
本作の基本的なシステムは、「フリードリヒ最大の危機」「戦略級関ヶ原」等でお馴染みのチットドリブンシステムで、行動可能なチットを引いた陣営がダイスを振り、この時のダイス(行軍ダイス)目に等しい数だけ作戦行動を行える。行軍ダイスにはいくつかの修正があり、例えば本作では京を支配している陣営(大抵は信長方)は+2の修正が適用される。
他にはカードによる調略やイベント、イニシアチブによる合戦システム等がある。現在の視点で見るとカードが多すぎるとか、調略が面倒だとかあるが、一方でこの野暮ったさが魅力であり、洗練され過ぎた感のある「フリードリヒ最大の危機」等に比べると根強いファンが多い。かくいう私もファンの一人である。
今回、「信長最大の危機」をVASSAL対戦することになった。下名は信長方を担当する。

1Turn(1570年前半)

しかし京に戻った信長公は直ちに反撃を開始する。伊勢長島で蜂起した一向一揆に対しては、柴田勝家率いる1個軍団の軍勢が長島城を包囲し、猛烈な攻撃を仕掛けていた。また南近江の山中で抵抗を続けている六角氏に対しては、信長公自らが1個軍団の兵を率いて蓑作城を強襲。これを一撃の元に陥落させ、六角氏を傘下に従えた。
そうこうしている間に畿内では足利義昭が不穏な動きを見せており、丹波亀山城では義昭の策謀によって守備隊が寝返ったりしていた。また畿内では三好勢が1個軍団弱(6戦力)の兵を率いて茨木城に来寇。城に籠る織田勢約4千を取り囲む。

2Turn(1570年後半)

浅井氏の危機に盟友である朝倉氏は援助部隊も出さず、ただひたすら越前に引きさがって守りを固める。これは一体どういうこと?。同盟する相手を間違えたか・・・、と悔やむ長政であったが、後の祭りであった。
伊勢長島の一向一揆もこのTurnに壊滅。織田軍が伊勢路一帯を平定した。

3Turn(1571年前半)


このTurn、初めて織田方のチットが1枚しか引かれなかった。これまでは毎Turn2枚ずつ織田チットが引かれている計算になる。ちなみに織田方チットを引く確率は、第1Turnは平均1.5枚、第2Turn以降は原則平均1枚である。これまでの織田方がいかに行軍チットに恵まれていたかがわかろうというものだ。
5Turn(1572年前半)


6Turn(1572年後半)

対する織田・徳川方は、浜松に徳川家康率いる半個軍団約8千、岡崎に約4千弱で、総兵力は1万1千~2千程度に過ぎない。他に美濃の岩村に織田勢約4千がいたが、それを合わせても織田・徳川勢の劣勢は明らかである。
しかも相手は、あの上杉謙信でさえ手を焼いたほどの戦巧者である武田信玄。量の面でも質の面でも織田・徳川の劣勢は明らかだ。

こうなっては浜松の家康公としては野外戦を避け、城に籠って援軍を待つほかない。幸い浜松城は天下の名城である。武田勢2万と言えども、そう易々とは落ちる筈はなかった。
しかしである。掛川を落した武田勢は、そのまま浜松へ突進してきたのである。浜松を守る徳川勢の守備兵力を見ると、さすがの信玄公でも強襲攻撃は躊躇う筈であった。
ところが・・・。
その信玄公。8千の兵が守る浜松城へまさかの強襲攻撃を仕掛けてきたのである。その兵力は約2万。古来城攻めは最低3倍以上の兵力が必要とされており、この程度の攻撃で浜松が落ちる筈はなかった。そして確かに落ちなかった。
しかしである。
1度では落ちなくても2度、3度繰り返せば城の守りは薄くなる。事実今回の強襲で徳川が失った兵力は約2千、対する武田勢の損害は約6千。損失比で言えば徳川側の大勝利だが、包囲されて補充の道がない徳川側が次第にジリ貧になっていくのに対し、補充のアテがある武田側は損害を回復していける。
そう。これはまさに先に長島で織田側が用いた戦術の裏返しである。包囲されている側は、包囲を解かない限り、遅かれ早かれ攻囲軍に対して城を明け渡すことになるのだ。
ところが・・・。
その信玄公。8千の兵が守る浜松城へまさかの強襲攻撃を仕掛けてきたのである。その兵力は約2万。古来城攻めは最低3倍以上の兵力が必要とされており、この程度の攻撃で浜松が落ちる筈はなかった。そして確かに落ちなかった。
しかしである。
1度では落ちなくても2度、3度繰り返せば城の守りは薄くなる。事実今回の強襲で徳川が失った兵力は約2千、対する武田勢の損害は約6千。損失比で言えば徳川側の大勝利だが、包囲されて補充の道がない徳川側が次第にジリ貧になっていくのに対し、補充のアテがある武田側は損害を回復していける。
そう。これはまさに先に長島で織田側が用いた戦術の裏返しである。包囲されている側は、包囲を解かない限り、遅かれ早かれ攻囲軍に対して城を明け渡すことになるのだ。
援軍。援軍を送るしかない。しかし織田側の援軍は、遠く越前に陣を敷く織田信長公率いる1個軍団。伊賀上野の平定戦をようやく終えてこれから転進しようとする柴田・荒木の1個軍団。そして急を聞いて畿内から取って返してきた羽柴秀吉麾下の1個軍団。この3つしかない。しかもこのいずれも遠江からは遠く、知らせを受けて駆けつけても、間にあわなくなる恐れが多分にあった。
織田家はこの戦役最大の危機を迎えたのである。
