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「またか」の声が聞こえてきそうだが、主題のゲームをVASSALでプレイした。下名はフリードリヒを担当する。

1756年

イメージ 128月攻勢は上手くいった。ザクセンの主要地であるライプチヒ、ドレスデン、トルガウの3ヶ所を占領。ドレスデンに籠るザクセンのルトヴィスキ将軍(★★1)は戦死した。
しかし10月に入ってオーストリア軍が参戦してくると状況が一変する。
オミュレッツを発したピッコロミニ将軍(★1)率いる1個軍団がオーデル川沿いを北上。ナイゼ要塞を攻撃し、これを占領した。またチャールズ・ロレーヌ公(★★0)率いる1個軍団はグラツ要塞を囲む。
すわ、反撃。
と思ったが、無情にも"End Turn"。結局プロイセン軍は10月には一度も動くことなく年の暮れを迎える。

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1757年

イメージ 13冬季損耗でダンツィヒを囲むプロイセン軍とグラツを囲むオーストリア軍はそれぞれ大損耗する。
明けて1757年。フリードリヒ(★★3)はザクセンを離れて北に進みバルト海沿岸の都市シュトラールズントに進出した。ここはスウェーデン軍のハミルトン将軍(★1)が1個軍団弱の兵力を率いて守りを固めている。しかし歴戦のフリードリヒ率いるプロイセン軍に敵う訳もなくハミルトン将軍はスウェーデン領内に撤退していった。しかしシュトラールズントを守るスウェーデン軍は孤軍奮闘。結局シュトラールズントが陥落したのは6月になってからであった。シュトラールズントの守備隊はフリードリヒを向こうに回して4ヵ月間頑張ったことになる。

シレジア方面ではツィーテン将軍(★2)率いるプロイセン軍1個軍団が進出。オーデル川沿いに南下し、いったん陥落したブリング要塞を打開し、ナイゼ要塞に陣取るオーストリア軍と対峙する。シュトラールズントを陥落させたフリードリヒ軍も急遽南下。シレジア西部のグライツに進出しオミュレッツのオーストリア軍と対峙する。
ライン川沿いではフランスの大軍が北上してきた。ライン河畔のウィーゼル要塞はプロイセン軍が同方面に築いた根城であったが、フランス軍1個軍団の猛攻を受けることになってしまう。「ブランデンブルグの奇跡」カードで一旦は退いたフランス軍であったが、デステル公爵(★★1)率いる2個軍団がウェストファリアに進出。不気味な待機を続けている。

イメージ 15東プロイセンから北部ポーランドにかけての地域では、1756年末よりプロイセン軍レーワルト将軍(★1)率いる1個軍団弱がダンツィヒ要塞に籠るザクセン軍残存部隊に対して包囲攻撃を続けていた。ダンツィヒ要塞を守るザクセン軍守備隊は奮戦し、度重なるプロイセン軍の猛攻を跳ね返してきた。しかし8月に入ってその抵抗にも遂に限界が訪れた。ダンツィヒ要塞は陥落した。プロイセン軍はホッとしたのも束の間、すぐに東から新たな脅威が迫ってきた。3個軍団以上からなるロシアの大軍が本国を発して東プロイセンに殺到してきたのである。ケーニヒスブルグを守るプロイセン軍は鎧袖一触の元に撃破され、ケーニヒスブルクはロシア軍の支配する所となった。

シレジア地方では、フリードリヒが各地での状況に対応するためにドレスデンに引き上げた隙を突いた形でオーストリア軍が活動を開始していた。ダウン伯(★★2)率いる2個軍団がグライツ要塞を猛攻。一撃の元にこれを陥落させていた。

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1758年

イメージ 14まずは西部戦線でフランス軍が動いた。ライン河畔のウィーゼル要塞がブロイ将軍(★1)麾下の1個軍団の攻撃を受けて撃破されてしまう。さらにデステル公爵(★★1)率いる1個軍団がウェストファリアを北上。ミンデン要塞を囲んだが、ここで冬が来る。冬営で大損耗するフランス軍。
それに対する英ハノーファー軍は、半数の兵力でフランス軍と対峙する一方、1個軍団の兵力がドレスデンから南下し、ボヘミアのイーガー要塞を落してさらに南下の構えを見せている。

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シレジア方面ではオーストリア軍が3個軍団もの大兵力でナイゼ要塞を攻めてこれを一撃の元に陥落させる。それに対してプロイセン軍もすぐさま対応。ドレスデンを発したフリードリヒ麾下の1個軍団がグライツ要塞に逆進攻を行い、これを奪回した。フリードリヒはわずか1個軍団でオミュレッツに布陣するオーストリア3個軍団以上と対峙を続ける。

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東部戦線ではロシアの大軍がケーニヒスブルクを発してダンツィヒ要塞を落とした。

1759年

イメージ 16英国ブランスヴァイク公(★★2)率いる1個軍団がハノーファーより南下。ミンデン要塞を囲むフランス軍を追撃する。デステル公爵率いるフランス軍は英ハノーファー軍との交戦を回避し、ライン河畔に向けて後退した。

バルト海に面したシュトラールズントでは、スウェーデン軍の活動が再び活発化してきた。ハミルトン将軍率いる半個軍団がバルト海を渡ってシュトラールズントに攻め込んだのだ。スウェーデン軍は小兵力ながらもシュトラールズントを守るプロイセン軍守備隊を撃破し、さらに内陸へ進む構えを見せている。

夏になるとプロイセン軍3個軍団がボヘミアの首都プラハに総攻撃を仕掛けてきた。しかしプラハを守るオーストリア軍は奮戦し、プロイセン軍に対して一歩も引かない。結局冬までにプラハが落ちることはなく、プラハを囲むプロイセン軍は、総兵力の40%にあたる10戦力もの兵力を冬季損耗で失いことになる。

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1760年

年が明けるや否や、プロイセン軍はプラハ攻略に着手。今度こそ圧倒的な兵力にモノを言わせてプラハを攻略した。さらにプロイセン軍はボヘミア一帯に地歩を広げていったが、その時東からロシアの脅威が迫ってきた。Totleben将軍率いる1個軍団がバルト海沿岸を進み、コルベルクを占領。さらにその奥シュテッティンに対してはハミルトン将軍率いるスウェーデン軍が脅威を及ぼしていた。ポーランド内陸に侵攻したロシア軍主力はポーゼンに集結。侵攻の機会を伺う。
イメージ 17対するプロイセン軍はシュヴェリーン将軍(★2)率いる1個軍団をシュテッティンに急派。ハミルトン軍を撃破しシュテッティンを解放した。
ロシア軍が再び動いたのは6月に入ってからからであった。アプラクシン将軍(★★1)率いる2個軍団がブレスラウに侵攻、さらにソルティコフ将軍(★★2)率いる2個軍団弱のロシア軍がキュストリンに侵攻してきた。しかしプロイセン軍はこのチャンスを待っていた。アプラクシン将軍(★★1)率いる2個軍団を「ブランデンブルクの奇跡」によって強制後退を実施すると、フリードリヒ自ら率いる1個軍団とシュヴェリーン将軍率いる1個軍団がキュストリンにソルティコフ将軍(★★2)麾下のロシア軍を包囲した。兵力的にはほぼ互角の両軍だったが、包囲されたロシア軍に勝機はなかった。ロシア軍は完全に撃破されてソルティコフ将軍も戦死してしまう。

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イメージ 18その間、英・ハノーファー軍もプロイセン軍の側面を守る形でバイエルンに侵攻。サックヴィル将軍(★2)率いる半個軍団がニュルンベルクを占領してさらにミュンヘンへ侵攻の機会を伺う。また名将ブランスヴァイク公率いる1個軍団がウィルツベルクを落した。

西部戦線では英軍主力の不在を突いてフランス軍がハノーファー一帯に侵攻。ハノーファー、ハンブルクといった要域を電撃的に支配していった。守備隊を置かなかったことは失敗だったが、この陥落は正直痛かった。

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1761年

イメージ 14フランス軍が動いた。ハノーファーを発したデステル公爵率いる3個軍団がブラウンシュヴァイクに進出。英ブランスヴァイク公率いる1個軍団を撃退し、ブラウンシュヴァイクを占領した。しかしこれを好機と見たフリードリヒ率いるプロイセン軍2個軍団が長躯西へ向けて進撃。ミンデン要塞を奪回し、さらにハノーファーを伺う。背後を切られて壊滅の危機が迫るフランス軍。

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イメージ 19その時、ロシアの大軍が動いた。バルト海沿岸を進むアプラクシン将軍率いる3個軍団が、ステッテン要塞を囲み、これを一撃で陥落させていた。この動きに呼応してフランス軍もハノーファーへ撤退に成功。逆に退路を断たれたフリードリヒは、まさに這う這うの体で辛くもカッセルに後退する。
ロシア軍の猛進撃は続き、遂に首都ベルリンが包囲落城するに至った。
「ベルリン落ちる」
の報に接したフリードリヒは、全軍にベルリンへの引き上げを命ずる。しかしこのような場合に限って進撃ダイスが振るわず("2"の目が出た)、その上強行軍カードが手元にないという状態。3個軍団のロシア軍に対し、フリードリヒは僅か1個軍団でベルリンに向けて突撃する。

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イメージ 13ベルリンの会戦でフリードリヒは獅子奮迅に働きを見せた。3倍近い兵力を誇るロシア軍相手に、「奇襲」「側面攻撃」「斜行戦術」と、ありとあらゆる手段でロシア軍を苦しめた。兵力の優位を誇り、楽勝を信じて疑わなかったロシア軍は、一時パニックに陥った。

しかし王の奮戦もそこまで。奇跡は遂に起きなかった。
兵力の過半を失ったフリードリヒ軍は遂に後退。ベルリンの支配が確定した。

この時点で勝利条件を満たした連合軍の勝利が確定した。

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感想

イメージ 20正直惜しかったと思う。あと1Turn粘れば、エリザベータの死亡チェックに持ち込めたので、プロイセン側にも勝機が出てきた所だった。敗因は1760年秋のハノーファーの陥落であろう。ある程度の要塞守備隊を残しておき、後方遮断を狙う作戦に出れば、フランス軍も易々とハノーファーを取ることはできたかった筈。そこまではかなり善戦していただけに惜しまれる。
あとは細かい戦術レベルでもムーブミスが多かった。反省しきりである。