Gulf Strikeは1981年に米国Victory Games社から発表されたシミュレーションゲームだ。テーマはイラン・イラク周辺における軍事衝突で、4つの仮想戦シナリオと1つの半仮想戦シナリオ(イラン・イラク戦争)を含む。今回はVASSALを使ったソロプレイにチャレンジしてみた。
選択したシナリオはシナリオ1「ジハード」。これはイラン・イラク戦争に勝利した革命イラン軍が、湾岸諸国へ攻め入るという内容のものである。
選択したシナリオはシナリオ1「ジハード」。これはイラン・イラク戦争に勝利した革命イラン軍が、湾岸諸国へ攻め入るという内容のものである。
11Turn(6月21日)
左記のTurn、米軍は南イエメンの基地を放置したままでホルムズ海峡に突入したため手痛いしっぺ返しを食らうことになった。そこで今回は南イエメンを基地を完全に破壊し、Tu-26の脅威を完全に排除することを米軍は考えた。生き残った最後のTu-26部隊が南イエメンに潜伏していることは衛星情報その他により明らかかだったからだ。

これで制海権はほぼ確立した連合軍は、湾岸諸国で新たな攻勢に出る。
ホルムズ海峡を扼する要域バンダルアバス(Bandar-e Abbas 4555)。民兵の1個師団が市街地の防衛についており、イラン空軍の1部隊が防空任務についている。他にソ連空軍の航空基地も展開済みであったが、航空兵力の展開が終わっていなかった。そしてそこを米軍が叩いた。
ホルムズ海峡を扼する要域バンダルアバス(Bandar-e Abbas 4555)。民兵の1個師団が市街地の防衛についており、イラン空軍の1部隊が防空任務についている。他にソ連空軍の航空基地も展開済みであったが、航空兵力の展開が終わっていなかった。そしてそこを米軍が叩いた。


第2波はマスカット基地を発進したF-4E 1個中隊による攻撃。これがバンダルアバス基地の死命を制した。爆撃によってソ連軍航空基地は壊滅した。
第3波はB-52 2個中隊による爆撃で、残っていたイラン軍航空基地とF-5Eタイガー2の飛行隊は壊滅。バンダルアバスの空を守るのは各部隊の対空火器のみというお寒い状況となった。そこへオマーン空軍のジャギュア攻撃機とUAE空軍のミラージュ戦闘爆撃機が飛来。町を守るイラン革命防衛隊を爆撃する。一連の攻撃でイラン革命防衛隊の歩兵師団(5-1-4)は大打撃を被った。




まず強襲揚陸艦に輸送された海兵隊1個大隊(1-1-4)が、ホルムズ海峡西方のペルシャ湾に浮かぶキーシュ島(3558)に上陸し、同島の飛行場を占領していった。そしてC-130輸送機が第7海兵遠征旅団(7MAB 3-2-4)と第82空挺師団の第1旅団(3-2-4)をバンダルアバス西方55km地点に運んだ。米軍の地上部隊が遂にイラン本土の土を踏んだのだ。西からバンダルアバスへの進撃の機会を伺う米軍部隊。

12Turn(6月23日)

こうしてバンダルアバス一帯は米軍の支配する所となった。占領翌日にはバンダルアバスに米緊急展開軍(RDF)の司令部が進出。同方面での指揮拠点となる。


戦いの焦点はリヤドを巡る攻防戦へと移っていった。

13Turn(6月25日)
あと2Turnである。空母「エンタープライズ」はオマーンのマスカット港に入港し、最後の決戦に備えて傷ついた体を整備する。空母の艦載機は、行軍隊形のままバンダルアバスに向かうイラン革命防衛隊の歩兵師団を捉えた。激しい爆撃によって革命防衛隊は大損害を被ったが、まだなおバンダルアバスに向けて進撃を続けている。


このバーレーンを奪回するために米軍は、まず航空基地をバーレーンの対岸にある半島国家カタールに進出せしめた。そこへF-15C 2個中隊、F-4E 1個中隊が進出。カタール空軍のミラージュ戦闘機と共にこの一帯の制空権を握る。
そしてバンダルアバス攻略戦でも活躍した第7海兵遠征旅団(7MAB)がバーレーン南部に上陸した。次Turnにバーレーン全土を奪回する構えである。
