もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

2012年08月

イメージ 1

The British Pacific Fleet

David Hobbs Naval Institute Press

1944年~45年における英太平洋艦隊の戦いを描いたノンフィクション。主な舞台はスマトラ、沖縄、日本本土で、イラストリアス級空母や整備空母ユニコーン等が登場する。英海軍機動部隊ということで登場する艦載機も多彩そのもの。バラクーダ、シーファイア、ファイアフライといった英国製艦載機の他、コルセア、ヘルキャット、アヴェンジャーといった米国製艦載機が登場する。英国性機は一般に評判が悪く、特に航続距離が短く搭載能力も劣るバラクーダは早々に姿を消した。その一方で米国製機体は頑丈さと航続力で高い評価を受け、沖縄戦の頃は英機動部隊の主力艦載機は悉く米国製機体となった。それでも格納庫の天井が低いインデファティガブル級(又はイラストリアス級第3グループ)では大柄な米国製機体を運用できず、仕方なくシーファイア、ファイアフライといった英国製艦載機が使われ続けることとなる。
英艦隊にとって本国から遠く離れた極東海域での作戦行動はかなりの負担であったようで、本書でも補給問題に苦慮する英艦隊の姿が描かれている。
総じて英太平洋艦隊の戦いについて、必要な知識を得ることができる著作だと評価して良い。WW2の海軍に興味のある方なら購入して損のない著作だと思える。

お奨め度★★★★

イメージ 14

ワルシャワ条約機構(以下WP)軍による西欧進攻。長らく恐れられていたことが遂に現実のものとなった。時に1990年5月。ペレストロイカとグラスノスチを旗頭に改革を進めてきたソ連邦ゴルバチョフ書記長であったが、彼の政策が暗礁に乗り上げていることは誰の目のも明らかだった。このままでは遠からず栄光あるソヴィエト連邦は、資本主義陣営に屈することになるだろう。しかも戦わずしてだ。世界最強を誇った親衛赤軍もアメリカの資本主義者共を震え上がらせた戦略ロケット軍も、一度も戦場でその威力を見せることなく滅び去ろうとしている。こんな屈辱。こんな屈辱がかつてあっただろうか。かつてナチスの侵略から祖国を守り抜いた赤軍の末路が、かくも惨めなものであって良いのだろうか。

ゴルバチョフを倒さなければならない。赤軍はかつての栄光を取り戻さなければならない。東ドイツが、ポーランドが、チェコスロバキアが、バルト海諸国が、そしてウクライナや白ロシアがモスクワに背を向ける前に行動を起こさなければならない・・・。

GDW社のThe Third World War(以下T3WW)は、20世紀末における東西対決を描いたシミュレーションゲームです。現実世界においては、皆様もご存じの通り、ソ連邦崩壊と冷戦構造の終末という(当時としては)思いもかけなかった結末を迎えることになりました。しかし1980年代の後半、未だソ連邦が強大であると思われていた時、西側陣営の政治家、軍事評論家、そして一般市民は、(どの程度本気にしていたかは別として)東側陣営による西ヨーロッパへの通常戦力による進攻という事態を「あり得るべき事態」として捉えていたのです。このT3WWもそのような当時の人々が思い描いた「未来戦争の姿」と言えるでしょう。

今回、T3WWをプレイするにあたり、いくつかのハウスルールを取り入れました。ハウスルールの詳細はこちらを参照して下さい。またプレイシナリオはキャンペーンで、中欧戦線だけではなく、北欧、南欧も含んでいます。ただしペルシャ湾は含んでいません。プレイスタイルはソロプレイ(いわゆる一人プレイ)です。

イメージ 1



1Turn(第1週)

外交戦

第1TurnからWP軍は大きな決断を迎える。オーストリア侵攻を行うのか否かだ。オ侵攻単独で考えれば、その意義は大きい。まず第1Turnなら予備兵の動員が進んでいないのでオーストリアを容易に屈伏させることができる。またアルプス経由でイタリア進攻の可能性が開けれてくる。さらに南ドイツ南翼に進撃路を得たことになり、南ドイツ一帯のNATO軍に圧力を加えることが可能となる。とまあこれだけを見れば、開戦劈頭WP軍によるオーストリア侵攻は自明の選択に思えてくる。
しかしWP軍の足を引っ張る懸念事項もまた存在する。ユーゴスラビアだ。当時中立政策を堅持していたユーゴスラビアは、WP軍は手を出さない限りしばらくは中立を堅持する。しかしオーストリアが侵されたら話は別だ。ユーゴは1/3の確率で参戦してくることになる。こうなると話はガラッと変わってくる。オーストリア侵攻のメリットは減少する。その上対ユーゴ戦に1~2個軍を投入する必要が出てくる。これは兵力不足の感があるWP軍にとって大きな負担となる。ギャンブルの好きで最悪の目が出てもプレイを継続できる意志の強いWP軍プレイヤーなら試してみても良いが、そうでなければ、オーストリア侵攻は試みるべきではないと思われ・・・。

今回はプレイが崩れるのを防ぐという点を重視し、オーストリア侵攻は行わないこととした。


航空戦

このTURNはWP軍が中欧戦線で制空権を握れる唯一のTURNである。そのためにWP軍は中欧戦線にTu-160ブラックジャック、Su-20フィッター、さらに北欧戦線からはTu-22Mバックファイアも参加し、中欧戦線におけるNATO飛行場攻撃を実施した。その侵攻編隊をMiG-23、Su-24の編隊が援護する。フランス空軍のMirage2000戦闘機が迎撃するも、結果はスカ。対空ミサイルの迎撃に全てを賭ける。これが大当たり。北欧戦線から飛来しきたTu-22Mを撃墜、Su-20も撃退した。爆撃による被害はクレーター3個、滑走路破壊1個。許容範囲だと胸をなで下ろすNATO軍であった。

中欧戦線でWP軍は阻止攻撃を3箇所で実施した。ハンブルグ、ハノーバー、ブレーメンだ。護衛するのはMiG-21、MiG-27といった三流以下の機体である。これはチャンスとばかり、オランダ空軍のF-16、フランス空軍のMirage2000等計3ユニットが迎撃に上がったが、なんたることか。またもやスカ。1機も落とすことができなかった。NATO側も落ちなかったので最悪の結果だけは免れたが、確率1/6の不甲斐無さに天を仰ぐNATO軍なのであった。

バルカン戦線では、イスタンブールに対する阻止攻撃に出撃したWP軍侵攻編隊をギリシア空軍のF-16で迎え撃った。結果はF-16、MiG-23が各1ユニットずつ相討ちで失われた。機体の性能差を考えれば、NATO側の方に分の悪い結果となった。

イメージ 2


イメージ 3



WP第1梯団

北欧戦線では空挺降下が侵攻の幕開けとなった。ノルウェー北部アンドーヤ空軍基地(G4140)にソ連軍レニングラード軍管区所属の空挺連隊(1-1-7)が降下し、忽ち空挺保を確保した。後続の第76親衛空挺師団(4-4-7)やヘリ空中機動旅団(2-3-7)もそれに続く。空挺部隊がアンドーヤ、ナルビク(G4040)、バルドゥフォス(G4142)といったノルウェー北部の要域を占領し、後続するはずの地上部隊を待つ。
ムルマンスク地区から進発した地上部隊は、国境の町キルケネス(G4053)を無血占領。一部はフィンランド領内を進攻しつつ(フィンランド政府はソ連軍の北極圏通過を黙認)、主力はバナク(G4347)付近でノルウェー軍山岳スキー旅団(1-1-7)による最初の抵抗に出会った。しかし圧倒的な兵力差でこれを撃破したソ連軍は、コラ半島西部のバナク、トロムセー(G4343)を制圧した。バナク地区と隣接する形で先に空挺部隊が占領したナルビク地区がある。両者が連結すればノルウェー北部要域の占領はほぼ完了するのだが、ナルビク、トロムセー間には急峻なフィヨルドがあり、そのど真ん中で精強なノルウェー機甲旅団(2-3-7)が頑張っている。これを排除するのがソ連軍にとっては急務といえよう。

イメージ 4



イメージ 9中欧戦線でも地上軍の侵攻に先立って、空挺部隊による空挺降下が行われた。チェコ軍第1空挺旅団(1-2-6)が選んだ降下目標はオランダ領アイントホーヘン(B0297)。奇しくも第2次大戦時にも空挺降下作戦の舞台となった都市だ。哨戒中のデンマーク空軍F-16がWP側輸送機を護衛するMiG-21と交戦。これを撃墜したが、降下作戦そのものを止めることはできなかった。WP軍が確保したアイントホーヘンの臨時航空基地へは、機械化空輸師団、海兵師団、空中機動旅団、果てはポーランド第6空挺師団(2-4-6)等までが空輸によって投入され、空挺保を広げていく。否、これは最早空挺保などといった生易しいものではない。空中からの電撃戦。まさにソ連版エアランドバトルではないか・・・。

イメージ 10地上からは北ドイツ平原、フルダ峡谷、そして南部ドイツの3箇所がWP軍の主要進撃路となる。
まず北ドイツ平原に対してはWP軍でも最精鋭の4個軍(第2親衛、第20親衛、第3打撃、第28)と海兵隊、空中機動旅団等が投入され、その兵力は第1線級の戦車師団7個、機械化歩兵師団12個の他に海兵師団2個、空中機動旅団2個等にも及んだ。彼らはまずユトランド半島付け根を守る西ドイツ軍2個師団(第3機甲、第6機械化歩兵)を正面攻撃で撃破(その際、ハンブルグ(B0416)には逃げ込まないよう、巧みに後退路を誘導)。第2サブインパルスでハンブルグを包囲。15個師団もの兵力を投入してこれを一気に踏みつぶした。

イメージ 5



イメージ 11フルダ峡谷に対しては当初は2個軍(第1親衛戦車、第8親衛)で9個師団(戦車師5、機械化師4)の兵力であったが、西ベルリン攻略戦を終えた第4親衛戦車軍と第1ポーランド軍が後続波として加わったため、最終的には戦車師10、機械化師6、空中機動旅団2の兵力になった。ただし全体の1/3を占めるポーランド軍は、装備、練度共劣るため、精強度の点で不安が残る。
彼らはNATO側兵力や地形を考慮して当初からの大突破は望まず、敵の弱点を集中攻撃して突破口を穿ち、徐々に浸透していく策を取った。その目標となったのはフルダ峡谷の代名詞ともなっている米第11機械化騎兵連隊(5-5-7)である。彼らは西ドイツ軍対戦車ヘリ旅団の支援を受けて少しは強化されていたもの、9個師団もの機械化部隊による集中攻撃にはひとたまりもなかった。フルダ峡谷を抜けたWP軍は、次の進攻に備える。

イメージ 12南ドイツ方面では、ハンガリー、チェコ軍といった第2線級部隊が主力であった。投入された兵力は計5個軍(第8親衛戦車軍、第41軍、第10軍、第16軍、第21軍)と空中機動旅団が3個。機械化部隊の内訳は戦車師10、機械化師5の計15個師団。しかしその1/3~1/2は初期配置の関係上、すぐさま戦場には届かない。練度面でも兵力面でも一番恵まれていない部隊だが、彼らは苦しみながらも健闘した。
まず彼らはドナウ川対岸を守る西ドイツ軍機械化歩兵師団を攻撃。これを完全に撃破(D/E)した。さらに北に転じた彼らは、レゲンスブルク(A1415)を守る西ドイツ軍機械化歩兵師団を攻撃した。こちらは米対戦車ヘリ部隊の支援もあったので戦闘比が3-1しか立たず、苦戦が予想されたが、空軍のSu-25対地攻撃機による支援が功を奏し、こちらも完全勝利(D/E)した。序盤で西ドイツ軍機械化師団2個を葬ったことにより、南部戦線のNATO軍は早くも窮地に立たされることになる。

イメージ 6



イメージ 13バルカン半島方面では、定石通りイスタンブール攻略を進めるべく、まずイスタンブールとガリポリ半島の分離を図る。同方面に投入される兵力はルーマニア軍とブルガリア軍を主力とする部隊で、ルーマニア軍は7個師団+ヘリ1旅団+空挺1個連隊+山岳兵3個旅団、ブルガリア軍は4個師団+独立戦車旅団5個。それにソ連の機械化空挺部隊、海兵師団、空中機動旅団等が加わる。
彼らはガリポリ半島一帯のトルコ軍を攻撃し、トルコ歩兵師団2個を撃破しつつ、ガリポリ半島南端まで空中機動部隊を突出せしめた。空中機動部隊はダーダネルス海峡を制圧。エーゲ海からイスタンブールへの海上交通線を遮断した。

イメージ 8


そんな感じで始めたT3WWのプレイレポートです。今後はレポートを作りながらの発表になるので、飛び飛びになりますが、気長にお付き合い下さい。


イメージ 7

イメージ 13

五竜岳とは北アルプス後立山連峰に属する標高2814mの山です。後立山連峰には白馬岳、唐松岳、五竜岳、鹿島槍ヶ岳等錚々たる山々が連なりますが、その中でも山容の美しさという点からは屈指の存在と言えるのが五竜岳です。この五竜岳は私にとって長い間未踏破の山でしたが、先日遂に踏破しました。以下はその記録です。

前回まで-->こちら

朝の五竜岳登頂

起床0330。朝食が午前5時からなので、朝食までの時間を利用して五竜岳の山頂部を踏破することにしました。往復の所要時間は2時間弱なので5時からの朝食には間に合いませんが、朝食は5時から8時までの好きな時間に取って良いということなので、さすがに8時に間に合わないということはないでしょう。

イメージ 5


そう思って私が五竜岳の山頂部に向けて出発したのは0415頃でした。東の空は既に明るくなっていましたが、まだ空には星が輝き、地表は薄暗い状態です。頭にはヘッドライトをつけ、ヘッドライトの灯りを頼りに前へ進みます。最初は緩やかな登山路なので薄暗い状態でも危険は少ないですが、山頂が近付くと鎖場や岩場といった難所が増えるので、ヘッドライトの灯りだけでは心許ない所。日の出が午前5時なので、山頂付近の危険箇所は明るくなってから通過することになるはず、という計算でした。

イメージ 6


結論から書けば、ほぼ計算通り。山頂付近に近づいた時に丁度太陽が東の空から顔を出し、鎖場、岩場通過時には随分助かりました。五竜岳は岩の多い山なので、山頂付近はかなり難所が続きますが、慎重に歩けば余程の事がない限り大丈夫な場所です。

標高2814mの五竜岳山頂に着いたのは0515頃でした。丁度太陽が出た直後だったので、周囲の山々が朝日を浴びて赤く染まっているのが美しかったです。風景を撮り、記念写真を撮っていると、時間が過ぎるのが早かったです。

イメージ 7


イメージ 8


イメージ 9



五竜山荘の朝

五竜岳登頂を終え、五竜山荘に戻ってきたのは0620頃でした。往路はかなり慎重に登ってきた鎖場や岩場が、復路はあまり危険を感じなかったのは、慣れのせいか、あるいは明るさのせいか・・・。

イメージ 10


山荘で遅めの朝食。この時間で山荘に残っている人は少数派で、殆どの宿泊者は既に出発した後でした。朝食も私一人で食堂を独占。メニューは鮭の切り身、卵焼き、総菜類に味噌汁と御飯というシンプルな内容でしたが、美味しかったです。御飯のおかわりをし、十分満腹した所で出発の準備をします。

イメージ 11


遠見尾根を下る

五竜山荘を出発したのは0715頃でした。五竜山荘から5分程登った所が遠見尾根と唐松岳方面への分岐点です。昨日もここで写真を撮りましたが、今回も眼前に見える五竜岳の迫力に圧倒され、思わずカメラを向けてしまいました。

イメージ 1


中岳から西遠見までは地図で見ると何気なく登山路が書かれていますが、結構急な下りが続きます。危険を感じるような箇所こそありませんが、鎖場や岩場は慎重に降りていかないと思わぬ事故につながります。太陽はギラギラ輝き、今日も暑い1日になりそうだ。

下山を開始してから1時間ほどでようやく西遠見を超えた休憩場所にたどり着きました。ここから見ると昨晩泊まった五竜山荘がもう小さく見えてきます。五竜岳の大迫力に加えて、2つの山頂を持つ鹿島槍ヶ岳(2889m)
がその秀麗な姿を見せてきました。

イメージ 2


イメージ 3


西遠見を過ぎると登山路はかなり緩やかになり、20分程歩いて大遠見、さらに30分程で中遠見、さらに30分程で小遠見山に着きます。ここまで来たらテレキャビンの乗り場であるアルプス平はもうすぐ。晴れていた天気もこの頃はガスに包まれてきて、周囲を見ることができません。五竜も鹿島槍も見えないのは残念です。

イメージ 4


アルプス平が近付くと、明らかに登山者とは異なる姿の人たちが増えてきました。アルプス平まではテレキャビンと呼ばれる小型ゴンドラで登ってこれるので、登山者ではない一般客でも比較的容易に登ってこれるようです。

イメージ 12


アルプス平に着いたのは午前11時過ぎでした。五竜山荘からの所要時間は4時間弱。コースタイムは4時間強なので、休憩込みの所要時間としては悪くない数値です。しかも帰路は「あわてず、急がず、ノンビリ写真を撮りながら」と思っていたので、この数値は意外でした。まあ後半はガスに覆われてきたので、写真どころではなかったのですが・・・。

テレキャビンで神城まで降りて行き、そこからはバスで八方へ移動。昨日車を停めた場所に戻ってきたのは、正午を少し回った時間でした。

感想

鎖場、岩場が多かったです。唐松岳から五竜に向かう途中の牛首付近、五竜山頂付近、そして遠見尾根の最後の所です。特に初日に牛首の所で、すれ違った登山者から「五竜岳までこんなんばっかりですよ」と言われた時には思わず泣きそうになったが(冗談です)、恐れていた最悪の状態とは違っていたので一安心。少なくとも私が今回歩いたコース中は、気を抜いたり、慌てたりしなければ、大丈夫です。

今回のコースは景観が素晴らしいです。まず八方池で白馬三山(今回はガスに邪魔されましたが)、さらに上がると五竜岳が見え、唐松岳山頂山荘からは剣、立山の山々。さらに五竜山荘に至ると目の前に五竜岳の大迫力と背後に唐松岳。五竜岳山頂からは後立山連峰や剣・立山、さらには薬師岳、水晶岳、さらに槍ヶ岳まで見渡せる。遠見尾根は五竜と鹿島槍を楽しめる。といった感じで、景観面では素晴らしかったです。

今回泊まった五竜山荘は、なかなか良い感じでした。北アルプスの他の山小屋と比べるとどうかな、というのは兎に角、食事も良かったし、トイレも部屋も綺麗でした。
一説によれば五竜山荘は混雑するとすごい状態になるとのこと。私が泊まった部屋は11畳部屋でしたが、満室時は22名が詰め込まれるそうです(1畳に2人)。私が泊まった際には、11畳部屋に6名と「優雅な」状態でしたが、これは事前に予約していたのが良かったのか、あるいはたまたま客が少なかったのかはわかりません。予約時に「混み具合はどうですか?」と確認したのが功を奏したのかも知れないな(団体さんは事前に予約してくるので、団体さんの多寡はある程度読めるらしい)、と思いつつ、次回も小屋泊まりの際は事前予約をしておこう、と
心に誓いました。

(おわり)

イメージ 18

五竜岳とは北アルプス後立山連峰に属する標高2814mの山です。後立山連峰には白馬岳、唐松岳、五竜岳、鹿島槍ヶ岳等錚々たる山々が連なりますが、その中で五竜岳は標高という面では白馬岳(2932m)や鹿島槍ヶ岳(2894m)の後塵に甘んじてきました。しかし単なる標高比べではなく山容の美しさという点から言えば、五竜岳は決してこれらの山々に劣っていません。否、冬の晴れた日に見る五竜岳の美しさは、他の山々が到底足元にも及ばない気品と迫力を感じます。

イメージ 1


この五竜岳は私にとって長い間未踏破の山でしたが、先日遂に踏破しました。以下はその記録です。

八方から唐松小屋


イメージ 11


登山の出発点は八方尾根下の駐車場からです。八方第2駐車場に車を停めた私は、歩いて10分程の八方ゴンドラ乗り場に向かいました。天候は曇り。雨さえ降らなければ良いのですが・・・。また体力面でも不安はあります。一番最近に行った登山が、登山とは名ばかりの「天王山登山」だけ。それより前は2ヶ月近く前になる九重登山にまで遡らなければなりません。いくら小屋泊まりの夏山登山とはいえ、果たして鈍り切った私の体は、過酷な北アルプス登山に耐えられるでしょうか・・・。
兎にも角にも0745発のゴンドラに乗りこんだ私は、期待と不安に胸を膨らませて山の中に入って行きました。

イメージ 12


ゴンドラと2本のリフトを乗り継いで20分程で八方尾根に到着。ここからは自分の足で歩きます。最初に目指すのは歩行時間約3時間の唐松小屋。標高約2600mで、現在の標高からは約750mほど上になります。

30分程歩いて八方池に到着。天気が良ければ八方池に映る白馬三山をシャッターに捉えることができるのですが、今日は生憎の天気。ちなみにここまでの所要時間は概ねコースタイム通り。体力面での不安もこの時点ではまだ表面化していません。

イメージ 13


歩き始めてから2時間弱が経過した所でたどり着いたのが標高約2300mの丸山ケルンです。ここではこれまでの曇天が嘘のような快晴の天気でした。白馬、五竜、鹿島槍といった後立山連峰の山々が雲海の中から忽然と姿を現しているのは荘厳な風景です。また今来たコースを振り返ると、八方尾根の稜線が完全に雲海によって姿を消し、そこにはただ一面の雲海が姿を見せているだけです。荘厳なる景観。
「山の上には神様が住んでいる」
という馬鹿げた迷信を思わず信じたくなってしまう一瞬でした。

イメージ 2


イメージ 3


イメージ 4



唐松岳頂上山荘から五竜小屋

唐松岳頂上山荘に着いたのは丁度午前11時頃でした。歩行時間は2.5時間ぐらいです。ここからは剣、立山、薬師といった山々がハッキリ見えています。特に剣岳(2999m)は格好良い。

[
イメージ 5


唐松岳頂上山荘で少し長めの30分休憩(トイレ休憩含む)を取った後、いよいよ五竜小屋に向けて今日後半の行程に取り掛かります。実の所唐松岳までは既に以前に一度登ったことがあったので、大体の予想はついていましたが、これから先は未知の領域。緊張感が高まります。

イメージ 7


唐松岳頂上山王から先はいきなり難所。牛首と呼ばれる鎖場です。距離的には大したことはなく、慎重に行けば大丈夫なのですが、他の精神的なプレッシャーがあったらやばいかも・・・。屈強そうな登山家が後ろから迫ってきたので、プレッシャーを避けるために先に行かせて、いよいよ牛首に差し掛かります。

イメージ 6


牛首を過ぎても鎖場が数カ所続きます。いずれも距離が短く慎重さを失わなければ大丈夫。そう思ってとにかくゆっくり進みます。先の屈強そうな登山家は遙か先を進んでいますが、人は人、自分は自分と割り切って、とにかく慎重に降りて行きます。

イメージ 14


鎖場が過ぎると下りは緩やかになり、難所を過ぎたことを感じさせてくれます。そして最も低い鞍部を通り、そこから五竜岳に向けての登りが始まります。先ほどまで晴れていた天気はいつの間にか曇りに変わり、前途に対する不安を掻き立てます。まあ直射日光を避けるという点から言えば、曇天はありがたいのですが。

イメージ 15


ダラダラ続く登り斜面を兎にも角にも登り切り、標高2451mの白岳付近で遠見尾根からの登山路と合流すると、眼下すぐ近くに五竜山荘の赤い屋根が見えてきます。あー、やっと着いたと思い、目の前に見える五竜岳の姿を写真に収めようとカメラを取り出し写真を撮りました。

イメージ 8


五竜山荘

五竜山荘にチェックインしたのは午後2時頃。唐松岳頂上山荘からの所要時間は休憩時間も含めて2.5時間。コースタイムは2.5時間なので、取りあえずコースタイム以内という目標は守りました。
チェックインして荷物の整理を済ませた後、まずは缶ビールでぐいっと一杯。旨い・・・。

イメージ 16


その後は本を読んで時間をつぶします。寝るのは厳禁。高い山でいきなり昼寝をすると、高山病でゲロゲロ状態になってしまうということは、6年前の富士山登山の貴重な教訓です。夕食まで時間があったので五竜岳山頂を往復する手もあったのですが、ちょっと疲れていたのでそれもパス。文庫本で時間をつぶします。ちなみに今回持参した文庫本は2冊で、1冊はやや堅めの本でしたが、もう1冊は完全な娯楽系の本にしました。これが正解。堅めの本は1時間も経たない内に飽きてしまいましたが、娯楽本は流石に面白く、夕食時間まで飽きさせませんでした。

午後5時から夕食。メニューは目玉焼き入りのカレーです。カレーは美味しかったです。カレー、味噌汁等のおかわり自由というも良いです。私は減量も兼ねていたのでカレーは1杯に留めておきましたが、もう1杯食べたかったなあ・・・。

イメージ 17


食事を終えて外に出ると、ちょうど雲海に夕日が沈む所でした。カメラを持ち出して写真を撮ります。1枚、2枚、3枚・・・。雲海に沈む夕日なんて、山に行かないと撮れないですね。良い絵を撮らせて頂きました。

イメージ 9


イメージ 10


イメージ 8

先日、山科会に参加し、Ukraine'43(GMT)をプレイしました。今回選択したシナリオは、シナリオ3「突破」。ドイツ軍の防衛線を突破したソ連軍が、ドニエプル川に向けて突進するシナリオです。今回参加したプレイヤーは計3名。下名が1人でドイツ軍を担当し、後の2人がソ連軍を担当しました。以下はその記録です。
なお、最初のTurnが"第8Turn"となっているのは、シナリオが第8Turnから開始となっているためで、誤記ではありません。


8Turn(1943/9/6-10)

北方はGadyach(3011)とRommi(2809)の間隙でソ連軍機械化部隊が突出してきた。第48装甲軍団(グロスドイッチュランド師団(12-9-6)、第11装甲師団(6-5-6)、第10装甲擲弾兵師団(4-5-6))が低比率4-1で反撃し、運よくこれを撃退するも、決定的な戦果を挙げるに至らず。

南方ではスターリノ(5227)を包囲するソ連軍に対し、ドイツ軍は第3装甲軍団(第3SS装甲擲弾兵師団「トーテンコップ」」(10-9-6)、第23装甲師団(6-5-6)、第17装甲師団(8-8-6))で反撃。一度は包囲を解囲するも、ソ連側の対応移動で再び包囲されスターリノは消耗した。

一度解囲した時にスターリノへの補給線を確保していれば良かったものを・・・。久しぶりのプレイなので勘が鈍ったとは言い訳にもならん!!

イメージ 1


イメージ 2


9Turn(1943/9/11-15)

曇天。このTURN、スターリノが陥落する。同地を守っていた第111歩兵師団(5-8-4)が壊滅してしまう。

ポルタワ南方に突出してきたソ連第5親衛戦車軍を第48装甲軍団、第2SS装甲軍団の2個SS装甲師団(第2SS装甲擲弾兵師団「ダス・ライヒ」(8-6-6)、第5SS装甲擲弾兵師団「ヴィーキング」(10-9-6)を主力とし、装甲師団3個、装甲擲弾兵師団3個、さらに独立重戦車大隊も含む有力部隊)で攻撃した。戦闘比は2-1であったが、空軍支援、装甲軍団シフト、さらには重戦車大隊シフトによって最高比5-1まで持って行って包囲殲滅した。

イメージ 3

ソ連軍第5親衛戦車軍を包囲攻撃するドイツ軍2個装甲軍団

10Turn

2210付近に突出してきたソ連第1戦車軍を攻撃せんと、第2SS装甲軍団、第48装甲軍団が北上する。しかし先ほどの教訓を得たソ連軍は戦車部隊、機械化部隊を散開配備したため、今度は一挙せん滅という訳にはいかなかった。戦果は戦車軍団2個を撃破するに留り、その代償として虎の子重戦車大隊が壊滅してしまう。

イメージ 4



11Turn(1943/9/6-10)

ソ連軍が各地で総花的な攻撃を仕掛けてきた。ドイツ第10装甲擲弾兵師団(6-7-6)がソ連軍機械化部隊の正面攻撃を受けて壊滅。他にも歩兵師団が2~3個が壊滅してしまう。北方の要域Bakhmach(2406)では、ドイツ軍が要塞陣地を築いて待ち構えていたが、こちらでも要塞に籠った第340歩兵師団(3-7-4)がソ連軍の包囲攻撃を受けて壊滅した。

ドイツ軍は先ほどのように装甲部隊を集中した機動反撃を実施を断念。その代わり要点に装甲部隊を分散配備し、ソ連軍の進攻部隊に立ち向かう。北部のPriluki(2210)付近には第48装甲軍団が進出。その南、クレメンチューク(2820)、ポルタワ(3316)間に進出してきたソ連戦車部隊に対しては、第2SS装甲軍団、第3装甲軍団が反撃を実施した。しかし独軍の反撃を察したソ連軍は散開と後退によって反撃をやり過ごし、結局このTurnは戦車軍団2ユニット程度を壊滅させるに留まった。

イメージ 5



12Turn(1943/9/6-10)

北方ではソ連軍が4箇所で攻撃した。しかし戦闘結果は、ARが2回、Cが1回と今一つ冴えない。
南方ではソ連軍が3箇所で構成し、ドイツ軍に対して数ステップの損害を与えた。ドイツ軍は積極的な反撃を行わず、装甲軍団2個を南方に、第48装甲軍団と独立の装甲部隊3個を北部で機動防御を継続する。

イメージ 6



13Turn(1943/9/16-20)

時間的にはこのTurnが最終Turnになりそうである。北方のソ連軍は勝利条件ヘクスChernigov(1604)に対して総攻撃を加えてきた。要塞化された都市を守る第101山岳歩兵師団(5-6-5)に対し、ソ連軍は砲兵と対陣地部隊までつぎ込んで攻撃を加えてきた。二度にわたる総攻撃であったが、結果は振るわずChernigovを落とすことはできなかかった。
しかしその一方で2個戦車軍を先頭に立てたソ連機械化部隊がChernigov南方で独軍装甲師団を撃破。さらに南に向けて進撃を続ける。

南方ではドニエプルペトロフスク(3224)に迫るソ連軍歩戦連合部隊がドニエプルペトロフスクから2ヘクスの距離にあるSheyelnikovo(3925)にまで到達していた。ドニエプル川の線でソ連軍を止めたいドイツ軍は、装甲兵力のほぼ全部に相当する3個装甲軍団を投入。ソ連軍先鋒部隊の包囲せん滅を図る。しかしソ連軍の布陣は固く、簡単に包囲は決まらない。結局ソ連軍先鋒に対しては軽度の損害を与えただけで、装甲兵力を引き揚げさせるしかなかった。

この時点で時間切れとなりお開きである。

イメージ 7



結果(1943/9/16-20)

ソ連軍は、シナリオ開始時に獲得していた12VPに加え、今回のゲーム中に獲得したVPが3点(スターリノ2点、その他1点)で計15点。このTurnにおける勝敗の基準値は16VPなので、ソ連軍のVP僅かに及ばず。ドイツ側が辛くも勝利した。

感想

久しぶりのプレイだったので随分とポカをやってしまった。装甲反撃時に装甲部隊をばらして十分な効果が得られなかったり、拠点に十分な守備隊を配備せず一撃で陥落してしまったりだ。時間をかけるのは本意ではないが、あまりに無様なプレイをするのも頂けない。次回からはもう少し慎重なプレイを心がけようと思った。

いずれにしてもUkiraine'43は面白い。普段あまりプレイされる機会の少ないシナリオ3やシナリオ4も試してみると面白かったりする。陣地帯がない分ドイツ軍にとって苦しいシナリオだが、機動戦と機動防御が堪能できる稀有なゲームである。

機会があれば、Ukiraine'43の定番シナリオ以外もどんどんプレイしてみたい。

↑このページのトップヘ