もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

2013年07月

事実上、夏休みの初日となる某日曜日。下名はYSGA追浜例会に参加しました。
YSGAの例会では、本格的なゲームをガッツリプレイしよう、という感じのゲームが多いのですが、この追浜例会はちょっと趣が異なります。どちらかといえば軽めのゲームをいくつかプレイしよう、とか、今までプレイした事がないゲームの練習プレイをしよう、といった感じのプレイが多いような気がします。まあ、下名が勝手に思っているだけかもしれませんが・・・。

今回私がプレイしたゲームは以下の通りです。

Paths of Glory(GMT)

Ted RaicerデザインによるWW1キャンペーンゲームの傑作です。
今回対人戦は2度目ですが、まだまだ不慣れなことを露呈してしまいました。
詳細については後日報告します。

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西南戦争(WGJ#13)

Paths of Gloryが比較的早めに終わったので、2戦ほどプレイしてみました。
政府軍、薩摩軍をそれぞれ担当し、いずれも勝利を収めました。
全般に薩摩軍の方が難しいように思えますが、熊本城に対する攻撃がうまくいけば、勝機があります。あとは西郷どんも意外な所で効いてくるかも・・・。研究し甲斐のある作品だと思いました。1ゲーム1時間弱という手軽さも魅力です。

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その他

他の卓では、Here I Stand(GMT)、Asia Engulfed(GMT)、June - August'44(CMJ)がプレイされていました。

この中で特に注目したのはAsia Engilfed。今までは積木ゲーということで、硬派な太平洋戦争ゲーマーを自認する私にとってはやや「場違い」な感があり敬遠していたのですが・・・。コンポーネントを見ているとちゃんとした太平洋戦争しているではありませんか。エリア式のマップはVictroy in the Pacific程大雑把ではなく、史実で激戦があった場所はちゃんと激戦が起こりやすくなっています。ユニットには個艦名や機種名こそありませんが、陸海空の区別や空母、戦艦、巡洋艦といった艦種の区分もちゃんとあり、空母にはちゃんと艦載機が搭載されています。戦闘も夜戦と昼戦の区別がしっかりとなされているようで、そこそこ面白そうだと感じました。
Amazon.comで調べると$64.98とのこと。送料込みで$100弱といった所でしょうか。さてさて・・・


Here I Stand(GMT)については、傑作という話は聞いていたのですが、マルチゲームでしかもテーマが「宗教改革」といったら下名にとっては興味の対象とは成り得ず、取りあえず「様子見」としていました。しかし傑作ゲームとして名高い作品なら、一度ぐらいはプレイしてみたいなあ。そう思っていたら、次々回のYSGA例会で早速メンバーに組み込まれてしまいした。担当はプロテスタントだそうです。マルティン・ルターぐらいは中学校の歴史の教科書で読んだことはあったけど、高校では世界史取らなかったので縁がなかったしなぁ・・・。

帰りの中華料理屋で話題になったのが、第2次ポエニ戦争を扱った傑作ゲーム「Hannibal」。下名が「ハンニバルってプレイしたことないよー」って話すと、一同、まるで外国人を見るように冷たい目で・・・。ポエニ戦争如きがそんなに普及していたとは知らなかった・・・。これは早く買わんと如何カモ・・・。

という訳でゲーム三昧の楽しい1日は過ぎていきました。


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戦史叢書24-比島。マレー方面海軍進攻作戦

防衛庁戦史室 朝雲新聞社

開戦劈頭のフィリピン攻撃とマレー進撃作戦を扱っている。主な作戦としては、フィリピン空襲、マレー上陸作戦、マレー沖海戦、エンドウ沖海戦等である。単なる作戦経過だけではなく、開戦前の準備等にも焦点を当てており、同方面における海軍作戦については概ね知悉できるレベルの内容になっている。別の所で書いたかもしれないが、比島に対する零戦による攻撃が、当初の空母利用方針より台湾からの直接攻撃に変化した経緯について、台南空よりも第3航空隊による研究の成果が大きかったと書かれている点、興味を引いた。

お奨め度★★★

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激スタが終わった後、「志士の時代」5人プレイに参加しました。「志士の時代」はウォーゲーム日本史8号の付録ゲームで、プレイヤーは幕末日本を裏から操る黒幕的な役割を演じます。プレイヤーは、自分の息のかかった志士達が幕末史に与えた影響力の大小を比較し、勝敗を競います。だから「僕は長州」「私は会津」といった感じでプレイヤーの役割が最初に決めてある訳ではありません。

妄想、幕末史

このゲームは自分の影響下にある志士を決定するために「競り」をする。5人プレイだとセリの目安をつけるのが難しい。少人数の場合と比べると値段が吊り上げられる傾向が強いので、どのあたりに見切りをつけるか、あるいはブラフをかけて相手のセリから落とすか、といった判断に迷うことになる。

序盤、島津斉彬、山内容堂あたりを抑えた私。薩摩、土佐藩士系で固めていきたい所だが、土佐はとにかくとして、薩摩は人気の高いエリアなのでなかなか競り落とせない。結局第4Turnまでに、左記の2人の他、後藤象二郎、勝海舟、坂本龍馬、河合継之助を競り落としただけだった。一見強力な布陣だが、島津斉彬、坂本龍馬は病死、暗殺によって途中で脱落するので、最後まで使えるのは4人。他陣営に比べると層が薄い感は否めない。それでも第3Turn終了までは、大政奉還、平和維新路線を堅持し、勝利得点で真ん中ぐらいの位置をキープしていた。

そして迎えた第4Turn(最終Turn)。我が陣営の方針としては、最後まで大政奉還、平和維新路線を堅持し、戊辰戦争には持ち込まずに第2位あたりをキープする予定であった。そのために勝海舟、後藤象二郎らの暗躍でなんとか大政奉還路線を堅持しようと努めた。しかし時代の流れは倒幕、武闘革命路線。その流れを止めるのは最早不可能である。ここに至って我が陣営は平和路線を放棄。武闘路線で徳川を中心とする立憲君主国家を目指す方向に路線変更した。

山内容堂公率いる土佐藩士が京に進軍。戊辰戦争が始まった。
まず鳥羽伏見の戦いでは、明治帝が徳川幕府軍を官軍とみなし、倒幕を図る薩摩・長州はいきなり賊軍となってしまった。京都の警備にあたっていた土佐藩士は、状況を見て幕府側に加勢。新兵器ガトリング機関砲の威力も相まって、薩摩軍を撃破。京の支配権を握った。
勢いに乗る徳川側は、江戸から「薩摩征伐」を発令。幕府の大軍が薩摩へ攻め込んだ。薩摩征伐戦である。兵力に劣り、さらに賊軍の汚名まで着せられた薩摩に勝ち目はなく、薩摩軍は壊滅。九州一帯は幕府の支配する所となった。
このままでは徳川の世が続いてしまう。
窮地に立たされた長州藩は、そこで起死回生の策に打って出る。軍事的天才大村益次郎率いる長州の軍勢が、土佐藩士の守る京都に大挙として押し寄せたのだ。土佐藩は例によって新兵器ガトリング機関砲、そして錦の御旗を武器に抵抗するが、大村益次郎の軍事的天才がそれらを上回った。土佐藩は京都から排除され、京は再び倒幕派の支配する所となった。
この状況を見て動いたのが第15代将軍徳川慶喜。いきなり倒幕派に対して恭順の態度を見せたかと思うと、ここで勝海舟がしゃしゃり出て倒幕派と停戦交渉をする始末。勝の暗躍によって江戸に残っていた幕府兵は解散せしめられ、京都から進軍してきた長州藩士が江戸城に入城。江戸の支配権を握った。兵力で勝り、さらに官軍であるはずの徳川幕府軍は、いきなり江戸、京といった日本の主要部を失ってしまう。
その後会津、仙台、長岡の奥州雄藩が奥羽列藩同盟を締結。江戸に陣取る長州軍と睨み合う状態。といったところでゲーム終了となった。

日本に未来は、いったいどっちだ?。

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感想

「競り」が難しかったです。志士の数がわかっていれば、あと何人か目安をつけられるのですが、残り枚数を数える訳にもいかず、どこまで突っ張るかは難しい所でした。あとで調べてみたところ、志士の数は11,8,8,7+2だったので、5人プレイの場合、毎ターン2名競り落とせば「御の字」と言えます。実際には合計で7人落とせば良しとすべきでしょう。今回、私の場合は競り落としたのが6人だったんで、やや少なすぎたようです。

いずれにしても1~2時間で終わり、3~6名なら何名でプレイしても面白い本作は、傑作ゲームと評して良いと思います。



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小田原駅に隣接したラスカ(LUSCA)という商業ビルの2Fに「小田原麺屋通り」と呼ばれる一角があります。
内容的には平凡なフードコートなのですが、ここの店構えが特徴的。ラーメン、うどん、焼きそばといった「麺類」を扱ってみる店ばかりを集めた点に特徴があります。

その一角に「長田本庄軒」と呼ばれる神戸風焼きそばのお店があります。ここのメニューは、そばめし、ぼっかけ焼きそば、ぼっかけオムそば等個性的なものが多く、値段も良心的です。

伊吹山登山から戻ってきた日、この「長田本庄軒」で夕食をとりました。注文したのはぼっかけ焼きそばの(中)。一見なの変哲もない焼きそばなのですが、やや太めの麺が特徴的。この太い麺に肉やキャベツといった具材を絡めて食べる焼きそばは、変な癖が少ないのに、何故か美味しい。
機会があれば試してみてください。

お奨め度★★★

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ソフィアゲームクラブにて最近マイブームになっているGame Journal#47「激闘!スターリングラード電撃戦」。
またもやプレイしました。今回もソ連軍を担当しました。
以下はソ連軍側から見た記録です。

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1Turn(6月)

イメージ 16独軍が最初のボーナスで第6軍を選択したのが特徴的。その後にヴォロネシ方面軍が出たので全軍後退させたが、4PzAがその直後に出てヴォロネシに向けて大いに前進する。先のヴォロネシ方面軍移動時に司令部を後退させることを怠ったため、司令部が敵中に残される危機に陥った。

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2Turn(7月前半)

イメージ 15ヴォロネシ方面軍の司令部は危うくドイツ軍による捕捉を免れてドン川(Don.R)後方に撤退成功した。一息つくソ連軍。ドン川沿いに防衛線を引きたい所だが、ヴォロネシ北方についてはドン川沿いに部隊が展開できていない。そこから独軍が渡河してくるのが厄介だ。案の定独軍はヴォロネシ北方でドン川を渡河。北からヴォロネシに迫ってくる。

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3Turn(7月後半)

ヴォロネシ西方に展開するドイツ第4装甲軍と第6軍の間隙に反撃を指向すべく装甲兵力を集中せしめた。しかしその刹那、ドイツ第1装甲軍がMillerovo(1419)付近から突破してきて、ドン回廊を突進する構えだ。独軍が北方に攻勢を集中する構えを見せたため、それに対応する形でソ連軍も北方に兵力を集中したが、その分南方が手薄になり戦線が危うくなる。

イメージ 17ドン回廊の危機にも関わらず、否、だからこそ一層反撃を行わなければならない。
反撃を機会を伺っていたソ連軍は、遂にその刃をヴォロネシ西方に向けた。
戦車軍団(4-3-6)3個と親衛歩兵師団(3-4)1個をつぎ込んでドイツ第4装甲軍と同第6軍の間隙で包囲攻撃を実施。ドイツ軍歩兵師団1個を撃破し、敵戦線に突破口を穿つに成功した。
この作戦の目的は、戦略的効果を狙ったというよりは進撃中のドイツ第1、第4装甲軍の背後を脅威することにより、これら装甲軍の進撃をストップさせることであった。しかしドイツ軍に動揺はなく、第4装甲軍は背面の脅威に適切な対処を行いつつ主力は進撃を続行する。

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結局第4装甲師団は要域ヴォロネシをこのTurnに陥落させてしまう。さらにドン回廊を進む第1装甲軍は、ソ連側守備兵力の少なさを良い事に無人の野を進むが如く前進してくる。

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4Turn(8月前半)

ソ連軍によるヴォロネシ西方の反撃作戦は、なおも継続されている。このTurn、包囲攻撃により独軍歩兵師団(3-5)1個を葬った。しかしドイツ軍はヴォロネシ西方における我が軍の反撃に脅威を感じたのか、あるいは我が野戦軍撃破の好機と見たのかは不明だが、それまで前進を続けていた第4装甲軍が反転してきて北側から、また第4装甲軍を追随する形になっている第6軍が南東から攻めあがってきた。ドン川西岸に展開中のソ連反撃部隊(戦車軍団5個を含む)は2正面から締め上げられる形になる。さらにドン回廊を進撃中のドイツ第1装甲軍も、その進路を東から北へ変じ、ソ連側反撃部隊を南側から締め上げる。

イメージ 18ドイツ軍の包囲攻撃は猛烈を極め、狭い地域に閉じ込められたソ連軍反撃部隊は次々と撃破されていった。
結局Turn終了時にドン川西方に突出していたソ連軍部隊のうち その殆どが壊滅するという惨憺たる敗北を喫した。機動反撃の主役ともいうべき戦車軍団も4個以上を失い、それは南部戦線にソ連軍が投入していた戦車軍団の約半数を占めるという貴重な機動打撃兵力であった。この損害は痛かった。

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ドイツ側装甲部隊が去ったドン回廊では、その兵力はドン回廊でも装甲部隊を引き抜かれた歩兵だけになった第17軍がドン川周辺でソ連軍歩兵師団を包囲殲滅。3個師団以上が撃破され、ドン回廊は「ノーマンズランド」に近い状態となってしまふ。

このTurnはソ連軍にとって「暗黒の8月」になった。

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5Turn(8月後半)

ドイツ軍はヴォロネシ正面から装甲兵力を引き抜き、ドン回廊にその装甲兵力主力を向けてきた。主力というよりもほぼ装甲兵力の全力投入といって良い。
やばい。
ドン回廊は手薄だ。
急いで守備兵力をスターリングラード正面に回すが、果たして間に合うか・・・。

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6Turn(9月)

ドン回廊にシフトしていたドイツ第4装甲軍がいきなりチットを2回連続で引いてきた。カラチ付近の大鉄橋でドン川を渡河したドイツ装甲部隊は、そのままスターリングラードに突進し、スターリングラード市街地の北半分を占領した。
ソ連軍は南西方面軍をシフトさせてスターリングラード方面に転進せしめる。なけなしの戦車軍団(4-3-6)5個と親衛歩兵(3-4)を引き連れて。

イメージ 19しかし手遅れだった。第4装甲軍に引き続いて活性化した第1装甲軍がスターリングラード市街地南半分に突進。守備体勢の整わない陣地帯をドイツ装甲師団4個が強襲。スターリングラード市街地全域がドイツ軍の支配下に落ちた。

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7Turn(10月)

イメージ 20ソ連軍が反撃に転じた。
まず動いたのはロストフ南方。コーカサスへの入口といった平原地域を反撃の基点とし、現在ドイツ軍の包囲下のロストフを救出すべく戦車1個軍団をつぎ込んでの反撃戦である。この反撃でドイツ歩兵師団1個に損害を与えたものの、戦果は必ずしも大きくなかった。
そしてこのTurn、ドイツ軍の猛攻によりロストフは陥落する。救出が間に合わず、ドイツ第17軍の攻撃を受けた結果だった。

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イメージ 21一方スターリングラード方面では久々の大戦果をあげた。虎の子戦車4個軍団を投入した攻撃でドイツ軍第14装甲師団(8-4-10)を包囲殲滅。装甲師団撃破の大戦果に沸くSTAVKAなのであった。
さすがのドイツ軍もスターリングラード方面に出てきているのは装甲部隊のみで、側面を守る歩兵戦力の不足は明らかだ。反撃の機は熟した。精鋭戦車軍団を中心とする反撃部隊は、ルーマニア軍歩兵が守る戦線左翼側面に向けて反撃の準備を進めていた。

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8Turn(11月)

時は今。今でしょ。

イメージ 22STAVKA自らが陣頭指揮に立ち、さらに南西方面軍司令部、南方方面軍司令部と2個の方面軍司令部をつぎ込むソ連軍の反撃は凄まじい。スターリングラードのすぐ西側では、ドイツ軍戦線の後方を浸透したソ連戦車軍団が要域カラチに接近。スターリングラードへ向かう鉄道連絡線を脅威した。
さらにその西方では、ルーマニア軍を撃破したソ連戦車軍団が鉄道線に向けて南下し、数ヶ所で鉄道線上に達した。スターリングラードに向かう補給線が遮断されたのである。
ドイツ軍は直ちに反撃に転じた。スターリングラード周辺で拘束されていた装甲部隊をカラチ方面への反撃に向け、さらにドン回廊で鉄道線上に陣取るソ連軍を排除すべく装甲2個師団がさらに西へ向かう。
恐れていた事態。しかし素早く反応するドイツ軍であったが、時既に遅し。前線で戦う装甲部隊に補給切れの影響が少しずつ出始めていた。ソ連軍の反撃もまた強力であった。如何に強力なドイツ軍装甲部隊であっても、度重なる損耗や兵力転出、戦線拡大等によって往年の力は既にない。鉄道線上に陣取るソ連軍を排除することは不可能であった。
残された道は唯一つ。スターリングラードからの撤退である。・・・・

今回の記録はここで終わりとしたい。その後ドイツ軍は、スターリングラードからベルリンに至る2年以上にも及ぶ過酷な撤退戦を経験することになるが、それはまた別のお話である。

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感想

今回で3回目のソ連軍である。今回もベストプレイとはいえず、色々とミスを犯してしまった。
何度かプレイしてみて、やはりドイツ軍が難しいと感じている。特に補給に関するルールが厳しいため、鉄道沿いに進みざるを得ない点、ドイツ軍の進撃パターンを固定化し、ソ連軍の守りをやりやすくしている。
とはいえ、今回感じたことだが、司令部を集中した時のドイツ軍の恐ろしさや、戦線を縦横に駆け回るドイツ軍機械化部隊の脅威を肌で感じることもできた。

まだまだ研究し甲斐のある作品と言えよう。

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