もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

2013年10月

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八甲田山登山の翌日、北東北のローカル私鉄に乗ってきました。

弘南鉄道弘南線

JR弘前駅と黒石駅を結ぶ全長約17kmのローカル線です。使っている車両はかつて東急線で使用していたステンレス車。この種の旧式私鉄車両は、弘南鉄道以外で上田電鉄でも使われています。
片道約30分のローカル線の旅。車窓は市街地、田圃、そして遠景には岩木山。平凡ながらも津軽っぽい風景が広がっています。途中「田んぼアート」という駅があり、途中下車したい衝動に駆られました。

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弘南鉄道大鰐線

中央弘前-大鰐間の約14kmを約30分で結ぶローカル私鉄。上の弘南線に比べると列車本数が半減(1時間に1本、弘南線は30分に1本)し、輸送需要の少なさが伺えます。そりゃまあJRで10分強で走り切る距離を倍以上の時間をかけて走るのだから、さもありなん。弘前側の始発駅中央弘前が、JR弘前に比べるとやや市街地中央に近い場所にある点がメリットと言えばメリットかな。
昼前になると地元の中高生が数多く乗ってきたので、中高生の通学路線としては今でも機能しているようです。
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写真の「平賀ひろこ」さんという女性職員の方に是非お会いしたかったのですが、残念ながらお会いできませんでした。本当に残念です。

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何故か吊革に「東急食堂」なる文字が・・・。弘前で東急本店8階の東急食堂を紹介されてもねぇ・・・。(第一今でも「東急食堂」なんて残っているのだろうか・・・


秋田内陸縦貫鉄道

冬の雪景色が圧巻なローカル私鉄です。(冬のレポートは-->[@@ こちら])
今回は10月初旬。紅葉にはややまだ早い。沿線風景はそれなりに風情がありますが、紅葉もまだちょっという感じでした。
角館に到着する直前、列車から見えるところに「田んぼアート」があり、少し楽しめました。
ちなみにこの列車は車販嬢が乗務しており、それが秋田娘的なスタイルです。最近はローカル私鉄にも車販嬢やアテンドさんが乗務している例が多いので、旅先の楽しみが少し増えました。

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所要の為午後からの参加となった10月12日のYSGA例会。
以下のゲームをプレイしました。

真珠湾強襲(GJ#39)

太平洋戦争キャンペーンを扱ったゲームです。比較的簡単なルールで太平洋戦争全局面を再現しようとするゲームです。米軍を担当しました。結果は別途報告します。

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箱館戦争(WGJ#06)

戊辰戦争最後の戦い、箱館戦争をP2PとCDSで再現したゲームです。ルールは比較的簡単ですが、新政府軍の攻め口が難しいゲーム。下名は共和国軍を担当しました。結果は共和国軍の勝利です。以前に「新政府軍の攻め口が難しい」と書いたのが、そのままの結果となりました。

箱館湾海戦(WGJ#06)

戊辰戦争における水上戦闘を1艦1駒で再現したゲームです。比較的簡単なルールなので、その場でインストしてプレイ可能でした。松前沖海戦(仮想戦)をプレイしました。これは「開陽」以下4隻の共和国軍と「甲鉄」以下5隻の新政府軍が戦うというシナリオです。下名は新政府軍を担当しました。こちらの戦果は「蟠龍」撃沈、「回天」中破。損害は「第二丁卯」他1艦中破、「春日」小破。ヒット数の差は微妙でしたが、松前砲台に損害を与えられなかったので、勝利条件上は敗北となりました。

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その他の卓では、コルスン(CMJ#97)、Here I Stand!(GMT)、Bismark(AH)、アフガン戦争、南北戦争等がプレイされていました。

おまけ。↓これ、欲しい・・・。

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八甲田山登山からの帰路、岩木山展望台という場所で見た夕陽です。
岩手山展望台は国道103号線のすぐそばにあり、車でもアプローチが容易な場所。
見える山は言うまでもなく津軽のシンボル岩木山です。

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「関ヶ原大作戦」(Game Journal#32)は。多く出版されている関ヶ原合戦ゲームの中でも、プレイしてみるとなかなか面白い傑作ゲームである。そこで今回、「関ヶ原大作戦」の簡易レポートを紹介する。下名はいずれも西軍を担当した。

第1章-->こちら

第2章 秀頼出陣

第1戦は惜しい所まで行ったものの、作戦面ではミスの目立った戦いでもあった。そこで今度はもう少し慎重にプレイしようと思い再び西軍でチャレンジした。

イメージ 3序盤の展開は前回とほぼ同様だった。東軍が岐阜城を陥落させてポイントを獲得すると、西軍も宇喜多秀家が伊勢の安濃津城と松阪城を陥落せしめてすかさず同点。毛利元康隊が大津城を落城させるに及んでポイントで西軍が有利にたった。この状況を見た淀君は秀頼の出陣を許可。秀頼公が早くも大坂城の外に出た。

この時点で西軍は早くも勝利を確信。このまま秀頼公の威光を背景に福島、黒田ら豊臣恩顧の武将を調略戦で崩していけば良い。

イメージ 4その頃主戦場である関ヶ原方面では、北陸道から大谷吉継隊が到着し、要域赤坂に陣取る。しかし東軍も岐阜城を陥して勢いに乗る福島、黒田の両隊が赤坂に陣取る大谷隊に殺到した。地形的には有利な場所に陣取っていた大谷隊であるが、この時の東軍は強かった。西軍脇坂安治、朽木元綱が次々と討死。大谷吉継にも危機が迫る。大垣城を急遽出撃してきた石田三成が大谷と合流。大谷吉継は辛くも窮地を脱した。
その後、石田と黒田、福島両隊が赤坂の地を巡って激闘を繰り広げることになる。西軍の攻撃で東軍黒田長政隊が大損害を被りほうほうの体で後退していく。一方の石田隊も福島正則隊の猛攻撃を受けて苦戦を強いられる。結局石田三成隊は赤坂を放棄。笹尾山と松尾山を結ぶ線上に後退した。

イメージ 5東軍は引続いて大垣城攻略に着手する。福島、細川、池田等の他に、戦場に到着した徳川家康隊が加わり、大垣に猛攻を加える。大垣城は守備隊2隊で守られており(他の城はいずれも0~1隊)、それなりの抵抗力が期待できた。東軍の猛攻で大垣守備隊はかなりヤバイ状態になったが、大津方面から転進してきた毛利元康隊が大垣城に到着。大垣城の危機は一応回避された。

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イメージ 5東軍は大垣西方から突破を企図。家康本隊を含む主力部隊が南宮山の北側から関ヶ原盆地を目指す。一方伊勢方面から転進してきた宇喜多秀家隊が家康本隊を側面を痛撃した。家康本隊6ユニットのうち3ユニットを除去。残り3ユニットがステップロスした状態で戦線後方へ下がっていく。

変わって前線に登場してきたのは福島正則隊である。福島隊は笹尾山に陣取る大谷吉継隊を強襲した。大谷隊は島津、島左近といった精鋭部隊からなる打撃部隊に再編制されていたが、ユニット数が3ユニットとやや少ない。そしてそこを突かれると脆い。福島隊の猛攻を受けて大谷隊は壊滅。大谷吉継も討死してしまう。
福島隊は関ヶ原を抜けて近江に進出。そのまま佐和山城を強襲しこれを陥落せしめていた。

ここで流れが変わった。調略戦で東軍が有利に立ったため秀頼公による調略作戦が使い辛くなってしまった。それにしても秀頼公出陣後一度も秀頼による調略カードが出なかったのが痛い。

大谷討死さらには佐和山陥落等で再び調略戦で優位に立った東軍は、南宮山に陣取る吉川広家隊に対して調略を実施した。調略に成功して吉川広家は東軍に寝返った。しかし南軍山の麓に陣取っていた宇喜多秀家が吉川広家をすかさ猛攻。これを壊滅せしめていた。

近江戦線では佐和山を落した後の福島隊が敦賀に向けて北上した。敦賀城には石田三成がいる。石田三成を倒せば東軍のサドンデス勝利だ。敦賀に接した福島隊が城攻めに差し掛かる。その時石田三成が叫ぶ。
「秀頼さまが御出馬されておるぞ、ぬしは秀頼様に弓を引けるかぁ」
最初は三成の恫喝を無視していた正則であったが、二度目に同じ恫喝を受けた時は遂に屈した。
「すまん、俺が間違っていた」
福島隊は西軍に寝返ったのである。

敵側非主戦派大名を寝返らせる方法として、調略と恫喝がある。いずれも専用カードを引くことにより実施可能。またそのためには東軍は家康が盤上に存在していること。西軍は秀頼公が出陣していることが条件だ。調略はリスクなしで盤上にいる敵側非主戦派武将1名を寝返らせることができる。リスクはない代わりに成功率はそれほど高くない。また盤面の状況が自軍に有利と判断される(調略マーカーの位置で表現されている)状況でなければ調略できない。一方の恫喝であるが、これは調略マーカーの位置に関係なく実施でき、かつ成功率も比較的高い(秀頼、家康に隣接した状況で実施すると成功率2/3)。しかし失敗すると調略マーカーとすべての戦意マーカーが2マス敵側有利に移動すると、リスクは大きい。ちなみにマーカーが2列移動というのは、岐阜、佐和山、大津、大坂といった大規模城郭が陥落した場合と同じ効果がある。
上記の例については、石田三成に隣接した福島正則に対して西軍が恫喝を実施。最初の試みは失敗しマーカーが2列東軍側に移動したが、2回目の試みで成功。福島正則が西軍についた。

イメージ 6期待の福島正則がまさかの裏切りによって東軍の作戦は、大幅な変更を強いられることになった。家康本隊が僅か3ユニットにまで削られながらも関ヶ原盆地を突破。琵琶湖畔に進入した。琵琶湖東岸を南下した家康隊は西軍の反撃を回避しつつ水口城を占領した。それを西軍宇喜多秀家隊が追う。伊賀上野から大阪を目指す家康本隊。それを追う宇喜多隊。家康本隊が大坂城に達した時、その後方から宇喜多隊がすぐそこまで来ていた。家康本隊にまたもや壊滅の危機が迫る。

この危機を救ったのは、遠く美濃に展開中の徳川秀忠隊と細川、池田の各隊だった。彼らは大垣城を強襲。これを陥落せしめていたのである。大垣城の陥落によって調略ポイントが東軍側サドンデスラインを越えたので東軍の勝利が確定した。

感想

何度プレイしても盛り上がる傑作ゲームである。プレイ時間も1~2時間とお手軽で、ルールも至ってシンプル。初心者でも無理なくプレイできる。無論欠点がない訳ではない。松尾山がなぜか城郭になっていたり、清州方面から西へ向かう道がなぜか全て大垣城の前面を通るようになっていたり(長良、木曽、揖斐の下流域には何故か橋がない)、石田三成の配下に何故か小西行長や島津義弘がいたりと、細かい点を挙げればキリがない。そういった意味で本格的な戦国ファンの方にとっては眉をひそめる部分もあるだろう。しかしそのような細かい欠点を補って余りある面白さが本作にはある。

数ある関ヶ原ゲームの中では決してメジャーとは言えない「関ヶ原大作戦」。タイトルやコンポーネントに騙されず、一度プレイして頂きたい。病みつきになること請け合いの傑作ゲームである。

P.S. 本作もVASSALによるメール対戦に好都合な作品です。もしVASSALによるメール対戦でお相手頂ける方がいらっしゃいましたら、お声掛け下さい。


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タイトルがベタでなんだか胡散臭そうな「関ヶ原大作戦」(Game Journal#32)。関ヶ原ゲームが数多く出版されている中にあってあまり注目されていない作品であるが、プレイしてみるとなかなかどうして面白い。エンドターンが決まっていないため初心者同士がプレイしたら千日手になってしまう危険性がある。しかしベテラン同士、あるいはベテランと初心者が対戦したら十分に楽しめる。

このゲームはカードを使って行動するタイプのゲームである。では、カードドリブンか、といえば、実はそうではない。カードは実は行動チットの代わりに使っている。カードに直接行動可能なユニットが書かれているので、どのユニットが移動可能かどうかは悩む必要がない。
もう一点、このゲームの特徴的なルールが戦闘システムである。なんとこのゲーム、戦闘時に攻撃側が一方的に殴るシステムになっている(攻城戦除く)。どういうことかと言えば、攻撃側が攻撃を行うユニット毎にダイスを振り、火力値以下の目を出せば1ヒット得られる。この時、防御側による反撃は一切なし(攻城戦除く)。
「それじゃ攻撃側が圧倒的に有利じゃないか」
という声が聞こえてきそうだが、そこはひと工夫してあって、ユニットは1回のアクションで移動か戦闘がどちらかしか行えなくなっている。つまり攻撃側は敵を攻撃するためにまず移動で敵ユニットに隣接する必要があり、隣接したということは、元々そこにいた敵ユニットから先制攻撃を受ける可能性があるということだ。無論カードの出具合によっては接敵直後に同じ種類の行動カードが出て先制攻撃できる場合もある。その点カードの引きにより有利不利が結構厳しいが、その分展開が劇的で飽きない。その他ルールが簡単なのでハチャメチャな展開になることもあるが、それはそれで面白い。1~2時間で終わるゲームなので、何回もプレイできる点も良い。

そこで今回、「関ヶ原大作戦」の簡易レポートを紹介する。プレイ時間はいずれも1~2時間ぐらい(2時間を超過することはまずない)。下名はいずれも西軍を担当した。

第1章 小野木公郷まさかの裏切り

イメージ 2序盤は静かな立ち上がり。東軍諸将が織田秀信守る岐阜城を陥落させると、西軍も宇喜多秀家が安濃津城を落とし、毛利元康が大津城を落城させていた。この時点で西軍が一歩有利にたち、秀頼公も大坂城を出陣。毛利輝元麾下の軍勢として東に向かう。
イメージ 3関ヶ原正面では東軍黒田長政麾下の先鋒隊が関ヶ原を抜けて北近江に進出。佐和山城を急襲。これを奪取していた。西軍陣営に動揺が走る。その動揺が遠く丹後田辺城へ向かっていた小野木公郷の軍勢をも揺さぶった。西軍の動揺を見越した家康陣営はすかさず小野木勢に調略を実施。成功率1/6に過ぎなかったが小野木勢は見事に東軍に寝返った。田辺城に向かっていた小野木勢は突如反転。
「敵は大坂城にあり」
といったかどうか。そのまま大坂城へ南下した。大坂城には毛利輝元麾下の1部隊が守備隊として残留していたが、小野木隊はそれを撃破して大坂城を占領した。淀君はどうなったのか気になる所だが、話を先に進めよう。

イメージ 4さて、大坂城占領によってさらに戦局を有利に進めた東軍は、一気に雌雄を決すべく大垣城に強襲攻撃を仕掛ける。一方の西軍も宇喜多、大谷らが漸く関ヶ原の主戦場に到達。家康本隊も最前線に展開してきた。関ヶ原盆地に布陣した家康本隊に対し、高地を占めた宇喜多秀家隊が猛攻を仕掛けた。高度の優位を得た場合、自らの攻撃で攻撃力+1、相手の攻撃で攻撃力-1が適用される。従って高地から低地を攻撃すると、せの威力は凄まじい。高地を生かした宇喜多隊の攻撃は凄まじく、家康隊は大打撃を受けた。家康本隊を構成する6ユニットのうち、家康本人を除く5ユニットが壊滅。松平忠吉も戦死する。あと一撃、あと一撃で家康本人を討ち取り、西軍は奇跡の逆転勝利まであと一歩の所までキター。

イメージ 5この危機を救ったのが福島正則である。際どいタイミングで行動カードを引いた福島隊は家康本隊を収容。家康は正に九死に一生を得て戦線後方に下がっていた。一方前線に出た福島隊は南宮山と松尾山の間の低地に陣取っていた石田三成隊に目をつけた。「三成憎し」の一念に燃える福島正則は、石田隊に猛攻を加えた。石田隊に所属する島津、小西、島左近らは決して弱兵ではない。むしろ屈指の強兵ともいえた。しかしこの時は福島の攻撃が早すぎた。次々と繰り出されてくる攻撃に対し、石田隊は防戦一方で反撃の機会を掴めない。とうとう石田隊の周りには三成本隊のみになってしまった。

そして三成に奇跡は起こらなかった。石田隊壊滅。三成討死。この瞬間、天下分け目の決戦は終わった。

「関ヶ原大作戦」の勝利条件は2つある。1つは調略マーカーによる勝利だ。これは城を落す、敵の大名を討ち取る、調略によって大名を寝返らせる、ことによって調略マーカーを自軍側に動かすことができる。調略マーカーの位置がサドンデスラインに達すると、サドンデス勝利となる。もう1つは主将の除去。徳川家康又は石田三成を除去することで勝利できる。なお大坂城の落城は勝利条件にはならず、調略マーカーの移動のみに関係する。秀頼に至っては勝利条件に全く関係ない。



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