もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

2007年02月

青森の雪景色

先日北東北へ行く機会があり、その時青森で1泊しました。その時撮った写真です。暖冬とはいっても、それなりに雪は降っているようですね。ちなみに私が体調不良を起こしたのは、青森から帰ってきた翌日ぐらいからでした。

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ゲーム紹介「望楼の行方」

先日、親しくしていただいているワニミ様から、自作のゲームをお送り頂きました。
タイトルは、

「望楼の行方」

米軍のガダルカナル上陸作戦「オペレーション・ウォッチタワー」に因んでのタイトルで、ガダルカナル島攻防戦全域を扱うキャンペーン級ゲームです。

「望楼の行方」について詳しくはこちら

マップはガ島を中心とした南東太平洋一帯がエリア方式で描かれています。マップの北端には呉軍港やパールハーバーが描かれており、日本本土や真珠湾と南東太平洋との間の回航も盤上で再現できます。

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「望楼の行方」メインマップ

1ユニットは、艦船の場合は数隻の艦船を一まとめにした小艦隊を現しています。各ユニットには「瑞鶴」や「ワシントン」といった個艦名が記載されていますが、これは「瑞鶴」や「ワシントン」に護衛の巡洋艦、駆逐艦を加えた艦隊を現しているとみなすべきでしょう。航空機は30機~40機のグループで、陸上戦闘機、陸上攻撃機、艦上戦闘機、艦上攻撃機の4種類があります。地上部隊は連隊規模です。

1ターンは1ヶ月を表しますが、それぞれのターンは3つの行動フェイズに分かれていて、実質的には約10日で1ターンと考えることもできそうです。

基本的なルールはそれほど難しくはありません。ゲームシステムとしては非常に抽象度が高いことが特徴となっています。艦船は1行動フェイズに1乃至2エリア移動できるのですが、現実の艦船の航行速度と比較すると、本ゲームの艦船は極端に低速です。また所謂「帰港」ルールがないので、艦隊は永遠に洋上に留まっていることができます。しかし「任務付与」ルールや「航空部隊の疲労」ルールによって港湾へ帰港することになるみたいです。これらのルールが果たしてどのように機能しているかは、実際にプレイしてみないと判断できません。
自由に動ける艦船とは異なり、航空機や地上部隊は自ら移動することはできません。しかし彼らは裏返すと輸送船に「変身」することができ、輸送船として移動することができます。

戦闘はD10で打撃力以下の目を出せばヒットを得ます。打撃力は多くても5以下なので、ヒットを得るのはそんなに簡単ではなさそうです。ダイスには相手の防御力や自らの戦意といった修正が加わります。

本ゲームの特徴は、日米両軍に「戦意」と「警戒」という2つのファクターが用意されていることです。「戦意」は敵に打撃を与えたり、重要拠点を占領したりできれば上昇し、逆にボロ負けしたり、時間が経過したりすると沈静化します。「警戒」は逆に戦闘時に奇襲を食ったり、先手を取られたりすると上昇させることができます。
この「戦意」と「警戒」が本ゲームのメインテーマだと言えそうです。デザイナーズノートには、組織活動を「戦意」と「警戒」という2つのファクターを軸に描きたい、と書かれています。盤上で繰り広げられるガダルカナル攻防戦は非常に抽象化されたものになっています。本ゲームのテーマは「戦艦大和と零戦の大活躍」ではなく、あくまで「日本軍と連合軍の組織活動の違いを描く」というものなので、戦闘の細部に拘る必要はなかったのでしょう。

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とまあ、ここまで紹介してきましたが、実は私、このゲームをまだプレイしていません。ルールは一読し、概ね理解しました。サイバーボード版も完成しました。今週末あたりにシナリオに挑戦してみようかと思います。

超獣攻撃チーム「TAC」と税金泥棒の関係

先日「風林火山」の裏番組で「ウルトラ○ンA」をやっていたのでノンビリ見ていました。ストーリーは例によって

「どこぞの雪山に超獣が現れたぞー」

という他愛もない話だったのですが、その中に「納税者」としては許し難い所業を目にしてしまったのです。

雪山に出現した超獣を相手にミサイル攻撃を行う超獣攻撃チームの戦闘爆撃隊。しかし例によってミサイルは全く「効果なし」。業を煮やした竜隊長(仮名)は、この時驚くべき命令を発したのです。

「よし、このままファルコンを体当たりさせるぅ。全員脱出!!」

て、ちょっと待てよ。
全長数十メートルにも及ぶ巨大な戦闘機。それを超獣にぶつけるというアイデアは「なるほど日本人」と思わせるものがありますが、その前に近代科学の粋を集めた戦闘機のお値段を考えたことがあるのか、君は。当時の貨幣価値でも数億円、いや数十億円は下らないでしょう。それを何の躊躇いもなくぶつけるという隊長。こんな隊長を指揮官にしていて良いのか?。TAC?。

ちなみに決死の体当たり攻撃は、これもまた予想通り超獣に対しては全く効果がなし。貴重な戦闘機2機を犠牲にした攻撃も結果的にはただの「税金の無駄遣い」に終わってしまいました。そしてその後現れた「ウルト○マンA」によってまたもやTACは助けられたのです。

「えーえい、この税金泥棒!」

それにしてもTACの基地や戦闘機の発進シーンは「かっちょええ」ですね。

「ワンダバダバダバ、ワンダバダバダバ、ワンダバダバダバ、ワン」

というテーマソングも宜しいと思います。あとは「本来の仕事」での実力さえ伴ってくれれば・・・・。

P.S. 美川隊員って良いですね。

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ヒ86船団の壊滅

最近は大井篤氏の「海上護衛戦」や木俣滋郎氏の日本軽巡戦史を読んだ影響もあり、太平洋戦争の海上護衛戦に興味を持っています。太平洋戦争の海上護衛戦といえば、日本側から見た場合、兵力面の劣勢のみならず、技量面でも技術面でも敵側に全く及ばず、一方的な惨敗を喫した戦いとして知られています。そして事実もその通りでした。空母戦や水上打撃戦の場合、最終的には敗れたとはいえ、個々の戦術局面では米軍を苦しめた場面もあったのに対し、海上護衛戦では殆ど良い所なく

やられっぱなし

であった点、我が国では人気のない戦いです。

そんな悲惨な海上護衛戦の中にあって、とりわけ悲惨な戦いが「ヒ86船団の戦い」と呼ばれるものです。今回はその「ヒ86船団の壊滅」を紹介します。知っている人には常識的な事件かもしれませんが、まあお付き合いいただければ幸いです。

ヒ86船団と第101戦隊

ヒ86船団とは、1945年1月にサイゴンを発して門司へ向かった輸送船団のことで、タンカー4隻、貨物船6隻、護衛艦艇6隻の計16隻からなる船団でした。当時の我が国にとっては、かなり大規模な船団でした。

この船団の護衛に当たっていたのが、船団護衛専門に編成された第101戦隊です。第101戦隊は当時日本海軍にあってはじめて船団護衛を主任務として編成された部隊で、以下の諸艦よりなっていました。

 第101戦隊
  対潜巡洋艦「香椎」(旗艦)
  海防艦「大東」
  海防艦「鵜来」
  海防艦「23号」
  海防艦「27号」
  海防艦「51号」

敵潜の攻撃を警戒したヒ86船団は、ベトナムの陸岸に思い切り接近しながら航行していました。敵潜水艦は浅い海が苦手だからです。そのためもあってか、出航後最初の2日間は敵潜による被害はありませんでした。しかし彼らには潜水艦よりも恐ろしい敵が近づいていたのです。

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海防艦「鵜来」。ヒ86船団事件にも生き残った同艦は戦争を生き延び、戦後は海上保安庁の巡視船「さつま」として長期間活躍しました

第38機動部隊

ハルゼー大将の第3艦隊は大型空母8隻、軽空母5隻を中核とする高速空母です。その第3艦隊がバシー海峡を抜けて、南シナ海に入ってきたのは1945年1月9日のことでした。南シナ海といえば、日本本土と南方資源地帯を結ぶ主要な交通線です。そこへ米空母群の侵入を許したということは、日本本土と南方資源地帯のシーレーンがいよいよ断たれることとなったのです。

第3艦隊が最初に見つけた餌はヒ86船団でした。攻撃空母10隻以上の高速空母部隊と輸送船団の戦い。戦いの決着はもとより明らかでした。

1月12日午後、米空母を発進した攻撃隊約50機がヒ86船団に襲いかかります。空母「タイコンデロガ」「エセックス」「ラングレー」「サンファシント」を発進した攻撃隊。最初にやられたのは対潜巡洋艦「香椎」でした。多数機の集中攻撃を受けた「香椎」は爆弾数発と2本以上の魚雷命中を受け艦尾から沈んでいきました。海防艦「51号」は搭載爆雷の誘爆により沈没。同「23号」も乱戦の最中に行方不明になってしまいました。貨物船やタンカー計10隻も悉く撃沈されました。
辛くも生き残ったのは3隻の海防艦だけです。「鵜来」「大東」「27号」は敵戦闘機の機銃掃射によってそれぞれ死傷者を出しながらも、爆弾や魚雷の直撃を受けなかったのが幸いしたようです。

こうしてヒ86船団は壊滅しました。この日南シナ海一帯は35隻の船舶が撃沈され、海軍艦艇も計13隻が失われました。ハルゼーの第3艦隊はその後も南シナ海一帯で暴れまわり、米機動部隊による攻撃で1月中に83隻もの船舶が撃沈されました。

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攻撃を終えて空母「ホーネット」に帰投するSB2C「ヘルダイバー」艦爆

その後

ヒ86船団の壊滅によって南方と日本本土とのシーレーンは事実上遮断されることになりました。その後も「特攻輸送」という名目で南方からの石油輸送は細々と続けられてはいましたが、その規模はあまりに小さく、第一油を運ぶタンカー自身が1945年1月の「ハルゼー台風」によって殆ど失われてしまったのです。
こうして南方資源地帯とのシーレーンを断たれた日本は近代戦遂行能力を急速に失っていくことになりました。1945年8月15日に太平洋戦争は終局を迎えましたが、その終局を決定付けた戦いが、「ヒ86船団の戦い」だったのかもしれません。

ハルゼー艦隊が南シナ海から引き上げてくる途中、我が特攻機の反撃により空母「タイコンデロガ」「ハンコック」「ラングレー」に損傷を与えましたのは、唯一の戦果らしい戦果だったのかも知れません。

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我が特攻機の反撃を受けて炎上する米空母「タイコンデロガ」

余談

今回紹介した記事は、主に「日本軽巡戦史」と「海上護衛戦」より抜粋しました。本当はもう少し詳しく調べたかったのです。例えばヒ86船団を攻撃した米空母機の詳しい編成はどのようなものだったのか?。彼らの搭載した武器は何だったのか?。また海防艦の対空砲火は何機の米軍機を打ち落としたのか?。そういった所も調べてみたいと思っています。機会があれば、もう一度調べなおしてみたいです。

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PFB2002完成

PFBシリーズの2002年度データ版が完成しました。
2002年度といえば、セリーグでは就任1年目の原ジャイアンツがV1を達成し、日本シリーズでは西武ライオンズを4タテして「新たな黄金時代」を予見させました。
パリーグでは西武ライオンズが昨年の覇者近鉄バッファローズや一昨年の覇者福岡ダイエーホークスを抑えてリーグ制覇を成し遂げました。
MVPは巨人の松井秀喜選手と西武のカブレラ選手。松井秀喜選手はこの年を最後にメジャーリーグへ移籍し、今の所は2002年が彼にとって日本球界最後の年となりました(今後日本球界へ復帰すれば更新されますが)。

注:PFBとは、かつてHJ社から出版されていた"熱闘12球団ペナントレース(APBA)"シリーズと同等のコンセプトを持つシミュレーションゲームです。 "熱闘"が持っていた手軽さ(ルールの容易さ、プレイ時間の短さ)はそのまま継承し、"熱闘"よりも遥かに現実再現性の高いゲームになっています。

PFB2006の入手法は-->こちら

カードを見て

全チーム見ている余裕はないのですが、一部のチームについてデータカードを眺めてみました。
まずは日本一に輝いた巨人。
打線は強力です。松井秀喜を中心に、清水、阿部、高橋由伸、二岡あたりが使えます。また清原和博はこの年わずか55試合の出場に過ぎませんでしたが、出場機会さえ得ることができれば、その破壊力は一流です。
投手陣も強力で、特に先発投手陣は上原、工藤、桑田、入来祐作、高橋尚成、そしてルーキーの真田という布陣は重厚そのものです。ただ例によって救援投手陣はやや薄いです。

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二岡智宏と清原和博。二岡の長打力は意外な程大きく、本塁打数24本は松井に次ぐチーム第2位です。清原のデータカードは数値から見れば十分強力ですが、「負傷75」が玉に傷。

次に我が阪神タイガースを見てみましょう。星野仙一監督就任1年目のこの年、5月前半まで首位独走。その後やや調子を落としながらも、6月15日までは首位に食らいついていたのですが、6月後半からバタバタと連敗し、その後調子を取り戻すことができず、終わってみれば4位でした。それでも昨年までの「万年最下位」に比べれば、健闘したと言って良く、翌年に向けたステップアップにつながりました。
カードを見てみると、なるほど調子を落した理由がよくわかります。打撃陣の中でほぼフルシーズン働いたのは今岡誠、アリアスの2人だけといって良く、あとは桧山=負傷30、濱中=負傷45、赤星=負傷90、矢野=負傷90、ホワイト=負傷60といった感じです。FAで獲得した片岡篤史も打率.228と期待した程の働きはできませんでした。
投手陣は井川、ムーア、籔、谷中、川尻、星野伸之といったあたりが先発の軸になりますが、井川を除けばいずれも安定感にやや欠けます。安藤、藤川といった若手もG=2.7、C=0.3ではねえ・・・・。救援陣も駒不足の感は否めません。

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井川慶と藤川球児。今では話題の中心となる2人です。井川は2002~2003年頃が一番安定感があったように思います。一方藤川はこの時期はまだまだ発展途上ですね。

パリーグのチームも見てみましょう。まずは西武ライオンズ。打線がすごいですね。本塁打55本を放ったカブレラをはじめ、36本の松井稼頭央、33本の和田。クリーンナップだけで124本ものホームランを放ったその破壊力は、他チームの追随を許しません。その他、小関、高木浩之、伊東あたりまでは良いのですが、その他のポジションに穴があります。シーズン半ばにチームに加わるエバンスは、チームの隙間を埋める存在として貴重です。
投手陣はやや手薄です。この年の松坂大輔は怪我のために精彩を欠き、西口、三井、石井貴、許、張、後藤、潮崎と頭数は大井のですが、いずれも決定打に欠けるというのが実情です。ただ救援陣は強力。森慎二がG=4.1,C=2.0、豊田清がなんとG=5.7,C=4.0です。こりゃ打てませんわ・・・・。

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松井稼頭央と豊田清。3割をコンスタントに打てるバットコントロール、本塁打30本以上を打てる長打力、30盗塁を可能とする俊足、そして優れた守備力。データを見る限り松井稼頭央は理想的な3番打者ですが、メジャーでは苦戦しているようです。一方この年の豊田は球威と制球力を併せ持った素晴しいクローサーでした。

最後に2001年の覇者、大阪近鉄バッファローズ。「いてまえ打線」は健在。3番ローズが46本、4番中村紀洋が42本と2人合わせて88本。2001年の101本には及ばないものの、その威力は侮り難いものがあります。その他大村直之、吉岡、礒部、川口、阿部、水口といった選手がいます。西武のような穴はありませんが、トータルの破壊力は西武と比べてやや見劣りします。3割打者が1人もいないというのも少し寂しい所です。
投手陣はパウエル、岩隈、高村、前川らが先発の軸になりますが、安定感には甚だ欠けます。救援陣の方もストッパーの柱となる大塚晶文が6月に入るまで使えないというのは痛い所です。
贔屓目なしで見た場合、2002年バッファローズの戦力は甚だ不足しており、2位につけただけでも大健闘と言えそうな気がします。

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中村紀洋とパウエル。この年の中村は全盛期の勢いをまだ残しています。一方のパウエル。勝ち星こそ17を数えましたが、データカードを見る限りは安定感にやや欠けると言わざるを得ません。

今後

とまあこんな感じでPFB2002が完成しました。
次はPFB2001です。目標は今年の6月末日完成、としておきましょう。

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