ルーマニア騎兵師団からなる部隊である。この部隊はKRASNODARを攻撃。一度は堅い守りに阻まれて手痛い出血を強いられたが、2度目の攻撃で見事に守備軍を撃破。KRASNODARを占領した。

Voroshilovsk(2029)方面では独軍がVoroshilovskの北側を迂回して赤軍戦車と親衛騎兵のスタックが守る平原を攻撃した。リヒトホーフェン航空軍団の支援もあってか、敵スタックを撃破した。そのまま独軍は戦線背後に回りこもうとする。危機を感じた赤軍はVoroshilovskを放棄し、その後方に二重戦線を張る。

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第4Turn(8月3週)

このTurnに独軍第8航空軍団(リヒトホーフェン)が撤退し、その代りに赤軍空軍が登場する。次第に制空権を失っていく独軍。
このTurnはTaman(1943)方面に向けて戦線を拡大する。このTurn要域Temryuk(1942)が陥落。ルーマニア騎兵はNovorossiysk(2241)に接敵した。
Maikop方面では、わずか2個師団の枢軸軍が、同じく2個師団の赤軍師団と対峙している。
Voroshilovsk方面では北方からの迂回を目指す。歩兵と戦車のスタックからなる戦線突角部に対し、装甲師団2個(第3,第23)、装甲擲弾兵師団2個(第5SS,第16)、そして第97猟兵師団と第210独立戦車大隊が集中攻撃を加える。大損害を受けた赤軍スタックは後退。さらに前進を続ける独軍に対し、赤軍はPaviovskaya(1534)前面に二重戦線を張った。かなり重厚な布陣なのでまさか一撃で陥落するとは思えなかったが・・・。

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第5Turn(8月4週)

Voroshilovsk方面の独軍は、赤軍を包囲すべく大規模な迂回突破作戦を開始した。
まず戦線北翼に配置されている弱体な赤軍自動車化歩兵旅団(2-2-6)に対し、独軍2個師団(第5SS装甲擲弾兵、第370歩兵)が襲いかかった。オッズは8-1で赤軍自動車化歩兵師団は瞬く間に撃破されて四散した。第5SS装甲擲弾兵師団がKuma川に向けて大きく前進する。
その西側では装甲師団2個を含む独軍5個師団とルーマニア騎兵師団1個、独立戦車大隊が赤軍騎兵スタックを攻撃。これを撃破した独軍装甲部隊は同じくKuma川に迫る。
戦線南翼からは第16装甲擲弾兵師団(6-7-6)を主力とする3個師団の枢軸軍部隊が赤軍歩兵師団を撃破、Pyatigorsk(2526)に迫る。
包囲の危機を感じた赤軍はPyatigorskからKuma川に向けて新たな戦線を構築しようとするが、足の遅い歩兵部隊を戦線にKuma川東岸に収容できない間に独軍の二次攻撃が始まった。先ほどから戦線左翼を突進する第5SS装甲師団が赤軍戦車旅団のKuma川東岸を捕捉。これを撃破した。Kuma川東岸を制圧した独軍は、その西側に赤軍6個師団を含む1個軍相当の部隊を包囲した。

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Taman地区ではTamanが陥落。枢軸軍の次なる目標は、黒海沿岸の要域Novorossiyskである。独軍山岳歩兵師団とルーマニア騎兵師団が迫る。しかし兵力的には十分ではなく、Novorossiysk攻撃は次Turnに持ち越しとなった。

Kuma川西岸地区に包囲された赤軍6個師団以上は容易ならざる事態に直面していた。足の速い戦車旅団、騎兵師団は独軍の包囲の輪をすり抜けてProkhladnyy(2623)付近まで後退することができた。しかし歩兵部隊の大半は包囲輪内に閉じ込められ、生還は期し難い状態になってしまった。


第6Turn(9月1週)

Tamanが独軍の手に落ちたので、ブリュッヒャーⅡ戦隊に所属する独第46歩兵師団とルーマニア軍第3山岳師団、さらに増援で登場してきたルーマニア軍第19歩兵師団がTamanに上陸してきた。彼らの任務はNovorossiyskの攻略である。約5個師団の枢軸軍部隊がNovorossiyskを攻撃する。が、Novorossiyskの守り堅く、なかなか根を上げない。

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Kuma川地区では、独軍が先ほど包囲した赤軍約6個師団を着実に撃破しつつ、先鋒の装甲部隊がProkhladnyy(2623)付近で赤軍部隊を撃破し、Terek川に接する地点にまで到達した。別の枢軸軍部隊はNalchik(2724)を占領。

ちなみにこのNalchikからOrdzhonikidze(2921)にかけての一帯は、独ソ両軍の激戦地となった場所で、独軍の進撃はこのあたりが限界であったようです。

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対する赤軍はTerek川を最後の頼みとして防衛線を張る。

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第7Turn(9月2週)

Terek川北岸に進出した独軍装甲部隊は、第2インパルスを利用してTerek川を渡河。遂にGROZNY(2819)に接敵した。GROZNY陥落も時間の問題である。
しかし戦いは意外な場所で決着がついた。Novorossiyskを攻撃していた枢軸軍によって、同地を守備していたソ連兵達が次々と潰走し始めたのである。要は死守チェックで"1"以外の目を出せば良かった所、見事に"1"を出してしまったのである。退路を断たれた赤軍は次々と降服。Novorossiyskは独軍の支配する所となった。

この時点で独軍のVP(勝利得点)は15点。サドンデス勝利のレベルに到達した。
この戦いは独側の勝利に終わった。

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感想

展開としてはこちらとほぼ同じ形になりました。このリプレイを事前に済ませておいたおかげで、対戦の際には冷静に対処できました。ただ、今回紹介したプレイ例とこちらを比べてみると、後者は色々と細かい点でミスをしています。やり直しが簡単にできるソロプレイと、対戦相手を意識せざるを得ない対人戦の違いでしょうか。対人戦でソロプレイ並のプレイの質を実現できれば理想なのですが、なかなかそうはいかないようです。

今回紹介したプレイでは独軍の圧勝に終わりましたが、さりとてこのゲーム、一方的に独軍有利という訳ではないようです。特に今回は一撃でノヴォローシスクが陥落したり、第2Turnにマイコープが陥落したりと、かなり独軍に有利な展開でした。天候もずっと「晴れ」だったというのも、独軍に味方したようです。
赤軍の反省点としては、まずクラスドノール、マイコプといった要域をあまりに容易に独軍に奪われてしまったことです。今回は兵力の温存を重視して都市防衛にはそれほど固執しませんでしたが、これは失敗でした。クラスドノール、マイコプといった重要拠点では赤軍は可能な限りハイスタックで守るべきで、もしこれが実現できていれば、独軍も今回ほど順調な進撃は望めなかったかも知れません。

今回のポイントは第5Turnでした。
このTurnに独軍が実施した迂回攻撃によって赤軍は大損害を受けたのです。この損害が後まで尾を引く形となり、サドンデス負けになりました。結果論からいえば、第5Turn開始時の段階で赤軍はKuma川の線まで下がるべきだったのでしょう。Kuma川まで下がれば、正面に川、北翼はKuma湿原、そして南はカフカス山脈となり、戦線が狭く、そして堅くなります。そうすれば独軍も、今回程容易に赤軍を包囲することはできなかったでしょう。
しかしこの場合、後退時に足の遅い歩兵師団の一部を見捨てる