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WW2北アフリカ戦を扱った傑作キャンペーン・ゲーム「The Legend Begins」。これまでにも何度か紹介してきましたが、先日の那須塩原温泉旅行の際、ガザラ戦から始まるキャンペーンシナリオをプレイする機会を得ました。下名は枢軸軍を担当します。

初期配置

本シナリオは史実でのガザラ戦から始まる。連合軍はトブルク周辺に強固な要塞地帯を築いているが、それに加えてトブルク西方に万里の長城のような「ガザラライン」が築かれている。

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枢軸軍の作戦はこうだ。
まずドイツ軍を中心とする機動部隊はガザラライン南方を迂回し、ガザラライン東方に回り込んで英軍機甲部隊を攻撃する。この機動によってガザララインの孤立化を目指す一方、英軍機甲部隊を無力化することによって英軍の反撃兵力を封殺する。またイタリア軍は兵力の優越を最大限に生かしてガザラライン北部を攻撃。突破を図る。一連の機動によってガザラライン全体を包囲。補給切れによって生殺しを図る。

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兵力の減殺が成功した後にイタリア軍を中心とする部隊でトブルクを攻撃、同地を占領する。
懸念事項はイタリア軍の初期突破と補給量の消費、そして最終弾のトブルク攻略戦である。特に最終弾のトブルク攻略戦は英軍側の兵力集中状況如何によってはトブルク要塞線が難攻不落になる可能性が高い。その場合、長期的な包囲戦により補給切れを誘うようといったまるで「クルセーダー作戦」のような展開を覚悟しなければならないかもしれない。


枢軸軍主力のオーダーオブバトル

ドイツ軍

第15装甲師団:41-41-12(攻撃力-防御力-移動力、以下同じ)
第21装甲師団:32-32-12
第90軽師団:22-27-12
砲兵部隊:8-2-9

イタリア軍

Ariete装甲師団:21-21-9
Littorio装甲師団:21-21-9(戦略予備)
Trieste自動車化歩兵師団:18-16-12
Trento歩兵師団:16-16-4
Bologna歩兵師団:6-8-4
Sabratha歩兵師団:6-8-4
Pavia歩兵師団:10-10-4
Brescia歩兵師団:10-10-4
砲兵部隊:12-6-9

1942年5月Ⅱ

当初の予定通り行動を開始する。まずドイツ軍3個師団とイタリア軍Ariete装甲師団からなる機動部隊がガザラライン南方を迂回。英軍偵察大隊を蹴散らしつつインド第3自動車化歩兵連隊(7-12)を攻撃。これを撃破した。
さらに北上したDAKは英第7機甲師団と遭遇。激しい戦いの後にこれを撃破した。DAKも3ステップを失う損害を被ったが、英軍の損害は我の倍に達した。

ガザラライン正面ではTrieste自動車化歩兵師団を主力とするイタリア軍が、南アフリカ歩兵部隊が守るガザララインを攻撃した。Ju-87急降下爆撃機を主力とする強力な航空部隊が空から支援する。しかし英軍戦闘機隊の奮戦によってJu-87は悉く帰還を強いられ航空支援が激減。さらにイタリア軍チェックに失敗してイタ公の火力が半減するという危機。オッズは3-1しか立たず、攻撃成功率が2/3なのでかなりリスキーな攻撃であったが、なんとか出目に救われて攻撃成功。ガザララインの一角に穴を空けた。

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英軍は孤立したガザ(Gaza 3134)を救援すべく南ア第2歩兵師団、英第32機甲旅団等からなる反撃部隊を編成。包囲輪の一角に対して反撃を指向した。攻撃を受けたイタリア軍Trento歩兵師団はこの攻撃を良く耐え、英軍部隊を撃退した。

再び主導権を取った枢軸軍は攻勢を続行。DAKがトブルク北方の要域エル・アデム(El Adem 2183)を占領。ガザララインでもイタリア軍は突破口を広げた。イタリア軍とDAKはトブルク西方で手をつなぎ、ここにガザララインに対する包囲が成立した。

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1942年6月Ⅰ

先のTURN、英機甲旅団を中心とする部隊がDAKの後方で反撃を実施。Ariete師団を撃破して一度はガザララインに対する連絡線を回復した。これに対してDAKは、英反撃部隊に対して第15装甲、第90軽師団による共同を実施。マチルダ戦車中心で編成された戦車旅団をほぼ撃破した。ガザララインの内部に残る自由フランス軍と南アフリカ師団等、再び包囲の輪に閉じ込める。

解囲の可能性が失われたガザラライン内部の連合軍は絶望的な反撃を実施。歩兵中心の部隊がドイツ第15装甲師団に対して攻撃を仕掛けてきたが、戦車戦力を持たない歩兵部隊が装甲師団に敵う筈もなくほぼ一方的に損害を被って事実上壊滅した。

ガザララインの掃討をほぼ完了したDAKはさらなる攻勢を実施した。エル・アデム南方に集結した英機甲部隊を捕捉した。独軍の戦力は第15装甲、第21装甲、第90軽の3個師団。対する英軍は戦車だけでも20ステップ近くを保有する大部隊。戦車戦力だけなら英軍の方が2倍近い兵力を有していた。オッズも1.5-1しか立たず、かなりヤバイオッズだったが、独軍の練度優越が危機を救った(最初のダイスが1だった)。一連の戦闘で英軍に計15ステップの損害を与え、英第7機甲師団を完全に抹殺した。しかし独軍も戦車兵力の約半数を失う等、損害が漸増し、どこかで補充しなとやばいよ、的状態になってきた。

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1942年6月Ⅱ

先のTURN、英機甲部隊をほぼ撃破したDAKは、いよいよトブルク要塞そのものに対する攻撃に着手した。Trieste自動車化歩兵師団を主力とするイタリア軍がインド歩兵連隊の守るトブルク要塞外郭陣地を攻撃。相変わらずやる気のないイタリア兵(火力半減)であったが、空からは空軍支援、海からイタリア艦隊による艦砲射撃(資源ポイント1消費)、さらに弾幕射撃によるコラムシフト(補給ポイント1消費)でトブルク外郭陣地を強行突破。トブルク市街に肉薄したイタリア軍は、トブルクまであと一歩に迫った。

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トブルク及びその周辺に残った英軍部隊はトブルクからの撤退を開始した。しかし機動力に優るドイツ・イタリア軍装甲部隊が英軍の退路に立ちふさがった。自由フランス、南アフリカ、インド、そして英本土の歩兵達は戦車部隊相手に勇敢に戦ったが、砂漠の真ん中、歩兵の勇気が戦車に通用する筈もなかった。トブルクは陥落。さらにリビア国内に残存していた英軍部隊もバルディア要塞(Bardia 2845)を除けば、この月の終わりまではほぼ一掃された。英軍の損害は数個師団に達し、英第8軍は壊滅の危機に陥った。

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1942年7月Ⅰ

地中海で英海軍の活動が激しくなってきた。今まではイタリア本土から北アフリカまでの航路はほぼ無傷で航行できたが、今後はそうは行かなくなるだろう。

「レジェンド・ビギンズ」では「マルタ島阻止値」で地中海の制海権を表現している。「マルタ島阻止値」は-3~+3のいずれかの値を示し、+3が枢軸軍にとって一番好都合だ。ちなみにこの時点での「マルタ島阻止値」は+1だった。まだ枢軸軍が僅かに有利だが、地中海の波は高かった。

イタリア軍の3個機械化師団と2個歩兵師団がバルディア要塞を攻撃した。要塞を守るのは自由フランス軍の歩兵連隊。この時は珍しくイタリア軍がやる気十分だった。艦砲射撃による支援も相まってイタリア軍はバルディアを占領した。これにより英軍はリビア領内よ全て撤収し、エジプト領内のシディ・バラニ(Sidi Barrani 2648)付近にまで後退した。後退する英連邦軍をDAKの装甲部隊が追う。
英第1機甲師団。機甲師団とは名ばかりの自動車化歩兵と装甲車大隊の混成部隊であったが、ピカデリーサーカス(Picadilly Circus 2252)と名付けらた砂漠の交差点でDAKの追撃を受けた。勿論「名ばかり師団」がDAKに敵う筈もなく壊滅した。勢いに乗るDAKはメルサ・マトルー(Mersa Matruh 2459)を占領。さらに東に進んでフカ飛行場(Fuka 2264)を占領し、エル・アラメイン(El Alamein 2170)を指呼の元に捉えた。

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ここまでの総括

この段階でガザラシナリオは終了となる。勝利条件を当てはめると、目標ヘクス5個所は全て枢軸軍が占領し、このシナリオに限って言えば枢軸軍の勝利となる。以前に同シナリオのソロプレイ記録を書いた時に書いたが、枢軸軍が勝利する鍵は英軍戦車部隊を如何に撃破するかにかかっているが、今回はそれがほぼ予定通りに推移した。
キャンペーンシナリオの勝利条件はマップ東端への突破なので、まだまだ先は長い。しかしもう一つ。日本版バリアントルールに示されたキャンペーンシナリオの勝利条件に当てはめると、状況は少し異なってくる。このルールは、海戦ゲームである「War at Sea」「Victory in the Pacific」のように毎月の支配地域比較によって一定量の勝利得点を累積計算していくシステムである。このシステムによるVP計算を行うと、以下のようになる。
 1942年4月終了時点 -2
 1942年5月終了時点 -1
 1942年6月終了時点 0

ちなみに+5VPに達した時点で枢軸軍勝利が確定する。また現状を維持すれば毎月終了時点で+2VPを獲得できる。つまり現状を維持した状態で9月終了時点まで過ごせば、枢軸軍の勝利が確定する。

ちなみにこの勝利条件を史実に当てはめると、1942年10月終了時点で枢軸軍が勝利条件を満たしたことになっている。

何はともあれ、北アフリカを舞台とする「伝説」はまだまだ続くことになる。