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観音寺城と同じ安土町内にありながら、観音寺城よりも数倍有名です。なんせ「安土・桃山時代」という時代名にまでなっているぐらいですから・・・。(信長・秀吉の時代)

JR安土駅から車で5分程。南近江の平原地帯に点々と浮かぶ小さな丘陵の一つが安土山で、その一帯が安土城です。なんせ日本を代表する城槨の1つですから、アクセスの良さは観音寺城や小谷城の比ではありません。

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受付で700円を支払って中へ入ります。正面には広大な石段があり、大手道というそうです。正面左右がいきなり前田利家邸跡と羽柴秀吉邸跡。羽柴秀吉はとにかく、どちらかと言えば秀吉時代の方が有名な前田利家邸がわざわざ特出しされているあたり、一種の「あざとさ」を感じましたが、それはさておき・・・。

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大手道の石段を四苦八苦(なんせ同じ日に小谷、観音寺の二大山城を制覇した後だったので・・・)しながら登って行き、漸く平坦な所に到達すると、右手に曲がって天主跡に向かいます。天主跡には、信長公本廟、本丸跡、天主跡等があり、天主跡からは周囲の景観を一望できます。こういった景観を見ると、安土城が「近世城郭の幕開け」というよりは「山城の究極形態」といった方が相応しいようにも思いました。

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天主跡から戻り、順路を進むと、次に摠見寺の三重塔が見えてきます。建築物系の施設にしい安土城跡にとって、この三重塔と近くにある二王門は貴重です。

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二王門を過ぎると、裏道を回り、羽柴秀吉邸跡からメインルートに合流しました。都合1時間ぐらいの散策になります。

まず感じたのが軍事面での防御力の低さ。後で書くつもりですが、地積の狭さや比高の低さといった面で観音寺城(や小谷城)に比べて見劣りします。またやたらと石段が広く、かつ歩きやすいので、攻撃側から見れば突入が容易になります。無論、防御側から見たら射界が広いというメリットもありますが、火力を集中できる攻撃側が有利な事は論を待たないでしょう(山岳戦よりも平地戦の方が兵力の大小が効きやすいという理屈です)。戦国時代を扱ったウォーゲームの場合、安土城の軍事施設としての防御効果が高く評価される傾向あるのですが、これは政治経済的な意義を軍事的な意義と混同しただけのように思われます。あるいは後に現れた大坂城と混同している可能性も・・・(大坂城は軍事的に見ても難攻不落に近いです)。

また軍事面以外でも政治経済的な面でも発展途上と感じる面がありました。琵琶湖の水運を利用したというのはわかるのですが、山城である故の不便さは覆うべくもありません。信長公に用事がある場合、わざわざあの長い石段を登っていくのは大変ではないかと(当時の人々は現在の我々よりも遥かにタフだったとは思いますが・・・)。
すぐ近くにある彦根城が、堀と石垣を上手く組み合わせて防御力と政治経済的な利便性を高いレベルで両立させているのに比べると、やはり安土城は「古い時代の城郭」と思えてしまいます。

何はともあれ、様々な思考を楽しめたという意味でも安土城散策は有益でした。