もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

2013年12月

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GMT社のEmpire of the Sun(以下、EoS)は間違いなく傑作ゲームである。テーマは太平洋戦争。戦艦「大和」がどうの、零戦がどうのと兵器に対する興味が先行している感の太平洋戦争であるが、Empire of the Sunは兵器の性能を比べ合うゲームではない。戦略を争うゲームである。勝ち目がない戦争と言われる太平洋戦争だが、日本軍にはどのような可能性があったのか。あるいは連合軍はどのような点で苦しんでいたのか。こういった疑問に対してある程度答えてくれる作品ではないかと思っている。

今回、EoSをVASSALを使ったメール対戦する機会を得た。シナリオは1942年キャンペーン。個人的には一番バランス的に良いシナリオだと思っている。1941年キャンペーンの方が色々な可能性を試せるのは確かだが、それだけに振れ幅が大きくなり、ゲームが崩壊する可能性も大きくなる。その点1942年キャンペーンは日本軍が突飛な作戦が試す余地が少ないので比較的安定した展開になりやすい。かといって「なるようにしかならない」訳ではなく、日本軍も十分に楽しめる内容になっている点が良い。

今回、下名は日本軍を担当した。

2Turn(1942年前半)

イメージ 13イメージ 14最初は「カ号作戦」を発動し、フィリピン及びマレーの敵航空戦力狙う。また軽空母「龍驤」に陸軍部隊の護衛を任せて、ジャワ島東部のスラバヤに上陸した。作戦は成功し、在フィリピン米空軍(USFEAF 4-10-2)、英極東空軍(MA 6-9-2)を撃破して幸先良いスタートを飾った日本軍だったが・・・。

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イメージ 3イメージ 15いきなり驚愕すべき事件が起こった。前線視察中の山本五十六聯合艦隊司令長官が、米戦闘機の待ち伏せ攻撃を受けて撃墜されてしまったのだ。山本長官は機上戦死されたが、これが米軍による暗号解読のなせる技だと知ったのは、戦後になってからであった。
日本国民は、あまりにも不幸な出来事に涙するとともに、この戦争の前途に不安を残す結果となった。

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イメージ 16イメージ 17とはいっても攻撃は続行しなければならない。混乱した聯合艦隊司令部に代わって南方方面軍(South HQ 1-10)が指揮を取った。彼らが採用した作戦は空母による港湾強襲作戦である。チラチャップ港(Tjilatjap 2019)に逼塞するオランダ艦隊を撃破すべく、空母8隻を主力とする空母機動部隊をチラチャップを襲う。攻撃は成功し、チラチャップのオランダ極東空軍(7-9-2)は壊滅。取りあえず極東の空から連合軍航空戦力を一掃した。

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ここに至って日本軍は戦略の方針転換を迫られた。当初の計画では、EoSの定石ともいうべきビルマ経由のインド侵攻を考えていた。しかし現在の状況を加味するとビルマ侵攻戦での勝算は必ずしも高くはない。それならばビルマを囮にしてソロモン、ニューギニア方面を制圧する方が得策ではないかと考えた。そして狙いはオーストラリアだ。オーストラリア作戦の最大の障害は米本土からの増援部隊だが、それはソロモン諸島とニューギニア全域を制圧することによってシャットアウトできるはず。オーストラリア大陸西部に対しては聯合艦隊HQをホロ島(Jolo 2715)あたりに前進させれば良い。さて吉と出るか、凶と出るか・・・。

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イメージ 18上記の方針に従って日本軍はソロモン、ニューギニア方面に進出した。ラエ(Lae 3822)、ギリギリ(Gili Gili 4024)、ガダルカナル(Guadalcanal 4423)に日本軍が上陸する。ソロモン諸島と北東部ニューギニアが日本軍の手に落ちていく。またジャワ方面でも攻勢に出て、チラチャップに陣取るABDA司令部を攻撃する。攻撃は成功。ABDA司令部は撃破され、チラチャップは日本軍の手に落ちていく。
一方連合軍はソロモン、ニューギニア方面には目もくれず、ビルマ方面の防備を固めていく。


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3Turn(1942年中盤)

イメージ 19先のTurnにラエに上陸した第18軍(18-12)が、このTurn最初の主役となった。当初の予定通りスタンレー山脈を越えてポートモレスピー(Port Moresby 3823)に殺到した第18軍は、オーストラリア軍ポートモレスピー守備旅団(3-5)を攻撃。鎧袖一触でこれを撃破し、ポートモレスピーを占領した。

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イメージ 21その間南方方面では、ボルネオのバリクパパン(Balikpapan 2517)、スマトラのメダン(Medan 1813)が日本軍の手に落ちていった。マレー半島でも第15軍(18-12)が攻勢を開始し、クワンタン(Kantan 2014)を守る第3インド軍(5-9)を撃破。同地を占領。さらに南下してシンガポール攻略戦を実施。同地を守るオーストラリア第8師団(3-12)を撃破し、「東洋のジブラルタル」は遂に陥落した。
フィリピン方面では第14軍(18-12)が第2海軍特別陸戦隊(2SN 4-6)と共同でマニラ(Manila/Corregidor 2813)を攻撃した。同地を守るフィリピン軍(5-10)を撃破し、フィリピン全土を制圧した。

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イメージ 20一方の米軍は南方方面で反撃を決意。戦艦「ミシシッピ」(15-12)を主力とする水上部隊と基地航空隊からなる部隊がガダルカナル島に来襲した。ガダルカナルを守る第26航空戦隊(10-10-3)は、敵艦発見を報じると各地から反撃部隊が結集。戦艦「大和」(18-18)、軽空母「隼鷹」(8-8-3)等も出撃した。
ガダルカナル海戦と呼ばれる日米戦争最初の大規模海空戦闘では、日本軍は腕の冴えを見せて米軍部隊を痛打した。戦艦「ミシシッピ」、重巡「ノーザンプトン」(9-8)が沈没する等大損害を被った米軍は、ガダルカナル近海から撤退するしかなかった。

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4Turn(1942年後半)

イメージ 22マレー、フィリピンを陥落させた日本軍にとって、南方方面で残る目標は蘭印とビルマであった。中でも蘭印は日本軍にとって戦争遂行になくてはならない資源地帯であった。しかし日本軍が蘭印攻撃に手を付けようとした刹那、連合軍による反撃が早くも始まった。オーストラリア第1軍団(12-12)がニューギニア西南部に上陸し、陸路Vogelkop(3219)の油田地帯を攻撃してきたのである。そして油田地帯に居座る構えを見せたのだ。さらにニューギニア西端のソロン(Sarong 3119)には米豪連合の航空部隊が進出してきたため、制空権も怪しくなってきた。このまま放置すればニューギニア西部が危うくなるのみならず、その北西に広がるボルネオの油田地帯やジャワ東部、さら南部フィリピン一帯が危うくなる。

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イメージ 23日本軍は直ちに反撃を決意。香港(Hong Kong 2709)に待機中の空母「蒼龍」(10-10-3)、軽空母「瑞鳳」(8-8-3)、バタビア(Batavia 2018)に待機中の軽空母「龍驤」(6-8-3)、さらにパラオ諸島(Palau Is 3416)で待機中の戦艦「長門」(20-14)や精鋭基地航空部隊までつぎ込んでニューギニア西部の米軍を攻撃した。行動中の軽空母「龍驤」が米潜水艦「ダーター」と「デース」の攻撃を受けて撃沈されたが、日本軍の攻撃は成功し、連合軍の基地航空兵力を殲滅し、オーストラリア第1軍にも損害を与えた。

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イメージ 25その頃米軍部内で相次ぐ敗戦により陸軍と海軍の関係が険悪化し、共同作戦を取りにくい雰囲気になっていた。同じことが日本側にも起こりつつあったが、日本側は天皇陛下の仲裁によって事なきを得た。
陸海軍間の関係か悪化しつつある米軍は、混乱を避けるため陸海軍それぞれが個別に作戦を行った。空母機動部隊はガダルカナル方面に対して艦載機による攻撃と艦砲射撃を試みるが、日本軍の諜報機関も米軍による奇襲を許さず。空母や基地航空部隊を駆りだして来襲する米軍を迎え撃った。米空母「ワスプ」が中破。日本側は基地航空兵力の一部を失う。日本軍にとっては厄介な航空消耗戦だ。
同じく米軍は陸軍航空部隊でマーシャル諸島に対して反復攻撃を実施し、在地の航空兵力に損害を与えていた。

イメージ 22日本軍はニューギニア西部のオーストラリア軍を駆逐するとともに、蘭印に残っていた連合軍の拠点を一掃した。このTurn終了時にフィリピン、インドネシア、マレー、ニューギニア、ソロモン諸島の全てが日本軍の支配下となった。

1942年総括

イメージ 24今の所やや不利かな、という感じだ。ソロモン、ニューギニアを抑えたのは大きいが、一方でビルマでラングーンを取れなかったのが痛い。ラングーンが取れないとビルマへ進攻する足掛かりが得られないのだ。第2Turnに無理をしてでもラングーンは取っておくべきだったか、と、後悔する。
米軍の対応は全般に巧みだ。切るべきは切り、抑えるべきは抑える。前回パスグロをプレイした時も感じたが、戦略の立て方が上手い。一本筋が通っているので、なかなかこちらの誘いに乗らない。これが不慣れなプレイヤーだとPoWのプレッシャーに負けて中途半端な兵力で反攻をかけて来たりする。それに対して日本軍が満を持して迎え撃てば、米艦隊に大損害を与えることも不可能ではない。しかしそのような誘いに乗ってこないので、さてどうしたものか。このままPoWを阻止し続けてVPを稼ぎ、東條政権崩壊まで粘れば勝機が見えてくるのだが・・・。

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軍事研究2014-01

ジャパン・ミリタリー・レビュー

特集は「北方領土のロシア軍」と「プレデター無差別戦争」。前者については北方領土への長距離対艦ミサイル配備が気になる所。冷戦時代なら「7th Fleet」とかのルールに反映されそうだが、さてさて・・・。その他「中国の第4世代原子力潜水艦」「人型ロボット展」等が面白かった。中国の新型潜水艦はウォータージェット方式で無音化しているとかしていないとか。人型ロボットは、ガンダムよりもアナライザーの方向性が強いよう。まあ原発事故があったので当然かな。連載記事の「アメリカの対中国戦争」はまとめて単行本化して欲しい所。Next War Taiwanをプレイするときに参考としたい。
総じて値段の割に読むところが多かったのでお奨め。

お奨め度★★★

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「真田軍紀」は大坂の陣を再現するシミュレーションゲームである。システムは「謙信上洛」(GJ#46)がベースとなっている。今回、「真田軍紀」をプレイするに際し、志願して大坂方をプレイさせて頂くことにした。

これまでゲーム展開

前回までの展開 -->こちら

14Turn(11/16)

イメージ 2先の篠山口の戦いで大勝利を収めた大坂方は、逃げる関東勢を追撃する。真田、後藤隊計2万による追撃は凄まじい威力を発揮し、西国武将は次々と討ち取られていく。このTurnに討たれたのは池田忠雄(0-0)、池田利隆(0-0)、毛利秀就(1-0)、堀尾忠晴(0-0)等。Turn終了時の大坂方のVPは117に達した。


15Turn(11/19)

イメージ 4丹波に進入したい大坂方は丹波一帯を席巻する。園部城(3-2)が強襲攻撃で陥落。丹波地方最大の城郭である篠山城(4-8)も包囲攻撃に耐えきれずに陥落した。その際、松平康重(0-0)が切腹する。
その頃畿内地区では家康本隊計15万が高槻城を包囲。強襲攻撃によってこれを落城させていた。


16Turn(11/22)

イメージ 8Turn開始時における大坂方のVPは121点に達した。ゲーム上の勝利条件で言えば30点以上で大坂方の勝利になるので、既に90点以上余裕がある計算になる。この時点で勝利を確信した大坂方であった。
問題はあと12Turnの間どうやって逃げ切りをかけるかだ。関東側の大軍が丹波地区に侵攻してくる。これまでは戦術能力と機動力の優位を生かして戦いを有利に進めてきた大坂方であったが、さすがに15万の大軍相手では小細工も使いにくい。そして油断もあったのだろう。丸山城(2-1)包囲中の大坂方は、突如関東勢の急襲を受けてしまう。戦術能力の優位は相変わらずだが、こうも兵力差があると戦術能力の優位などあってなきが如しだ。大損害を被った大坂方は丸山城の包囲を解いて北に下がるしかなかった。


17Turn(11/25)

イメージ 3ここで大坂方は致命的なミスを犯してしまう。家康本隊から離れて単独行動中の上杉景勝(2-2)麾下の1万を発見した大坂方は真田、後藤、明石が率いる2万でこれを攻撃する。しかしこれは関東勢のリアクションを計算に入れていない無謀な攻撃だった。案の定、リアクションに成功した徳川家康麾下約4万が上杉隊に合流する。一挙に兵力比を逆転された大坂方。しかも地形は山岳地形で防御側が有利である。忽ち大坂方は大苦戦に陥り、撤退するしかなかった。
勢いに乗る関東勢は逃げる大坂方を猛追してくる。七手組の将である蒲田兼相(2-2)が討死し、他にも数多くの武将が討たれた。

18Turn(11/28)

イメージ 72度に渡る合戦で大損害を被った大坂方は野戦兵力の立て直しを図った。そして再編成が必要な部隊は丹波篠山城に籠城せしめる一方、真田幸村と長宗我部盛親に2万の兵を預け、遠く丹後の田辺城(3-2)攻略に向かわせる。真田、長宗我部両将は期待に応えて田辺城を落し、大坂方は若狭湾岸に新たな拠点を得た。

19Turn(12/1)

イメージ 10家康、秀忠率いる関東勢主力約8万が丹波篠山城を包囲した。篠山城には後藤又兵衛(4-5)以下約3万の大坂方兵力が籠城している。3万といえば一見すると強力だが、実の所その大半は傷つき、武器弾薬も底を尽いている状況であった。家康、秀忠隊は篠山城の周囲から猛攻を加える。新兵器である大筒も投入する関東勢の猛攻に対し、後藤又兵衛麾下の大坂方も死力を奮ってこれに対抗する。大坂方の奮戦によって関東勢も大損害を被った。篠山城の戦いと呼ばれるこの攻防戦で関東勢が失った兵員数は数万のオーダーに達したと言われている。
しかし衆寡敵せず。篠山城の抵抗もやがて終わりを迎えた。後藤又兵衛以下の大坂方諸将はその多くが討死し、残った将もやがて自ら命を断っていった。篠山城陥落。大坂方は野戦兵力の大半を失った。

その後

イメージ 9篠山城を失った時点で大坂方のVPは約40点であった。既に堺も関東勢の支配する所となり、大坂城内には秀頼公以下約2万の兵が包囲下であった。彼らは大坂城を守ることはできるが、大坂城から出て徳川麾下の野戦軍と互角に戦う力はなかった。他に田辺城には真田幸村、長宗我部盛親の兵約2万があったが、家康、秀忠率いる関東勢主力に対抗する兵力ではない。せいぜいゲリラ的な機動襲撃を仕掛けるのが関の山であろう。関東勢としては、この後は大坂城を包囲して毎ターン3VPづつ稼いでいけば、最終TurnまでVPを10点強まで引き下げることができる。これは関東勢にとっては勝利ライン内となる。

この段階で勝利を諦めた大坂方は、関東勢に和議を申し入れた。関東勢もそれを受け入れ、ここに約2ヵ月間続いた大坂冬の陣は終わりを告げた。


感想

イメージ 5面白い。チョー面白い。
20年以上前にオリジナル版でプレイした際には、真田幸村の戦術能力と機動力が凄すぎて「これで徳川側はどうやったら勝てるねん?」と思ったが、今回改めてプレイしてみると、真田幸村の能力は決して決定的な要素ではないことに気づかされた。
なるほど確かに真田幸村の能力は過大評価だろう。だけどそれがどうした?。講談的な面白さを演出するという意味では適度なレーティングともいえる。また幸村の能力がないと、西軍としてはどうしようもないのは事実。確かに史実の大坂の陣とはかけ離れた展開になるが、それはそれで面白い。また戦国時代最後を飾る大会戦なのだから、やはりダイナミックにプレイしたいというのが人情だ。

イメージ 6「真田軍記」の魅力は、キャラゲーとしての魅力以外に、駒さばきの妙を楽しめる点もある。前作「謙信上洛」に比べると地形効果がより強調されているので、障害地形に位置する防御側を攻撃するのがより困難になった。十分な考えなしに攻撃を仕掛けた場合、今回のリプレイのように大損害を受けることになるだろう。従って如何に敵に攻撃を仕掛けるように仕向けるか。そのために機動で敵を追い詰めていくか。そのあたりの駆け引きがややテクニカル過ぎるきらいはあるものの、面白い。

今回は惨憺たる敗北を喫してしまったが、「真田軍紀」の面白さは堪能できたと思う。
機会があれば再び大坂方を担当し、今度こそ家康公に一泡吹かせたいと切に思っている。

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宇宙戦艦ヤマト2199公式設定資料集-Earth編

マッグガーデン

タイトル通りの本で、宇宙戦艦ヤマト2199における設定資料の集まりである。カラー画ではなくラフスケッチで主であり、重厚な外装の割には中身はやや貧相に感じる。またアニメ画の元になる資料なので、その方面での設定資料としての資料性は高いと思うが、ヤマト2199の世界観をより深く知るという意味での資料性はそれほど高くはない。値段相応の価値があるかどうか疑問に感じる本であった。

お奨め度★★

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「真田軍紀」は大坂の陣を再現するシミュレーションゲームである。システムは「謙信上洛」(GJ#46)がベースとなっている。今回、「真田軍紀」をプレイするに際し、志願して大坂方をプレイさせて頂くことにした。

ゲーム展開


前回までの展開 --> こちら

6Turn(10/22)

イメージ 11関東勢が動いた。家康公自らが率いる8万以上が膳所の前面に進出。また池田忠継率いる西国武将は尼崎のラインまで進出してきた。関東勢の動きを察知した大坂方は決戦部隊を二分する。主力は真田幸村を筆頭に後藤又兵衛、長宗我部盛親、明石全登ら率いる計45000名が大津の線で家康本隊と対峙し、西国武将に対しては、木村重成、毛利勝永(3-4)率いる計15000を向けた。明らかに家康本隊との決戦を指向した布陣だが、果たして半数の兵力で勝てるのだろうか?。

ここで大坂方は配置ミスをした。それは西国武将に対する手当である。上の対戦では毛利勝永(3-4)を送っているが、ここは明石全登(4-5)にすべきであった。毛利の場合、戦闘値が3と低く、豊臣譜代の木村重成(3-2)と比べても優位性がない。そこで明石全登である。明石なら戦闘値が4と高く、木村重成とスタックする意味が出てくる。さらにスタックしていると木村が築いた野戦陣地も使えるのでより優位になる。西国武将最強の池田忠継(1-0)の戦闘値差が4になる。4差あれば簡単に負けることはない。仮に敗れたとしても、敵には我に倍する損害を強要できたはずだ。

イメージ 14戦端は尼崎周辺で開かれた。散開配備で尼崎を包囲する関東勢に対し、大坂型は木村重成麾下の5000を尼崎に配置。陣地に籠らせる。また東から駆けつけた毛利勝永隊1万は蜂須賀至鎮(0-0)隊2500を攻撃する。毛利隊が蜂須賀隊を撃破することには成功したものの(蜂須賀至鎮討死)、木村重成隊は尼崎から撤退を余儀なくされ、やがて毛利隊も関東勢の圧力に抗しきれず後退。東西最初の大決戦である尼崎合戦は、関東勢の勝利に終わった。

イメージ 13肝心の主力決戦。大坂方45000対関東勢82500の対決である。兵力的には関東勢が優位だが、戦術能力では真田幸村擁する大坂方が圧倒的に有利。さらに大坂方は陣地を構築して待ち構えているので、さらに有利になる。戦闘力差が3になっているので、攻防ダイスは±3になる。戦闘結果表は2D6なので、±3は結構大きい。戦力半分でも十分に勝算があった。はずだったが・・・。
後に「瀬田川の合戦」と呼ばれることになる東西両陣営の本格対決は、結果から言えば大坂方の敗北に終わった。関東勢にも大きな損害を強いたが、先にダウンしたのは大坂方だった。しかも関東方の追撃を躱すことができず、大坂方は武将3人が失われてしまった。
大坂方の敗因は、あま戦闘時の出目が振るわなかったことが主要要因であると考えている。

当初の読みでは戦力半分でも十分に勝機があった筈だった。今回と全く同じシチュエーションで脳内シミュレーションをしてみると、仮に両軍のダイス目が常に7と仮定すると、ギリギリで大坂方の勝ちになる。今回は出目が悪かったと言わざるを得ない。

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7Turn(10/25)

イメージ 15合戦に敗北した大坂方であったが、その回復は意外と早かった。VPが既に40点を超過していたので補充修正が最高値になっていたこと。動員中の兵力がそのまま補充兵力として使用できたこと。そして関東勢に比べて決戦兵力が小規模であったため、比較的少ない補充でも戦力回復が可能だったことが理由として挙げられる。
戦力の回復を成し遂げた大坂方の主力である真田、後藤、明石の各隊計25000は尼崎方面に進出。池田忠継ら約4万の関東勢を攻撃した。兵力的には関東勢が有利だったが、指揮官の能力差がそれを上回った。関東勢は大損害を被り、三田方面へ撤退するしかなかった。

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8Turn(10/28)

イメージ 16その頃関東勢の主力=徳川家康隊約8万は、大津の膳所城(4-6)を包囲していた。大坂方は家康隊の動きを注視しつつ真田、後藤、明石の3隊が3方から家康隊に接近する。家康隊の反撃を受けないように適度に距離を保ちつつ、その連絡線を分断する作戦だ。明石隊が比叡山に進出し北からの連絡線を分断すると、真田幸村隊は膳所、彦根間の連絡線を保持する関東勢渡辺官兵衛(3-3)を狙う。渡辺官兵衛は凡将揃いの関東勢の中にあって随一の能力を誇っており、その優秀さを買われて此度は単独行動をしていた。
その渡辺官兵衛を真田幸村以下1万が襲う。渡辺官兵衛、如何に優秀とはいえ真田幸村の天才ぶりに敵うはずもない。しかも兵力比は4:1で真田方が有利。これでは渡辺官兵衛に勝ち目はなかった。渡辺官兵衛討死。彦根との連絡線を遮断された徳川家康本隊は、忽ち補給不足に陥った。
消耗チェックに失敗した家康本隊は戦闘力を失い、細川忠興(2-2)、福島正勝(0-0)が餓死した。

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9Turn(11/1)

イメージ 17大坂方のVPは60に達した。いよいよ秀頼公が大坂城を出陣し、京都に進出。ここで関白就任式を行った。淀殿、感涙にむせび泣く。
徳川家康本隊は消耗のため鈴鹿峠を越えて伊賀国に後退していった。
一方先に渡辺官兵衛を討ち取った真田幸村。勢いを駆って鈴鹿峠に進出、徳川家康本隊を追撃する。しかしこれは少し調子に乗り過ぎたようだ。手負いとはいえ家康本隊は8万以上の大軍である。それが真田隊1万に襲い掛かったのだからたまらない。真田隊は大損害を被り後退。後退中に真田大助(2-2)らが討死した。真田幸村本人もかなりやばかったが、なんとかギリギリの線で死の罠から逃れることができた。

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10Turn(11/4)

イメージ 12大阪のVPは70点に達した。その大坂方は伊賀方面での関東方拠点を潰すため、真田、後藤、明石の主力3隊計3万弱で名張城(2-2)を強襲、これを陥落せしめた。
また伊賀における関東方の本城ともいうべき伊賀上野城(4-8)が包囲攻撃を受けて落城。大坂方は伊賀国をほぼ制圧した。
その頃、関東側の主戦力である徳川秀忠(1-0)率いる約8万の兵力が関ヶ原付近まで進出。家康本隊と合流し、計15万の大軍に膨れ上がった関東方は、関ヶ原から畿内突入の機会を伺う。

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11Turn(11/7)

イメージ 18大坂方の主力打撃兵力である真田、後藤、明石、そして戦力の回復した毛利勝永(3-4)率いる約1万が京都周辺に戻ってきた。関ヶ原から進出の機会を伺う関東方に備える。
長宗我部盛親(4-4)隊約1万は丹波に進出し、三田城(2-1)の包囲を開始した。
その頃関東方主力15万は膳所の線まで進出していた。

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12Turn(11/10)

イメージ 19京都で関白就任式を済ませた秀頼様は、その後のしばらく京都に留まっていた。しかし関東方の主力が既に指呼の元に迫った状況下での京都滞在は危険すぎた。秀頼様は淀川を下って大坂に戻られた。また京都付近で活動中だった真田、後藤、明石、毛利らが京都方面から西に向かい、西国から来た関東方の野戦兵力を包囲した。このTurn、三田城が陥落する。

関東方は大兵力にモノを言わせて膳所城(4-6)を強襲。大きな損害を被りながらも兵力差で押し切って膳所を占領した。膳所を守っていた大坂方武将:稲木教量(2-0)は切腹して果てた。

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13Turn(11/13)

イメージ 11大坂方の主力である真田、後藤、明石以下3万弱が、関東勢の西国武将約4万を篠山付近で包囲攻撃した。戦力ではやや見劣りする大坂方だが、指揮能力では西国武将を圧倒し、西国武将に対して圧倒的な勝利を収めた。篠山口の戦い。
その頃畿内では、山科、大和地区一帯に関東勢の大軍が進入してきた。二条城、伏見城が相次いで陥落する。
「勝った気でいるな、よし、教育してやろう」

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