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GMT社の傑作ゲーム、Paths of Glory(以下、PoG)をVASSALを使ってメールプレイしました。PoGのテーマは第1次世界大戦の欧州戦線で、1Turnが実際の3ヶ月に相当し、全20Turnで欧州の覇権を争います。PoGの概要については、こちらの記事その他を参照して下さい。

今回、PoGをプレイするにあたり、下名が連合軍(英仏露側)を担当しました。ちなみに連合軍と相対するドイツ・オーストリア陣営については、中欧軍と呼称することにします。ルールは2004年に発表された第2版を使用しました。以下の選択ルールは全て採用しました。
 4.2.4:ロシア及びオーストリアに関する初期配置のオプション
 9.1.4:カードを7枚ではなく8枚引くオプション
 11.2.10:塹壕構築に失敗した際に、次ラウンド以降-1DRMを適用するオプション

前回までのあらすじ  1-8Turn

9Turn(1916年春)

イメージ 17このTurnは海上における異変から始まった。客船ルシタニア号がドイツUボートの攻撃を受けて撃沈され、1000名以上の犠牲者を出す大惨事となった。ルシタニア号の遭難は中立国であった米国世論を沸騰させただけではなく、連合軍の戦争体制をより推進させた。ゲーム的に言えば、ルシタニア号遭難を契機とし、連合国は限定戦争から総力戦体制に移行していったのである。

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イメージ 23また陸上でもドイツ軍が大攻勢を仕掛けてきた。東部戦線に集結したドイツ軍計6個軍は、タンネルベルグに3個軍、ウッチ(Lodz)に3個軍が集結。攻勢の機会を伺ってきた。最初に動いたのはタンネルベルグに集結中の3個軍である。東プロイセンから国境を越えたドイツ軍はリトアニアのカウナス(Kovno)を守るロシア軍2個軍を攻撃。兵力でも練度でも勝るドイツ軍がロシア軍を圧倒し、ロシア軍1個軍が壊滅。残った部隊もリガに後退するのが精一杯であった。
その後もドイツ軍の攻勢は続けられ、ブレスト・リトブスク要塞は陥落。カウナスとグロドノのロシア側要塞は辛うじて包囲下で持ちこたえている状況であった。ロシア軍は緊急の補充で兵力の立て直しを図る。果たしてドイツ軍の攻勢を凌げるか。このTurnの最終段階でルーマニアが連合軍側に立って参戦した。

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10Turn(1916年夏)

東部戦線では相変わらずドイツ軍の進撃が続いている。このTurn、ラトヴィアのリガ要塞が危機に入ると思われたが、幸いリガ要塞は持ちこたえた。それに代わって攻撃が行われたのはロシア中南部方面で、ブレスト・リトブスクから出撃したドイツ軍がルーツィク(Lutsk)を落とし、さらに東を伺う。

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イメージ 16一方の連合軍は東部戦線の動きを横目で見つつ軍制改革に努める。まず英陸軍航空隊が英空軍として独立した。これによりヴァルター・ラーテナウの築いてきた増援面でのドイツ軍の利点が失われた。続いて護送船団方式を開発した英軍はUボードの脅威を取り除いた。これによりドイツ軍の動員能力での優位、そして英国の動員能力での不利を打ち消した。

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11Turn(1916年秋)

イメージ 18ギリシアが参戦した。これによって戦争レベルが30になり、米国が参戦可能となった。東部戦線ではドイツ軍の攻勢が続いていたが、連合軍もやや兵力展開に余裕が出てきた。リガ正面では反撃を行ってドイツ第11軍(5-3-3)を撃破し、さらに西部戦線ではフランス軍所属の3個軍でフランクフルト(Frunkfurt)を守るドイツ軍2個軍を攻撃。これを撃破しフランクフルトを占領した。しかも一連の戦闘で受けた損害を連合軍な補充能力を使って解消しつつあるのに対し、ドイツ軍は補充が不十分で前線部隊の回復すらままならない状況であった。

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12Turn(1917年冬)

イメージ 7カードがしょぼいぞ。早くアメリカ参戦が来てほしいが、なかなか来ない。このTurnは我慢するしかない。
と思ったらロシアで大事件発生。ペトログラードで発生したパンを巡る暴動をきっかけにしてロシア革命が勃発したのだ。この事件によって300年の歴史を誇ったロマノフ王朝が終焉を迎えた。史実と全く同じ展開に両軍プレイヤー共改めて本作の再現性の高さを確認した次第。

イメージ 21ケレンスキーが臨時政権を引き継いだロシアは戦争継続を決意。東部戦線でドイツ軍に対抗する。
東部戦線での危機を察した連合軍は、ドイツ軍の目を引き付けるための西部戦線で攻勢を発動した。ライン川沿いフランクフルトとストラスブルグを拠点とするフランス5個軍がマンハイム(Mannheim)を守るドイツ2個軍を攻撃した。兵力的には2倍以上の優勢を保っていたフランス軍であったが、ドイツ軍は相変わらず強かった。攻勢は頓挫し、その直後に行われたドイツ軍による反撃によって2個軍を失ったフランス軍はフランクフルトを放棄。ライン川の西岸まで撤退していった。

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13Turn(1917年春)

イメージ 9ドイツ帝国の外務大臣アルトゥール・ツィンメルマンがメキシコ政府当てに発送された電報が英国によって傍受・解読された。いわゆる「ツィンメルマン電報」である。その内容はメキシコ政府に対して対米参戦を促す内容のものであった。その内容は英国から当時の米大統領ウッドロー・ウィルソンに送られた。既にルシタニア号事件等によって米国民の反独感情は頂点に達しようとしていた。ウィルソンは対独開戦を決意。議会は大統領の決断を承認した。こうして眠れる巨人=アメリカ合衆国がいよいよ世界大戦にその第1歩を踏み出したのだ。

イメージ 19しかしこのTurnの焦点はイタリア戦線だった。先のTurn、イタリア軍は冒険的行動に打って出、アルプス山中のトレント要塞に対し奇襲攻撃を行ったのである。しかし結果は裏目に出て奇襲は失敗。攻撃に参加したイタリア第1軍(2-2-3)は背後を絶たれて壊滅の危機が迫った。
それを救出せんと連合運は英第1軍(4-3-3)の他、イタリア軍計3個軍を投入した兵力でイタリア第1軍を救助せんと北イタリアで作戦行動を行う。

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イメージ 20ドイツ軍もまたイタリア方面へ兵力を増強。第14軍(5-3-3)に加えてタンネルベルグ戦の英雄である第8軍(5-3-3)もイタリア戦線に投入。連合軍の反撃に備えている。英軍は、オーストラリア軍団(2-1-4)やカナダ軍団(2-1-4)も動員し、イタリア戦線に差し向けることでドイツ軍を撃破。トレントに向けた突破口を開いた。
結局中欧軍が根負けする形になってイタリア半島北部より撤退。イタリア軍はトレント要塞を陥落させ、さらにヴェニスの奪回に成功した。

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14Turn(1917年夏)

イメージ 13オーバーゼアは1917年にアメリカで発表された軍歌のことである。アメリカの第1次世界大戦への参戦を示す象徴的な歌となった。オーバーゼアの歌声を背景にアメリカ軍が続々と海を越えた。

イメージ 12一方ロシアでは革命がいよいよ進行し、できたばかりのケレンスキー政権を揺さぶる。後に「八月革命」と呼ばれるボルシェビキ革命が首都ペトログラードを吹き荒れる。日露戦争の歴戦艦である防護巡洋艦「アヴローラ」が冬宮に対する砲撃を開始。赤衛軍に引き入れたコサック兵が冬宮に突入する。折しも会議中であったケレンスキー政権の閣僚たちはなすすべもなく逮捕され、ケレンスキーは国外に逃れた。ケレンスキー政権は僅か半年で崩壊したのである。

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イメージ 22革命に勢いを得たドイツ軍は東部戦線で攻勢を仕掛けてきた。フォン・フティエル(Von Hutier)率いるドイツ軍がリガ攻略戦を行う。要塞と塹壕戦でリガを守るロシア軍に対し、ドイツ軍は新戦術である浸透戦術を実施。その効果は著しく、塹壕戦を無力化されたロシア軍は次々と突破された。2個軍編制のリガ方面ロシア軍は、この戦いで完全1個軍を失い、残り1個軍も遠く北極圏まで退却していった。ロシア軍を撃破したドイツ軍はリガに進出。リガ要塞を包囲した。

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