もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

2005年09月

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(写真1)高原沼から見た緑岳
(写真2)赤岳、第3雪渓付近の紅葉
(写真3)今回のコース

 少し前の話ですが、9月前半の3連休に北海道へ行ってきました。
 目当ては大雪山の紅葉めぐりです。
 以下のアルバムに写真を掲載しました。よろしければ見て下さい。

 今回歩いたコースは以下の3コースです。

東大雪、高原沼めぐり

 本州の人には余り知られていませんが、東大雪の高原沼といえば、紅葉の美しさでは北海道で屈指の名所です。
 標高約1200mの高原温泉までは車かバスで入ることができ、そこから熊が出没するという高原沼の巡回コースへ入っていきます。
 終点の高原沼は標高1500m付近にあります。往復の所要時間は3時間前後。登山というにはやや大げさですが、ハイキングというには少しハードです。熊が出るということもあり、舐めてかかると危険な場所ではあります。

 さて、私が行ったときには紅葉はまだ殆ど進んでおらず、わずかにゴール地点である高原沼付近が少し赤くなっている程度でした。 昨年やはり高原沼を歩いたときは、今回とほぼ同じ時期だったのにも関わらず紅葉はやや終わりかけの様相を示していました。1年違うとこうも違うものですね。いずれにしても今年の北海道は、全般的に紅葉が少し遅めのようでした。

 満足度=40%

緑岳

 高原沼では紅葉を堪能できなかった私は、まだまだ時間があったので、その足で緑岳まで登ってみることにしました。
 緑岳とは大雪山系の山の1つで、標高は2019m。大雪の山々の中ではそれほど有名な山ではありません。登山口は先ほどと同じく高原温泉。山頂までの所要時間は約3時間で、往復5時間程度と大雪山系の山の中では比較的登りやすい山だと言えます。また緑岳の頂上から少し入った所に白雲の避難小屋があり、山中1泊で縦走を目指す人たちにとっての貴重な中継点となっています。

 さて、高原沼から帰ってきた時間が0940頃。入山時間としてはやや遅めですが、緑岳に登るぐらいの時間はありそうでした。また、今回は必ずしもピークハントが目標ではなかったので、「行ける所まで行って引き返そう」というぐらいに考えていました。
 1時間ほど登った所に第1花畑があります。その付近の紅葉はかなり綺麗でした。標高1500m付近はかなり紅葉が進んでいるようで、それより上の方は丁度見ごろという感じでした。
 緑岳については、斜面付近の紅葉はかなり綺麗な状態になっていたのですが、標高の低い所がまだ青い状態だったので、絶景という訳には行きませんでした。
 この登山では結局7合目付近まで登り、そこで写真を撮って引き返しました。高原温泉に戻ってきたのが1440頃。高原温泉という名の温泉に浸かり、汗を流しました。

 満足度=70%

赤岳、黒岳縦走コース

 緑岳へ行った翌日。今度は赤岳、黒岳縦走コースに向かうこととしました。昨日の青空が今日は一転して曇り空。天気予報では夕方から雨だとか言っています。なんとか夕方ぐらいまで持って欲しいものですが・・・。
 この赤岳、黒岳コースは大雪山系の縦走コースの中で私の好きなコースの1つです。黒岳の登山口は層雲峡、赤岳の登山口は銀泉台という所です。交通の便が良い層雲峡は勿論バスで行くことができます。また赤岳登山口の銀泉台には少数とは言え層雲峡からのバス便があり、時間さえ間違えなければ車を使った縦走も可能です。今回私はレンタカーを層雲峡に停めて、層雲峡-(バス)->銀泉台-->赤岳-->黒岳-(ロープウェイ)->層雲峡というコースで歩きましたが、逆のコースでも十分可能です。

 層雲峡から銀泉台へ向かうバスは0600に層雲峡のバスターミナルを出発。途中の大雪レイクサイトで客を乗せて満員状態で銀泉台を目指します。銀泉台に着いたのは0710頃。トイレを済ませていざ出発。30分も歩かない間に第1花苑と呼ばれる景勝地に着きます。眼下に見える紅葉が綺麗でした。ここで早くも三脚を取り出して30分ほど時間を使って写真を撮りました。
 さらに登っていくと駒草平と呼ばれる広い高原に出ます。この辺りまで来ると紅葉ががさらに鮮やかさを増してきました。赤黄そして緑が映えてとても綺麗です。そこからさらに歩いていくと目の前にどーんと紅葉絵巻が目に飛び込んできます。第3雪渓と呼ばれる赤岳屈指の紅葉の名所です。この美しさもまた格別です。大げさな言い方かも知れませんが、私が今まで見てきた中では一番美しい紅葉かも知れない、と思いました。三脚を取り出して夢中で写真を撮りました。ここから第3雪渓、第4雪渓に至る登山路はまさに絶景で、この間何度振り返ってカメラを構えたかわからないほどです。惜しむらくは灰色の空。あーあ、これで青空が見えていれば最高だったのに・・・。
 第4雪渓を越えると赤岳頂上への最後のアプローチです。赤岳(2078m)頂上に辿り着いたのは1110。所要時間4時間はコースタイムを1時間以上上回るノンビリタイムでした。ここで少し休んで再び出発。灰色の空の下、白雲分岐から北海岳方面を目指します。この辺りから登山者の数が急に減ってきます。さすがに縦走する人は少ないのでしょうか・・・。
 北海岳(2149m)に着いたのは1245。ここで軽く食事でも、と思っていましたが、風が強いのでやめてました。ここから黒岳石室まで長い下り斜面を降りていくことになります。この辺りの紅葉もまた美しいものでした。御鉢平の方を見ると、斜面を紅葉が赤黄色に染めています。右手を見れば、烏帽子岳(2072m)の斜面、そして赤石沢の源流部を紅葉が真っ赤に染めています。三脚を立てて写真を何枚か撮りました。気がつけばデジカメのメモリーが残り12枚になっています。
 と、その頃から急に雨が降ってきました。えーえい、これから紅葉の良い所なのに・・・。急いでレインウェアを着込み、傘をさして歩きました。雨はかなり激しく、時折横殴りに吹き付けてきます。紅葉の写真をもっと撮りたかったのですが、天候悪化による光量不足のためになかなか良い写真が撮れません。
 雨の中長い斜面を降り、赤石沢の源流部を渡渉して黒岳石室に着いたのは1410。10分ほどの休憩の後に再び出発。黒岳へ向かう登り斜面を喘ぎながら登ります。黒岳頂上に辿り着いたら、あとはリフトの乗り場まで降りていくだけ。しかし黒岳斜面を黄色く染める紅葉の美しさはまた格別でした。実際、私にとって秋の黒岳は今回で4回目で、その間紅葉も何度か見てきたましたが、今回ほど美しいと感じたことはありませんでした。山一面が黄色に染まり、その美しさは先ほど見てきた赤岳の第3雪渓に勝るとも劣らない程でありました。

 満足度=90%

まとめ

 紅葉の美しさを楽しむことができた旅でしたが、惜しむらくは青空の下で赤岳、黒岳の紅葉を見ることができなかったこと。先にも書きましたが、今年の紅葉の美しさは今まででも屈指のものだったと思います。それを青空の下で見ることができればまさに最高でしょう。残念なことに旅の後半は悪天候に祟られて紅葉狩りに出かけることはできませんでした。私が北海道を離れた翌日から天候は回復してきたとのこと。旭川の駅から列車に乗り込む時、本当にもう1日休暇を伸ばして北海道に残ろうか、と何度も思いました。
 まあ来年の楽しみが増えたというもの。今年はこんなところで終わりにしましょう。

折角の3連休なのに雨ですね。
山へ行こうと思っていたのですが、この雨では中止です。
久しぶりに家でノンビリしています。

昼からテレビで野球を見ました。
阪神-広島戦です。
阪神の先発は能見投手。ルーキーですがなかなか良いピッチングをしました。
6-3で広島に快勝。これでマジック4です。

それにしても今年の阪神、若手に優勝のプレッシャーがない。
能美にしても鳥谷にしてもノビノビとプレイしている。
思えば13年前の1992年。投手陣の活躍と亀山、新庄ら若手の活躍でリーグを制覇目前にした我がタイガース。しかし頼みの若手が終盤で大ブレーキ。亀山が打てない、新庄が打てない、和田(あの和田も当時は若かったんです)も打てない・・・。投手陣の方も強心臓で鳴らしたあの湯舟敏郎がヤクルトとの最終決戦でまさかの逆転負け。結局優勝のプレッシャーで押しつぶされた若虎達は、老練なヤクルト野村采配に敗れ去ったのです。

さて、こうなってくると気になるのはどこで優勝を決めるか。
阪神ファンとしては甲子園での対巨人戦で勝利を収めて決めたい所。巨人相手には分が良いので勝つ可能性は高いといえるが、問題はそのお膳立て。理想はマジック1で巨人戦というところだが、最近中日の調子が戻ってきたのでそう簡単にいくかどうか。

まあ雨の連休は家で野球でも見て過ごしましょう。

戦略戦術

前回(05/08/31)述べた両軍の戦略について若干修正の必要がありそうです。
まず連合軍側。無用な損害を避けるという点は変わらないのですが、敵に我の2倍の損害を強要するのは不可能だし、それを求めてはいけません。敵に我と同程度の損害で満足すべきでしょう。またそれでも十分です。独軍の増援部隊は戦場を大きく横切る関係上、戦場に到着するのはどうしても1~2ターン遅れます。従ってユニット数比較で感じる程の戦力差はないというのが実情です。
独軍から見た場合、連合軍に出血を強いるのは間違いないのですが、自軍の出血に無頓着ではいけません。個々の部隊が消耗して1~2戦力の部隊ばかりになってしまうと、1エリアに集中できる戦力が小さくなってしまい、突破力が落ちるからです。連合軍の弱点部分を集中的に攻撃し、最小限の損害で最大限の戦果を目指す必要がありそうです。
勝利条件についてですが、連合軍にとってルクセンブルクを早期に失ったのは失敗でした。増援登場ゾーンに隣接しているルクセンブルクやアルロンは意外と重要で、できれば3ターンぐらいまで保持したい所です。一方、戦線中央のバストーニュはそれほど拘る必要はないように感じました。足止め部隊を残し、残りは後方に撤収した方が良いように思います。兵力不足の連合軍にとってマップの北から南まで切れ目ない戦線を引くのは困難です。適宜撤収して戦線の縮小を図り、部隊密度を厚くした方が良いように思いました。
戦術面では河川の使い方がポイントですね。兵力に劣る連合軍の場合、橋梁爆破を上手に駆使して独軍の進撃を止める必要があります。そういう意味から早期に工兵部隊を安易に失うことは避けなければなりません。その点、今回は失敗しました。

ゲーム感想

まずは褒める点。ルールは簡単です。戦闘ルールに少しややこしい箇所がありますが、CMJの記事を読めばすぐに理解できる内容です。1ターン3インパルスで、そのうち1インパルスしか動けないというルールも良いですね。波状攻撃による戦線突破や、予備部隊による対応などが比較的簡単なルールで再現できます。移動済みのユニットにマーカーを置くというシステムもわかりやすくて良いです。両者がダイスを振り合う戦闘ルールも、小部隊が大部隊を阻止するというような微妙なエピソードを再現でき、また防御側プレイヤーにもダイスを振る機会があって良いです。
次に困った点。まず時間がかかります。慣れない私は1ターン2時間(記録時間含む)。おかげで1日1ターンが精一杯でした。記録時間を含まず、またプレイに慣れれば1ターン1時間ぐらいにはなるかも知れません。それでも1ゲーム当たりの所要時間は7時間前後。1日のセッションがこのゲームで終わってしまいます。それだけの時間をかける価値があるゲームなのか否か?。ちょっと迷う所ですね。戦闘システムもエキサイティングなのは良いのですが少し面倒です。戦闘に参加している全ユニットを一旦別の場所に移して、そこでダイスを振り合うので意外と時間がかかります。ここはもう少し簡単なルールにできなかったのかな?、と思いました。
私はアルデンヌ戦について良く知らないのですが、どうやらこのゲームは歴史性に欠ける面もあるみたいですね。これはデザイナー自身が認めていることなので批判するには当たらないのかも知れませんが、ゲームをプレイする立場から言えば「明らかに歴史性に欠けるゲームに時間を割くのはどーかなー?」という思いがあるのは確かです。アルデンヌ戦を歴史的に再現するとつまらないゲームになるのでしょうか?。

総合評価=50点

次は「フランスでの決断」にでも挑戦しよう。

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(写真)第5ターン開始時のムース川戦線。連合軍戦線に崩壊の危機迫る

Tigers in the Mist リプレイ

ようやくTigers in the Mistのキャンペーンが終わりました。

「1944年12月16日。霧に包まれたアルデンヌ戦線に突如ドイツ軍が・・・(中略)・・・・果たしてヒトラー最後のギャンブルは成功するか・・・?」

てなわけで、Tigers in the Mistのリプレイです。
このプレイに先立って、ジョン・トーランド氏が書いた「バルジ大作戦」を読みました。まあ個々のエピソードはだいたい理解できたのですが(要するにノロマでずるいドイツ軍と機敏で勇敢な米兵の戦いってことでしょ?。・・・って少し違うかも・・・)、肝心の全体像が見えないよ。奇襲に成功したドイツ軍も米兵の頑強な抵抗に阻まれてなかなか突破が果たせず、どこかの町に篭った何とかという名前の将軍が「ナッツ!」と叫び、どこかの道端では捕虜になった米兵が撃ち殺され、どこかの町ではおばさんが米兵をかくまい・・・、って一体どうなってんの?。
まあいい。詳しいことはわからなかったけど、要はドイツ軍と連合軍が戦えばいいんでしょ。

第1ターン(1944/12/16)

<戦況>
1944年12月16日。霧に包まれたアルデンヌ戦線に突如砲声が鳴り響いた。ドイツ軍最後の反撃「ラインの守り」作戦が始まったのだ。装甲師団5個を主力とする独軍は、微弱な連合軍戦線になだれ込んだ。少数ながら懸命に応戦する。一部の部隊は圧倒的な兵力差にも関わらずドイツ軍を撃退したりしてはいたが、全般的な戦況は厳しい。南方では最前線の米軍陣地帯は突破され、独軍の装甲部隊がルクセンブルク(16:エリア番号、以下同じ)前面に迫ってきた。北方ではサンビット(73)前面の防衛線が破られ、独軍がサンビットに迫った。
連合軍は前線の部隊を撤収して防衛線を再構築した。北方はサンビットを中心にそれなりに堅固な防衛ラインを築いたが、南方はすかすか。川の背後に1戦力歩兵1駒という状況が各地で見られる。
<ゲーム的視点>
両軍に移動制限が課せられているために決戦を前にした前哨線という感じのターンである。このターン私はルールを少し勘違いしていた。それは独軍の移動制限ユニットだ。ルールブックによると「戦力が赤い数字で記載されたドイツ軍ユニットは12月16日第2インパルスまで移動できない」と書かれてあった。これを私は「第2インパルスは動けない」と解釈したが、CMJ#42のリプレイによると「第2インパルスから動ける」となっている。ルールブックを素直に読めば私の解釈が正しいように思うのだが、CMJのリプレイが本当の姿なのだろう。

第2ターン(1944/12/17)

<戦況>
午前中の戦闘でルクセンブルク(16)が陥落。その北方バストーニュ街道では独軍の快進撃が続いた。午前中にルランジ(97)、ゴスドルフ(67)の線を突破。午後にはロングビリー(110)、ドンコルス(99)、ノービル(112)の線にまでドイツ軍が迫った。連合軍は増援で現れた第10機甲師団をバストーニュ(109)に投入し、進撃してきた独軍部隊と激しい戦車戦を展開した。
<ゲーム的視点>
このターンから独軍のスタック制限が通常通りに戻る。最大10戦力をスタックしてきた独軍の攻撃は凄まじい。それでも連合軍には砲兵があるので、わずか1戦力の米軍歩兵が10倍の独軍相手に手痛い損害を強いることもあった。南方の米軍前線は橋梁の爆破にすべてを賭けた薄いラインであっな。しかしその大半は無力だった。独軍は要所に特殊部隊に投入して橋梁の爆破を妨害し、無傷の橋梁から大兵力が橋頭堡を築き上げ、そこから前線の米軍部隊を押しつぶすのだ。
ルクセンブルクをこのターンに失ったが、これは連合軍にとって失敗だった。というのも、ゾーンDから登場する増援部隊の出口が塞がれる形になるからだ。ゾーンDから登場する部隊は9ユニット26戦力にも達する。いずれルクセンブルクの陥落は避けられないにせよ、その時期は可能な限り遅らせるべきであった。
独軍1VP取得(ルクセンブルク)。

第3ターン(1944/12/18)

<戦況>
バストーニュ(109)両翼ががら空きである。独軍部隊はその北方から戦線後方に殺到した。アルロン(62)では米歩兵部隊が数倍の独軍相手に奮戦するも、その戦力は次第に枯渇していく。バストーニュは事実上放棄。歩兵1個を篭らせて、あとは後方に下がって戦線を再構築する。バストーニュはその日の午後に独軍の猛攻撃を受けて陥落した。
北方ではマルメディ(91)、リクネンビル(92)に独軍の攻撃は始まる。南方の大進撃に比べて北方の前進は遅々として進まない。独第6SS装甲軍団の衝撃力は早くも失われつつあった。それでも大兵力に耐えかねた連合軍はマルメディを事実上放棄。スタボロ(89)を中心として新しい戦線を築く。
<ゲーム的視点>
このターン、ドイツ軍に大規模な増援が到着する。2個SS装甲師団(第2SS,第9SS)を中核とする19ユニットである。しかし主力の2個SS装甲師団については登場条件を満足していないがため、到着が1~2日遅れることになった。この登場条件というものは、独軍が増援部隊を投入する際に予め占領しておかなければならないエリアのこと。このターンの増援については、マルメディやトロワポン(118)の占領が登場条件となる。連合軍としてはこれらのエリアを守りきったため、独軍の増援を遅らせることに成功した。これらのエリアを守りきるのは決して困難ではないので、連合軍としては是非とも守りたい所である。
独軍3VP取得(ルクセンブルク、バストーニュ)、累積4VP

第4ターン(1944/12/19)

<戦況>
独軍は米軍の弱点を突く作戦に出た。南方では大進撃。ムース川の支流を渡河してエリン(161)を占領。連合軍の戦線に大きな裂け目ができた。連合軍は数少ない部隊を駆使してなんとか戦線を張ろうとするがどうしても1部隊足りない。次ターンに南方で独軍の大突破が起きそうな気配である。夜半にはアルロン(62)を占領。
北方では独軍の進撃はやや及び腰。マルメディでは塹壕に篭る米軍歩兵部隊を殲滅した。しかしモンシャワ(40)では連合軍の抵抗がなおも続いている。
<ゲーム的視点>
このターンは連合軍の増援が少なく独軍にとっては最大のチャンスである。今まで損害を増援で補ってきた連合軍は、このターンは遂に戦線を張るに足る部隊が足りなくなってしまった。正直、このターンで「もう終わりかな」と思った。
独軍4VP取得(ルクセンブルク、バストーニュ、アルロン)、累積8VP

第5ターン(1944/12/20)

<戦況>
南方では独軍快速部隊が連合軍の戦線をすり抜けて戦線背後に殺到する。セル(171)、シネー(174)を無血占領。しかし戦果拡大を期して行った他の攻撃は連合軍の強烈な抵抗に会っていずれも失敗した。そろそろ南方の独軍も息切れしつつあった。
北方では新鋭の第9SS装甲師団が攻撃を開始。ストーモン(88)では米戦車大隊2個を撃滅し、VP2点の重要都市=エヴェール(128)前面に迫った。
対する連合軍。南方ではムース川沿いまで後退し、ディナン(169)前面に戦線を張る。が、兵力不足の悲しさ。戦線に十分な厚みを持たせることができない。敵中に突出する形になっていたマルシェ(140)は歩兵1個連隊を篭らせる。包囲されるのは必定だが、交通の要所だしVP源なのでなんとか時間稼ぎをしてほしい。北方ではエヴェールに有力な部隊を集結させ、ここを軸に戦線を張る。戦線末端は1~2戦力しかないが、足止めぐらいにはなるだろう。
<ゲーム的視点>
南方では独軍が大きく前進したが、それでも連合軍はディナン前面でなんとか戦線を立て直した。このゲーム、2級道路沿いだとあまり前進できない。一時は致命的に思われた南方の戦線の裂け目も、それほど重大な結果にはならなかった。
独軍5VP取得(ルクセンブルク、バストーニュ、アルロン、シネー)、累積13VP

第6ターン(1944/12/21)

<戦況>
独軍は弱体化した連合軍戦線に対して広範囲にわたる攻撃を開始した。北方ではVesdre川を強行渡河した独装甲軍団は米歩兵連隊を撃破し北岸(ベルビエ(83))に橋頭堡を築いた。戦場に到着した新鋭第2SS装甲師団は北方の要域アーヘン(37)に攻撃を加えたが、連合軍を撃破するには至らなかった。
その南ではマルシェの後方連絡線を遮断。補給を絶たれたマルシェの連合軍は、ターン終了時に降伏した。
さらにその南方、ムース川沿いで独軍が総攻撃をかける。Hastiere(168)前面では渡河攻撃を仕掛けてきた独軍部隊に対し、わずか1戦力の連合軍歩兵が橋の爆破に成功。独軍の進撃を阻止した。ディナンでは独軍自慢のFBB(総統護衛旅団)を含む合計10戦力を投入して総攻撃を行ったが、7戦力をかき集めた連合軍の守りは堅く、わずか1回の戦闘で独軍は7戦力を失った。
<ゲーム的視点>
連合軍にとって危機的状況は続く。しかし個々の部隊の善戦で独軍を阻止し、また戦線の縮小によって部隊密度がかなり厚くなった。連合軍が守りきる見通しが出てきた。
独軍6VP取得(ルクセンブルク、バストーニュ、アーロン、シネー、マルシェ)、累積19VP

第7ターン(1944/12/22)

<戦況>
最終ターンである。このままでは引き分けだ。独軍としては、どこかで突破を図りたい所だが、残念ながらそれは無理な注文であった。現占領地の確保を確実にし、可能ならば占領地を広げて引き分けを確実にしたい。ディナン、エヴェール、アーヘンを攻撃。前2者は失敗したが、最後のアーヘンは第2SS装甲師団の攻撃により遂に陥落した。
連合軍は南方から登場する大規模な増援部隊でルクセンブルクとアーロンを攻撃するが失敗。
独軍7VP取得(ルクセンブルク、バストーニュ、アーロン、アーロン、シネー、マルシェ、アーヘン)、累積26VP

引き分け

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(写真)大門沢下降点から見る富士山

前回

行動経路(章前)


9/11(日)

農鳥小屋0535-->農鳥岳0700/0715-->広河内岳0803/0830-->大門沢小屋1050/1110-->奈良田1426/1530-(車)->自宅2200

 起床0400。0500朝食。今日は下山日。大門沢の長い下山路を歩いて奈良田まで降りて予定である。途中、広河内岳(2895m)に寄り道sするかどうか迷うところ。0530出発。周囲は濃いガスに包まれていた。風も強い。それでも雨が降っていないだけマシだろう。
 ガスの中を西農鳥岳山頂を目指して歩く。昨日は疲労でフラフラだったが、一晩寝たら足が随分と楽になった。西農鳥へ向かう足取りも心なしか軽い。ただ天気は悪い。
 0610に西農鳥岳に着く。相変わらず周囲はガスに包まれているが、途中から急激に晴れてきた。稜線のガスが一気に吹き飛ばされ、間ノ岳、北岳、鳳凰三山、塩見岳、そして富士山がはっきりと見えてきた。「すごーい」。思わず声が出る。
 西農鳥から農鳥岳までは稜線沿いの狭い登山路を歩いていく。途中、私よりも先に小屋を出発した中高年2パーティを追い抜いた。農鳥山頂に着いたのが0700。写真を何枚か撮る。0715に出発。大門沢下降点に向けて降りていく。この下山路は歩きやすい道である。半分ほどの行程を過ぎたあたりから大門沢下降点の標識が見えてきた。その向こうには広河内岳への登山路も見える。広河内への登山路は歩き易そうに見える。天候も悪くない。ここは広河内岳へ寄り道することにしようと思う。
 0740に大門沢下降点を過ぎ、そのまま広河内岳へと向かう。コルを4つほど登った所が広河内岳の山頂だ。広河内岳の山頂からは巨大な塩見岳が指呼の元に見える。15分ほど滞在して山を降りる。大門沢下降点に着いたのは0840。およそ1時間の寄り道だった。
 大門沢下降点から急下降が始まる。少し歩いてすぐに樹林帯に入る。かなり急激な下り。最初は調子よく降りて行ったが、途中から辛くなる。1時間ほど下ったところで水場に出る。左手を広河内の清流が気持ちよく流れている。写真を撮り、水を補給する。とはいえ、沢の水もそのまま飲むには危険である。水は少し余裕を持っていった方が良いのかも知れない。あるいは火器持参?。
 標高1800mの大門沢小屋に着いたのは1050。ここでパンを食べる。トイレも済ませておく。安全な水を補充する。
 20分ほどの休憩の後に出発。ここからの下山路もかなり急である。川沿いの道。林の中の道。急な下降などを降りていく。途中で少し道を間違えて余分な経路を歩いてしまった。しかも奈良田に行くはずが大門沢に戻っていたりしたのは恥ずかしい限りである。そのころから足の痛みが少し出てきた。特に右足が辛い。
 2ヶ所の渡河点を越えるとようやく奈良田が近づいてきた。吊橋を3つ渡ってしばらく歩くと1310頃自動車道に出る。そこからは自動車道を歩いて広河内橋、さらには奈良田に向けて歩く。雨が降ってきた。傘をさして歩く。山の中で雨に会わなかったのは幸いであった。
 奈良田に着いたのは1426。荷物を整理して少し上にある「奈良田の里温泉」へ行く。風呂に入る前に食事をする。山菜ソバを注文する。これが意外と旨かった。それから風呂に行って汗を流す。風呂上りに飲むジュースが旨い!。本当はビールを飲みたいが、車なのでそれは我慢する。
 1530頃出発。帰りは大雨が降っていたので時間がかかってしまった。カーラジオで野球を聞きながらノンビリと走る。帰宅は2200。さすがに疲れた。

感想

 2泊3日、歩行距離約40km、累積標高差+2500/-3300m。今回の山旅は私にとって今までで最も過酷な旅でした。登山道そのものに特別な危険箇所はなかったですが、登山路を示す標識等が少なく、道迷いしやすいと思います。本文中にも書いた通り私も2度道に迷い、1度は危うく遭難しかけました。
 天候には概ね良かったです。良い写真が沢山撮れました。北アルプスに比べて南アルプスの山容はやや平凡かと思いますが、それでも北岳や間ノ岳、農鳥岳などはさすがに名山に相応しい貫禄を覚えました。雲海に浮かぶ富士山を何度も見ましたが、これもなかなか絵になる光景でした。
 途中山小屋が少なく、トイレ設備も少ないので、その点は注意が必要です。今回も稜線で冷たい風に下半身を冷やされて少し「危険な」状態になりました。とにかく下半身は保温効果の高い登山用パンツが必需品かと思います(まあお腹に自信がある場合は問題ないですが)。
 今回食料はパンを持参しました。火器は持参しませんでした。おかげで荷物を軽量化でき(合計11kg)たのは良かったのですが、水場での水分補給に少し苦労しました。南アルプスに限りませんが、山小屋の水も必ずしも安全なものとは言えず、その点煮沸するための火器は必要だったのかも知れません。ただ重量増加を考えると難しい所です。
 今回の目標は、(1)北岳を制覇する、(2)間ノ岳を制覇する、(3)農鳥岳を制覇する、(4)可能ならば三峰岳、広河内岳を制覇する、という4点でした。結果的にはすべての目標を達成し、おかげで日本百名山2座、二百名山1座、さらには標高50位以内の山塊を約5座制覇することができました。天候にも恵まれ、良い写真も沢山撮れました。遭難しそうになったことは反省点ですが、ある意味で良い経験になったと思います。

満足度90%

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