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7世紀後半(奈良時代の少し前)に築かれた山城です。当時は白村江の戦いで日本軍が唐・新羅連合軍に敗れた頃で、唐・新羅連合軍が九州から攻めてくると考えられた時期です。それに対して大和朝廷は西日本各地に城郭を築き、彼らの侵攻に備えました。
鬼ヶ城は吉備高原南端に位置する鬼城山に築かれた山城で、山陽道と瀬戸内海の海路を扼する要域です。対岸の讃岐にも屋島、讃岐富士に城郭が築かれ、ある種の防御ネットワークを構築しています。

山頂付近までは道路が整備されており、駐車場から城跡までは5分ほどで歩けます。城跡には城門と土塁が整備され、古代の城郭を見事に再現しています。戦国期の城郭のような天守閣や石垣はありませんが、万里の長城を思わせる土塁が往時の姿を示しています。再現されている土塁は一部分のみですが、それでも城郭の規模を思わせる大規模なものです。往時はこれが鬼城山全域をぐるっと取り巻いていたとのことですから、その規模が伺えます。地元の人の話によると、これでも鬼ヶ城は古代城郭としては中規模なものとのこと。古代城郭も馬鹿にしたものではないな、と思いました。

お奨め度★★★★