もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

2013年11月

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北千住駅前の「丸井」9Fにあるラーメン屋さんです。
ネットでの評判がそこそこ良かったので出かけてみました。
つけ麺\700を注文しました。
中華風の汁でちょっとピリ辛い感じです。
味はまあまあ。
不味いとは思いませんが、特に旨いとも感じませんでした。

お奨め度★★

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Avalon Hill社のVictory in the Pacific(以下「VITP」)は、私が生まれた初めて購入し、プレイしたウォーゲームである。
当時は「ウォーゲーム」という未知の文化に対する期待が大きすぎたたのだろう。
購入して、ルールを読んで、プレイしてみたが、当時は正直期待外れだと思った。もっとリアルな内容を期待した私にとっては、VITPのシステムは余りにシンプルであり、マップは余りに抽象的であり、ユニットレーティングも大雑把だった。米空母に比べて日本空母の能力評価が低かったことも低評価に拍車をかけた節はある。

その後約30年の時を経て、VITPに触れる機会があった。この時は対戦を目的としたプレイではなく、シナリオの検証のためのプレイだったのだが、これが意外に面白い。購入当時は「リアルじゃない」と思っていたシステムやマップについても、今改めてプレイしてみると、意外と史実に近い展開になることもわかってきた。
よし、それならVITPを一度通してプレイしてみよう。ルールは標準ルールのみ。当然キャンペーンだ(そもそもキャンペーンシナリオ以外用意されていない)。ゲームそのものは保有していなかったが、VASSALを使えばソロプレイは可能だ。ルールについてもこちらのサイトで公開されているので、困難を感じることはない。唯一欠落している情報は、ゲーム中に自主撤退する英艦隊に関する情報だが、これは別途入手した日本語ルールに書かれている。
こうしてプレイ環境を整備した私は、早速、この古典的名作にチャレンジしてみることにした。

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1Turn(1941年12月)

真珠湾攻撃

イメージ 7まずはお決まりの真珠湾攻撃である。日本軍が派遣した真珠湾攻撃艦隊は、正規空母6隻、軽空母2隻、高速戦艦4隻、重巡6隻、軽巡2隻に及んだ。第1波攻撃で「赤城」(1-4-6④)(火力-装甲-速度-空襲力、○付きはボーナス攻撃力、以下同じ)艦攻隊の攻撃を受けた「オクラホマ」(4-4-3)が大破着底。同様に「蒼龍」(1-2-8③)の攻撃隊が「ペンシルバニア」(4-4-3)を、「飛龍」(1-1-8③)が「アリゾナ」(4-4-3)を、それぞれ大破着底させていた。軽空母隊も活躍し、「瑞鳳」(0-0-5②)隊、「龍驤」(0-1-5②)もそれぞれ重巡1隻ずつを始末する。
第2波攻撃では「瑞鶴」(1-3-8④)艦載機が「メリーランド」(5-5-3)を、「翔鶴」(1-3-8④)攻撃隊が「カリフォルニア」(4-5-3)を、「加賀」(1-4-5④)艦載機が「テネシー」(4-5-3)を、それぞれ大破着底させていた。
オアフ島各地に展開していた米陸軍第7航空軍(7AF)(2-4-*)も地上で壊滅。一連の攻撃で日本軍の戦果は、戦艦6隻大破着底、重巡2隻完全損失、基地航空隊壊滅という赫々たるものであった。真珠湾で唯一行動可能な2隻の戦艦((「ウェストバージニア」(5-5-3)、「ネヴァダ」(4-4-3)の2艦についても、雷撃による損傷で浮いているのがやっとという状況で、日本軍の再攻撃をうけた場合は心もとない状況であった。

イメージ 82波にわたる空襲が終わった後、ハワイ近海にひょこり現れたのが空母「サラトガ」(1-3-7④)。伊号潜水艦(①-*-*)が「サラトガ」を発見、これに雷撃を試みたが、魚雷は「サラトガ」の舷側をかすめていった。1対8という劣勢ながらも「サラトガ」は勇敢にも日本艦隊に挑戦した。真珠湾で泥に沈んだ6隻の戦艦を守るためには、犠牲的な戦いもやむを得ない。とにかく1隻でも2隻でも日本艦を道連れにすべきだ。
戦いは壮烈な夜戦となった。「サラトガ」は日本巡洋艦6隻の集中攻撃を受け、魚雷1本によって中破しつつも、辛くも戦場を離脱した。戦艦「ウェストバージニア」と重巡2隻も沈没。生き残った「ネヴァダ」も翌朝日本空母機の航空攻撃を受けて撃沈されてしまう。しかし彼らの犠牲は無駄にはならなかった。真珠湾の泥に沈んだ6隻の戦艦は、日本機の追加攻撃を免れ、生存の機会を得た。

イメージ 9インドシナ方面では、日本軍基地航空部隊の攻撃で巡洋戦艦「レパルス」(3-3-6)が轟沈。新鋭戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」も大破した。しかし在比米空軍(5AF 2-4-*)は取り逃がしてしまい、後の戦いに不安の種を残す結果となった。

イメージ 10中部太平洋では、ミッドウェー攻略を目指す日本艦隊と偶然同地方を航行していた米艦隊が激突した。日本艦隊の兵力は、戦艦2、軽空母1、重巡9、対する米軍は空母2、重巡2である。空母戦力では米軍が有利だが、隻数の差は如何ともし難い。どれだけ空襲を継続できるかが勝敗を左右するだろう。
果たせるかな第1ラウンドで昼戦を取った米軍は、日本の誇る高速重巡「最上」「三隅」(①-1-8)をそれぞれ撃沈。幸先の良いスタートを切った。しかし米軍は深追いせずに撤退を開始。対する日本軍も米空母機の空襲を恐れたために敢えて追撃戦には持ち込まなかった。その間ミッドウェーには海軍陸戦隊が上陸。同地を占領していった。

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イメージ 14このTurn、日本軍は日本本土、マリアナ、マーシャルといった戦前からの支配領域に加えて、アリューシャン、中部太平洋、南太平洋、インドシナといった領域を支配した。POCは計13点。一方の連合軍は、中部太平洋、インドシナを奪われ、ハワイ空襲によってハワイ海域の支配権も失ったため、残ったのは米委任統治領、珊瑚海、インド洋、ベンガル湾といった外郭領域だけとなった。獲得したPOCは5点。差分は8点で、累積POCも8点となった。

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2Turn(1942年5月)

イメージ 11開戦劈頭のハワイ沖海戦で勝利した日本軍は、戦果拡大を図るべく行動を開始した。まず狙うのはハワイかその他かである。ハワイを狙う理由は十分にあった。すなわち真珠湾の泥に沈む6隻の戦艦である。旧式とはいえ、この6隻を始末できれば、その後の作戦に与える影響は図り切れない。しかし一方でハワイ作戦は不利な面もあった。1つは日本側が基地航空兵力を使えないこと。逆に言えば米側の基地航空兵力集中を招く恐れがあること。もう1つはハワイ作戦には海上機動兵力の大部を投入する必要があるため、他方面が手薄になることだ。
日本軍は熟考の末、K2作戦。すなわち第2次ハワイ攻略作戦にGoサインを出した。

一方の連合軍である。このTurnの増援兵力としては、米軍が空母2隻、戦艦2隻、重巡6隻で、英艦隊も空母2隻、戦艦4隻、重巡2隻となる。既存の兵力と合計すると、太平洋・インド洋方面で作戦可能な艦艇数は下表のようになる。

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イメージ 12これを見ると連合軍側にとって航空戦力の劣勢が著しく、互角の勝負は難しいと感じてしまう。水上戦力については一見すると互角だが、日本軍が兵力を集中運用できるのに対し、連合軍は分散運用を余儀なくされる点が不利といえる。果たせるかな、日本軍はその兵力の大部分をハワイ作戦に振り向けてきた。哨戒用に派遣された巡洋艦7隻を除く全兵力がハワイ方面に向けられようとしているのである。空母11、高速戦艦4、巡洋艦11がその戦力だ。足の遅い戦艦6隻は英艦隊の跳梁に備えてインドシナに向かう。

イメージ 13極端な重点形成を仕掛けてくる日本艦隊に対し、米艦隊は正面からの対決を避けた。その代りに空母2隻と巡洋艦数隻からなる機動部隊を2隊編成し、中部太平洋とマーシャル方面に出撃させてきたのである。その狙いはハワイとトラック島の間にある接近路を遮断することにあった。この接近路遮断に成功すれば、日本軍のハワイ方面への近接を阻止できる。そうなれば少なくと次Turnはハワイ方面が安泰になる。そういう判断からである。

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Carrier Strike

Eric Hammel Pacifica Pr

以前に紹介したCarrier Clashの続編である。Carrier Clashがガダルカナル上陸から第2次ソロモン海戦終了までを扱っているのに対し、本作では同海戦終了直後から南太平洋海戦終了までを扱っている。
本書は基本的に良質な戦記で、米国製の戦記の例に漏れず、数値面で押さえるべき点は押さえていて、同時期の航空戦、海上戦について基本的な内容を知ることができる。日本では紹介される機会の少ない(あるいは紹介されても「無敵零戦」とか「1式ライター」とか言ったステレオタイプな内容ばかり)ガダルカナルを巡る航空戦の実情についても詳しく知ることができる。航空戦についてはFirst Teamから要点を抜き出したような内容なので、First Teamと重複する部分が多いが、First Teamよりも手軽に読めるのが嬉しい。またFirst Teamでは扱っていない艦船部隊や艦爆、艦攻隊の戦い、哨戒飛行艇の戦い等にも触れており、モリソン戦記だけでは良くわからない部分にも触れられている。私は南太平洋海戦終了直後にPBY飛行艇が空母「隼鷹」に対して夜間雷撃を行っており、命中を報じていることを初めて知った(無論、実際には命中していない)。
米国側から見たガダルカナル方面の戦い。特に9~10月期の戦いについて理解を深めるには格好の著作である。

お奨め度★★★★


Carrier Clash: The Invasion of Guadalcanal and the Battle of the Eastern Solomons, August 1942 (The Guadalcanal Battles Series Book 3) (English Edition)
Carrier Strike: The Battle of the Santa Cruz Islands, October 1942 (The Guadalcanal Battles Series Book 4) (English Edition)
空母対空母 空母瑞鶴戦史[南太平洋海戦篇] (光人社NF文庫)
連合艦隊の使い方 (漫画でわかる)


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(以下は、13年10月14日に蔵王を歩いた時のレポートです)

山形県には色々な山がありますが、蔵王も山形県を代表する山の1つです(山そのものは宮城県側らしいのですが、それはさておいて・・・)。先日、紅葉を見るために蔵王に行きました。

0740山形駅前発のバスに乗って蔵王のバスターミナルに着いたのが0820頃。ロープウェーの始発が0830でしたが、始発には乗れず、2~3本目に乗りました。ロープウェー2本乗り継いで地蔵岳山頂に着いたのが0910頃。この付近は紅葉はもう終わっている感がありました。

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ロープウェー駅から小一時間で蔵王連峰の最高峰=熊野岳山頂に着きます。熊野岳から周囲一面を見渡せます。遠くに雪を頂いた岩手山らしい山も見えています。

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元来た道を戻ってロープウェー駅に着いたのが1100頃。このままロープウェーで降りるのもつまらないので、帰りは少し歩いてみることにしました。
ロープウェー駅から見て左側にザンゲ坂と呼ばれるスキーコースがあります。スキーコース沿いに樹氷平まで降りていくルートです。斜面は急ですが道幅が広いので降り易い。途中で右手に折れて片貝沼方面へ降りていくと、標高がさがっていくにつれて紅葉の綺麗なポイントが見えてきました。

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片貝沼から三郎岳方面を少し散策。このあたりも紅葉が綺麗です。

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三郎岳方面からスキー場を降りていき、ドッコ沼方面へ降りていきます。その間見える紅葉も綺麗です。

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スカイリフトに乗って麓に降りてきたのが1300頃。ちょっとした山歩きのつもりが、4時間以上のハイキングになりました。しかし蔵王の雄大さを知ることができ、良かったです。

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JR秋田新幹線の田沢湖駅は、新幹線の駅ながらも昔風の風情を失わない良い駅である。新幹線が利用する駅舎は立派な作りのものが建てられているが、駅前の雰囲気は昔風のまま。だった広い駐車場だけが新幹線停車駅であることを思い起こさせます。

その駅前に立つ小さな食堂が、そのものずばり「駅前食堂」。メニューを見ると、定食類、ラーメン、うどん、丼もの、お酒など、節操無くメニューが並んでいます。

そんな店に入って「とろろ定食」なるものを注文してみました。秋田っぽいものが食べたかったというのが正直な所。あまり期待していなかったのですが、これが意外に旨かったです。あまり凝ったものではなく、シンプルな料理にしたのが勝因かもしれません。

お奨め度★★★

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