もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

2006年07月

コマンドマガジン#69読了

付録ゲームを一通りプレイしつつ、記事に目を通してみました。今回はそれなりに読み応えがありました。ページ数が多くなっているのも好感が持てます。やはり戦国テーマということで書くことが多かったのでしょうか。良かった記事は「戦国史ゲームを斬る」「文禄の役リプレイ」「戦国史ゲームが向かう未来」です。中でも「文禄の役リプレイ」は何度も読みました。これも当該ゲームをプレイしなければ完全に「読まない」記事でしたね。逆に今ひとつだと思ったのは、冒頭記事の「千代と一豊・・・」。人物紹介コーナーはどうかなあ?。こういった記事が必要なのは理解できるのですが、ウケを狙いすぎてやや空振りの感が・・・。
全般的には今回の「コマンド」は「当たり」でした。

https://livedoor.blogimg.jp/mk2kpfb/imgs/f/e/fec8c719.jpg

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(写真1)セットアップ
(写真2)第3ターン。平壌、谷山を確保した日本軍は長期不敗体勢確立
(写真3)第8ターン。大明軍反撃。平壌、谷山で大規模な戦いが・・・。

「文禄の役」をプレイする

先日CMJ#69の付録ゲーム「文禄の役」をソロプレイしました。
以下はその記録です。

セットアップ

明軍は義兵を以下のように配置しました。
 平壌3枚
 普州3枚
 春川2枚
 南原,清州,公州,鳳山,谷山,各1枚

第1ターン

[行動数]
日本軍=4
大明軍=3

[行動]
日本軍1番隊が谷山へ、2番隊が鳳山に進出。それぞれ守備していた義兵1ユニットを撃破して黄海道を制圧すると共に平壌への前進基地を確保した。
忠清道では、忠州を守っていた戸田勝俊隊を義兵2ユニットが襲ったが、戸田隊の奮戦によって2ユニットとも撃破した。その清州と公州では、毛利輝元隊、長曾我部隊、福島正則隊が義兵2ユニットを撃破し、清州、公州を占領した。

[VP]
0

第2ターン

[行動数]
日本軍=3
大明軍=4

[行動]
日本軍6番隊3ユニットが江原道へ進出。金化を守る義兵ユニットを追い払った。
日本軍再精鋭の2番隊4ユニット(主力は加藤清正隊)がいよいよ平壌に進出してきた。対する大明軍は正規軍3ユニットと義兵1ユニットで日本軍を迎え撃つ。数ラウンドの戦闘で精鋭清正隊1ユニットが撃破されたが、大明軍正規兵2ユニットを撃破し、残りは平壌から撤退。平壌は日本軍の支配する所となった。
勝利に沸く日本軍に驚くべき報が入った。普州に篭る義兵4ユニットが出撃。釜山の日本軍を攻撃してきたのである。釜山を守るのは細川忠興1ユニットのみ。しかし細川隊は奮戦し義兵の攻撃を退けて釜山を守りきった。

[VP]
0

第3ターン

[行動数]
日本軍=1
大明軍=1

[行動]
日本軍4番隊2ユニットが江原道の春川に篭る義兵ユニットを攻撃。しかしこの義兵は山深い春川の地形を利用して巧みに交戦。結局は壊滅するものの、日本軍最精鋭の島津義弘隊を道ずれにした。

[VP]
0

第4ターン

[行動数]
日本軍=5
大明軍=6

[行動]
義兵隊が行動を起こした。3ユニットが大邸を攻撃。彼の地を守る毛利輝元隊と釜山から駆けつけた島津義弘隊がこれを迎え撃った。義兵隊は2ユニットを失って後退。日本側に被害はなかった。
遂に大明軍正規兵が動いた。5ユニット(+民兵1)の大軍で平壌に襲いかかる。守るは日本最精鋭の2番隊4ユニットとさらに増援に駆けつけた3番隊2ユニット。しかし明軍にここで決戦の意思はなかった。1ユニットがステップロスした時点で明軍は後退を開始。結局損害は明軍の2ステップのみで平壌奪回戦は終了した。

[VP]
日本軍+1

第5ターン

[行動数]
日本軍=1
大明軍=5

[行動]
行動数に圧倒的な差がついた以上、攻撃の主導権は明側にある。しかし明側は日本軍を牽制するだけで積極的な動きは見せない。日本軍も明軍に対して攻撃をかけない。

[VP]
日本軍+2

第6ターン

[行動数]
日本軍=4
大明軍=5

[行動]
義兵たちが各地で蜂起した。鳳山、仁川で義兵たちの活動が始まる。また明軍主力は再び大軍で行動を開始。その矛先を平壌と谷山に向けた。
平壌攻防戦は明軍正規兵と日本軍2番隊の戦い。加藤清正隊を含む日本軍の精鋭は明軍の度重なる攻撃を跳ね返した。明軍は2ユニットを失った時点で後退を決意。日本軍は加藤清正隊が1ステップを失っただけで平壌を死守した。
しかし谷山の攻防戦はそうはいかなかった。義兵5ユニットからなる明軍の猛攻を受けて日本軍1番隊に損害続出。2ステップを失った時点で日本軍はたまらず後退を開始した。

[VP]
日本軍+3

第7ターン

[行動数]
日本軍=1
大明軍=3

[行動]
このターンから義兵の数が増える。以前にも増して苦戦を強いられる日本軍であった。
谷山から出撃した義兵4ユニットが鳳山に襲いかかった。守るのは日本軍8番隊宇喜多秀家隊。宇喜多隊は善戦し義兵3ユニットを葬り去ったが、衆寡敵せず遂に壊滅。鳳山の陥落は平壌への補給線の切断を意味していた。

[VP]
日本軍+4

第8ターン

[行動数]
日本軍=4
大明軍=5

[行動]
VPで負けている明軍は大規模な行動に出た。平壌に対する総攻撃を再開する一方、先ほど占領した鳳山、さらに谷山といった黄海道の要域には義兵さらには正規軍を送り込んで守りを固める。対する日本軍も先ほどの打撃から回復した1番隊、そして3番隊を鳳山、谷山の奪回に向かわせた。
平壌攻防戦は日本軍最精鋭の2番隊と明の正規軍が激突。今度の明軍は一歩も引かない戦意を示したが、やはり技量に優る日本軍の敵ではなく、2ユニットを失って後退していった。日本軍は失ったユニットこそなかったものの、計3ステップの損害は後の戦いに不安を残す結果となった。
続いて鳳山攻防戦。4ユニットの義兵に対して攻めるのは日本軍6番隊3ユニット。日本軍は立花宗虎隊を失うなどの損害を被ったが、見事に義兵4ユニットを撃滅し、鳳山を奪回した。
最後に谷山攻防戦。ここでは明の正規軍相手に苦戦を強いられる日本軍。小西行長隊を失うなど犠牲も相次いだが、明軍正規兵に2ステップの損害を与えた時点で明軍が退却を決意。谷山も日本軍の手に戻った。

[VP]
日本軍+5

第9ターン

[行動数]
日本軍=1
大明軍=4

[行動]
明軍は義兵2ユニットを漢城に向けて出撃させた。日本軍の「柔らかい下腹」とも言うべき漢城。日本軍はなけなしの行動ポイントを使って3番隊を漢城に向けて出撃させた。その結果漢城を巡る攻防戦は日本軍の勝利に終わり、義兵は1ユニットを失って後退していった。
明の正規兵4ユニットが再び谷山を襲った。谷山を守備する日本軍1番隊3ユニットは奮戦したものの、遂に奮戦及ばずに玉砕した。谷山は明軍の手に帰した。

[VP]
日本軍+5

第10ターン

[行動数]
日本軍=1
大明軍=6

[行動]
最終ターンなので各地で義兵たちが大規模な行動を開始した。鳳山、開城、公州、清州で義兵達が攻撃を開始してきた。
鳳山では義兵と正規兵の連合軍が日本軍6番隊を攻撃。6番隊の小早川隆景隊は奮戦したものの遂に玉砕。ここに黄海道は明軍の支配する所となった。
さらにその南開城でも日本軍生駒親正隊を義兵3ユニットが攻撃。生駒隊は善戦したものの最後は数に優る義兵の前に玉砕した。この結果開城も明軍が支配する所となり、京畿道も明軍の支配する所となった。
その南、忠正道でも義兵達の攻撃が始まった。公州では義兵4ユニットが攻撃をかけてきたが、ここを守る福島正則隊、長曾我部元親隊は奮戦し、自隊は無傷のまま義民4ユニットを葬り去った。その東清州でも攻撃してきた義民2ユニットに対して、精鋭島津隊、毛利輝元隊が奮戦。毛利隊が1ステップを失ったが、義兵2ユニットを葬った。

[VP]
日本軍+4

結果

日本軍が勝利

感想

稚拙なリプレイですいません。日本軍は漢城-平壌線を確保し、慶尚、忠清、京畿、黄海の4道を支配すれば毎ターン1VPが入ってきます。あとは平壌の線を死守しつつ、ゲリラ的に出現してくる義兵隊を掃討していけば勝てるでしょう。逆に大明軍は待っているだけでは勝てないので、正規兵を主力として平壌奪回のチャンスを伺いつつ、義兵による京畿道、黄海道方面への奪回作戦を試みる必要があるみたいです。今回は義兵を定見なく使ってしまい日本軍に各個撃破されてしまいました。もう少し義兵の使い方に工夫が必要のようです。

ゲームとしてみた場合、案外面白いと思います。やや戦闘解決が冗長な気がしますが、アクションポイントシステムはわかりやすく、またスピーディに進みます。今回は明側がヘボだったので日本側が圧勝しましたが、もし明側がもう少し利口であれば両軍とも戦略眼を要求されることになりそうです。バランス的にはやや日本側有利でしょうか?。もう少しプレイしてみないとわかりません。

余談

この後、もう1度プレイしてみました。この時は第1ターンの平壌攻防戦でなんと日本軍最強の2番隊が壊滅。平壌奪取も失敗し日本軍は貴重なVP源を得られませんでした。そのまま中盤までずるずる行って「こりゃ日本軍は勝てないな」と思っていたのですが(太閤も増援を寄越さなかった)、再建なった2番隊が第7ターンに平壌を奪取。一連の攻防戦で大損害を被った明正規軍に日本軍を阻止する力はなく、義兵も正規戦で日本軍を阻止するには役不足。結局平安道まで日本軍の支配する所となり、最終ターンで同点に追いつきました。結果引き分け。バランス的には悪くないように思いました。


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中核vs革マル(上)(下) 立花隆 講談社文庫

詳しくはこちら

まずあなたのPCで「かくまる」と入力してみて下さい。「革マル」あるいは「カクマル」と変換されましたか?。私のPCでは変換されませんでした(ちなみに国労、動労、全学連、全共闘は一発変換、反帝、反スタ、民青はダメでした)。もしこれが30年前だったらどうだったでしょうか?。恐らくこれらの単語は1発変換されていたのではないかと思います(あくまで想像ですけど)

今回紹介する「中核vs革マル」は、丁度今から30~40年ほど前の話です。当時新左翼と呼ばれ、反帝国主義、反スターリン主義を掲げて既存政党(日本社会党、日本共産党)から分離して独自の社会主義運動を展開したいくつかの党派の中に「中核派」「革マル派」と呼ばれる組織がありました。この両派は当初は1つの組織だったのが、運動方針の違いから対立し、やがて「内ゲバ」と呼ばれる暴力闘争に発展していきます。

本書では、両派の成立するまでの過程から、内部抗争による死者の発生、そして内ゲバの発展をレポートしたノンフィクションです。これは一種の政治運動史とみることができますが、我々ゲーマーの視点から見るとある種の戦史、しかも「高度に政治的な抑制の効いた制限戦争」の歴史と見ることもできます。革マル派の攻勢から始まったこの「戦争」は、中核側の防衛戦、体勢を立て直した中核派の限定的反攻、そして全面反攻という流れで進んでいきます。これはまるで日米戦争や独ソ戦の推移を見るようで興味深いです。また直接的な「戦闘」以外でも、新聞等を使った宣伝合戦、さらには新聞発行を妨害するための印刷所への攻撃等、多面的な「戦争」の流れは読んでいる者を飽きさせません。
そして第3の勢力として描かれている公安警察、そしてその実力部隊たる機動隊。これを「騎兵隊」と見るか、あるいは「腐敗した地球連邦軍」と見るかは人それぞれですが、国家権力の存在が本書をより興味深くしていることは間違いありません。

筆者はこの抗争を描くに当たって、何らかのイデオロギーに偏するわけでもなく、かといって批判的な視点を欠いた無味乾燥なものでもなく、極めて客観的かつ主体的にその経緯を追っています。また難解な左翼用語を繁用せず、わかりやすく書かれています。

著者の立花隆氏については、最近マスコミ等での露出度も多くなり、またそのためか色々なところで中傷とも取れる攻撃を受けていることもあるようです。私も彼の作品全てが「素晴しい」とは思いませんが、この作品における彼の仕事は「一流」と評価して良いと思います。

一時は大きな勢力を誇っていた新左翼運動も今ではかつての勢いを失っているようです。警察庁のHPによれば未だに「革マル」派などは要注意組織としてリストアップされていますが、アルカイーダやオウム(これも古いねえ)、あるいは北朝鮮による拉致問題に比べると脅威ランクは明らかに下です。私が時々遊びに行く神田界隈には明治大学があり、90年代には「三里塚闘争がどうの」「キティホーク入港阻止がどうこう」という看板が掲げていましたが、数年前に建物が綺麗になってからは全く見かけなくなりました。マルクス主義や共産主義自体が革新的な人々からも支持を失いつつある昨今、暴力革命を全面に押し出したこれらの運動がかつての勢いを取り戻すことは最早ないような気がします。

評価★★★★★


余談ですが、私の仮名漢字変換では「れいせん」と入力すと「A6M」と変換されます。バカだねえ。

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(写真1)両神山頂上から見た奥秩父の山
(写真2)両神山頂上の風景
(写真3)両神神社の鳥居

前回

両神山登山(つづき)

両神神社に到着したのは1240頃でした。清滝小屋からの所要時間が約45分。コースタイムよりは短い時間で辿り着けましたが、その時にはコースタイムを35分と勘違いしていたせいもあり、少し自分の体力に自信を失いました。ここから頂上までは約30分との事。雨もまだ少し降っているようです。荷物にレインカバーをつけるのが面倒だったので、ザックをこの神社に置いていくことにしました。自分はレインウェアを着、貴重品と地図、カメラだけ持参して、頂上を目指すことにしました。

さすがに荷物がないと体が軽いです。さっきまでぜーぜー言いながら登った山道も、体が軽くなると少し早く歩けます。雨はまだ少し降っていましたが、それほど気になるほどでもありません。またこの高度でもまだ森林限界を超えていないらしく、登山道からの展望は殆ど効きません。

ようやく頂上に辿り着いたのは1300頃でした。頂上からは奥秩父の山々が一望できます。生憎の天気なのでそれほど綺麗な景観ではありませんが、南西方向には甲武信岳、その隣には雲取山といった山々を見ることができます。頂上には10人ほどの人がいて、それぞれ寛いでいました。頂上はそれほど広くはなく、弁当を広げたり、火を使ったりするのはやや手狭です。

下山

帰りは往路をそのまま戻りました。途中、両神神社、清滝小屋、会所の3個所で休憩し、水分補給しました。下山の途中、登山道にカエルが沢山いたので驚きました。しかも可愛らしいアマガエル系はなく、あのグロテスクなヒキガエル系。しかも結構デカイ。これが登山道の所所に飛び跳ねているのです。1匹や2匹見ただけなら「可愛い」とか「珍しい」とかいった言葉も出てくるのですが、さすがに10匹以上も見てしまうと嫌になります。しかも私は大の「蛇嫌い」。カエルといえばヘビ。ヘビが出てこないかとビクビクしながら歩いていましたが、幸いヘビさんには会いませんでした。

まとめ

所要時間は登りが3時間15分、下りが2時間30分。頂上での時間を含めると合計で約6時間の山旅でした。地図上でのコースタイムは、往路3時間40分、復路2時間40分となっています。実際、コースタイムには休憩時間が含まれませんから、それを加味するとまあ悪くないペースではないかな、と思います(最初に中高年グループに抜かれた時はかなりショックでしたが・・・)。

標高差は1110mですが、最初と最後にアップダウンがあり、累積標高差はもう少し増える(1200mぐらいか?)と思います。歩行距離は片道約6km。往復12kmです。上の方に鎖場が数箇所ありますが、特に危険を感じるような場所はありません。道も一本道なので、迷うことはないと思います。ただし体力的にはそれなりに厳しい山です。ハイキング気分で登れるような山ではありません。

今回の登山は、今シーズン初の本格的な登山でした。そのため今回は「どこまでできるか試してみよう」的な感じが強かったです。体調面でも万全とは言えず(6月下旬から7月上旬はクーラーのせいなのか少し風邪気味)不安はあったのですが、結果から見れば一応成功だったと言えそうです。雨は確かに降っていましたが、この山は殆ど全山が深い緑に覆われているため、その下を歩く分には殆ど濡れることはなかったです。また懸念された体調の方も、昨年瑞牆山伯耆大山に上った時に比べると全然良好な状態した。標高差1100mの登山を完遂できたことは、今シーズンの山登りを計画する上で大きな自信になりました。

さあ、いよいよ本格的な夏山シーズン。アルプスを攻める前に、もう1つぐらい準備運動をしておいた方が良いかな。さて、次はどこにしましょうか・・・?。

おまけ

今回は電車バスの移動だったので帰りに温泉へ寄り道できなかったことが少し残念です。両神山近郊にも結構良い温泉が出るみたいですけど。
あと帰りに秩父から秩父鉄道に乗ったのですが、これが遅いのなんの・・・。秩父から熊谷まで乗ったのですが、その所要時間がなんと1時間以上。しかも料金が\820も取られたから、これなら西武線で東飯能に出た方が遥かに早かった・・・。これは失敗でした。

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(写真1)セットアップ
(写真2)第2ターン終了時の状況
(写真3)最終ターン終了時。京を巡る戦いで生き残ったのは「お拾い様」だけ・・・。

真史徳川実紀

先日、CMJ#69の付録ゲーム「真本信長公記」の付属シナリオ「真史徳川実紀」をプレイしました。これは「真本信長公記」のマップとユニットを流用し、関ヶ原の合戦を再現するミニシナリオです。
以下はそのリプレイです。

セットアップ

ヒストリカルシナリオなので特に選択肢はありません。西軍は秀頼様を毛利輝元に配置。

第1ターン

[主導権]
東軍5

[移動]
西軍は石田勢を北畿、宇喜多勢を山陽、小早川勢を安芸、さらには上杉景勝を越後に移動させて支配域と兵力の拡張に努める。
東軍は家康公自ら主力を率いて東海道を西上、秀忠公は東山道へ向かわれた。

[合戦]
なし

[支配]
西軍は越後、安芸、山陽、摂河泉を支配。東軍は東海を支配した。

第2ターン

[主導権]
西軍3

[移動]
西軍は小早川勢、宇喜多勢がそれぞれ山陽道を東上し、山陽、摂河泉に入った。
東軍は家康公以下が濃尾に入った。

[合戦]
上田城攻防戦。真田昌幸の神業的防御は、しかし兵力で圧する徳川勢には通用しない。真田昌幸討死。
{{{第1ターンの出陣フェイズに真田昌幸を出すのは愚作かも・・・}}
田辺城攻防戦。西軍石田隊の猛攻で細川幽斎は降伏。以後、西軍に着くこととなった。

[支配]
西軍は越後、安芸、山陽、北畿、摂河泉を支配。東軍は東海、濃尾、近江、東山を支配した。

第3ターン

[主導権]
東軍3

[移動]
西軍は主力を摂河泉に集結させる一方、石田三成を近江へ派遣した。
関東勢もまた主力を濃尾に向かわせる一方、家康公は福島正則を伴い近江の戦場へと出陣していった。

[合戦]
近江の戦い。なんということか。石田三成がまさかの裏切り。戦わずして徳川家康の軍門に下った。治部が内通しておったとは・・・。淀君もびっくり。

[支配]
西軍は越後、安芸、山陽、南畿、北畿、摂河泉を支配。東軍は東海、濃尾、近江、東山を支配した。


第4ターン

[主導権]
東軍3

[移動]
三成の寝返りによって東軍はVPでの逃げ切りが可能になった。このまま全軍濃尾に下がってもVPでは勝てる。しかしここまで来たら豊臣政権を完全に滅ぼしてしまえ。家康公以下、福島正則、石田三成、京極高次ら総勢20戦力が京に向けて進撃を開始した。対する西軍はまともに戦っても勝ち目は乏しい。頼みの綱は秀頼公の威信だけである。秀頼公以下、毛利輝元、宇喜多秀家、吉川元春、小早川秀秋ら総勢24戦力が悲壮な決意を秘めて京に向けての進撃を開始した。

[合戦]
鳥羽伏見の戦い(って時代が違うって)。戦力的には西軍がやや優位にたっているが、相手は海道一の弓取り、徳川家康公である。合戦前の調略でどれだけ相手を崩せるかが勝敗を分ける。ここで珍事発生。西軍陣内にはためく千成瓢箪を見て福島正則が動揺。西軍に味方すると言い出した。さらに京極高次も脱落。この結果、西軍36戦力、東軍12戦力で兵力差が一気に3:1に広がった。
戦いは壮絶なものになった。徳川方は圧倒的に不利な兵力にも関わらず凄まじい奮闘を見せた。西軍の兵は次々と討ち取られていく。小早川秀秋討死、吉川元春討死、京極高次討死、福島正則討死。そして徳川本隊は秀頼本陣にあと一歩と迫ったが・・・、ここで力尽きた。西軍=36戦力中35戦力喪失、東軍=12戦力全滅。徳川家康公討死。

結果

西軍の勝利

プレイ時間

約1時間半(記録時間含む)

感想

石田三成が裏切った時は「このまま東軍の勝ちだな」と思ったのですが、最後の最後にどんでん返しが待っていました。やっぱり秀頼公の威光は偉大でした。秀頼公は「お馬鹿」なのであまり前線に出したくないのですが、最後の決戦でどんでん返しを狙う場合は使えるかも知れません。

シミュレーションゲームとしてみた場合、「歴史的」といえるかどうかはかなり疑問がありますが、短時間で楽しめるゲームにはなっていると思います。ただ、ほぼ同じプレイ時間をかければ「戦略級、関ヶ原」がプレイできることを考えると、私は「戦略級、関ヶ原」の方を推します。

「太平記システムで関ヶ原を作ってみたら、こんなゲームになりました」

このゲームの評価としてはそんな所が妥当なのではないかと思います。

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