もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

2011年07月

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GMT社のFor the Peopleは、南北戦争全域を扱ったキャンペーン級のゲームです。今回、For the Peopleのキャンペーンシナリオをソロプレイしてみました。プレイにはVASSALを使用し、選択ルールはすべて有りでプレイしています。

For the Peopleについて詳しくは--> こちら

第1回目(1861~62年の展開は--> こちら
第2回目(1863~64年の展開は--> こちら

感想

イメージ 3全般的に南軍が振るわず、特に後半はSW(国家戦意)の低下が著しかった。今回は11Turnに南軍は破断界を迎えたが、今回のような展開であれば、遅かれ早かれ南軍は破断界を迎えていただろう。
今回は全般に南軍のプレイがヘボだったが、では南軍はどのような戦略があったのだろうか?。
キャンペーンシナリオの勝利条件によれば、南軍は12Turn終了時点で北軍の2倍のSWを確保すれば勝利となっている。また13Turn終了時まで自らのSWがゼロになることなく、南部州及び中立州を5州以上保持していれば南軍は勝利する。いずれにしても自らのSWをゼロにしないことが絶対条件になる。
では、どうすれば良いか?。
イメージ 5南軍のSWは北軍による海上封鎖によってある程度の減少を覚悟しなければならない。たとえば海上封鎖レベルが3の場合、南軍はそれだけで毎ターン平均4SW失う。13Turn分だと52SWになり、それだけで南軍のSWのストック(100SW)の半分が消え去る。その他、南部州の喪失(1州あたり5~15SW)、資源センターの破壊(1センター当たり1~5SW)、リッチモンド陥落(27SW)等の理由でSWは減少していく。何もしなければ南軍のSWは自動的にゼロに近づいていく。
イメージ 4南軍としてはなんとかSWを増やさなければならないが、どうすれば良いか?。ひとつは大規模合戦の勝利。勝てば+3SWとなる(負ければ-5SW)。もう1つは北部スペースの支配。イリノイ、オハイオ、ペンシルバニア、メリーランド等の北部州を3スペース支配する毎に毎ターン5SW獲得することができる。いずれにケースも、南軍がSWを獲得する場合は、同時に北軍のSWを減少させることができるので一石二鳥である。南軍としては北軍野戦軍を大規模野戦で叩きつつ、北部州に支配域を広げていかなければならなかった。それが可能な場面はワシントンDC周辺。マクレラン軍をフレデリックで撃破し、ワシントンDCを伺う姿勢を見せながらペンシルバニア州、メリーランド州に地歩を広げていくべきであった。ワシントンDCを占領できればベストだが、そうでなくてもこれらの地域で南軍が地歩を得ることができれば、それだけSWが南軍有利に傾くのだから。

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今回のプレイ時間は記録時間も含めて15時間ぐらいだった。対人戦なら10時間前後でキャンペーンシナリオをプレイできそうだ。機会があれば対人戦でキャンペーンシナリオを戦ってみたい。

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GMT社のFor the Peopleは、南北戦争全域を扱ったキャンペーン級のゲームです。今回、For the Peopleのキャンペーンシナリオをソロプレイしてみました。プレイにはVASSALを使用し、選択ルールはすべて有りでプレイしています。

For the Peopleについて詳しくは--> こちら

前回までの展開は--> こちら

7Turn(1863年春)

イメージ 8イメージ 10北軍の名将グラント(Grant)将軍(3-3 1)がミズーリ軍司令官に就任した。しかしグラント将軍は南軍ジャクソン将軍のテネシー軍に睨まれた形になり、なかなか積極的な行動を起こせない。その一方、南軍ジャクソン将軍は弱体化した北軍テネシー軍をピッツバーグ波止場(Pittsburg Landing TN)で捕捉した。兵力差と将軍能力で圧倒する南軍は北軍を完全に撃破し、北軍テネシー軍は壊滅した。南軍はA.Johnston将軍(1-2 2)が戦死。
フロリダ方面では南軍J.Johnston将軍(1-2 2)が1個軍団を率いて南下。北軍Pope将軍(1-0 2)の軍団を牽制する。Pope将軍(1-0 2)は急遽兵力を結集。Baldwin FLに要塞を築き、南軍を迎え撃つ布陣を敷く。
北軍はHooker将軍(0-1 2)率いる軍団をPensacola ALに上陸させてメキシコ湾岸に新たな戦線を構築した。
リンカーン大統領は南部の海上封鎖を宣言。海上封鎖レベルは3にアップした。

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8Turn(1863年夏)

イメージ 9グラント将軍(3-3 1)率いる北軍ミズーリ軍はミシシッピ川沿いを南下、テネシー州都のメンフィス(Memphis TN)から一気に要域ヴィックスバーグ(Vicksburg MS)まで南下した。その途上にあったミズーリ州都ジャクソン(Jackson MS)も占領する。慌てた南軍。ピッツバーグ波止場で警戒に当たっていたジャクソン将軍(3-3 1)はカパラチア山脈の山道を通ってアラバマ州都セルマ(Selma AL)まで南下した。
先のTurnメキシコ湾岸に上陸した北軍はバーンサイド(Burnside)将軍(0-1 2)指揮下でカンバーランド軍を編成。メキシコ湾岸を西進。アラバマ州からさらにルイジアナ州へと地歩を広げる。
南軍はフロリダ方面でJ.Johnston将軍(1-2 2)指揮の元、西方軍を編成。Baldwin FLに要塞を築いて待ち構える北軍Pope将軍(1-0 2)の軍団を攻撃した。兵力はほぼ同数だったが、指揮能力と練度で勝る南軍が、地の利を占める北軍を圧倒。北軍は要塞線を放棄して海岸のJacksonville FLまで後退した。

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9Turn(1863年秋)

イメージ 13北軍による海上封鎖強化のため(現在レベル4)、遂にこのTurn、封鎖突破船は1隻も到着しなかった。南軍の兵力不足、いよいよ深刻化してくる。
イメージ 11北軍はBanks将軍(0-0 3)指揮の元、テネシー軍を編成。コロンバス(Columbus OH)からピッツバーグを経由して西方から南部首都リッチモンド(Richmond VA)を伺う。リー将軍率いる南軍北バージニア軍は、数度に渡る交戦で北軍テネシー方面軍を撃破しつづけたが、その戦闘で南軍の名将Longstreet将軍(2-3 2)戦死してしまう。
西部では北軍グラント将軍率いるミズーリ軍が北上。Oxford MSで南軍ミシシッピ軍と激突する。兵力、練度で勝る北軍だったが、ここは南軍が善戦し、グラント軍の攻撃を悉く退けた。
フロリダ方面では、南軍J.Johnston将軍(1-2 2)指揮の西方軍がJacksonville FLの北軍要塞を攻撃。指揮能力で勝る南軍が北軍Pope将軍(1-0 2)の軍団を撃破した。Pope軍団は海上移動によってPensacola FLへ撤退していった。そのPope軍団が今度は海上移動でミシシッピ河口の南軍要塞Fort St. Philip/Jacksonを攻撃、占領していた。これでミシシッピ川は河口のニューオーリンズ(New Orleans MS)からセントルイス(St Louis MO)まで、北軍の制する所となった。

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10Turn(1864年春)

イメージ 14戦争開始4年目に突入する。北軍にシャーマン将軍(Sherman 3-3 1)登場。マクレランに代わってポトマック軍の指揮をとる。
「リッチモンドへ」
その合言葉と共に南下を開始したポトマック軍だったが、南軍の名将ロバート・リー率いる北バージニア軍の迎撃を受けて撤退を余儀なくされる。マナサス(Manassas VA)まで後退するポトマック軍。
イメージ 12西部戦線では、北軍グラント将軍率いるミズーリ軍が進撃を再開した。Conibth MOで南軍ミシシッピ軍を撃破した後、南軍の精鋭ジャクソン将軍率いるテネシー軍の迎撃を受ける。2度に渡る戦いはいずれも南軍の勝利に終わったが、その戦いの中、南軍はPemberton将軍(0-1 3)とHood将軍(0-1 3)という2名の優秀な指揮官を失った。その間北軍はミシシッピ州一帯を席捲。同州を支配下においた。南軍のSW(国家戦意)は遂に一桁台まで落ち込んだ。

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11Turn(1864年夏)

イメージ 2北軍は戦意の落ちた南軍を一気に殲滅すべく作戦行動を起こした。最初に行動を開始したのはヴァージニア州で作戦行動を行うシャーマン将軍のポトマック軍。マナサスを発したシャーマン軍はリッチモンドに向けて南下する。リッチモンド前面でポトマック軍を迎え撃ったのは歴戦のロバート・リー率いる北ヴァーニジア軍。兵力で勝る北軍をリーの南軍は巧みに撃破し、北軍は北方に退いた。
さらに南軍北ヴァージニア軍は西からリッチモンドに迫る北軍テネシー軍を撃破。これを退けることに成功したが、この戦いで南軍のBeauregard将軍(1-1 2)が戦死した。
そして戦争の決着は東ではなく西で決した。ミシシッピ州南部からフロリダ州西部に向けて進撃してきた北軍グラント将軍のミズーリ軍は、モントゴメリー(Montgomery AL)を守る南軍ミシシッピ軍と交戦した。3倍の兵力を誇り、かつ名将グラントに率いられた北軍は南軍を圧倒。南軍ミシシッピ軍は完全に撃破されてしまった。これまで南軍が得意としていた大規模野戦において、初めて北軍が南軍を打ち破ったのである。
この戦いは南部連合の交戦意欲を失わしめるのに十分であった。南部連合のSW(国家戦意)はゼロになった。ジェファーソン・デイヴィスは南部連合の解散を宣言。ここに約4年間続いた南北戦争(The Civil War)は、北軍、すなわちアメリカ合衆国軍の完全勝利で幕を閉じた。

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ここまで

最終Turnを待たずして終了してしまいました。次回は感想を記載します。



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GMT社のFor the Peopleは、南北戦争全域を扱ったキャンペーン級のゲームです。マップには南北戦争の主戦場となった南部連合諸州とその周辺地域がポイント・トウ・ポイント描かれ、1ユニットは軍、軍団、師団、騎兵旅団を示します。
南北戦争を特徴づけるのは南北両軍の指揮官たちですが、For the Peopleでは、リー、グラント、ジャクソン、シャーマン、ロングストリート、マクレランといった南北両軍の主要な指揮官が1人1ユニットで登場します。さすがにポーター、ファラガットといった海軍指揮官はユニット化されていませんが、彼らの活躍はイベントカードで再現されています。
For the Peopleの基本システムはいわゆるカード・ドリブン方式です。両軍は毎ターン一定枚数のカードを受け取り、それらをOC(作戦カード)又はEC(イベントカード)としてプレイすることのよってゲームを進めていきます。
今回、For the Peopleのキャンペーンシナリオをソロプレイしてみました。プレイにはVASSALを使用し、選択ルールはすべて有りでプレイしています。

For the Peopleについて詳しくは--> こちら

1Turn(1861年春)

イメージ 9戦争が始まった。北軍は3OCカードを使用。McDowell将軍(1-1 3)(攻撃値-防御値 活性化コスト、以下同じ)率いるポトマック軍(6SP)がManassas VAに侵攻した。Manassas VAにはBeauregard将軍(1-1 2)率いる3SPが守備に当たっていたが、ポトマック軍がそれを撃破。Manassas VAを占領し、早速要塞を築いた。
南軍は中立州に対して政治支配を広げていく。ケンタッキー州に7枚のPCマーカーを配置し、同州を支配した。慌てて北軍もMissouri州に3枚のPCマーカーを配置して対応する。

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2Turn(1861年夏)

イメージ 10南軍は北ヴァージニア軍を編成した。指揮官はJ.Johnston将軍(1-2 2)。能力は比較的平凡だが、相手の北軍に比べると優越を維持している。その北ヴァージニア軍が北軍ノーフォーク要塞(要塞指揮官Butler 0-0 3)を攻撃した。圧倒的兵力に物を言わせた南軍は鎧袖一触の元、ノーフォーク要塞を奪取した。
北軍はシンシナティ(Cincinnati OH)にテネシー軍を編成した。指揮官はBuell将軍(1-1 3)。テネシー軍はシンシナティよりケンタッキー州へ南下を開始した。

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3Turn(1861年秋)

イメージ 11北軍はPope将軍(1-0 2)率いる1個軍団がフロリダ上陸作戦を敢行するも、クェーカー砲に恐れをなして撤退する醜態を演じて見せた。
北軍Buell将軍(1-1 3)率いるテネシー軍はケンタッキー州を南下、Browling Green KYにまで到達していた。テネシー州の州都、ナッシュビル(Nashville TN)は目前である。南軍もJ.Johnston将軍(1-1 2)指揮の元、テネシー軍を編成し急遽対抗するが、兵力不足は如何ともし難い。

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4Turn(1862年春)

イメージ 12南軍の名将リー(R.E.Lee)将軍(3-3 1)が北ヴァージニア軍司令官に就任した。意気上がる南軍。しかし先手を取ったのは北軍だった。Buell将軍(1-1 3)率いるテネシー軍はケンタッキー州南部で行動開始。Somcrest KYに陣取る南軍師団(1SP)を攻撃した。兵力差に任せて南軍を撃破するテネシー軍。勝利の報を得た北部連合リンカーン大統領は、すかさず「奴隷解放令」を発表した。
イメージ 14先を越された南軍は、リー将軍率いる北ヴァージニア軍が北上する。マナサス(Manassas VA)に進軍した北バージニア軍は北軍師団を撃破。勢いに乗る南軍は、北軍ポトマック軍が守るフレデリック(Frederick MD)に進攻した。北軍ポトマック軍の指揮官は慎重派として知られているマクレラン(McClellan)将軍(0-2 3)。リーに比べると数段見劣りするが、それでも守りに入った時には意外な程力を発揮することがある。今回も要塞線を生かしたマクレランの守りは冴え渡り、全戦線に渡って南軍を押し返した。
北軍はバーンサイド(Burnside)将軍(0-1 2)が指揮官としてミズーリ方面軍を編成。Cairo南部の要域に進撃した。一連の攻撃でPaducah KY、Columbus KYを占領。その動きに呼応してテネシー軍も南下。ナッシュビル(Nashville TN)に進撃した。ナッシュビル守備隊は撃破され、ナッシュビルは北軍が占領。その夜、ナッシュビルの夜空は略奪の炎で赤く染まったという。
最後にPope将軍(1-0 2)の率いる1個軍団がフロリダ半島Jacksonville FLに上陸。橋頭保を築く。

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5Turn(1862年夏)

イメージ 13南軍がウェストヴァージニア州での支配を広げていく。北軍はポトマック軍からBanks将軍(0-0 3)の軍団をウェストヴァージニア州の要地に派遣し、兵の力で支配を戻そうとする。しかし南軍もVan Dorn将軍(1-0 1)の軍団をウェストバージニアに派遣し、分散配置されている北軍歩兵部隊を各個に撃破していく。結局Turn終了時にウェストバージニア州全域は南軍の支配する所となった。
イメージ 11先のTurn、フロリダに上陸したPope将軍の軍団だが、このTurnフロリダ半島で地歩を広げ得ていく。Jacksonville FLの他、St.Augustine FL、Baldwin FLも北軍が支配する所となった。
西部戦線も動いた。Burnside将軍(0-1 2)率いる北軍ミズーリ軍団がCairoを出撃して南下を開始した。目指すはPaducah KY付近で行動中の南軍J.Johnston将軍(1-2 2)率いるテネシー軍。兵力で勝る北軍であったが、指揮能力は低い。北軍側が勝つのは困難かとも思われたが、北軍は奮戦してテネシー軍を撃破。Paducah KYは北軍の占領する所となった。

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6Turn(1862年秋)

イメージ 15テネシー州では、北軍Burnside将軍(0-1 2)率いるミズーリ軍とBuell将軍(1-1 3)率いるテネシー軍が地歩を広げていく。慌てた南軍は周囲の反対を押し切って(SWを8点失って)無名のジャクソン(Jackson)将軍(3-3 1)をテネシー軍司令官に就任させた。ジャクソン軍は3度に渡って北軍と交戦、いずれも勝利を収めたが、数で勝る北軍の勢いは止まらなかった。
フロリダ半島では、北軍Pope将軍の軍団が無人の野を行くが如く勢力圏を拡大し、ついにFlorida州全域を支配下に置いた。
海上でも北軍海軍による南部圧迫は強化されていた。現時点での封鎖レベルは2。Turn終了時の南部SWは49まで落ち込んだ。

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ここまで

開戦から2年が経過しました。両軍ともまだ大きな動きはありませんが、西部戦線やフロリダ戦線では北軍が支配地域を広げています。次Turnには北軍の名将グラントが登場。いよいよ南軍は窮地に立たされることになるのでしょうか?・・・


人を育てる100の鉄則

畠山芳雄 PHP

一応私も管理職である。何人かの部下もいる。そういった部下を如何に戦力化するかについて、日々悩みが絶えない。そんな中、手に取ってみたのが本書である。
まず本書は非常に面白かった。人を育てるということについて、単なるハウツーに留まらず、なぜ育成が必要なのか。育成を行う際の心構えはどうあるべきか。育成の共通事項は何か。新人に対する育成、中堅層に対する育成、管理者に対する育成は何が違うのか。といった点について丁寧に教えてくれる。
興味深かった点をいくつか紹介したい。
まず一番最初に「育てるとは何か」について定義している点が興味深かった。育てるとは「まずい癖を直す、新しい能力をつける、態度を変えさせる」の3つだという。今まで「育てる」という行為について整理して考えたことがなかったので、このように整理することができれば、今後の「育て方」も変わってくるかな、と思った。
もう1点。管理者の育て方が興味深かった。管理者がその上司からどのように評価されているのか、どのような仕事の仕方を求められているのか、といった点について大いに参考になった。

お奨め度★★★★★

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横須賀港で海上自衛隊の新鋭護衛艦「ひゅうが」と「いせ」を撮影しました。
米空母ほどではないにしてもさすがに1万トンを超える大型艦は迫力十分です。


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「ひゅうが」を真正面から撮りました。

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同じく「ひゅうが」。やや斜め右に回りました。

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こちらは「いせ」を舷側から撮ったものです。

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