もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

2007年10月

イメージ 1

失敗のないファンクションポイント法

アレア 日経BP社

たまには仕事に関係する本も読んでみましょう。

我々ソフトウェアエンジニアにとって「見積もり」は永遠のテーマです。

「このソフトウェアを完成させるまでにどれだけの工数が必要か」

たったこれだけ。これだけの値を予測するため、あるいは予測することができないために、我々は日々格闘しているとも言えます。
本書で紹介されている「ファンクションポイント法」(以下FP法)は、ソフトウェアの規模を見積もる際に用いられる標準的な手法の1つです。FP法以外の見積もり規模として、例えばLOC(ソースコードの実行行数)等がありますが、LOCの場合所謂「コピペ」(Copy & Paste)プログラミングによって容易にソフトウェアの見かけ上の規模が増大してしまう傾向があり、必ずしもソフトウェアの規模を適切に表現したものではありませんでした。
FP法は、ソフトウェアの規模を「ユーザーに対して提供できるサービスの量」という視点から評価した規模見積もりです。本書ではFP法を使った見積もり手法について、実例を交えて解りやすく説明しています。本書は多くの例や演習問題を含んでいるため、全くFP法に対して知識のない読者でも容易にFP法を習得することができます。

私の場合、以前から「FP法について勉強しないといけないな」と思いつつ、なかなかその機会が得られずに忸怩たる思いをしていたものでした。そのせいもあってか「FP法ってもの凄く難しいんじゃないの?」という未知の知識に対する恐れのようなありました。本書を読む際もそれなりに「身構えて」読み始めたのですが、読み進むにつれて「あれっ、FP法って簡単じゃん」と思い始めました。実際、基本的な考え方だけならFP法は「驚くほど簡単」であり、プロジェクト開始時期でまだ設計内容が明確化されていない間でもかなり精度の高い計測を行うことができます。
ただ、本書を読み進めていくにつれ「ホントにFP法での見積もり値って実際に即しているのだろうか?」という疑問は拭い去れませんでした。FP法は基本的に「機能の数が増えるとFP値が増える」という特質があります。またソフトウェアの機能分割方法については明確に規定されておらず、利用者が自らの判断で機能の単位を決めていくことになります。そのため、機能分割の方法が違うと見積もりの結果が大きく異なってくるのです。FP法による見積もり精度を上げていくためには、適切な機能分割を行う必要があると思いました。

本書は入門書としては極めて有益な著作なのですが、実戦用としてはやや不満が残ります。本書で紹介されている演習問題は、殆どすべてが「新規開発」を想定しています。しかし実際の開発現場において、ソフトウェアを全て新規開発する事例は皆無に等しく、多くの場合は過去に製造したソフトウェアを部分的にせよ流用することになります。本書ではそのような「派生開発」におけるFP法の適用について説明が乏しく、実戦場面で用いるにはやや役不足を感じました。

総じてFP法の入門書としては良い著作だと思います。ただ本書が「FP法を学習する際の最適な1冊」かどうかはわかりません。ひょっとしたらもっと良い書籍があるかもしれません。

お奨め度★★★

イメージ 1

軍事学入門

別宮暖朗 ちくま文庫

筆者の別宮さんは、Game Journal誌で日露戦争やWW1をテーマにした興味深い連載記事を書かれている方です。本書は、その別宮さんが「戦争は何故始まるのか」「戦争を終わらせるものは何か」「戦争をなくすためにはどうすれば良いか」等について、過去の歴史に基づいて論じた著作です。

本書では「戦争計画」と「作戦計画」の違い、WW1の発生原因はドイツ参謀本部の特異な戦争システムにあること、蘆溝橋事件は蒋介石の野心が原因であったこと、国連(国際連合)が現在の紛争に対しては無力であること、警察と軍隊との違い(それは兵站組織の有無)。武器の進歩による戦争の変化、今後戦争を起こすとすればどこか、等を説きます。所謂「タカ派」には気持ちの良い文章が続きますが、「ハト派」にとっては面白くない本でしょう。特に平和運動に対する筆者の見方は甚だ批判的で
「平和運動が戦争を生む」
と論じています。

戦争のメカニズムを知るには良い著作だと思います。ただ全般に筆者の「好み」がやや前面に出過ぎている感があり、その点で拒否反応を起こす人はいるかもしれません。特に「中国」「平和運動」「共産主義」(要するに「左寄り」の人達が好きな言葉ですね)に対する筆者の攻撃は辛辣です。私自身は上記の言葉に何ら親しみを持っていないので本書に対して「拒否反応」を起こすことはありませんでしたが、それでも筆者の露骨な「左」攻撃にはやや眉をひそめました。

お奨め度★★★

https://livedoor.blogimg.jp/mk2kpfb/imgs/9/4/94cfe1f6.jpg

枢軸軍相手に奮戦した「駄作機」

P-36という戦闘機をご存知でしょうか?。カーチスP-36「ホーク」。1936年に初飛行に成功したこの戦闘機は、米国陸軍航空軍団(USAAC)で最初期の近代的な単葉戦闘機です。英国のスピットファイアやドイツのメッサーシュミット109とほぼ同時期の機体です。

P-36は太平洋戦線で活躍する機会に乏しかったため、我が国では「駄作機」と見なされることの多い戦闘機です。しかし欧州戦線ではそれなりの活躍を見せた機体であり、決して「駄作機」「旧式機」と一言で片付けられるようなのではなかったようです。

前回はP-36のフランス戦役での活躍を追いました。


今回は太平洋戦線に目を向けてみます。

真珠湾1941

https://livedoor.blogimg.jp/mk2kpfb/imgs/c/2/c2c1a880.jpg

1941年初頭の米国陸軍において、P-36は既に旧式化しており、その多くが第一線からは退きつつありました。そして彼らは練習飛行隊における任務に赴きました。それでもパナマ運河地区やアラスカ方面といった海外の基地では、P-36の飛行隊が防衛任務についていました。そしてハワイにおいても空母「エンタープライズ」によってサンディエゴから輸送されてきた約30機のP-36が、同方面の防衛任務についていたのです。

1941年12月7日、ハワイ方面に展開していた米陸軍戦闘機が合計152機で、その内訳はP-26Aが14機、P-36Aが39機、そして最新鋭のP-40が99機です。
日本機動部隊の攻撃によってその大半が地上で撃破されてしまいましたが、生き残った一部の機体が迎撃戦闘を行いました。第1波攻撃の後にホイラー飛行場を発進した米陸軍航空軍団第46追撃飛行隊に所属する4機のP-36A戦闘機もその一部です。

サンダース中尉の指揮の元、混乱の続くホイラー飛行場を発進した4機のP-36A戦闘機は、地上からの誘導に従って日本機を追った。高度11000ftに上げて北進中、カネオヘ湾上空高度6000ftを飛行する11機の零式戦闘機を発見した。サンダース中尉は手信号で列機に対して攻撃を指示。高度で優位に立つサンダース編隊は、緩降下で目標に接近しつつ銃撃を開始した。新米のスターリング少尉が零戦1機に火を吐かせた。スターリングが別の零戦を追ったが、その後方から1機の零戦が鮮やかに反転してきてスターリング機を狙った。スターリングを狙う零戦をサンダースが追撃して火を吐かせたが、その間スターリング機も零戦の銃撃を受けて火を噴きながら落ちていった。
この時サンダース編隊の攻撃を受けたのは、空母「蒼龍」を発進した第三制空隊の零戦8機である。もともと零戦9機からなる第三制空隊は、ベロース飛行場銃撃の際に隊長の飯田大尉機が対空射撃によって失い、残った8機を次席の藤田怡与蔵(いよぞう)中尉が率いた。集合地点に向かう途中の藤田編隊は、後方から敵機9機(実数は4機)の攻撃を受け、藤田中尉と田中二郎二飛曹がそれぞれ1機撃墜を報じたが、実際の撃墜数は1機(スターリング少尉)だけだった。日本側は厚見一飛曹と石井二飛曹の2機を失い、戦闘機同士の空戦では1対2で米軍の勝利に終わった。この戦いは、太平洋戦争初の戦闘機同士の空中戦であり、その戦いで質量共に劣る米戦闘機隊が勝利を収めたことは興味深い事実である。

零戦とP-36A「ホーク」を比較したのが下表です。

https://livedoor.blogimg.jp/mk2kpfb/imgs/2/e/2e684922.png

両者を比較すると、大きさでは零戦が一回り大きくなっています。一方重量では零戦が一回り軽量であり、その分翼面加重は小さくなっています。これはすなわち零戦の方が急旋回ができることを意味しています。また水平速度でも零戦が30km/hほど速く、火力面でも零戦が優れていました。つまり零戦とP-36を比較すると「全ての面で零戦が有利」という結果になります。
真珠湾上空の戦いでP-36を勝利を収めたことは事実だと思われますが、どうやらそれは偶然の産物に過ぎなかったのかも知れません。
その後米陸軍においてP-36は急速に第一線を退き、二度と実戦に参加することはありませんでした。従って真珠湾における交戦は、米陸軍のP-36にとって唯一の戦闘機会となったのです。

イメージ 1

北海道の秘湯-大雪高原温泉

高原温泉というある意味「ありきたりな」名前のこの温泉は、北海道を代表する秘湯の一つです。
上川から層雲峡を抜けて大雪湖畔に入り、国道273号線を南下すると、高原温泉へ向かう看板が見えてきます。右折してダート道に入り、登ること約10km。そろそろ疲れてきたなあ、と思ってきたら、目の前に高原温泉の建物が見えてきます。ここは大雪山系への登山口になっていて、秋の紅葉で有名な高原沼方面や緑岳方面、さらに遠くトムラウシ方面へも登山路が伸びています。

ここの温泉は日帰り入浴\700と少し高めです。内湯と露天風呂がそれぞれ男女別にあります。泉質は単純酸性湯。若干の硫黄臭があり、わずかに白濁しています。泉温は普通です。入浴後は広い休憩室を利用できます。漫画等も揃っているので、1~2時間程度ノンビリするには丁度良いです。

交通アクセスの面ではやや不便な場所にあり、万人にお奨めできる温泉ではありません。しかし山登りの帰路に立ち寄るには良い温泉です。時間に余裕があり、交通手段が確保できる場合はお奨めしたい温泉です。

ただし・・・・、ダート道の運転にはくれぐれもご注意を。毎年10~20台程度の車がここのダート道で運転を誤って落ちているそうですから・・・・。

お奨め度★★★★


https://livedoor.blogimg.jp/mk2kpfb/imgs/a/2/a2b37da7.jpg
大雪高原温泉の露天風呂

https://livedoor.blogimg.jp/mk2kpfb/imgs/7/a/7a456efc.png

イメージ 1

枢軸軍相手に奮戦した「駄作機」

P-36という戦闘機をご存知でしょうか?。カーチスP-36「ホーク」。1936年に初飛行に成功したこの戦闘機は、米国陸軍航空軍団(USAAC)で最初期の近代的な単葉戦闘機です。英国のスピットファイアやドイツのメッサーシュミット109とほぼ同時期の機体で、その初飛行は殆ど数ヶ月以内に行われました。

当初カーチスホーク75と呼ばれたP-36は、1935年における米陸軍次期主力戦闘機に間に合わせるべく急遽製造されました。リパブリックP-35と争った競争試作は1936年までずれ込み、そこでP-36は一度は敗れ去りました。しかしその後エンジンを離昇出力1,050hpのP&W R-1830-13「ツインワスプ」に換装したP-36Aは素晴しい性能を発揮し、最終的には米陸軍向け227機の他、753機が輸出され、少なくとも25機がライセンス生産されるなど、戦間機としては異例の大量生産された機体となりました。

フランス1940

https://livedoor.blogimg.jp/mk2kpfb/imgs/1/6/167ec3b6.jpg

後述するように、P-36の米国陸軍における戦歴は殆ど無に等しい状況ですが、諸外国におけるP-36の戦歴は決して少なくはありませんでした。事実P-36は、第二次世界大戦において連合軍と枢軸軍双方で使用された数少ない戦闘機となったのです。

P-36を最も多く活用したのはフランス空軍です。1938年フランス政府はカーチス社との間で「ホーク75A-1」(P-36Aのフランス向け輸出モデル)100機の生産契約を交わしました。さらに「ホーク75A-2」100機の追加契約が交わされ、計200機の「ホーク75」は1939年中に全てフランス空軍に引き渡されました。さらに改良型の「ホーク75A-3」「ホーク75A-4」計530機が追加発注されましたが、そのうちフランス崩壊までに送られた機体は116機に留まり、残りの多くは英国空軍に引き渡されることになりました。

計316機の「ホーク75」は、数の上ではモランソルニエMS406に次いでフランス空軍2番目に重要な戦闘機でした。1939年9月8日、GCⅡ/4(第4航空団第Ⅱ大隊)所属の「ホーク75A」がドイツ空軍のBf-109E 2機を撃墜し、これが第二次世界大戦における連合軍最初の撃墜となりました。
1940年5月のフランス戦役では、GCⅢ/2, Ⅰ/4, Ⅱ/4, Ⅰ/5 そして Ⅱ/5の各大隊が「ホーク75A」を装備して戦いました。彼らは空中戦闘で29機を失いましたが、撃墜確実230機、不確実80機という大きな戦果を報じました。この戦果報告は明らかに過大でしたが、それでもとある調査によると、「ホーク75A」は当時「世界最強の戦闘機」と謳われたドイツのメッサーシュミットBf-109Eに対して唯一「勝ち越した」機体であり、実際その活躍は新鋭のドボアチンD520を上回るものがあったとされています。

「ホーク75A」とBf-109Eを比較したのが下表です。

https://livedoor.blogimg.jp/mk2kpfb/imgs/1/b/1ba6e52d.png

「ホーク75A」は水平速度でBf-109Eよりも50km/h近くも劣速であり、高速戦闘になった場合不利なことは明らかです。また火力でも大差があり、射撃戦でも「ホーク75A」の不利は否めません。「ホーク75A」がBf-109Eに優っているのは、翼面荷重の小ささを生かした鋭い運動性と全周囲視界の良さで、所謂「ドッグファイト」に持ち込めば「ホーク75A」にも勝機があったのかも知れません。付け加えれば、鋭い格闘戦性能を持つ「ホーク75A」は、やはり個人プレイと格闘戦を好むフランスパイロットの気質に適合していたのかも知れません。

いずれにしても「ホーク75A」がBf-109E相手に善戦したのはどうやら事実らしいです。

↑このページのトップヘ