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海軍乙事件

吉村昭 文春文庫

歴史や戦史に関する小説を得意とする吉村昭氏が描いた歴史小説。歴史小説とはいってもその内容はほぼ史実に基づいた内容となっている。海軍乙事件とは、1944年3月31日に当時聯合艦隊司令長官であった古賀峯一大将と司令部要員が飛行艇で移動中に遭難。古賀長官他司令部要員多数が殉職し、参謀長福留中将他数名が生還するも途中米比軍ゲリラによって捕縛されたという事件である。本事件で問題となるのは、事件の際に当時海軍の最高機密文書が米軍に渡ったか否かについてだが、本書ではハッキリと文書は米軍に奪われたと明言している。そのことは本書が比較的早い段階に出版された著作(初版1976年)であることを考慮すると、画期的といえる。また本書では福留中将について批判も擁護もせず、ただ淡々と事実を書いている。
個人的には海軍乙事件は当時の日本海軍における欠陥を顕在化させた事件と思える。福留中将個人のとった行動云々(自決すべきだったとか、そうではなかったとか)ではなく、組織として腐敗した様が伺える。本事件で考慮にすべき最大の問題は機密文書の行方であり、それが米軍に渡った危険性が高かったことは当時の状況からも明確であった。にも関わらず海軍はそれに対して具体的な対策を行わず、福留中将の個人の処遇に腐心している。そこには組織としての合理性や組織としての正しい姿よりも、組織の体面を重んずる姿勢が濃厚に出ている。本件に限らず台湾沖航空戦等で見られるような「虚偽報告」とさえ言える過大な戦果報告や自軍の損害を矮小化して報告する体質とも相通ずるものがある。
本書は表題作以外に3編の短編小説が収められている。「海軍甲事件」「八人の戦犯」「シンデモラッパヲ」。表題作に比べるとインパクトと言う点でやや弱いが、「海軍甲事件」以外は戦史の隠れた部分を描いた佳作なので一読をお勧めしたい。(「海軍甲事件」も悪くはないが、山本長官機護衛戦闘機の話なので、今では結構知られている)。

お奨め度★★★★