もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

2014年09月

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浜松と言えば鰻でしょう。
という訳で鈍行で大阪方面から戻っていく途中、浜松に立ち寄って鰻を食ってみました。
事前情報なしだったので、駅から歩いて3分ほどの遠鉄線高架下にある「中ノ庄」という店に入り、「鰻のかば焼き飯」\3200税込を注文しました。

待たされること約20分で鰻のかば焼き登場。その名の通り鰻のかば焼きとご飯のセットです。鰻は一口サイズにカットされていましたが、好みに応じて自分で切って食べるのもアリみたいです。

鰻はパリパリして美味しかったです。さすがに鰻は基本的に「旨い」ですね。ただ\3200でこのボリュームは正直ちょっとキツかったです。

お奨め度★★★

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山科会に参加する前日、亀山から京都まで紀伊半島を一周してきました。「乗り鉄」なので単に汽車の旅を楽しみたい、という目的も勿論ありますが、それよりも溜まった本をまとめて読みたい、という動機もあります。そう、汽車の旅というのは本を読むには絶好のシチュエーションなのです。
当然ながら18切符を利用。1日乗って\2370ポッキリという価格設定がなければ、誰がこんなアホな試みをするものですか・・・。

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前夜の間に三重の亀山入りしていた私は、当日0608発の亀山発の始発列車多気行きに乗車しました。多気といっても地元の人か鉄道マニアぐらいしか知らない地名ですが、紀勢本線と参宮線が分離する交通の要所です。

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多気発0805の新宮行き普通列車に乗り換えていよいよ紀勢本線の核心区間に突入。旧式の国鉄型車両は鉄道ファンにとっては嬉しい所。ここから新宮まで2時間以上の汽車の旅。紀勢本線のこの区間は海あり山ありで景観に富んだ楽しい場所です。とはいっても実際には車内でグーグー寝ていたので、景観を楽しんだのは同区間の後半部分だけでしたが・・・。

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新宮には1025に到着。待ち時間を利用して駅前の寿司屋さんで駅弁を購入。ここの寿司は弁当形式で売られているので、店内で食べるよりもテイクアウトする人の方が多いようです。

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駅に戻って1125発の新宮始発の紀伊田辺行き鈍行は、なんとオールロングシート。地元の人たちにとってはどちらでも良い話かもしれませんが、我々旅人にとってロングシートはやはり悲しい。駅弁食べるのならやはりボックス席が良いと思ってしまいます。
とはいっても鉄道の役割は地元の人たちに移動手段を提供すること。我々はそれに便乗しているだけなので、あまり文句は言えませんが・・・。
ちなみにこの新宮~紀伊田辺間が紀勢本線の中で一番海が綺麗な場所だと思います。まともな写真がなくて申し訳なし。

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紀伊田辺からは1413発の御坊行きに乗り換え。このあたりは学生時代に車で走った所なので結構懐かしい。私が学生の頃は高速道路が泉南-海南間しかなく、卒業する直前か直後ぐらいにやっと湯浅まで高速が伸びた頃だったような。
今では近畿自動車道と直通で紀伊田辺まで高速道でつながっているそうです。隔世の感がありますが、よく考えたら四半世紀の時間が過ぎてるんだな。

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御坊からは和歌山行に乗り換え。先の御坊行きも旧式車両ながらクロスシートで旅行者にとっては嬉しかったのですが、今度もクロスシート。私は乗り鉄なので車両の形式にはあまり詳しくありませんが、どうも新型車両のように思いました。紀勢本線の西区間は東区間のような野性味はありませんが、みかん畑あり、海岸景色あり、河川あり、市街地ありと、バリエーションに富んだ景観を楽しめます。

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和歌山からは紀州路快速に乗って一路大阪へ。とはいってもこの快速は和歌山-熊取間は各駅停車なので思いの外時間がかかる。結局和歌山、大阪間で2時間近くかかってしまいました。大阪の街を少しブラブラした後、大阪からは東海道本線の新快速で京都へ。京都に着いたのは1915になっていました。駅前に見える京都タワーが綺麗に見えたものです。

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8月末の山科会に参加しました。
以下はそのレポートです。

フリードリヒ最大の危機(GJ#50)

山科会では定番アイテムになりつつある「フリードリヒ最大の危機」をプレイしました。
経過と結果は別途報告します。

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Nuclear War (Flying Buffalo)

カードゲームながらも和訳版も出たというブラックで面白いゲーム。かく言う私も学生時代に結構ハマリました。
システムは至って簡単。核弾頭と運搬手段(ミサイル又は爆撃機)がカードになっていて、他国に核兵器を打ち込み、お互い殺し合って「最後に2人以上残った国が勝利」という、まるでストレンジラヴ博士の夢を実現するようなゲームです。ミサイル戦以外にプロパガンダや自然災害等がありますが、基本は核戦争です。

今回は3人でプレイしました。先の「フリードリヒ最大の危機」で勝利を収めて調子に乗っているK氏が当初から対2ヶ国戦争を実施。しかしこれはさすがに無謀であった。他の2国から集中攻撃を受けて早々に壊滅。結果論だが、どちらか一方を集中攻撃して早期脱落を狙った方が良かったのかも・・・。まあ死に際の報復核攻撃が怖かったという事情もあったかもしれませんが。
その後残った2国で政治戦に移行。お互いプロパガンダ攻勢をかけ合いますが、最後はA国の強烈なプロパガンダ攻勢によって"もりつち"国は壊滅してしまいました。

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信長最大の危機(GJ)

昼食を挟んで4人目の参加者が到着。そこで2組に分かれて対戦ゲームをプレイしました。下名は「信長最大の危機」をプレイし、信長方を担当しました。
経過と結果は別途報告します。

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After

18時頃終了。近くの焼き鳥屋で飲みながらゲーム談義をしました。肉は旨かったし話も面白かったです。
皆様、どうもありがとうございました。

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艦砲射撃の歴史

黛治夫 原書房

タイトルは「艦砲射撃の歴史」とあるが、実質的には旧日本海軍における砲術の歴史について記した著作である。砲術に関する専門的な内容を一般の読者にも理解できるように記された著作であり、そういった意味では価値の高い著作である。また日露戦争における日本海軍砲術についての失敗についても記載されており、必ずしも日本海軍を一方的に賛美するような内容にはなっていない。
ただし、筆者の主張する「日本海軍命中率3倍説」については根拠が薄いと言わざるを得ない。というのも筆者の言う「命中率3倍説」とは、1933~34年における無線傍受内容から予測した米海軍の砲戦命中率と日本海軍における訓練時における一部の成績と比較して「3倍であった」と言っているだけである。そこには予測の誤差、個艦や状況に依存する砲術精度のバラつき、1933-34年と1941-45年との時期的相違、そして演習と実戦との違いといった要素は全く無視されている。そして筆者は実際の太平洋戦争における日米海戦の結果について、一言
「実際の戦例で以て正常な艦隊洋上決戦を判断すべきではない」
としている。これは正に現実に適合できなかった日本海軍の砲術そのものの問題点を代弁しているように思えてならない。
日本海軍における砲術について興味のある方には「ある意味」必読書と言える。

お奨め度★★★

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荻窪駅北口を出て、大通りを右手に進んだすぐの所にあるラーメン屋さんです。
横浜の「家系」ラーメンの店で、豚骨系の濃厚スープと太麺が特徴です。

つけ麺を注文。まあまあ旨かったです。

ただ、濃口のつけ麺は少し辛い年頃になってきました。

お奨め度★★★

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