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激スタが終わった後、「志士の時代」5人プレイに参加しました。「志士の時代」はウォーゲーム日本史8号の付録ゲームで、プレイヤーは幕末日本を裏から操る黒幕的な役割を演じます。プレイヤーは、自分の息のかかった志士達が幕末史に与えた影響力の大小を比較し、勝敗を競います。だから「僕は長州」「私は会津」といった感じでプレイヤーの役割が最初に決めてある訳ではありません。

妄想、幕末史

このゲームは自分の影響下にある志士を決定するために「競り」をする。5人プレイだとセリの目安をつけるのが難しい。少人数の場合と比べると値段が吊り上げられる傾向が強いので、どのあたりに見切りをつけるか、あるいはブラフをかけて相手のセリから落とすか、といった判断に迷うことになる。

序盤、島津斉彬、山内容堂あたりを抑えた私。薩摩、土佐藩士系で固めていきたい所だが、土佐はとにかくとして、薩摩は人気の高いエリアなのでなかなか競り落とせない。結局第4Turnまでに、左記の2人の他、後藤象二郎、勝海舟、坂本龍馬、河合継之助を競り落としただけだった。一見強力な布陣だが、島津斉彬、坂本龍馬は病死、暗殺によって途中で脱落するので、最後まで使えるのは4人。他陣営に比べると層が薄い感は否めない。それでも第3Turn終了までは、大政奉還、平和維新路線を堅持し、勝利得点で真ん中ぐらいの位置をキープしていた。

そして迎えた第4Turn(最終Turn)。我が陣営の方針としては、最後まで大政奉還、平和維新路線を堅持し、戊辰戦争には持ち込まずに第2位あたりをキープする予定であった。そのために勝海舟、後藤象二郎らの暗躍でなんとか大政奉還路線を堅持しようと努めた。しかし時代の流れは倒幕、武闘革命路線。その流れを止めるのは最早不可能である。ここに至って我が陣営は平和路線を放棄。武闘路線で徳川を中心とする立憲君主国家を目指す方向に路線変更した。

山内容堂公率いる土佐藩士が京に進軍。戊辰戦争が始まった。
まず鳥羽伏見の戦いでは、明治帝が徳川幕府軍を官軍とみなし、倒幕を図る薩摩・長州はいきなり賊軍となってしまった。京都の警備にあたっていた土佐藩士は、状況を見て幕府側に加勢。新兵器ガトリング機関砲の威力も相まって、薩摩軍を撃破。京の支配権を握った。
勢いに乗る徳川側は、江戸から「薩摩征伐」を発令。幕府の大軍が薩摩へ攻め込んだ。薩摩征伐戦である。兵力に劣り、さらに賊軍の汚名まで着せられた薩摩に勝ち目はなく、薩摩軍は壊滅。九州一帯は幕府の支配する所となった。
このままでは徳川の世が続いてしまう。
窮地に立たされた長州藩は、そこで起死回生の策に打って出る。軍事的天才大村益次郎率いる長州の軍勢が、土佐藩士の守る京都に大挙として押し寄せたのだ。土佐藩は例によって新兵器ガトリング機関砲、そして錦の御旗を武器に抵抗するが、大村益次郎の軍事的天才がそれらを上回った。土佐藩は京都から排除され、京は再び倒幕派の支配する所となった。
この状況を見て動いたのが第15代将軍徳川慶喜。いきなり倒幕派に対して恭順の態度を見せたかと思うと、ここで勝海舟がしゃしゃり出て倒幕派と停戦交渉をする始末。勝の暗躍によって江戸に残っていた幕府兵は解散せしめられ、京都から進軍してきた長州藩士が江戸城に入城。江戸の支配権を握った。兵力で勝り、さらに官軍であるはずの徳川幕府軍は、いきなり江戸、京といった日本の主要部を失ってしまう。
その後会津、仙台、長岡の奥州雄藩が奥羽列藩同盟を締結。江戸に陣取る長州軍と睨み合う状態。といったところでゲーム終了となった。

日本に未来は、いったいどっちだ?。

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感想

「競り」が難しかったです。志士の数がわかっていれば、あと何人か目安をつけられるのですが、残り枚数を数える訳にもいかず、どこまで突っ張るかは難しい所でした。あとで調べてみたところ、志士の数は11,8,8,7+2だったので、5人プレイの場合、毎ターン2名競り落とせば「御の字」と言えます。実際には合計で7人落とせば良しとすべきでしょう。今回、私の場合は競り落としたのが6人だったんで、やや少なすぎたようです。

いずれにしても1~2時間で終わり、3~6名なら何名でプレイしても面白い本作は、傑作ゲームと評して良いと思います。