もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

2007年05月

Game Journal誌#22の付録ゲーム「東部戦線冬期戦41-42」をプレイしました。私にとっては久しぶりの「陸戦作戦級」になります。
このゲームは、独軍の「タイフーン作戦」全般と、その後の赤軍による冬季反攻作戦を扱ったもので、マップにはモスクワ周辺のかなり広い範囲が描かれています。SPIの「Typhoon」と同じく、地図の東端中央にモスクワが描かれ、地図南端にはクルスク、北端にはセルゲイ湖、西はヴィテブスクやブリヤンスクを含んでいます。
1ユニットは1個師団。スタック制限は独軍3個、赤軍5個となっていて、これは両軍の部隊規模の違いを表しているものと思われます。

前回までのあらすじ



第9ターン(1941/11/26)

天候=凍結
独軍はモスクワ正面への攻撃を継続しつつ、包囲された第2装甲軍を解囲するための活動を開始した。
モスクワ正面では第3装甲軍を主力とする突破部隊がイストラ南方の戦線を突破。遂にモスクワまであと1ヘクスと迫った。
その南、モジャイスク方面では、モジャイスク周辺でポケットを形成することに成功。赤軍計7個師団(歩兵6、戦車1)を包囲した。
さらに南、第2装甲軍戦区では、包囲された第2装甲軍と第4装甲軍から派遣された機動打撃部隊が反撃を開始した。赤軍の包囲環はまだまだ薄く、それを食い破るのは容易だった。2個所で赤軍の包囲網を突破した独軍は、突出した赤軍部隊を逆包囲に成功。ツーラを中心とする包囲環の中に赤軍計9個師団(歩兵2、騎兵6、戦車1)が閉じ込めれた。

赤軍の反撃。モスクワへの直接脅威が迫ってきている。モスクワ前面に兵力を集中し、そこを死守する構えである。
ツーラ方面では包囲されている部隊の解放作戦を開始。独軍の戦線を2個所で突破し、解放作戦は成功した。しかし突出していた騎兵部隊の損害は大きく、包囲された部隊や解囲作戦に参加した部隊等のうち数個師団は次の攻勢には使えないぐらい疲弊していた。

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第9ターンの状況。独軍は突出してきた赤軍反撃部隊に対して機動反撃を実施。その多数を包囲した。


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第10ターン開始時の状況

第10ターン(1941/12/03)

天候=凍結
気温はどんどん下がってマイナス30度に達した。そろそろ軍事行動の限界に達しつつある。しかし独軍は最後の力を振り絞ってモスクワに肉薄していった。
モスクワ前面の陣地帯に対して攻撃開始。両翼の要塞線を突破。モスクワ前面への足がかりを築いた。その後方モジャイスクでは抵抗していた赤軍歩兵を撃破してモジャイスク攻略。モスクワへ直通する鉄道線を確保した。
その南方ツーラ方面では、第2装甲軍がツーラを奪回。しかし大雪が迫り来ることを察知した第2装甲軍は機械化部隊に後退を命じた。鉄道線沿いに続々と後退する独軍装甲師団。
第2戦闘フェイズ。独軍は装甲3個師団、自動車化3個師団をかき集めてモスクワ市街へ6-1(最高比)による攻撃を敢行した。守る赤軍は親衛師団を含めた3個師団。確率50%でモスクワの一角にハーケンクロイツが翻るはずだった・・・・、が、
「コロコロコロ」
と転がったダイス目は

「1」

無情にも独軍の攻撃は撃退され、精鋭部隊はモスクワ前面でその進撃を止められた。そして冬将軍はすぐそこまで迫ってきている・・・・。

赤軍の反撃。モスクワ前面に突出している独軍機械化集団に対し、両翼突破による包囲線を試みた。しかしその試みは独軍守備隊の果敢な抵抗にあって頓挫。攻撃に参加した精鋭部隊の殆ど大半(親衛歩兵、親衛戦車等計5個師団)が消耗状態になってしまった。その北方クリン周辺、あるいは南方オカ川方面では赤軍の反撃は功を奏し、独軍の微弱な前線を突破しつつあった。


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第10ターン終了時の状況。モスクワに対する乾坤一擲の攻撃は、しかし・・・・。


第11ターン(1941/12/10)

天候=大雪
戦場に大雪が降った。いよいよ冬将軍の到来である。前進を続けていた独軍の補給状況は一気に悪化し(大雪になると補給線が一気に短くなる)、最前線に取り残された部隊は雪の中次々と倒れていった。
しかし独軍は大雪の降る中でも整然と後退を行った。
北方ではカリーニンを包囲していた独軍歩兵師団が、同市の包囲を継続しつつ徐々に後退。カリーニンに立て篭もっていた赤軍狙撃兵師団2個は、とうとう補給切れで降伏した。
その南方、モスクワ正面では、モスクワに肉薄していた装甲師団、自動車化師団が次々と撤収を開始。モジャイスク付近まで後退し、そこに新たな防衛線を築いた。
その南方、オカ川北岸地区では、独軍歩兵師団数個が赤軍の重囲下に陥った。それを救出すべく装甲師団を主力とする独軍がカルーガ付近に展開していた赤軍戦車師団に猛攻を加えてこれを撃破。包囲下の独軍歩兵は雪の中半数を失いながらも、辛うじて友軍戦線に辿り着いた。
さらにその南方、オカ川南岸地区では、独軍歩兵部隊がツーラを中心に薄い抵抗線を築く。

赤軍の本格的な冬季反攻が開始される。
北方カリーニン周辺では、カリーニン陥落の喜びも束の間、赤軍部隊がカリーニン南方から反撃を開始。独軍鉄道補給線を遮断し、カリーニン周辺に展開していた独軍5個歩兵師団を補給切れに追い込んだ。
その南方、モジャイスク北方の森林地帯でも赤軍が二箇所にわたって独軍防御線を突破。独軍第17装甲師団他を包囲しつつ、さらに西を目指す勢いである。
その南方、ツーラ付近では、ツーラの西方で赤軍が突破に成功。後方に回り込んだ赤軍騎兵が、コサックよろしく鉄道線を遮断した。独軍全体に崩壊の危機が迫る。

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第11ターン終了時の状況。大雪の降る中、独軍の苦しい撤退が始まる。


第12ターン(1941/12/17)

天候=大雪
気温は氷点下40度を越えた。いよいよ冬将軍が本格化してきた。
先ほどのターン、戦線を大きく食い破られた独軍は、装甲師団と自動車化歩兵師団を中心とする「火消部隊」を編成。突破してきた敵部隊を各個に撃破していった。この戦術は功を奏し、戦線後方に回り込んだ赤軍の戦車師団、騎兵師団が次々と撃破されていった。
独軍はモスクワを遠巻きにするように、ルジェフ・モジャイスク・カルーガ・ツーラという線で戦線を安定化させることに成功した。

赤軍は先ほどのターンで快速部隊が大損害を被ったことにやや後悔の念を感じていた。物量を誇る赤軍とはいえ、快速打撃部隊の数はそれほど多くはない。一連の戦闘で多数の快速部隊を失ったことは、赤軍の突破能力に大きな翳りを残していた。
そこで赤軍は方針を転換。従来のように「独軍を真似た電撃戦」をやめ、高火力部隊を集結させた正面突破により前進することにした。最初の目標はモジャイスクである。モジャイスク前面の陣地帯に立て篭もる独軍3個歩兵師団(いずれも損耗状態)に対し、赤軍は精鋭15個師団を集結。5-1攻撃3個所を敢行し、幅3ヘクスの突破路を切り開いた。
続く第2戦闘フェイズ。15個師団、30火力を集めた赤軍部隊は、モジャイスクを守る独軍第2装甲師団に猛攻を加えた。5-1のオッズでダイスは「5」。第2装甲師団は壊滅。赤軍はモジャイスクを「解放」した。

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第12ターン終了時の状況。独軍は南方戦線を安定化させることに成功したものの、赤軍はモジャイスク方面で新たな突破口を開いた。

先日(といっても随分前になりますけど)、北海道へ行った際、山スキーにチャレンジしてみました。場所は雪が溶けつつある十勝岳連峰です。5月に入ってもまだスキーができるなんで、北海道とは不思議な場所ですね。

その日の天気は晴れ。ただし雲が速く、時折小雨が降ってくる変な天気です。私を含めた7人のメンバー(ガイド含む)は、午前10時に吹上温泉白銀荘に到着。そこから準備を整えて山に入って行きました。

さすがに5月になると雪はかなり溶けています。冬は殆ど真っ白に染まる山の景色も、今では黒く岩肌が目立つ景観になってきました。もう冬も終わりです。

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春の前十勝岳。黒く岩肌が出ていて、冬の景観とは明らかに異なっています。

歩くこと約1時間。適当な場所を見つけた我々は、そこにベースキャンプを構えることにしました。

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スキーを外して寛ぐメンバー

それから1時間ほど近くの斜面を利用して遊びます。スキーは久しぶり、という程でもなかったのですが、周りのメンバーが皆「上級者」だったので、万年初心者の私は少し恥ずかしい思いをしました。

12時頃からお楽しみ「ジンギスカン・パーティ」が始まりました。少し雨が降ってきたのでテントを広げて肉を守ります。狭いテントの下で肉を焼く楽しみ。雪を直接ぶちこんで豪快に食べるジンギスカン。ワインが振舞われ、ビールの栓を開ける。いやー、たまりませんなあ。

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セットアップ完了。あとは肉を焼くだけ。

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肉をジュージュー焼く。野菜を敷いてその上で肉を焼く。それが道産子風ジンギスカンらしい。

肉をたらふく食べること1時間。十分お腹が膨れた後は再び運動。近くの斜面で数本滑ります。食後の運動としては丁度良い位かな。天気はあまり良くありませんが、幸い雨も上がったので快適なスキーが楽しめました。

吹上温泉へ戻ってきたのは1500頃。温泉でゆっくり浸かって今日1日の疲れを癒します。こうして至福の1日は過ぎていきます。

また来年も参加しようっと。

模型がシミュレーションゲームに比べて有利な点の一つに、

「一般の人と会話ができる」

という点があります。
他の人はどうか知りませんけど、私の場合、自分がゲーマーであることは、ゲーマー以外の相手に積極的に話すことはありません。しかし模型については、趣味としてある程度世間的に認知されているので、「登山」や「カメラ」と同じく一般の人に話すことができます。

「俺、最近プラモデルに凝っていてさあ・・・・」

こんな感じですね。

おかげで「ヨドバシカメラ」が実は大模型基地であること。ガンプラは「模型に在らず」説。「田宮模型の仕事」が意外なヒット作品であること。等を「一般人」との会話を通じて知りました。

最近面白かった会話。
まず同僚の女子社員A子さんと塗装について話した時、

「えー、筆で塗っているんですかぁ。ウチになんてスプレーですよぉ。スプレー。だって筆だったらムラムラになっちゃうじゃないですかぁ・・・・」
(A子さんのご主人はモデラーらしい)

とまあ生意気なことを言われてしまいました。この金持ち娘が!

続いて1年下の後輩B男君との会話。やはり塗装について。

「もりつちさん、まさか買ってきたキットをそのまま塗り始めてるんじゃないでしょうね。ダメですよ。最初は中性洗剤につけて洗わないと。だって(以下専門的な話が続く)」

とまあ、どこかで紹介されていた記事のような解説を垂れられてしまいました。なんでキミがそんなこと知ってんのね?(ちなみにB男君は非モデラー)。

とまあこんな感じです。

いやー、模型ライフは楽しいなあ。

Game Journal誌#22の付録ゲーム「東部戦線冬期戦41-42」をプレイしました。私にとっては久しぶりの「陸戦作戦級」になります。
このゲームは、独軍の「タイフーン作戦」全般と、その後の赤軍による冬季反攻作戦を扱ったもので、マップにはモスクワ周辺のかなり広い範囲が描かれています。SPIの「Typhoon」と同じく、地図の東端中央にモスクワが描かれ、地図南端にはクルスク、北端にはセルゲイ湖、西はヴィテブスクやブリヤンスクを含んでいます。
1ユニットは1個師団。スタック制限は独軍3個、赤軍5個となっていて、これは両軍の部隊規模の違いを表しているものと思われます。

前回までのあらすじ


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第3ターン開始時の状況。緑線が独軍進出線。赤が包囲された赤軍。

第3ターン(1941/10/14)

天候=通常
天候チェックはギリギリで「通常」に留まった。しかし次ターンは確実に「泥」になる。
独軍はなおも前進を続ける。第2装甲軍はオカ川を渡河。ツーラ、カルーガの線に迫りつつあった。しかしこのターン、ムツェンスク攻略戦で遂に装甲師団1個(第9装甲師団)が昇天する。合唱。
その北方、第3、第4装甲軍の戦線ではヴィヤジマを突破した独軍がボロジノに迫りつつあった。

赤軍は生き残った部隊をかき集めて戦線を再構築する。

このターンの所要時間は約30分。独軍20分、赤軍10分ぐらいです。ようやくペースアップしてきたか?

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第3ターン終了時の状況。既にヴィヤジマは陥落。独軍は一路モスクワへと急迫する。守るのは一握りの赤軍部隊。モスクワの運命は風前の灯火か?


第4ターン(1941/10/21)

天候=泥
ロシアの大地が泥に埋まった。快速を誇るドイツ装甲部隊も泥に埋もれていく。それでも攻撃しなければならない独軍。南部では要域ツーラを5個師団で総攻撃。守りについていた赤軍1個歩兵師団を撃破してツーラを占領した。
さらにその北方ではモジャイスクの北部で赤軍の第1要塞線を突破、さらにはその北方ではルジェフを包囲した。

赤軍は続々と現れる歩兵部隊を各地に再配置し、必死になって守りを固める。

このターンの所要時間は約50分。なんでそんなにかかったんだろ?
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第4ターン終了時の状況。独軍はさらにモスクワへ肉薄するが、赤軍も残存部隊をかき集めて防衛ラインを構築する。


第5ターン(1941/10/28)

第6ターン(1941/11/05)

天候=泥沼
気温はさらに低下し、ロシアの大地は泥沼状態となった。もうこうなってしまえば独軍の快速部隊は使い物にならない。歩兵部隊が前進し、第1次大戦方式で赤軍要塞線に対して肉弾攻撃を敢行する。彼らの攻撃によってモスクワ前面の第1次要塞線は突破された。赤軍部隊は撤収し、モスクワ前面の第2次防衛ラインを最終防衛線と定めた。

この2ターンの所要時間は約40分。ようやくペースアップしてきました。泥沼になると独軍は(やることがないので)サクサクと進むのですが、今度は赤軍側の駒数が急激に増大してきたため、時間がかかるようになってきました。
この段階でルール間違い発見。都市や街にいる赤軍歩兵は「3」以下で分散損耗チェックできるそうです。今までルジェフやボロジノに篭っていた赤軍兵を問答無用で裏返していましたが、もう少し粘れたかもしれませんね。

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第6ターン終了時の状況。泥沼の中、独軍はなおもモスクワに迫る。しかしモスクワ前面には鉄壁の布陣を敷いて赤軍が待ち構える。

第7ターン(1941/11/12)

天候=泥沼
もうすぐ路面は凍結する。それまでの間、少しでも前進しようと独軍歩兵は攻撃を継続する。
一方の赤軍。こちらも増援部隊がかなり揃ってきたので部分的な反撃を試みた。モスクワ湖とモジャイスクの間での独軍突出部に対し、精鋭部隊を中心に約15個師団を動員した大規模な反撃作戦を行った。作戦は部分的に成功し、モジャイスク北方では要塞線を少し奪取することに成功したものの、独軍の反撃によって数個師団が昇天。未だ大規模な反撃は困難であることを思い知らされた赤軍であった。

赤軍はスタック制限が緩い(5個師団までスタック可)ので、その気になれば結構な兵力を集中できます。しかもダブルインパルスなので、「第1インパルスで攻撃力集中」「第2インパルスで分散」という芸当もできます。そこで「いっちょやったろかい」と思って攻撃してみたのですが・・・・。
結果的には失敗でした。
確かに少し土地を奪い返すことはできたのですが、分散消耗を強いられて大出血。赤軍の場合、個々のユニットが弱いのである程度を集中してもなかなか高オッズにはなりません。だから3-1とか4-1とかのオッズで仕掛けざるを得ず、出目が悪いと恐怖の「分散消耗チェック」です。赤軍は「分散消耗チェック」の成功値が低いため、さらには総攻撃のために過剰な兵力を集めたのが裏目に出て、折角の精鋭部隊がボロボロと裏返っていきました。嗚呼。

第8ターン(1941/11/19)

天候=凍結
ロシアの大地が凍りついた。この瞬間を待ち望んでいた独軍は、赤軍の最終防衛線に牙をむいた。しかし赤軍も今までの赤軍とは違う。モスクワ前面の要塞線で二重三重の防衛線を引いて待ち構えている。独軍装甲部隊は赤い大海の中を突き進んでいった。
カリーニン南方では自動車化歩兵師団を主力とする独軍が赤軍前線を突破。カリーニンをモスクワ方面から切り離した。
その南方、モジャイスク方面では、北側から第3装甲軍、南からは第4装甲軍が突破口を開き、モジャイスクを中心とした赤軍部隊を包囲しつつモスクワまであと2ヘクスと迫っていた。しかしモジャイスク方面の赤軍は、か細い鉄道連絡線を死守しつつ抵抗を続けている。
さらにその南方、オカ川南方からは第2装甲軍が南方から大きく迂回しつつ前進してきた。しかしオカ川の防衛線は強固に防御されていて、突進力を失いつつある第2装甲軍はそれを突破することができなかった。さらに彼らの後方には要塞線に立て篭もって抵抗を続ける赤軍部隊がいる。

赤軍はモスクワ西正面に迫る独軍と、オカ川南方から突破を図る独軍に対し、それぞれ異なった対応を行った。
まずモスクワ西正面では、カリーニン方面の部隊を撤収しつつクリン、イストラ、ナミフォミンスクをつなぐ線を最終防衛線とし、そこからモスクワに至る三重の防衛線を引いて独軍を待ち構えた。
一方オカ川戦線では、戦線の伸び切ったドイツ第2装甲軍に対して、赤軍機動打撃部隊による大胆な反撃作戦が開始された。戦車と騎兵を主力とする赤軍部隊は、ウェネフを守るドイツ歩兵師団を撃破し、そのまま第2装甲軍の背後に回りこんだ。ツーラは赤軍によって再び解放された。第2装甲軍の6個師団(装甲4、自動車化歩兵1、歩兵1)は赤軍の巨大な波に飲み込まれた。

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凍りついた大地の中、独軍はモスクワへの最終攻勢を開始する。それに対して赤軍も果敢な反撃を実施。戦線左翼ではグデーリアンの第2装甲軍を包囲することに成功した。

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Game Journal誌#22の付録ゲーム「東部戦線冬期戦41-42」をプレイしました。私にとっては久しぶりの「陸戦作戦級」になります。
このゲームは、独軍の「タイフーン作戦」全般と、その後の赤軍による冬季反攻作戦を扱ったもので、マップにはモスクワ周辺のかなり広い範囲が描かれています。SPIの「Typhoon」と同じく、地図の東端中央にモスクワが描かれ、地図南端にはクルスク、北端にはセルゲイ湖、西はヴィテブスクやブリヤンスクを含んでいます。ちなみに地図は南北軸が30度傾いているので、普段見慣れた独ソ戦マップとはやや違和感があります。
1ユニットは1個師団。スタック制限は独軍3個、赤軍5個となっていて、これは両軍の部隊規模の違いを表しているものと思われます。

本ゲームにおける特徴的なルールとして「環境」ルールがあります。これは毎ターンダイスを降って「温度低下」を確認するものなのですが、温度が低下するに従って様々な影響が出てきます。現在の温度に応じて「通常」「泥」「泥沼」「凍結」「大雪」「吹雪」という6段階がありますが、独軍がまともに動けるのは「通常」と「凍結」ぐらい。「泥」「泥沼」では装甲・自動車化部隊は殆ど用なし。「大雪」「吹雪」では独軍移動力半減の上、補給線が著しく短くなるというペナルティが課せられます。従って独軍としては「通常」「凍結」期間内にどれだけ進めるかがポイントになってきます。ちなみに平均的なダイス目の場合、「通常」は2.5ターン、「凍結」は2ターン続きます。極端なダイス目では、「通常」1.5~5.5ターン、「凍結」1~4ターンになる可能性があります。

「凍結」といえば気温マイナス30度~0度の範囲に相当するのですが、こんな気温の中でも「通常通り」行動できる独軍ってステキです。
「大雪」「吹雪」に至っては、気温マイナス50度にも達しようかという「狂ったような」寒さなのですが、こんな中でも全く影響なしで行動できる赤軍はもっとステキです。でも独軍もそこそこまともに動けたりして・・・・。

本ゲームの場合、戦闘結果表がかなり攻撃側に厳しいものになっています。というのも、最高比(6-1)にでも、必ず「攻撃側分散消耗」という結果が出る可能性があります。この「分散消耗」というのが曲者で、要はステップロスなのですが、「攻撃側分散消耗」の結果が出た場合、攻撃に参加している全ユニットが消耗チェックの対象となります。だから例えば装甲師団6個集めて「分散消耗」なんて結果が出た日には目も当てられません。しかも本ゲーム、独軍の部隊は一度ステップロスしたら二度と完全戦力に復活できないようになっています(全滅したユニットがステップロス状態で復活することは可)。従って衝撃力を維持し続けるためには、可能な限り多くの装甲/自動車化ユニットを「表」の状態で維持し続ける必要があるでしょう。

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セットアップ時の状況

第1ターン(1941/09/30)

天候=通常
このターンは独軍第1移動フェイズは省略。いきなり第1戦闘フェイズからゲームは始まる。
独軍は消耗を恐れつつも「時間との戦い」を制すべく赤軍の脆弱な防御陣地に装甲師団を投入した。戦線中央の第4装甲軍団戦区では2個所に渡って突破口を啓開。戦線南端の第2装甲軍団戦区では、前面に展開する赤軍第13軍の脆弱な防衛線を大きく突破。赤軍狙撃兵師団を撃破しつつ戦線後方へと雪崩れ込んだ。

独軍第2移動フェイズ。気温はなおも9度を示している。南翼を突破したドイツ第2装甲軍団は大きく左へ旋回。ブリヤンスク前面に展開する赤軍4個軍の後方へ回り込むべく運動を開始した。さらにその北方キーロフ付近でも第3装甲軍団が突破に成功。右方向へ旋回して第2装甲軍団と手を結んでポケットの完成を目指す。
ブリヤンスク西方で巨大なポケットが完成。その中には赤軍4個軍30個師団以上が包囲された。ロシア各地で繰り返されてきた悲劇が、ここブリヤンスク西方でもまた繰り返されようとしていた。

いつも思うことなのですが、独ソ戦の場合、一言で「数十個師団が壊滅した」とか「何十万人が捕虜になった」とかいった桁違いの話がポンポン出てきますよね。慣れてしまえば「こんななものか」で済んでしまうのですが、考えてみればこれって凄いことです。だってガダルカナルで「歴史的な敗北」を喫した我が帝國陸軍にしたって、同島で失ったのは2個師団程度の兵員。しかも歩兵ばかり。それを思うと独ソ戦が如何に「巨大な」戦場だったかがわかります。

ドニエプル川の北岸地区ではドイツ第3装甲軍団が赤軍の激しい抵抗に会って苦戦を強いられながらもようやく突破口を啓開。モスクワ街道を東へ向かう。

対する赤軍。このターンは移動制限を課せられているために大きな動きはない。前線の部隊はその多くが補給切れ(補給切れマーカーが足りないぞー)。残った部隊も右往左往するだけで効果的な前線を組むことができない。

「補給切れマーカー」については何とかして欲しかった所です。第1ターンや第2ターンではどう考えても「補給切れ」マーカーが足りません。作り手側の立場からは「コンポーネントの制約上仕方がなかった」ということかもしれませんが、それこそ典型的な「作り手側の論理」です。作り手はそろそろ「作り手側の論理」を捨てて、「遊ぶ側の論理」に気づいて欲しいなあ、と自戒の念もこめて思ったりする今日この頃です。ちなみに私は他ゲームから流用してその場を乗り切りました。
あと「戦闘宣言マーカー」もあった方が良いかな、と思いました。あらかじめ適当なマーカーを「戦闘宣言マーカー」として用意しておけば、プレイがスムーズに進行すると思われます。ちなみに私は「ATS Basic Game 2」のマーカーを利用しました。

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第1ターン終了時の状況。緑線がドイツ軍の進出線。赤枠の中、黄色いマーカーが置かれているユニットが補給切れの赤軍ユニットです。


第2ターン(1941/10/07)

天候=通常
独軍はブリヤンスク西方のポケットについては包囲自滅を待つことにし、グデーリアンの装甲軍はさらに東を目指す。GD自動車化連隊がクルスクを占領したために、独軍はクルスクを起点とする鉄道補給線が使用できるようになった。装甲師団5個、自動車化歩兵師団2個を主力とするドイツ第2装甲軍はオリョールを無血占領した。彼らの前には無人の荒野が広がる。モスクワまでの道を阻むものは何もない。

その北方、ヴィジャジマ西方では突破に成功した独軍装甲部隊がまたもやポケットを形成した。ポケット内部には赤軍約30個師団が閉じ込められた。彼らを救う術はない。
さらにその北方、ヴィテブスク東方の森林地帯では約10個師団の赤軍歩兵が包囲下に陥った。

赤軍ターン。ブリヤンスク西方のポケットでは赤軍部隊が次々と消滅していった。20個師団以上の歩兵部隊が地図上から消えたことになる。それでも数少ない精鋭部隊はブリヤンスク付近の森林地帯に陣取り、独軍の鉄道連絡線を妨害していた。独軍にとっては面倒な相手である。

ここまでで早くも2時間以上が経過してしまいました。1ターン1時間以上のペースです。このペースで行けば最終ターンまで「18時間」もかかることになります(全部で18ターンだから)。第1,2ターンは独軍しかやることがないのに、赤軍部隊の数が多いのでやたら時間がかかります。ソロプレイだから良いものの、対人戦では赤軍プレイヤーがつまらないでしょう。1つの考えとしてブリヤンスク、ヴィジャジマ包囲戦はゲームからオミットしても良かったようにも思いますが・・・・。そうすれば先にあげた「補給切れマーカー」の問題もある程度は解消しそうです。

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第2ターン終了時の状況。

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