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冬休み後半、青春18切符の消費も兼ねて関ヶ原の古戦場を歩いてみました。距離的にはそこそこ遠いので旅行気分はあるのですが、中途半端な近さ。しかも車を使うと結構遠い、という訳で今まで行きたいと思いつつ、なかなか行けなかった場所です。

駅にコインロッカーが見つからないという予想外のトラブルに見舞われながらも、となりの垂井駅でコインロッカーを見つけて何とか事なきを得。関ヶ原には0825頃に到着しました。新春3日の関ヶ原駅前は強い雪が降っていました。駅前の観光案内所は年末年始休暇の最終日(ここが営業していればこんな苦労はなかったもの・・・)。しかし置き傘はあったので、それを借りていくことにしました。

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最初の目的地は小早川秀秋が陣取ったという松尾山。山までの道をチェックしました。国道沿いを西に進み、松尾という交差点で左折すれば松尾山に行けそうです。雪の中、傘をさして松尾山に向かいました。当初の目論見通りのルートで駅から徒歩30分ほどで松尾山の登山口に到着しました。登山口には車数台が停められる駐車場があり、「山頂まで40分」の案内板があります。

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実際に歩いてみると所要時間は約30分で、山頂に着いたのは0930でした。駅からのトータルでは約1時間の所要時間です。麓は大したことはなかったのですが、山頂付近はかなりの積雪がありました。

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松尾山山頂からの景観は良く、関ヶ原一帯が一望の元です。何かと評判の悪い小早川秀秋ですが、この松尾山に目をつけて布陣したのは大したものです。今回は麓から約30分の所要時間でしたが、当時は登山路がなかったと思われ、もう少し時間がかかったのかもしれません。ただ約15,000の小早川勢全軍が松尾山山頂に布陣したとは考え難く、大半の兵は山の中腹以下に布陣していたと思われるので、例えば狼煙を見て数十分以内に対応する事は十分可能だと思いました。

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登って来た道を逆方向に進んで麓に出て、今後は関ヶ原盆地の平地歩きです。井上神社、福島正則陣跡を通過し、松尾の交差点を越えてJRの跨線橋を渡ると今度は西軍の布陣に入って行きます。福島の陣跡は単なる一軒家になっていて、「だから何?」といった感が拭えません。

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順番に宇喜多、小西、島津の陣を相次いで見ました。大谷吉継だけは時間と距離の関係でパスです。宇喜多の陣は神社の奥にありましたが、どうみても視界が効かない場所でした。何でこんな所に陣取ったのか不思議に思いました。まあ当時は今とは植生が違っていたのかも知れませんが・・・。小西の陣は簡素な石碑が立っているだけでした。それに対してすぐ近くにある島津の陣跡には大きな石碑といくつものモニュメントが立っていました。どうみても小西と島津で扱いが違うように思えますが、何ででしょうかね?

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さらに北に1km程歩いた所が笹尾山。石田三成の本陣があった場所です。笹尾山は比高の低い山ですが、盆地の北西端に位置してるため、背後は山に守られており、前面は良好な視界が得られています。左から東軍の黒田、細川らの諸隊。毛利、吉川、安国寺らが籠った南宮山。島津隊が最後に突破を図った伊勢街道。家康の本陣桃配山。福島、生駒ら各隊の布陣から、先程登った松尾山まで。さらにその手前には大谷、宇喜多、小西、島津の各隊が手に取るように把握できた筈。本当に良い場所を本拠地にしたなと思わず三成を褒めてやりたい気持ちになりました。

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その後は決戦場跡を抜けて東軍首塚から関ヶ原駅に戻りました。駅に着いたのは1130頃。所要時間は登山を含めて約3時間でした。今回のハイキングで思ったのですが、つくづく関ヶ原は狭い戦場だと思いました。だって松尾山から笹尾山まで徒歩で2時間とかからないのです。そのような狭い戦場に両軍合わせて10万以上の兵員が集まったのですから、その人口密度はちょっとした祭りと言って良い程ではなかったかと。司馬遼太郎ではありませんが、何故関ヶ原が東西両軍の決戦場になったのか、この地形を考えればわかるような気がします。