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GMT社のEmpire of the Sun(以下、EoS)は間違いなく傑作ゲームである。今回、EoSをVASSALを使ったメール対戦する機会を得た。シナリオは1942年キャンペーン。日本軍にとって勝ち目のない戦争だと言われている太平洋戦争だが、このシナリオは決して「なるようにしかならない」訳ではなく、日本軍も十分に楽しめる内容になっている。

今回、下名は日本軍を担当した。

これまでの展開 --> こちら

5Turn(1943年前半)

イメージ 51943年の新年はビルマ方面における日本軍の攻勢で幕を開けた。ビルマ・タイ国境で待機していた日本軍3個軍は怒涛のごとく国境を越えて首都ラングーン(Rangoon 2008)へ殺到した。ビルマ攻防戦が始まったのである。
日本軍によるビルマ作戦は、実は開戦直後から検討されていた。タイ国境からビルマ南部へ殺到してまず首都ラングーンを制圧。返す刀でビルマ北中部のマンダレー(Mandaley 2106)、ラシオ(Lashio 2206)、ミトキーナ(Myitkyina 2305)、そして海岸のアキャブ(Akyab 2006)を一気に制圧するという電撃戦がその骨子だ。

イメージ 6しかしその作戦を根底から揺さぶる大事件が起きた。「海軍甲事件」。言うまでもなく山本聯合艦隊司令長官の遭難である。山本長官とその司令部が一瞬に壊滅したことにより海軍はその作戦中枢を失った。速やかに小沢治三郎中将が大将に昇進して指揮を引き継いだものの(年功序列を重視する日本海軍にとっては異例のことだ)、その混乱を完全におさめることはできなかった。予定されていたビルマ作戦は一時延期となり、海軍はその主攻勢を南東太平洋方面に向けることになった。結局ビルマ作戦が再興される前に連合軍がビルマ方面の守りを固めてしまい、手出しができなくなってきた、というのがこれまでの経緯である。

イメージ 7年が変わって1943年。太平洋正面で米軍による反攻が次第に激化する兆しを見せる中、日本軍首脳が再びビルマに目を向けたのは、戦略的要請と作戦的可能性の2つが理由であった。
戦略的要請とは言うまでなく激化しつつある米軍の反攻に対して安全な後背地を確保し、さらにはインド占領による英軍の脱落という壮大な計画の第1歩として、ビルマ作戦が再び注目を浴びつつあったということである。また作戦的可能性とは、ビルマ方面がこれまで独自に進めてきた「リ号研究作戦」が、ここに来て作戦実行の可能性が見えてきたということである。「リ号研究作戦」の骨子はタイ国境から3個軍の地上部隊がビルマ領内に進入してラングーンを電撃的に占領するというもの。その際障害になるのがビルマ各地に展開する英海空兵力。質量ともに同方面の日本海空軍を圧倒する彼らに対する対策が本作戦の主要なテーマであった。それがここに来て漸く解決の目途が立ったのである。この段階で日本軍の作戦成功率は約70%とされていた。

イメージ 8勇躍出撃する日本軍各部隊。しかしそこに驚くべき情報が飛び込んできた。英ウィンゲート少将率いる空挺部隊が日本軍後方に降下し、各地で襲撃を始めたのである。この襲撃行動のため。日本軍はビルマに向けて進撃中の3個軍のうち、第15軍(18-12)を後方警戒のためにその場に留めた。結局3個軍が2個軍に減ったために、この時点で作戦成功率は40%まで急降下した。しかし作戦行動を開始した以上は最後までやり遂げる必要がある。悲壮な決意で戦場に向かうビルマ方面軍の兵士達。

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イメージ 9ラングーンを守る英軍は、オーストラリア第3軍団(22-12)を主力とし、後はあまり戦力として期待できない中国軍の第6軍(5-12)、第66軍(6-12)の地上部隊。戦艦「ウォースパイト」(14-14)、軽空母「ハーミズ」(2-8-2)等を主力とする海上兵力。そして有事の際にはアキャブやマンダレー等から航空機による支援も得られる。
我が地上部隊を空から援護する陸軍第7飛行師団(8-10-2)は果敢に戦ったが、物量の差は圧倒的で、結局全滅する他なし。しかし彼らの全滅は無駄ではなかった。航空攻撃を免れた我が地上部隊2個軍は、ほぼ無傷でラングーンに取り付いた。先のウィンゲート旅団攻撃によって兵力が2/3となった日本軍。成功率は当初の見通しである約70%から40%まで減少したが、それでも彼らは諦めなかった。その奮戦に天が微笑んだのか、この戦闘で日本軍のダイスは冴えまくり、ラングーン市街戦は日本軍の勝利によって終わった。ここに来て漸く日本軍はビルマ領内に「爪が引っかかった状態」になった。

イメージ 10イメージ 13その後日英両軍とも防御力整備に努める。英軍は新編成の第7装甲旅団(4-10)を戦場に投入し、マンダレーを中心としてビルマ北中部を死守の構えだ。一方の日本軍は航空兵力として精鋭の第3飛行師団(20-20-2)をラングーンに送る共に新たにラングーンを基地とするインド洋方面艦隊を編成した。それは空母「蒼龍」(10-12-3)、軽空母「瑞鳳」(8-8-3)、戦艦「比叡」(13-14)、重巡「最上」(12-10)等からなる艦隊で、ラングーンを基地としてインド洋西部の制海とビルマ防衛を主任務としていた。

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イメージ 11その頃、南東太平洋方面においては、米軍による反攻作戦がいよいよ本格化しつつあった。旅団規模の海兵隊(8-8)が戦前から準日本領だったミクロネシアのクサイ(Kusaka 4517)に上陸してきた、クサイ自体は守備隊がいなかったため即座に陥落した。

イメージ 12しかし東部ニューギニアに対する連合軍の奇襲作戦は上手くいかなかった。「スクエアペグ」(四角釘)と名付けられたギリギリ(GiliGili 4024)に対する上陸作戦は、空母「エンタープライズ」(12-12-2)、戦艦「ノースカロライナ」(16-16)などが援護し、ニュージーランド軍第3歩兵師団(9-12)が上陸作戦を敢行した。
奇襲を狙った連合軍だったが、日本軍の諜報部はそれを察知し(史実と違って日本軍の諜報はすごぶる優秀である)、空母「翔鶴」(14-12-3)、軽空母「隼鷹」(8-8-3)、戦艦「大和」(18-18)等が出撃した。空からは日本海軍最強の第22航空戦隊(20-10-3)が援護する。兵力で圧倒的に優勢な日本艦隊は米艦隊を完全に殲滅し、ニュージーランド師団は這う這うの体で撤退するしかなかった。日本軍は第22航空戦隊がステップロスしたのみ。後に珊瑚海海戦と呼ばれる海戦は日本軍の大勝利に終わった。

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(つづく)