戦国時代における戦いを1Turn=1週間、1Hex=@@kmという共通のスケールで描いた「戦国群雄伝」シリーズ。1980年代後半におけるウォーゲーム界一大旋風を巻き起こした作品群です。「秀吉軍記」はその第5番目の作品で、山崎、賤ヶ岳、小牧・長久手と言った3つのシナリオで、秀吉の天下取りを再現します。
今回プレイするのは、シナリオ2「賤ヶ岳」。タイトル通り羽柴秀吉と柴田勝家の激突となった賤ヶ岳の戦いを作戦レベルで再現します。今回のプレイでは、ツクダ版のコンポーネントを使用し、ルールはGJ版による最新の解釈を適用しました。
下名の担当は反羽柴方です。
第1Turn
最初の4Turn、柴田勝家及び北国の軍勢は、情勢判定セグメントで"1"の目を出さないと行動を開始できない。北国の積雪による行動制限を再現したルールである。しかしここでは事もあろうにいきなり"1"の目を出した柴田軍。柴田勝家(2-3-4★★)や佐久間盛政(2-3-3★)、前田利家(2-2-4★)ら計28ユニットが越前の地から出撃する。
それと呼応するように、伊勢の国では、長島(5119)に本拠を構える滝川一益(2-3-4★)が、計8ユニットを率いて出撃の気配を見せていた。

第2Turn
柴田隊は北近江に進出する。琵琶湖西岸から機会を伺う丹羽長秀(2-2-4★)を牽制しつつ、勝家率いる主力部隊は、羽柴方前線基地である長浜城(4413)を囲んだ。柴田側の動きに対し、羽柴方の堀秀政(2-2-4★)や蒲生氏郷(2-2-4★)は間合いを取りつつ機会を伺う。伊勢の地では、羽柴側についた北畠信雄(織田信長の次男)(2-0-3★)が長島城北部の沼地に進出。滝川一益の本城たる長島城を伺う。滝川一益もこの動きを無視する訳にはいかず、長島城付近に舞い戻り、北畠信雄と対峙する。
その頃、西方の畿内では、羽柴秀吉・秀長兄弟が率いる羽柴軍主力が摂津の国に入ろうとしていた。
第3Turn
柴田勝家は長浜城に対して激しい攻撃を仕掛けるも、長浜城はその攻撃に良く耐えていた。そうこうしている間に北近江に羽柴秀長(2-2-4★)率いる15ユニットの直率機動部隊が姿を現してきた。その一方で秀吉本隊は東海道沿いに伊勢方面に向かい、滝川一益討伐の動きを見せている。第4Turn
北近江の戦場では、柴田勢が続々と北へ向けて撤退し始めていた。羽柴秀長の軍勢と柴田勢。兵力的な差はそれほど大きくはないが、羽柴勢が羽柴秀長の指揮下で統一指揮されているのに対し、柴田勢はバラバラで統一が取れていない。柴田側最強の柴田勝家本隊ですらその兵力は10ユニット20戦力に過ぎないのに対し、羽柴秀長隊は15ユニット39戦力と倍近い火力を誇っている。これでは如何に戦上手の柴田勝家(野戦修正が1有利)といえ、まともに戦えば勝ち目はない(戦力差が能力差を越えている)。さらに羽柴方の強みは、秀長以外の丹羽、堀、蒲生といった武将達がいずれも行動力4を持っているので主導権と機動力で優越しているのに対し、柴田側で行動力4なのは柴田勝家と前田利家の2人のみ。柴田側としては、勝家、利家コンビによる遅退戦術によって時間を稼ぐのが当面の戦略となった。
第5Turn
伊勢方面に羽柴秀吉(2-2-4★★)その人率いる本隊が戦場に到着した。戦上手の滝川一益とはいえ、北畠信雄と羽柴秀吉の2人が相手ならさすがに野戦で勝ち目はない。本城である長島城に籠城して機会を伺う。
北近江の戦場では、朽木峠を越えて敦賀平野に撤収してきた柴田勢と羽柴秀長隊との鍔迫り合いが続いている。一歩一歩下がりながら時間を稼ぐ柴田隊とそれを追う羽柴隊。羽柴勢の別動隊である丹羽長秀隊が敦賀城(4008)を囲んだ。

第6Turn
越前南部、現在の北陸トンネル付近まで後退してきた柴田勢に対し、羽柴秀長隊が強襲を仕掛けて来た。この山地線を死守線として防戦する柴田勢であったが、兵力差は如何ともし難く、徐々に劣勢を強いられてきた。さらに先に包囲されていた敦賀城がこのTurnに陥落。敦賀城を囲んでいた丹羽長秀隊も野戦軍に合流してきたため、柴田側の劣勢がいよいよ明らかになってきた。


越前方面では、山間部を守っていた柴田隊が全面後退。柴田側の本城である北ノ庄(4301)周辺に集結して最後の防衛戦を企図する。対する羽柴勢は、北ノ庄へ直接攻撃仕掛けることはせず、手前の府中城(4024)に対して攻撃を仕掛けて来た。兵站基地確保のためだろうか・・・。


伊勢方面では桑名城が陥落。遂に伊勢に残る滝川の城は、長島城だけになっていた。その長島城も羽柴秀吉、北畠信雄による包囲攻撃によって徐々に弱体化しつつあった。最終Turnまでは持ちそうもない。

第11Turn
越前では兵力の再編成を終えた羽柴秀長隊が北上を開始した。柴田勝家の前線陣地と接触する羽柴勢。柴田勢は交戦を避けて北ノ庄と越前大野の二手に分かれて後退していく。羽柴勢は北ノ庄と越前大野との間に進出し、その連絡線を遮断した。
第12Turn
最終Turnである。これまで参戦を控えていた岐阜城(5313)の神戸信孝(2-1-3★)が反羽柴方に立って旗揚げした。ゲーム終了までに旗揚げしなければ、VPを相手に献上してしまうので、それを避けるための措置である。とはいえ、岐阜城付近には、金山城(5812)の森長可(2-2-4★)、曽根城(5012)の稲葉一鉄(2-1-3★)といった行動力に優れた武将がいるので、下手に動くと岐阜城に帰れなくなってしまう。結局の所、岐阜城のヘクスで頑張って、敵主力が来たら岐阜城に籠るぐらいしか、この誇り高き織田信長の三男坊に出来ることはない。能力的には見劣りする織田信雄が、長島城で滝川一益を囲んで壊滅寸前に追い込んでいるのと比べると、つくづく「人の働きは能力で決まるものではないな」と思ってしまう。そんな長島城であるが、羽柴秀吉の度重なる開城勧告によって遂に滝川一益は城を開いた。これによって所謂「伊勢・北陸の役」と呼ばれる羽柴・反羽柴連合の戦いは終了した。

後日談
ゲーム終了時点でVPを計算すると、滝川一益以下の武将が計12点、落城した城が長島(3)、亀山(2)、神戸(1)、桑名(1)、敦賀(1)、府中(0)の計6城(カッコ内は城のレベル)で計15点。計27点。一方で羽柴方で1ユニットが討ち取られているので-1点で計26点。羽柴方の勝利ラインは30点以上なので、4点足りない・・・・。という訳でシナリオの勝利者は反羽柴方になりました。
対戦相手氏曰く。「岐阜の神戸信孝を包囲しておけば9点得られるので勝てた」とのこと。まあ相手のポカミスによって勝を拾った形にはなりましたが、勝利は勝利なので、一応めでたいめでたい・・・。
感想
ゲーム上は勝利を得たが、相手のミスで拾ったようなもの。神戸信孝が包囲されていれば負けていたのは確か。長島城を落した羽柴秀吉が北上してきたら、果たして神戸信孝は野外で頑張れたかどうかはかなり微妙だ。そんなこんなで、このシナリオ、羽柴方がミスをしない限り、羽柴方有利は動かないと思う。とはいっても柴田方がつまらない訳ではなく、乏しい兵力を使って右往左往するのは結構楽しい。今回のプレイでも、越前防衛戦ではもう少し上手く戦えたのではないかと私自身思っている。
純粋にゲームとしてみたら、詰将棋的に詰んでしまう部分もあるが、勝敗に拘らず「与えられた条件で最善を尽くす」ことに徹すれば、結構楽しめるゲームではないかと思った。プレイ時間も手頃(今回はセットアップを除いて4時間弱)なので、広くプレイして欲しいゲームだ。
ゲームバランスを(少しだけ)補正するために、以下のハウスルールを提案したい。 それは宇喜多勢を羽柴麾下の中小大名とせず、独立した勢力として扱うことである。そうすることで宇喜多麾下の3戦力ユニットを秀吉、秀長麾下に組み入れることが不可能となり、秀吉、秀長の暴力的な破壊力が(少しだけ)緩和される。それでも反羽柴方が不利な事は変わりないが、羽柴方がミスをすれば手痛い打撃を与えるチャンスが出てくる(かもしれない)。