もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

2014年09月

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9月の初めに横浜港の港内を船で巡るナイトクルーズに参加しました。
海から見る横浜の夜景が綺麗でした。

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Panzer(GMT)は2012年に発表された戦車戦ゲームである。この度、エクスパンションキットの第3弾である"Drive to the Rhine"が発表されたので、早速プレイしてみた。本作はタイトル通り1944-45年における西部戦線の戦車戦が舞台である。同時期における米英独の主要な装甲戦闘車両はほぼ網羅されている。

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今回選んだシナリオは、シナリオ25「Chance Encounter: Mortain, August 1944」である。これはノルマンディ戦線における米独両軍のボカージュ地帯での遭遇戦を描いたシナリオである。米独の中隊規模の戦車部隊同士が激突するシナリオで、米軍にはシャーマン、同76mm型等、計18両の装甲戦闘車両が登場し、独軍には4号戦車H型/J型計16両が登場する。独軍側にパンター、ティーガーといった猛獣戦車は登場しない。また両軍とも歩兵、砲兵、航空兵力等は伴わない。純粋に戦車同士の撃ち合いである。

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今回の地形は低地にヘッジロウ(生垣)が縦横に走る典型的なボカージュ地形である。このような地形では両軍とも視界が効かず、遭遇した瞬間に致命的な接近戦になる。このような場合、先に射撃を行う方が有利なことは明らかなので、両軍とも自分から顔を出さず、機動によって相手を翻弄するような動きを行うことになる。

そんなこんなで序盤は両軍とも生垣を利用して姿を隠しつつ、お互いの側面や背後に回り込もうと機動を行う。しかし地形的に錯綜しており、さらに両軍の戦車とも機動力はそれほど高い訳でもないので、なかなか自らの意図通りにはいかない。

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イメージ 12両軍が戦端を開いたのは第6Turnだった。米戦車3両の目の前に独軍戦車3両が躍り出たのだ。距離400mから米戦車が放った射弾のうち、M8グレイハウンドの放った75mmHEAT弾が4号戦車J型の砲塔正面に命中した。しかしHEAT弾の威力では、4号J型の砲塔装甲は射抜けなかった。

イメージ 14さらに米独戦車3両同士の撃ち合いがあり、4号戦車の射弾がシャーマンの履帯に命中。そのシャーマンは履帯を切られて動けなくなった。しかし別のシャーマンからが放った75mm徹甲弾が4号戦車J型の車体前面に命中。砲塔に比べてやや耐弾性に劣る4号J型の車体装甲はシャーマンの射弾に耐えられなかった。貫通弾を受けた4号戦車は爆発炎上する。
さらに応援に現れたシャーマン戦車が計5両。4号戦車の前後から挟み込む。2両の4号戦車は、3倍の敵に囲まれてあえなく撃破されてしまう。

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イメージ 11その後、左翼から回り込もうとした4号J型3両もシャーマンに囲まれて全滅。右翼からの突破を図った4号戦車H型8両は、シャーマン3両と交戦してこれを撃破したものの、続く交差点の戦いでシャーマン5両の待ち伏せ攻撃を受けてしまう。主導権ダイスに恵まれなかったドイツ軍は計9両の戦車を失って後退、米軍の損害は撃破3両と走行不能1両だった。

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感想

イメージ 13戦車性能についていえば、今回のシナリオに登場した4両の戦車(シャーマン、シャーマン76mm、4号H型、4号J型)の中で、一番優秀なのは恐らくシャーマン76mmである。両者の火力、装甲はほぼ互角だが、シャーマン76mmの方が4号J型よりも機動力で優越している。今回のような錯綜した地形では、機動力の優劣はかなり大きい。
シャーマン75mmについては、火力面で4号戦車H/J型よりも劣位にある。装甲については4号H型よりは優秀で、4号J型とほぼ同等。機動力は4号H/J型とほぼ同等である。総じてシャーマン75mmは、4号J型には劣り、4号H型とほぼ互角といった所か・・・。

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イメージ 15ちなみに戦車ではないが、このシナリオ、M8グレイハウンドの駆逐戦車版が登場する。低初速の75mm砲を搭載し、HEAT弾を発射できる。75mmHEAT弾の威力は、4号H型なら砲塔は貫通可能で車体ならやや厳しい所。4号J型が相手なら砲塔、車体共前面からなら貫通困難である。

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ゲームシステムについては、徹甲弾による砲撃戦はそれなりに詳細であるが、主導権ダイスの影響が大きく、ダイス目勝負になりやすい。特に今回のシナリオのように近距離の撃ち合いなら、命中率が最大90%にも達する上、至近距離から発射された徹甲弾を装甲が耐えられる可能性がかなり低い。戦力に大きな違いがない場合、主導権ダイスで優位に立った方が圧倒的に有利であろう。

とはいえ、それに対する対策も無きにしも非ずで、兵力で相手の2倍以上で挑めば、最悪の場合でも相互相殺に持ち込める。主導権ダイスで勝てれば相互相殺以上の結果も期待できる。今回のシナリオで米軍が勝利した背景には、米軍が各地で局所的な優勢を確保し続けたことが大きかったと思われる。

次回は歩兵の登場するシナリオにチャレンジしてみたい。

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宇都宮駅の西口から歩いて1分以内の所にある餃子の店です。
宇都宮駅構内や駅ビルにも餃子専門店がありますが、この駅西口前にも比較的小さな餃子店が沢山ありました。
「おすすめ餃子セット」(税込\1000)を注文。焼き餃子、チーズ餃子、水餃子とライスのセットなのですが、これが・・・、旨い!!。どの餃子もちゃんと味がついていて、タレをつけなくても十分に食べられます。

これまで何度か宇都宮で餃子を味わってきましたが、正直な所、本当に「旨い」と思えた餃子は今回が初めてかもしれません。

お奨め度★★★★★

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エア・パワーの時代

マーチン・ファン・クレフェルト 源田孝監訳 芙蓉書房出版

本書は主に19世紀後半から21世紀初頭にかけての航空戦力(エア・パワー)について、その実績に基づいて有効性や問題点について論じた著作である。特に20世紀半ばから終盤にかけてのエア・パワーについて多くのページを割いている。本書によれば、エア・パワーが最も発展した時期は1945年であり、それ以降は顕著な発展はないとされる。またWW2の時期においてもエア・パワーには限界があり、陸海軍の役割を完全に置換するものではなかった。そして大戦以降は核兵器の発展に伴ってエア・パワーが絶頂期に達したと見なされたが、現実には核兵器の存在によって大国間の全面戦争は事実上不可能になり、エア・パワーの重要性はむしろ低くなった。大戦後に行われたいくつかの戦争、例えば朝鮮、ベトナム、アフガン、イラク等では、エア・パワーが戦争の勝敗に殆ど貢献できなかった事実が浮かび上がってくる。エア・パワーは調達コスト、運用コストが高価すぎて、任務達成のために必要な経費が大きすぎるのだ。「敵に10万ドルの損害を与えるために1000万ドルの経費が必要」と揶揄される所以である。そして近年F-22やB-2、F-35に代表されるようにエア・パワーは益々高価になり、調達はより困難となった。高価すぎる兵器が終焉を迎えるのは歴史的な事実である。
なお、細かい点、特に太平洋戦争については誤認識がいくつかある。その他の点については不明だが、本書の歴史的正確性についてはある程度割り引いて評価する必要がある。

お奨め度★★★★

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山科会にて主題のゲームをプレイした。
今回は3名でプレイし、連合軍2名、プロイセン軍1名で対戦した。下名は連合軍の中でフランス、ロシア両軍を担当する。

1756年

イメージ 7序盤のプロイセン軍はザクセン地方一帯を制圧し、可能であればボヘミアのプラハ、ポーランドのダンツィヒ、場合によってはユトランド半島等に手を伸ばすのが常道となっている。そういった意味で今回序盤のプロイセン軍は極めて常識的に動き、概ね目標を達成した。
まず8月にダンツィヒが陥落。これにより東プロイセンとプロイセン本国との連絡線が開かれた。
またザクセン地方もライプツィヒ、ドレスデン、トルガウといった要域が次々と陥落。10月までにはザクセン地方一帯もプロイセン軍が制圧した。

対する連合軍は、オーストリア軍主力はモラビアのブルンに集結。また帝国諸候もライン河畔のコブレンツに集結した。しかし後者については帝国領の広い範囲をプロイセン軍の前に無防備な形で解放する結果となってしまい、結果的にその侵攻を助ける形になってしまった。

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1757年

イメージ 8プロイセンが帝国領をどんどん侵攻してくるぅ・・・。ボヘミア地方も侵攻してきた。帝国領内では新たに連合軍側で参戦したフランス軍が帝国領内に展開し、防備を固める。しかし英ハノーファー連合がプロイセン側に立って参戦し、ライン河畔のCologne要塞を無血占領していたりしていた。

オーストリア軍はシレジア地方に侵攻しシュフィドニツァ、グラツ、ナイゼ、ブリンクといったシレジア地方一帯を制覇していった。対するプロイセン軍は名将ザイドリッツ(★3)率いる2個軍団をブレスラウに派遣し、オーストリア軍のこれ以上の侵攻に備える。

その頃フリードリヒ(★★2)はザクセンよりボヘミアに向けて南下を開始。ボヘミアの首都プラハを囲む。2個軍団16戦力による攻撃によりプラハは一撃で陥落。ボヘミアへの門戸はプロイセン軍に対して大きく開かれた。機を逸せずプロイセン軍は東に向かい、Koniggrantzを攻撃。ここを占領していった。

イメージ 9東からはロシア軍がいよいよ胎動を開始。ロシアの名将ピョートル・セミョービッチ・ソルティコフ(★★2)率いる3個軍団24戦力の大兵力で一度はケーニクスベルグを囲んだものの、「ブランデンブルグの奇跡」カードによって撤退を余議なくされてしまう。その後1個軍団で同じくケーニクスブルグを囲んだが、これを落城させるには至らずに冬を迎えてしまう。

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1758年

イメージ 102Turn連続で「いきなり終了」が続いた後、プロイセン軍が動いた。「強行軍」カードでフリードリヒ自ら率いる2個軍団がブルン要塞を攻撃。これを一撃で陥落させていた。ブルンはオミュレッツとウィーンとをつなぐ要域で、ここの陥落はオーストリア軍にとって本国の後背地帯とシレジア地方の分断を意味していた。
勢いに乗るフリードリヒ軍はオミュレッツに進軍。ここを守るオーストリア軍と対峙する。兵力的にはほぼ互角の両軍だったが、オーストリア軍を率いるチャールズ・ロレーヌ公(★★0)は名にし負う「愚将」。全く役に立たない将軍で、極端な言い方をすれば「いない方がマシ」な程であった。
このバカ殿のおかげでオーストリア軍は一方的な敗北を被り、オミュレッツから退却を余儀なくされてしまう。オミュレッツをプロイセン軍が囲んだことにより、シレジア地方で作戦中のオーストリア軍2個軍団は、一挙に連絡線切れの状態に陥った。

その頃ロシア軍は再びケーニクスブルグを囲んだが、またもや「ブランデンブルグの奇跡」によって本国への引き上げを余儀なくされていた。

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1759年

イメージ 11結果から言えば、前年のオミュレッツにおける連合軍の敗北が今回の敗北を決定づけたといえる。その後オーストリア軍はシレジア一帯を奪回し、最終的にはオミュレッツに反撃してきたブラウン将軍(★★2)率いるオーストリア軍残存部隊をフリードリヒ自ら率いる軍団でこれをせん滅。僅かに残ったダウン将軍(★★2)率いる半個軍団が果敢にプラハに対する奪回作戦を試みたが、あと一歩及ばず失敗してしまう。

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イメージ 12また西部戦線でも攻勢に転じたフランス軍に対し、ブランシュバイク公(★★2)率いる英ハノーファー軍2個軍団が見事な機動防御を展開。フランス軍2個軍団が撃破され、デステル将軍(★★1)が戦死するという悲運もあった。

最終的にはウィーン、ブダペストがプロイセン軍の攻撃により陥落。頼みのロシア軍もケーニクスブルグを占領するのがやっとという状態で、プロイセン軍の勝利でゲームが終了した。

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感想

イメージ 13今回連合軍を2名で担当したが、両者とも戦術レベルでの失敗が致命傷になった感がある。
まず下名が担当したフランス軍についてだが、3つの軍団に分けて包囲を狙ったのは完全な失敗であった。そのため中央を逆に英ハノーファ軍に突かれる形になってしまい、両翼の部隊が一挙に補給切れになってしまった。フランス軍は兵力こそ多いものの、機動力に乏しく、英軍やプロイセン軍と機動戦になったら勝ち目がない。従って主力は退路を確保した地点で集結しつつ、少数兵力での機動戦を挑むのが正しい戦術ではなかったか。大兵力を分けてしまうと、機動力に勝る敵にとって格好の獲物を与える結果となってしまった。

イメージ 14オーストリア軍については仕方がない。プレイヤー間の練度差が出てしまった感があり、ちょっと不幸な組み合わせであった。またプロイセン軍のダイスが走っていたのも事実。結果論から言えば、フリードリヒが戻ってくる前に主力部隊をウィーンあたりまで後退させておけば、もう少し違った戦いが出来たであろうとは思う。まあ後の祭りだ。

ロシア軍については何と言ってよいか・・・。「ブランデンブルグの奇跡」カードで追い返されたのは不幸であったが、出目やチット引きが悪かったのも否定できない。もう少しロシア軍が動いてくれればプロイセン軍を慌てさせることもできたのに、やや残念である。

いずれにしてもプロイセン軍が中盤にゲームを決する展開を始めてみた。ダイス目や練度差もあったが、今回はプロイセン側プレイヤーの見事な指揮ぶりに敬意を表したい。だけど・・・、
「今度は負けないぞ」

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