もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

2006年07月

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(写真1)JR日光駅前。少し「寂れた観光地」という感じがします
(写真2)中禅寺湖畔から見上げた日光男体山。天気は良いのですが、山には雲がかかっていて・・・
(写真3)登山口たる二荒山神社入り口。いよいよ山登りの開始です。

先日、休みを利用して日光男体山へ登山に行ってきました。私にとっては、前回両神山に続いて今シーズン2回目の本格的登山です。そこで今回から数回に分けて日光男体山登山についてレポートします。

日光男体山とは

標高2486m。「百名山」の1つで、日光山系に含まれる山です。この辺りは那須火山帯に属し、最高峰の日光白根山(2577m)を初め、男体山や女峰山(2483m)等、火山活動によって形成された多くの山々があります。
最寄り駅はJR又は東武の日光駅。日光駅から登山口となる中禅寺湖畔まではバスが多く出ているので交通の便は良いです。ただしシーズンになると「いろは坂」が大渋滞するため、バスが1~2時間程度遅れることもしばしばです。特に悲しいのは下山時で、バス停まで来たのは良いけど、バスがなくて麓まで降りていくことができない・・・。こんな悲劇に見舞われないよう、交通状況には十分注意したい所です。

そのプラン

今回の山登りは日帰りで行ってきました。宇都宮辺りで前泊という手もあるのですが、宿泊料が勿体無いし、時間的なメリットもそれほど大きくはなかったので、日帰りにしました。アプローチは電車とバス。早起きしてその代り電車の中で一眠り、というのもなかなか楽しいものです。

登山口まで

朝4時前に起床。始発電車に乗って東京へ向かいます。東京からは新幹線を利用して宇都宮まで「ワープ」しました。今回は「青春18切符」を利用したので出来る限り鈍行で行きたかったのですが、上野-宇都宮間で鈍行を使ってしまうと、日光到着が絶望的な程遅くなってしまうので、今回は涙を飲んで新幹線を利用しました。さすがに新幹線は早い早い。一眠りしたかと思うと、もう宇都宮が近づいてきます。宇都宮到着は7時少し前。ゴルフバックを担いだオッサンたちに混じって新幹線を降りました。
宇都宮からは在来線の日光線に乗り換えます。駅の数は少ないのですが、結構時間がかかります。40分程電車に揺られた後、JR日光駅に到着しました。バスまで少し時間があったので、この間トイレを済ませておきましょう。0815発のバスに乗って中禅寺湖へ。いろは坂の渋滞が懸念されたのですが、幸い道路状況はスムーズでした。中禅寺湖バス停到着は0850。ここから湖畔の道を歩いて二荒神社まで行きます。ここからいよいよ男体山頂上を目指します。

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(写真1)米駆逐艦「エドソール」
(写真2)日本戦艦「比叡」

今回はあまり知られていない太平洋海戦史を紹介したいと思います。日本の戦艦「比叡」「霧島」が、米駆逐艦「エドソール」(USS Edsall DD-219)をインド洋にて撃沈した海戦です。これは太平洋戦争において日本戦艦が初めて敵艦と交戦する機会となった海戦です。

駆逐艦「エドソール」の最期

時に1942年3月1日。まだまだ日本軍が勢いの良かった頃の話である。
ジャワ海で作戦行動中の日本海軍第1機動部隊(空母「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」その他)は、後方から近づく敵軽巡(実は米駆逐艦「エドソール」)を発見した。強力な航空攻撃力を持つ第1機動部隊にとって、単独行動中の敵艦を始末する事など朝飯前だが、機動部隊指揮官の南雲中将は水上部隊に花を持たせてやろうと考えたのだろう。旗艦空母「赤城」の艦橋から、護衛部隊旗艦の戦艦「比叡」に対して信号が発せられた。

「後方の敵軽巡を撃沈せよ」

護衛部隊指揮官の三川中将(後の第1ソロモン海戦で大戦果を上げることになる提督)は、2隻の戦艦(「比叡」「霧島」)と2隻の重巡洋艦(「利根」「筑摩」)を率いて速力を上げた。距離約30kmで敵艦発見。慌てた「エドソール」は転舵して遁走を図る。しかし「エドソール」は以前の戦闘で既に損傷を被っていて全力発揮することができない。距離27kmで「比叡」が射撃を開始。反対側に回り込んだ「筑摩」も距離20kmで射撃を開始した。

高速戦艦2、新鋭重巡2と損傷した旧式駆逐艦1との戦いである。初めから結果は見えていた。しかし日本艦の射撃はなかなか命中しない。米駆逐艦の避弾運動は巧妙であり、しかもしばしば煙幕を展開して逃げ回るので、日本艦はその度に射撃を中止をしなければならなかった。劣勢な米艦が煙幕と避弾運動で逃げ回る戦術は、2年後のサマール島沖海戦でも繰り返される。

「エドソール」への初弾命中は1824。「比叡」の放った14インチ砲弾1発がようやく同艦に命中したのだ。その時、射撃開始から既に40分近くが経過していた。その約10分後に「筑摩」の放った8インチ砲弾1発も命中した。しかし「エドソール」はなおも遁走を続ける。

水上部隊の不甲斐ない戦いぶりに我慢しきれなくなった南雲中将は「蒼龍」と「赤城」から計17機の艦爆を発進させた。艦爆隊は1850までに次々と急降下爆撃を敢行し、数発の命中弾を「エドソール」に与えた。「エドソール」は火災が発生し、損傷のために速力ががっくりと低下した。後方から追ってきた「比叡」と「霧島」は距離15kmまで接近し、1852から射撃を再開した。運動能力を失った「エドソール」に抵抗する力はなく、射撃開始から約10分後に「エドソール」は艦首を上に向けて沈没した。数名の生存者が日本軍の捕虜となったが、それ以外はすべて戦死した。

その評価

「エドソール」撃沈は日本戦艦にとって今次大戦における最初の敵艦撃沈の機会となりました。しかし彼らにとって、この戦いは必ずしも満足できる結果ではありませんでした。戦史叢書によると、この戦いで日本艦隊が消費した弾薬量は、36cm砲弾290発、20cm砲弾544発、その他194発という厖大なものになっていたのです。これだけの砲弾を消費しながらも命中弾は数えるほどしかなく、もし艦爆隊の攻撃がなければ「エドソール」を撃沈することはできなかったでしょう。

戦前、日本海軍は自らの砲戦技量に絶大な自信を持っていました。「砲術の権威」と言われたある砲術士官は、戦後になってもなお

「日本海軍の砲撃命中率は米海軍の3倍以上であった」

と公言しています。
しかしこの戦いでは、その砲戦技量が必ずしも水際立ったものではないことを証明する結果となってしまいました。米側の記録を読んでも、「この時期、日本艦隊の砲戦技量は比較的貧弱である(relatively poor)」という記述を見つけることができます。この戦いの後もスラバヤ沖やアッツ島沖で日本艦隊は遠距離砲戦を繰り返しましたが、その成果は惨憺たる有様でした。この戦いは帝国海軍にとって「遠距離砲戦、その夢と現実」の違いを認識させる最初の機会となったのです。

余談1

悲劇的な最期を遂げた米駆逐艦「エドソール」ですが、実はこの艦は1942年2月20日にオーストラリアの掃海艇3隻と共同で日本潜水艦「伊124」を撃沈しています。これは米駆逐艦にとって撃沈した最初の日本潜水艦(特殊潜行艇等除く)です。しかもこの「伊124」潜撃沈にはおまけがついていて、連合軍は同艦の艦内から暗号書を含む重要書類を回収したそうです(何でも海底に横たわる同艦の艦体を切断したそうな)。戦争全般に渡って情報戦の優劣が太平洋の戦局に重大な影響を及ぼしたことを顧みると、「エドソール」の貢献は決して小さいものではなかったと言えそうですね。

余談2

「エドソール」を撃沈した日本艦爆隊のうち、「赤城」の8機は250kg爆弾を搭載していますが、「蒼龍」の9機は500kg爆弾を搭載していたという説があります。99艦爆に500kg爆弾というのも少し似合わない感じがしないでもないですが、距離が近かったので大きめの爆弾を搭載していたのかも知れません。それにしても500kg爆弾をまともに食らったら、旧式駆逐艦が耐えるのはかなり困難ではなかったかと想像します。

登山の計画 - 南アルプス編

登山の楽しみって、山へ行く計画を練る時ではないかな、とふと思ったりします。
地図を広げる。山へのアプローチを決める。山でのルートを決める。日程を決める。日帰りにしようか、あるいは1泊、2泊、それとも3泊以上・・・?。装備を決める。軽装で行こうか?。火器は持っていったほうが良いかな?。寝袋はどうしよう?。食料は何日分?。テント持参だときついよなあ・・・。等等。
こうやって色々考えて、そしてコースを決めて、実行する。それが登山の醍醐味ではないかな、と思ったりもします。
今回は、私が未だに実行していないプランの中から、いくつか「行きたいな」と思っているプランを紹介します。目的地は南アルプス南部。3000m級の山々がひしめくこの「秘境」はアプローチが難しく、今まで足を踏み込んだことはありませんでした。この夏、この秘境に足を踏み入れてみたいと画策している今日この頃です。

1.悪沢岳、赤石岳縦走コース

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前夜泊+山中2泊3日で悪沢岳、赤石岳という南アルプス南部の3000m級2座を制覇するコースです。悪沢岳(荒川岳)(3141m)、赤石岳(3110m)はそれぞれ日本第6位、第7位の高峰であり、この2つを制覇することにより私は日本第2位~12位までを全て制覇することになります(なぜか富士山は未登頂)。

登山口まで

前日夜に自宅を出発。東名高速をひた走ります。日本平PAあたりに車を停めて仮眠。翌朝に備えます。
翌朝未明に起床。4時過ぎには出発したい所。静岡ICで東名高速を降りて北に向かいます。
3時間ほどで畑薙第1ダムに到着。ここで0800発の東海フォレストバスを待つことにしましょう。
バスに乗って1時間ほどで椹島ロッジに到着。ここから初日の登山が始まります。

1日目

標高2650mの千枚小屋を目指します。多分登り一方でしょう。コースタイムは6時間30分。9時に出発したとして、千枚小屋到着は15時30分。やや厳しい行程です。

2日目

千枚小屋から悪沢岳、中岳を回って荒川小屋に達するルートです。この旅のメインパート。この日は晴れて欲しいですね。所要時間は5時間15分。アップダウンが比較的少ないコースとしてはやや物足らない所です。もう少し頑張って赤石避難小屋まで出ておくという手もあります。この場合所要時間は8時間15分。1日の所要時間としては十分です。ただ避難小屋に泊まる場合、食料と寝袋を持参する必要があるかもしれません。

3日目

荒川小屋を基点にした場合、赤石岳を経由して、赤石小屋、東尾根経由で椹島まで降りてきます。この場合、所要時間は9時間20分。椹島発1400のバスに間に合わすためには荒川小屋を早朝に出発する必要がありそうです。いずれにしても小屋でノンビリ朝食、という訳にはいかないでしょうね。
赤石避難小屋に泊した場合、所要時間は6時間20分。こちらならかなり余裕を持って降りていけそうです。いずれにしても1400のバスに乗り遅れた場合は、椹島のロッジで1日ノンビリしましょうか。

帰路

時間に余裕があれば、寸又峡温泉あたりに寄り道しましょう。あと清水あたりでマグロを食べたらグッドかな。

2.悪沢岳、赤石岳、聖岳縦走コース

上記1.のコースをやや拡張し、南アルプス南部の3000m級山を一気に制覇してしまおうという前夜泊+山中3泊4日の野心的なコースです。野心的なのは良いのですが、やや行程に余裕がなく、後半疲れた状態でこのような難コースに挑むのはやや危険かも知れません。

2日目まで

1.のコースと同じです。

3日目

赤石岳を越えて大沢岳(2819m)、兎岳(2818m)、聖岳(3013m)を経て聖平小屋に至るルートです。所要時間は12時間近くになるという長丁場です。途中の兎岳避難小屋までとすると所要時間7時間10分ですが、その場合は翌日が辛くなります。

4日目

聖平小屋を基点にすると。椹島ロッジまで所要時間5時間20分。これなら1400発のバスに余裕を持って間に合います。もし兎岳避難小屋を基点にした場合、所要時間は9時間以上になります。1400発のバスに乗るためには朝0500出発の必要があります。しかも天候等が悪化した場合はかなりキツイ行程です。

3.聖岳、光岳、縦走コース

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上記2.のコースで聖岳を制覇するののも良いのですが、このコースはややコースタイムが長く、かなり厳しいコースです。そこで別のルートから聖岳へのアプローチを考えました。聖岳だけではなく、光岳(2591m)、茶臼岳(2604m)、上河内岳(2803m)といった100名山、200名山、300名山の山々を一気に制覇する前夜泊+山中2泊3日のコースです。

登山口まで

前日夜に自宅を出発。中央高速をひた走ります。かなり距離を走る必要があるので、できれば早めに家を出ておきたい所です。岡谷JCTを越えて駒ヶ根SAあたりまで出て仮眠。翌朝に備えます。翌朝未明に起床。飯田ICで高速を降りて東へ向かい、易老渡の駐車場に車を停めてここから出発します。

1日目

易老岳(2354m)を越えて標高2500mの光小屋を目指します。所要時間約8時間。標高差約1600mのかなり厳しいコースになりそうです。朝6時前に出発したとして、光小屋到着は14時過ぎ。標高2591mの光岳は小屋から15分の所にあり、一休みした後の散歩代わりには丁度良いかも知れません。

2日目

光小屋から稜線沿いに易老岳まで戻り、そこから茶臼岳(2604m)、上河内岳(2804m)を越えて聖平小屋まで出ます。所要時間は10時間30分とかなり長丁場です。アップダウンもそこそこあるのでそれなりにきつそうです。でも天気が良ければ素晴しい景観が楽しめそうですね。

3日目

聖平小屋から3時間で聖岳(3013m)頂上に辿り着きます。そこから元来た道を戻り、あとは易老渡目指して降りていきます。所要時間は9時間強。下り中心なのでなんとかなるでしょう。

帰路

時間に余裕があれば高遠あたりの温泉に寄り道しましょう。でも帰りもかなりの距離を走らないといけないのであんまりノンビリできないかも・・・。

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日米空母決戦-ミッドウェー 歴史群像太平洋戦史シリーズ55 学習研究社

「最新の研究と資料で実証する」というキャッチコピーに釣られて購入しました。内容は(例によって)イメージイラスト、ジオラマで再現するミッドウェー海戦、記録写真、そして全9章からなるドキュメントです。

見所はもちろんこの「ドキュメント」部分です。特に「最新の研究と資料」がどのように反映されているかが楽しみでした。

最初の1~3章はつまらなかったです。日本側の作戦準備、米側の暗号解読、日本軍の事前偵察計画とその頓挫等、従来から知られていたことを改めて書いているだけのようにも思いました。このあたりを読んでいる時は「あーあ、これは外れかなー」と思いました。

第4章でB-17とPBYによる日本軍攻略部隊への攻撃が触れられていて、このころからようやく面白くなってきます。

第5章から第8章はいよいよミッドウェー海戦の本番へと入っていくのですが、これは実に面白かった。南雲機動部隊によるミッドウェー攻撃、米基地攻撃隊による反撃開始、米空母攻撃隊発進、「利根」4号機の「敵艦見ゆ」、米空母雷撃隊壊滅、米艦爆による奇襲と3空母の被爆、「飛龍」の反撃、「ヨークタウン」大破、「飛龍」被爆とその最後、とミッドウェー海戦における一連の流れが示されているのですが、その所々に今まであまり紹介されてこなかった事実や、筆者独自の新しい解釈が紹介されていてとても興味深かったです。

いくつか紹介しましょう。

(1) ミッドウェー上空の戦いで、当初米戦闘機の奇襲を受けた日本側攻撃隊は数機の艦攻を撃墜される等少なからぬ損害が出たこと。
(2) 第2航空戦隊所属の第2次攻撃隊艦爆隊は例の雷爆交換作業とは無関係であったこと(つまり交換作業をしていない)。
(3) 米空母発見直後に山口第2航空戦隊司令官が発した「直ちに発進の要ありと認む」という意見具申は、実は実行不可能な内容であったこと。
(4) 零戦神話の崩壊は既にこの戦いから始まったいたということ。
(5) 「赤城」に命中した爆弾は実は1発だけで、その1発が同艦の致命傷になったこと。
(6) 3空母被爆時に空母の甲板上には未だ攻撃隊は並べられておらず、格納庫内で準備中であったということ。
(7) そして格納庫に攻撃隊が残っていたことが3空母に大被害をもたらした主要な要因になったこと。

このように本書で紹介されている事例はいずれも興味深いものばかりです。

(7)が事実であれば、世間の空母戦ゲームは誘爆ルールを書き換えなければならないかもしれません

また、この種の本にありがちな「もしxxだったら・・・」という出来の悪い「火葬設定」は一切触れられておらず、純粋に「あの日、あの場所で何が起こったのか」という視点で記述されている点にも好感を覚えました。

ミッドウェー海戦や日米の空母戦闘に興味がある向きには、一読して損はないと思います。

評価★★★★

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(写真1)「めりけんや」新橋店。JR線のガード下です。
(写真2)「生醤油ぶっかけうどん」と「お好みご飯」。卵をつけました。

新橋「めりけんや」

最近の「さぬきうどんブーム」に乗って東京近郊にも「さぬきうどん」の店が増えてきました。味は「そこそこ讃岐っぽい」ものから「これのどこが讃岐うどんやねん?」というものまで様々ですが、今回紹介する「めりけんや」は、まあ「讃岐うどんと認めて上げても良いかな」、という感じのお店です。

新橋駅の改札を出てすぐの所にあります。
「本場さぬき直送」と書いていますが、確かに讃岐風のうどんです。
うどん1杯が400~500円ぐらいと「本場」に比べればやや割高ですが、それは大東京だから仕方がない所でしょう。

私が食べたのは「生醤油ぶっかけうどん」。「さぬきうどん」といえば「ぶっかけ系」しか思いつかない私なのですが、このお店にはぶっかけ系以外にも「カレーうどん」やら「かけうどん」等もあります。

味はまあ良いと思います。本場で食べたものと比べても左程遜色ないように感じました。もちろん「うどん通」の方ならば別の意見があるかもしれませんが・・・。

この「めりけんや」は、新橋駅以外にも、恵比寿、上野、関内、秋葉原等にもあるそうです。恵比寿駅では2度ほど食べたことがあります。他は食べたことがありません。

めりけんやについてくわしくはこちら

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