もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

2013年06月

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世界の傑作機No.102 スピットファイア

文林堂

バトルオブブリテンについて調査したくて本書を購入しました。機体各型解説、技術的解説、マーリンエンジンについて、戦闘記録、そして写真集です。基本的な内容は網羅されていますが、本命の戦闘記録についてはボリューム的にもう少し欲しかったかな、というのが個人的な感想です。

お奨め度★★★

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最近マイブームと化した観のある「ブダペスト45」。
再び対人戦に挑むことになりました。
前回の対人戦ではソ連軍を担当して敗退しているので、雪辱を期して再びソ連軍を担当しました。

1Turn(1月1日)

戦いはドイツ軍の奇襲で始まった。前線では突然の攻撃でうろたえるソ連軍歩兵部隊。驚愕するソ連兵を尻目に、電撃戦を開始するドイツ装甲部隊の図式。

2Turn(1月2-3日)

「ドイツ軍反撃を開始す」
驚愕すべき報告がソ連軍司令部に伝えられた。奴らめ。ホンの昨日まで西部戦線のアルデンヌとやらで反撃作戦を行っていた筈ではなかったのか。
何はともあれ、まずは包囲中のブダペスト市街地を速やかに制圧し、ドイツ軍の救援部隊が到達する前にサドンデス勝利を確定したい。これがソ連軍の基本戦略だ。
とはいえブダペストの独軍は守りが固い。最前線のソ連軍を巧みに避けるように配置されている。これではソ連軍がいきなり全力発揮することは難しい。枢軸軍初期配置の巧妙さに舌を巻くソ連軍であった。
(しかし、この巧妙過ぎる配置が、後に重大な意味を持ってくる)

一方で枢軸軍による反撃の始まった最前線。急進撃を続ける枢軸軍は、ダイス目にも助けられて快調に前進を続けている。しかし我がソ連軍も枢軸軍の攻撃を巧みにやり過ごしつつ後退。なんだかんだ言っても最前線で肝心な所は守れり切れているような気がする。この調子でなんとか時間稼ぎしたい。
このTurn、ソ連軍3個歩兵師団が昇天した。(5-7-4,5-7-4,6-8-4)。

3Turn(1月4-5日)

このTurn、ソ連軍は2個機械化部隊の増援を受ける。第5親衛戦車軍団(13-6)と第9親衛機械化狙撃兵軍団(15-6)だ。さらに最前線から引き揚げてきた第1親衛機械化歩兵軍団(18-6)や第7機械化狙撃兵軍団(17-6)もブダペスト攻撃に加わる。こうしてブダペスト攻撃はようやく本格攻撃開始の感がある。
前線では包囲下の5-7-4狙撃兵師団が壊滅。同じくTatabanya(2717)を守る狙撃兵師団(5-7-4)もドイツ装甲3個師団の攻撃で壊滅した。その南西部の森林地帯(ヘクス3318)の中でも狙撃兵師団(6-8-4)1個が壊滅した。

4Turn(1月6-7日)

ソ連軍はブダペスト攻撃に精鋭第7機械化狙撃兵軍団(17-6)を投入し。ハンガリー軍第12歩兵師団(2-4-4)を撃破した。その攻撃でルーマニア軍歩兵師団(4-6-4)1個が壊滅した。ルーマニア軍バンザイ。

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5Turn(1月8-9日)

枢軸軍がBiscke(2914)、Zsambek(2712)付近で強引に前進してきた。前線に拘置されていたソ連軍機械化軍団2個が予備指定を解除されて漸く動けるようになった。彼らを一気に下げたい所だが、下げ過ぎると枢軸軍が前に来るので、我慢しながら前線に残す。どこかで下げる決断が必要だが、交通要域のBisckeを固守すれば、独軍とて無視はできまい。

このTurn、ブダペストで痛い損害が発生した。前線に突出し過ぎた我が砲兵部隊がブダペスト守備隊の反撃を受けて壊滅してしまう。死に際に2ステップの損害を相手に強いたので「まあよし」と自らを慰める。

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6Turn(1月10-11日)

ブダペスト市街地攻防戦では、ソ連軍の攻撃が急で、既にブダペスト守備隊は戦力の半数以上を失っていた。焦った枢軸軍はブダペスト市内の橋が全部爆破した。これでブダペスト市はドナウ川で2分され、西岸とブダ市街と東岸のペスト市街に2分されてしまう。この時、1つだけ落とされなかった橋があったが、その橋が後に大きな意味を持つことになる。
ブダペスト解放を急ぐ枢軸軍はドイツ装甲師団1個をHantos(4612)、Adony(4309)経由でブダペスト市街地南方から急速突進させてくる。しかしソ連側、そちらに回す兵力がない。どうする。


7Turn(1月12-13日)

枢軸軍が奇襲を仕掛けてきた。と思ったら仕掛けてこなかった。「しめた」と思った。先のTurnの攻防戦でブダペスト守備隊は、守備隊の中核戦力であるSS騎兵師団(8-10-8)2個が相次いで壊滅。他にドイツ軍混成歩兵師団(3-5-4)も壊滅していた。ブダペスト守備隊8ユニット中4ユニットが既に壊滅。さらに生き残った守備隊についても兵力の半数近くを失っており、現有兵力はゲーム開始時の1/4以下になっている。あと2Turnで勝てる。あと2Turnで・・・。

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8Turn(1月14-15日)

「これでドナウ川西岸のソ連軍は全部補給切れですね」
枢軸軍プレイヤーからこう告げられた時、一瞬何のことかわからなかった。ん?。補給切れ?。何それ・・・・。
真相はこうだ。補給線は道路経由で伸ばしていく。そしてドナウ川西岸に全ての補給線はドナウ川の橋梁を通すか、マップ南端から補給線を通すしかない。ところがマップ南端を開放したソ連軍によって枢軸軍はDunapentele(4808)の渡河点と、その南側の道路網を全て押さえた。その結果マップ南側からドナウ川西岸に至る補給線は全て断たれることになる。
ソ連軍の補給線はもう1つ。ブダペスト北側から経由する補給路もある。こちらはSzencondra(2006)の橋梁を経由してドナウ川西岸につながっているのだが、そちらも前進してきた枢軸軍部隊によって抑えられてしまった。
あとはブダペスト市街地を経由する補給線があるが、ブダペスト市街地は未だ枢軸軍が頑張っている。いずれにしても先のTurnにブダペスト市内の橋は「全て」爆破されているので補給線として使えない。

あー。勝利目前のソ連軍は、ポカミスによって勝利の女神から見放されてしまうのか。
神よ。どうしても私に勝たせてくれないのですか・・・・。

個人的にこの種のポカミスが多いのが下名のプレイスタイル上の欠点である。ソロの場合、ポカをすればやり直せば良いが、対人戦の場合はそうはいかない。ソロプレイ中心だと、細かいツメの甘さが出てしまう。この種のポカは痛い目を見て矯正するしかないかな、と、思っている。

しかしその直後あることに気づいた。
「あれ、ブダペストの橋って一つだけ残ってますよ」
そうなのだ。ブダペスト市内の橋梁は枢軸軍がいつでも爆破できるのだが、1つだけ例外がある。第1Turnだけは破壊できないのだ。そして第1Turnに枢軸軍が放棄した橋は、第2Turn以降はソ連軍が支配するところとなり、以後枢軸軍による橋梁破壊の対象外となる。そして1箇所、枢軸軍が放棄した橋が残っていたのだ。一番北側の橋、2605と2606を結ぶ橋梁はセットアップ時に枢軸軍が放棄していたものだ。そこを通すとブダ市街付近までは補給線を通すことができる。ブダペスト市街地ヘクスを全部占領すればサドンデス勝利なので十分だ。

結局次Turnにブダペストは陥落。ソ連軍のサドンデス勝利が確定した。

感想

後半がグダグダになってしまった感がある。補給線のことや橋梁については両者ともポカがあり、それはそれで面白いのだが、お互い悔いの残る結果となってしまった。お互いベストムーブで再戦したい思いは残る一戦であった。

今回は第9Turnにブダペスト市街が陥落した。史実に比べるとかなりハイペースだが、機械化部隊をブダペスト攻撃に投入すればこのような結果になるのは間違いないと思う。ブダペスト守備隊の戦力はデフォルトで68戦力。第3Turn以降のソ連軍の攻撃で失われたブダペスト守備隊の戦力は毎Turn9~13戦力のペースであった。結局8Turn終了時点で残っていたブダペスト守備隊は2ユニット計6戦力。これではブダペスト陥落を阻止することは困難だろう。

我々のプレイが間違っているのかもしれないが、現状のままだとブダペスト陥落以前に枢軸軍がブダペスト市街地へ救援部隊を突入させるのは相当困難だと思われる。

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九州新幹線開業以来、九州幹線の旅行は面白味が減ってしまいました。
なんせ、かつては特急で博多から西鹿児島まで4時間かけて移動していた所を、現在では新幹線でたったの1時間。便利になったことは間違いないのですが、旅情を楽しむという雰囲気ではなく、完全な移動手段。まあこれも時代の流れでしょう。

その分、面白味が増したのが、山間部を走る肥薩線の旅。熊本、八代、人吉、吉松、隼人、鹿児島という経路で結ぶ九州山地の旅は、山あり、川あり、海ありで、鉄道旅行の醍醐味を満喫できる魅力的な路線です。
さらに2004年の九州新幹線部分開業からは、ローカル線だった肥薩線に観光特急や観光列車が走るようになり、旅の魅力が加わりました。

今回はその肥薩線を紹介します。

熊本-人吉

熊本-人吉間は特急「くまがわ」で移動しました。特急とはいってもディーゼル2両のローカル特急で、かつての急行「くまがわ」を無理矢理特急に格上げした感が強いです。とはいってもちゃんと車販嬢も乗務しているので、特急としてのサービスは維持しています。
ちなみ熊本から八代までは肥薩線ではなく鹿児島本線で、八代から先が肥薩線になります。景観的に面白いのは八代から先で、日本三大急流と呼ばれる球磨川が目の間を流れます。

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人吉-吉松

人吉から吉松間はループ線やスイッチバックが続く肥薩線最大の難所です。この路線は観光列車「いさぶろう・しんぺい」が走ります。観光列車なので乗客はほぼ全員が観光客。その証拠に途中駅で下車する人や途中駅から乗ってくる人はいません。観光列車なので鈍行にも関わらず案内嬢が乗務しています。ちなみに今回の案内嬢はアナウンスが絶妙でした。

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吉松-鹿児島中央

吉松から先は観光特急「はやとの風」。こちらも特急というには大袈裟なディーゼル2両編成で、鈍行を無理矢理特急に格上げしたという感じ。ただ「観光特急」と銘打っているだけのことはあり、内装は豪華です。
この路線の見所は途中駅。明治から使われ続けている駅舎とか、戦時中に受けた機銃掃射の弾痕が残っている駅舎とか、そういった珍しい駅を見学できます。

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とまあこんな感じでしたが、機会があれば九州の観光列車での旅も宜しいのではないでしょうか。
多分同じ路線を近々もう一度旅する予定なので、その時は各列車のレポートをもう少し詳しくする予定です。

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熊本ラーメンとはいっても、この店は熊本市内にはありません。
天草への入口ともいうべきJR三角駅前にあります。

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JR三角駅。
天草の入口とはいっても、実際には熊本市内から天草方面へバスやフェリーが直行していて、わざわざJRを使って天草へ行く人は少ないです。結果、この三角駅も天草方面へのターミナルといった風情はありません。

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そんな三角駅が再び注目され始めたのは、JR九州が熊本と三角を直結する観光特急「A列車で行こう」を2012年より走らせ始めたからかも・・・。この特急。特急とは言っても僅かに2両編成。しかも所要時間45分ぐらいのミニミニ特急です。鈍行と比べても利便性で大きな差はなく、観光特急ということ以外に特急としての意味はありません。

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肝心の「古亭」についてですが、店はカウンター席が5つだけの小さなお店。ラーメンは純粋な熊本風。チャーシュー麺を頼むとチャーシュー6~7枚がどっさり乗っている豪華ぶり。それでいて値段が\550と良心的。味は絶品とまでは言わないまでも、それなりに旨い。この店の見どころは、店のおかみさんで、かなりの婆さんですが、とにかく面白い。どう面白いかは行ってみてのお楽しみです。

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「ラーメンを食べに三角に行った」というよりは「特急に乗ったついでに三角でラーメンを食べた」というのが実態なのですが、食べて損のない店でした。

お奨め度★★★

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War Machine Report No.23 湾岸戦争デザートストーム作戦

アルゴノート社

湾岸戦争におけるカラー写真とレポート集からなる小冊子。戦場でのカラー写真はそれなりに見ごたえがあるが、レポート集についてはWikipediaに毛が生えた程度の内容で、資料的価値は乏しい。そのくせ価格は\2,700もするのだから一体どうしたものか。今なら洋書でもっとマシな内容の資料が簡単に手に入る時代になっているのに・・・

お奨め度★

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