補給戦 何が勝敗を決定するのか
マーチン・ファン・クレフェルト 佐藤佐三郎訳 中公文庫
過去から現在にかけて、戦史における補給戦の意味について分析した著作です。本書は8章構成になっています。1~7章は戦史研究で、過去の戦史における補給戦のあり方について時代別に分析しています。
1.16~17世紀の略奪戦争
とまあこんな感じです。
この時代はいわゆる「補給線」の概念はなく、軍隊はその補給を現地調達(略奪)により依存していました。当時の軍隊は略奪を続けていくために定期的に移動する必要があり、そのことが長期に渡る攻城戦の足枷になっていました。
2.軍事の天才ナポレオンと補給
アウステルリッツ会戦とロシア遠征をテーマにナポレオン時代の補給について考えています。
3.鉄道全盛時代のモルトケ戦略
1870年の普仏戦争を中心に、大モルトケの兵站術について考えています。この戦いは「近代的な補給線が確立された最初期のもの」というのが一般の評価ですが、それに対する筆者の評価は冷淡です。
4.壮大な計画と貧弱な輸送と
WW1のドイツ軍をテーマにしています。この時期の特徴は、補給物資における「食料」と「弾薬」の重量比が逆転し、最早現地調達で補給を維持することが不可能になったことです。しかし当時の補給能力は、軍隊の供給を満足するにはあまりに不十分でした。そういった観点を踏まえて筆者はシュリーフェン計画についても再検討しています。
5.自動車時代とヒットラーの失敗
いわゆるバルバロッサ作戦について、ドイツ側の兵站状況から見た視点から評価しています。その中で筆者はモスクワ正面に攻勢戦力を集中する案は兵站面から不可能とし、さらに中央軍集団の南方旋回については「全く正しい」としているのは興味深い所です。
6.ロンメルは名将だったか?
兵站面から北アフリカ戦役におけるロンメルの活動を手厳しく批判しています。
7.主計兵による戦争
WW2の西部戦線連合軍を扱っています。この戦いは今までのものとは違ってほぼ「理想的な」兵站活動の元で軍事行動が行われました。しかし連合軍の活動は緩慢であり、兵站面での優位を生かしきれませんでした。ここで筆者は兵站の有無のみが軍事行動を決定する訳ではなく、時には指揮官の強い決断力といったヒューマンファクターが重要になってくる、としています。ここでの筆者の主張は今までとはややニュアンスが異なってきているのに興味深いものがあります。
8.知性だけがすべてではない
まとめです。
補給戦という地味なテーマを扱った著作で、「血沸き肉踊る」類の戦史ではありません。しかし補給戦についてわかりやすく、しかも理詰めで解説している本書は一読の価値があると信じます。
お勧め度★★★★
余談その1
16~17世紀といえば、我が国ではまさに戦国時代から安土桃山にかけての時代になるわけですが、当時の我が国の補給戦の状況はどうだったのでしょうね。「群雄伝」シリーズ(ツクダ)にしても、「信長最大の危機」(GJ)にしても、軍隊は根拠地から切れ目のない補給線をつなぐことが義務付けられ、補給が切れると大なり小なりのペナルティが適用されるようになっています。しかし当時の軍隊が補給の大半を現地調達に依存していたとすれば、補給線の概念そのものがナンセンスという気もしてきます。
余談その2
上杉謙信が対北条戦で小田原城を包囲しながら退却せざるを得なかったことは、本書「16~17世紀の略奪戦争」を読めば納得できます。その一方で秀吉が三木城、鳥取城、小田原城を長期包囲戦の末に陥落させたことは、当時の補給状況から考えると画期的な出来事だったのかなあ・・・・、なんて思ってしまいました。
余談その3
西南戦争の折、薩摩軍は策源地たる鹿児島を政府軍によって制圧された後も、その策源地を転々と移動させつつ戦いを続けることができました。これは当時薩摩軍の場合、補給が未だに現地調達に依存していた事実を示しているのでしょう。それに対して火力中心で戦闘を行った政府軍の場合、補給のかなりの部分を策源地からの定期的な物資輸送に依存していたことが想像できます。もし西南戦争をゲーム化する場合、両者の補給ルールは異なるものにしたほうが良いかもしれません。