もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

2008年11月

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先日、主題のゲームをソロプレイしました。以下はその内容です。

ゲーム展開

ルールを確認しながらとにかくプレイ開始。
最初はドイツ軍がどんどん進む。ソ連軍はどんどん吹き飛ぶ。しかもソ連軍期待の増援部隊も前半は雀の涙程しか来てくれない。
「本当にモスクワは守れるの?」
とか、
「まあモスクワが簡単に落ちるようだったら作戦研究し直せば良いかな?」
とか、まあまあそんな感じでプレイが進みます。

第2ターン、第3ターンは雨天なのですが、それでも独軍の進撃ペースは衰えない。あれよあれよという間にドイツ軍はモスクワ、ツーラに迫る。その間、オーバーランでD10振る所を間違えてD6でチェックしていたとか、補給ルールを間違えていたとか、色々とミスはしましたが、とにかくゲームを続ける続ける。

第4ターンから地面が凍結し、ドイツ軍は再び快進撃。モスクワ守備隊は僅かに数個師団。モスクワの運命は正に風前の灯火か?。
第5ターンにはツーラが陥落。ドイツ軍先鋒はモスクワ川に迫る。さらにモスクワに最初の攻撃が始まる。
第6ターン、ドイツ軍はモスクワに2度目の攻撃を敢行。しかしモスクワは持ちこたえた。そしてようやくシベリア兵団が到着。ソ連軍の猛反撃が始まる。

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第6ターンにおけるモスクワ攻防戦をソ連軍側から見たもの。写真の右側が北方向になる。モスクワ(地図上の赤丸)に対し、ドイツ軍部隊が5方向から攻撃をかけている。

第7ターンから戦場は雪に包まれる。カチューシャ砲が前線に到着。モスクワを包囲する独軍に対してロケット弾の雨を降り注いだ。精鋭ドイツ軍装甲師団が瞬く間に壊滅していく。この時モスクワ攻略のチャンスは潰えた。
第7ターンから第10ターンまではソ連軍による冬季反攻の始まり始まり。しかし今ひとつ順調に進めない。目の前をドイツ軍師団を一つ一つ潰して行きながら一歩一歩前進していくという感じです。
それでも第9ターンにはルジェフ解放、モスクワ周辺でもクリン、イスラを解放、さらに南方ではツーラに迫りましたがそこで時間切れ。修正後のダメージマーカーは11個で、結果はドイツ軍の戦術的勝利に終わりました。

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ゲーム終了時の状態

教訓

第1ターンにおけるドイツ軍の突破についてはもう少し研究する必要がありそうです。彼我の駒数が多く、オーバーランもあるのでなかなか最善手が見つかり難いのですが、可能な限り多くの敵を包囲しつつ、モスクワ街道をどこまで前進できるかが1つのポイントになりそうです。

第4ターンからのモスクワ攻防戦については、ドイツ軍はもう少し補給ユニットを積極的に活用すべきでした。消費状態の補給ユニットは道路から外れても良いことを失念していました。
ソ連軍については、陣地帯の使い方が鍵になりそうです。陣地はその防御効果もさることながら、ドイツ側に強要する移動力消費が大きい上にドイツ軍の浸透移動を拒否できるのでオーバーラン対策にも有効です。陣地帯を上手く使えば、比較的少数の部隊で時間稼ぎができるので、ソ連軍は有効活用したい所です。

ソ連軍の冬季反攻についてはオーバーランの使い方をもう少しマスターした方が良さそうです。オーバーランはリスクが大きいのですが、独軍の対応移動前に攻撃できるが魅力。またオーバーランはD6ではなくD10なので一見リスクが多そうに見えるのですが、ハイオッズの戦闘結果に後退が多いので、戦線に穴を開ける際には有効かと思われます。逆にオーバーランを上手く使わないと冬季反攻は尻切れトンボに終わってしまうようにも思いました。

ゲームの感想

なかなか面白いです。ユニット数が多く、またユニット毎に取り得る選択肢が多いので考えさせられる内容になっています。作戦ゲームの醍醐味を堪能させてくれる作品ではないかと感じました。またゲーム展開についても、第1~6ターンまではドイツ軍が攻撃側、第7~10ターンまではソ連軍が攻撃側ということなので、両プレイヤー共楽しめます。ドイツ軍の初期攻勢でソ連邦が崩壊してしまった場合は、ソ連軍にとって踏んだり蹴ったりですが、そんな場合は
「今回は負けで良いから最後までプレイさせてくれ」
と懇願して最後までプレイさせてもらうという手もあります。

プレイ時間については、今回のプレイでは最終ターンまでプレイして約16時間かかりました。1ターン平均1.6時間となります。今回はルールを確認しながらのプレイだったので、もう少しルールに習熟すれば1ターン1時間前後も可能かもしれません。いずれにしても例会で朝から始めた場合、夕方までかけて終わるかどうかギリギリの時間になりそうです。まあそれだけのプレイバリューがある作品であることも確かでしょう。

今回は初プレイということでかなり手探りの状態でしたが、もう一度プレイし、もう少しまともなリプレイを書いてみたいです。

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太平洋戦線のTBDデヴァステーター部隊と戦歴

バレット・ティルマン 長町一雄訳 大日本絵画

TBDデヴァステーターといえば、太平洋戦争初期に米海軍の主力艦上攻撃機として活躍した機体です。珊瑚海、ミッドウェー海戦に参加し、珊瑚海では軽空母「祥鳳」を撃沈する等の戦果を収めたが、ミッドウェーでは日本側の迎撃により壊滅的な打撃を被った機材です。
本書では、そんなTBD部隊の戦歴について記載した書籍です。TBD部隊の実戦での活躍期間は短く、ミッドウェーでの大損害後は早くも第一線から姿を消した感があります。その活躍の多くは日本でも良く知られている海戦が多いので、活躍期間の短さや実績の乏しさに比して日本語の文献で紹介される機会の多い機材だとも言えます。本書ではそのようなTBDの活躍について米側の視点から記載していますが、残念ながら本書の中からは「びっくりするような」記述はなく、そう意味からは平凡な内容でした。
従って本書は万人に奨めることのできるような作品ではなく、「TBDが好きで好きでたまらない」という人のみにお奨めしたいです。

お奨め度★★

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ウルシー環礁に集結した米高速空母部隊。「殺戮者の群れ」と称された彼らだったが、後方支援部隊の働きがなければ、その威力を十分に発揮することはできなかった

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東条英機首相。彼は米高速空母部隊の本質的な潜在能力を見抜いていたのかも知れない。

米高速空母部隊の威力

米モリソン戦記に面白いことが書かれていました。

「東条英機元首相がその死の少し前にマッカーサーに語った所によると、『我々を敗北に追い込んだ主要な要素は3つ。1つは米軍による蛙飛び戦略、2つ目は米潜水艦による通商破壊戦、3つ目米高速空母部隊が長期間に渡って基地を離れて行動できる能力』」

モリソンは「蛙飛び戦略」の有効性を強調するために上記の言葉を引用しているのですが、私が目を引いたのは3つ目の「米高速空母部隊が長期間に渡って基地を離れて行動できる能力」でした。
ここで注目したいのは、単に高速空母部隊の能力そのものを問題にしていない点です。

我々は米高速空母群が強大な攻防能力を持っていることは知っています。「殺戮者の群れ」と称された巨大な空母集団、強力なヘルキャット戦闘機隊、あるいは空母群を守りきった多層防空システム等。しかし日本軍を真に苦しめたのは、その攻防能力ではなかったのです。
「長期作戦能力」
つまり豊富な後方支援能力こそが日本軍にとって真の脅威だったのです。

思えば戦争初期の南雲機動部隊は確かに強力な存在でしたが、所詮は戦術レベルでの局地的な存在に過ぎませんでした。一時的に戦場を支配することはできても、長期期間に渡って戦場を支配できる存在ではなかったのです。事実南太平洋海戦や珊瑚海海戦で敵空母を一時的に無力化できても、その勝利を戦略的勝利に結びつけることができなかった。仮にミッドウェー海戦で日本空母群が勝利を収め得たとしても、結局は珊瑚海や南太平洋海戦と同じような結果に終わったでしょう。

逆に米空母群が南雲機動部隊と同じ様な存在だったとしたらどうだったでしょうか?。
彼らはサイパン攻略戦の際、2週間以上も周囲の制海権・制空権を保持することはできなかったでしょう。あるいはローテーションを組んで制海・制空権を保持したかもしれませんが、この場合日本軍によって各個撃破されてしまったかもしれません。あるいは台湾沖航空戦やレイテ沖海戦の際、さらには沖縄攻略戦の際等、米高速空母群にもし長期作戦能力がなかったとしたら、太平洋戦争の行方は変わっていたかもしれません。少なくとも史実よりは遥かに苦しい戦いを米軍は強いられたでしょう。

東条英機氏の回想あるいは憂慮は、確かに的を得たものだったと言えます。

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先日紹介しました「幕末維新始末紀」について、早速プレイしてみました。
前回は第11ターンまでを紹介しました。朝廷を得て政権を獲得した西軍(薩長連合軍)であったが、未だに京の情勢は安定しない。東西両陣営は京周辺に大兵力を集結させたまま、徒に時が過ぎていった。

第12ターン(慶応4年夏)

西軍は北畿の兵17を京に入れた。これで京における東西両陣営の兵力は、お互い兵力17で互角となった。
支持獲得フェイズでは小御所会議で京の支配が争われたが、ここでは西軍側の公家=岩倉具視の暗躍等がものを言って京の支配は再び西軍の手に委ねられた。

第13ターン(慶応4年夏)

京では依然として東西両軍の睨みあいが続いている。一触即発の状況下。朝廷を握った西軍であったが、政権値が0なので政権値を消費して戦端を開くことができない。しかし西軍は別の手がある。イベントカード3枚を消費すれば戦端を開くことができるのだ。西軍はイベントカードを3枚持っていた。それを全て吐き出して西軍は戦端を開いた。京の街が再び戦火に包まれる。両軍共に17兵力。東西両陣合わせて3万を越える大軍が激突したのだ。

あとでルールを確認したら「朝廷保有陣営が政権陣営でもあった場合、開戦すれば政権点を1点下げなければならない」という旨記載されているだけで、「政権点が0で開戦できない」とは記載されていなかった。従って上記の場合、西軍はカード3枚を消費する必要はなく、単に「開戦します」と宣言するだけで良かったのである。勿論上記の方法もルール上は誤りではないが、無駄な行為であった。

戦闘は西軍有利に進んだ。西軍には能力2-0の野戦指揮に優れた乾退助がいるのに対し、東軍は能力1-0の小笠原長行のみ。加えて西軍のうち半数以上は新型装備を持つ薩摩、長州兵であったのに対し、東軍で新型装備を有する伝習兵は全体の約1/4に留まる。2ラウンドに渡る野戦の結果、西軍は兵力4(約4,000人)を失ったのに対し、東軍は全兵力の2/3以上にあたる13兵力(約13,000人)を失った。東軍は北畿に後退。「鳥羽伏見の戦い」は西軍の圧勝に終わった。

第14ターン(慶応4年秋)

北畿に撤退した東軍を西軍主力13兵力が追う。しかし両軍激突前に東軍が加越に撤退。両軍の激突は回避された。

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北畿から加越方面へ後退する東軍。西軍は長蛇を逸した。

第15ターン(慶応4年秋)

西軍に坂本龍馬(0-2)登場。
加越で西軍13兵力、東軍10兵力が激突する。兵力差はそれほどでもなかったが、技量や装備の違いは顕著であった。東軍は相手に全くダメージを与えることなく5兵力(約5,000人)を失い、飛騨山脈を越えて甲州に引き上げていった。

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加越を支配した西軍(図中青丸)と、アルプス越えで甲信方面へ後退する東軍(赤丸)。

第16ターン(慶応4年冬)

西軍は再びクーデターカードを使用。政権値を2として政権の安定化を図った。
甲州まで追ってきた西軍主力が東軍を捕らえた。西軍13兵力、東軍7兵力が甲府で激突。東軍は6兵力を失って壊滅的打撃を被った。僅かに生き残った兵達が江戸へと後退する。

第17ターン(慶応5年冬)

またもや「外国人殺傷事件」が起こった。政権値が2から1へ低下する。
西軍14兵力が江戸へ入城した。東軍の抵抗は殆どない。西軍はほぼ無傷のまま江戸を占拠した。

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江戸に入城した西軍

第18~19ターン(慶応5年春)

西軍は宇都宮に進軍した。生き残った東軍は迎撃に転じる。西軍12兵力に対し東軍10兵力。戦力的には互角だが、西軍の勢いを止めることはできなかった。宇都宮の戦いで西軍は3兵力、東軍は9兵力を失った。

第20~21ターン(慶応5年夏)

函館港に後退していた榎本釜次郎の東軍艦隊2隻(「回天丸」「富士山丸」)が品川沖に現れた。迎撃に向かった軍艦「甲鉄」が返り討ちにあって沈没。しかし江戸市内に動揺はなし。東軍艦隊はそのまま函館港に後退していった。

第22~23ターン(慶応5年秋)

西軍に大村益次郎(3-0)登場。大村なしでも最早西軍の勝利は明らかだが、大村は最後のトドメといったところ。第22ターンに大村麾下の兵力8が新潟進攻。ここを占拠。続く第23ターンに大村益次郎が兵力9を率いて函館に向かった。函館を守る榎本釜次郎に最早兵力がなかった。函館落城。この時点で西軍は全ての得点源を支配した。ここに西軍の勝利が確定。日本に強力な中央集権国家が誕生した。

結果

西軍のサドンデス勝利

感想

プレイ時間は記録時間も含めて約3時間です。1ターン平均で5~10分の範囲ですね。ルールもわかりやすくプレイアビリティは全般に良好といえるでしょう。ゲーム展開については、開戦と休戦の入れ替わりが面白いです。最初の数ターンは休戦状態。そのため両軍は兵力の多寡よりも指揮官の政治力に頼ることになります。最初の段階では練度に優る西軍が兵力面では有利なのですが、朝廷を東軍に握られた状態では戦端を開くこともままなりません。西軍としては政治的閉塞状況を打破するためにどこかで「仕掛け」る必要があるのですが、その「仕掛け」を京で行うのか、それとも大坂方面で行うのか。このあたりが序盤のハイライトでしょう。
中盤は恐らくどちらかの陣営が戦端を開いていることになると思います。ゲームシステムやテーマの関係上、戦いは大兵力同士が同一エリアで激突する所謂「決戦」の形態をとるでしょう。決戦に勝利した側(恐らく兵力的に優越している側)はそのまま相手兵力を追い詰め、敵に立ち直る機会を与えずに支配域を広げていってそのまま勝利する、というパターンが多いようです。決戦後の展開がやや一方的過ぎるきらいがあるのが気になる所ですが、ひょっとしたら負けた側にも打つ手があるのかもしれません。今の所は思いつきませんが・・・・。

自作ゲームということでコンポーネント等には改善したい余地はありますが、その点を除けば良くまとまっているゲームであり、市販の作品に匹敵する完成度を持ったゲームであると思いました。

先日紹介しました「幕末維新始末紀」について、早速プレイしてみました。
前回は最初の4ターンまでを紹介しました。京を支配する東軍(徳川幕府軍)に対し、大坂まで進出してきた西軍(薩長連合軍)が京都突入のチャンスを伺っています。

第5ターン(慶応3年夏)

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第5ターン開始時の状況

東軍が「外交折衝」カードを引く。この時の支配点は西軍5に対し東軍4。この時点で徳川幕府は諸外国の信用を失い、政権点は遂に1から0に変化した。事実上の無政府状態である。
西軍は「列藩同盟」カードで土佐を支配下においた。
西軍は大久保一蔵が薩摩兵4を率いて大坂に入城。大坂における西軍兵力は10となった。

第6ターン(慶応3年秋)

東軍は「新政権樹立」カードを使って京に新たな政権を打ち立てた。政権点は2である。東軍は「列藩同盟」カードで尾州を支配下におく。さらに今度は「密勅降下」(「長州征討の勅命」でも出たのだろうか?)カードを使って榎本釜次郎を北畿へ、小笠原長行が兵2と軍艦2隻を率いて大坂へ、さらには京からは徳川慶喜が兵7を率いて大坂へ入った。
対する西軍は大坂へさらに兵力増強。最終的には東軍兵9に対し、西軍兵13で、西軍が有利であった。
支持獲得フェイズ。大坂では兵力的には東軍不利であったが、地の利とダイス目に助けられて東軍が再び大坂を支配した。西軍部隊は因州(山陰地方)に撤収した。

兵力面で優位に立っている西軍だが、未だに戦争状態になっていないので戦端を開くことができない。このゲーム、戦端を開くためには朝廷保有陣営(京を支配すること)になって政権値を低下させるか、イベントカード3枚をパイルする必要がある。西軍はこの時朝廷を保有しておらず、イベントカード3枚も保有していなかったので戦端を開くことができなかった。

第7ターン(慶応3年秋)

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第7ターン開始時の状況。大坂での支配獲得競争に敗れた西軍は因州に撤退(図中青丸)。再起の機会を伺う。

東軍は「人事改革」カードを使用して近藤勇(1-1)を登用する。しかし近藤は登場段階での除去チェックに引っ掛かってあえなくお陀仏。続いて登場した土方歳三(2-0)もやはり除去チェックの犠牲となってしまった。新選組、戦わずして壊滅か。
西軍は「外国人殺傷事件」を引き起こした。政権値は2から1に低下。安定したかに見えた第2次徳川政権だが、その前途には早くも暗雲が立ちこめていた。

第8ターン(慶応3年冬)

東軍は「社会不安蔓延」カードで肥前における西軍支配を崩す。
西軍は「外交折衝」カードを引く。外国人使節団は徳川政権の支配力を認めた。政権値は1から3に急上昇する。西軍にとっては苦しくなってきた。

「外交折衝」カードは政権側(この時は東軍)にとって試金石となるものである。いずれかのプレイヤーがこのカードを引くと、直ちに彼我の支持エリア得点を比較する。もし政権側の得点が非政権側の2倍以上であれば、政権点が上昇する。逆に政権側の得点が非政権側を下回っていた場合、政権点が低下する。

窮地に立った西軍は、起死回生に策に出た。東軍が北畿に徳川慶喜以下兵11を出撃させたのを見てとった西軍は、西郷吉之助率いる兵11を北畿に派遣して東軍主力に対峙させる一方、木戸準一郎(0-2)が兵2を率いて京に入っていた。西軍は「宮廷工作」カードを使って京の政治情勢を有利にしようとした。
支持獲得フェイズ。京の情勢は未だに混沌としていたが、西軍が新兵力とイベントカードを投入するという策が功を奏した。京の支配を西軍が確保。その結果今まで公然とした活動を控えていた「妖怪」岩倉具視(0-3)がいよいよ政治の表舞台に姿を現してきた。

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畿内に殺到する西軍とそれを迎え撃つ東軍

政権が徳川方で安定しつつある以上、西軍は何らかの行動を起こさなければならない。何もしなければ東軍の政治的な安定度は増すばかりである。狙い目としては大坂または京都のいずれかが考えられるが、最終的には京を目指すことになろう。いずれにしても時間は東軍の味方なので、西軍としてはできるだけ早い時期に政治的に不安定な状況を作りだしたい。

第9ターン(慶応4年冬)

西軍はいきなり「王政復古の大号令」を行い、新政権を打ち立てた。今回の場合、徳川政権が未だに安定した状態にあったので、西軍の野望は1/3の確率で失敗する可能性があった。しかし西軍は拙速を尊び、あえて賭けに出たのである。その賭けは見事に功を奏し、ここに西軍は新政府軍となった。

第10ターン(慶応4年春)

政権を得た西軍としては、速やかに戦端を開いて畿内周辺の東軍兵力を一掃したい所だ。政権側なので戦端を開く/開かないは西軍側が選択できる。しかし畿内周辺に展開する両軍の兵力は、東軍17に対して西軍13。これでは戦いを仕掛けても勝ち目は薄い。増援部隊を得るまでは開戦は控えよう。というのが西軍の思惑であった。

第11ターン(慶応4年春)

またもや「外国人殺傷事件」が起こった。安定に向かうかに見えた新政府だが、政権点は2から1に減少。発足早々の新政権。なおもその将来は不透明なままだった。
政権側である西軍は、土佐から乾退助率いる兵4が北畿に進出。これで北畿の西軍兵力は計17となり、東軍兵力と互角になった。
東軍は主力部隊を京の町に入れた。
小御所会議(京の支持獲得を決定するための会議)では、圧倒的兵力を背景にした東軍側に軍配があがった。再び朝廷は徳川幕府のものになり、新政府の政権値は1から0に低下した。事実上の無政府状態である。

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