Gulf Strikeは1981年に米国Victory Games社から発表されたシミュレーションゲームだ。テーマはイラン・イラク周辺における軍事衝突で、4つの仮想戦シナリオと1つの半仮想戦シナリオ(イラン・イラク戦争)を含む。今回はVASSALを使ったソロプレイにチャレンジしてみた。
選択したシナリオはシナリオ1「ジハード」。これはイラン・イラク戦争に勝利した革命イラン軍が、湾岸諸国へ攻め入るという内容のものである。
選択したシナリオはシナリオ1「ジハード」。これはイラン・イラク戦争に勝利した革命イラン軍が、湾岸諸国へ攻め入るという内容のものである。
5Turn(6月9日)

ここの至ってイラン軍は新たな活動を開始。オマーン湾岸の主要都市マスカットを航空機で攻撃したのである。マスカット基地は米空軍のF-15CイーグルやE-3CセントリーAWACSが集結しているので、ある意味格好の攻撃目標といえる。しかし米軍は現在の湾岸危機に対して軍事的な活動を強めては来ているものの、未だイランに対して正式には攻撃を実施していない。イラン軍による米軍基地に対する攻撃は、米軍による戦争介入を招く危険な行為でもあった。

F-15とF-4、米国の世代違いの制空戦闘機同士の対決は予想通りF-15の勝利に終わった。F-15Cの失ったステップ数は3ステップ、それに対して革命イラン空軍は投入した航空機のうちF-4Eファントム2個中隊壊滅。残り1個のファントム中隊も爆弾を投棄して撤退していった。
しかしこの戦闘で米軍の湾岸戦争への介入は決定的となった。
そしてもう1人。米軍と共に戦局の推移を見守っていたソ連も、いよいよ参戦の決意を固めていく。
今回イラン軍がワザと米軍を攻撃したが、それはイランにとってはソ連の参戦を早めるという意味合いを持っていた。

6Turn(6月11日)


インド洋で米ソ両海軍が激突する。米空母「キティホーク」をマークしていたソ連巡洋艦「アドミラル・フォーキン」が先制攻撃を敢行した。それが見事に命中し、「キティホーク」を中破せしめた。米機動部隊の反撃で「フォーキン」は撃沈されてしまったが、引続いて接近してきたソ連海軍オスカー型巡航ミサイル原潜が「キティホーク」に対してミサイル攻撃を敢行。それが見事に命中し「キティホーク」を葬り去った。さらに戦闘機の傘を失った米艦隊に対してTu-26バックファイアが襲い掛かった。生き残った米水上艦もバックファイアの対艦ミサイル攻撃を受けて次々と撃沈されていく。一連の戦闘で米空母打撃群は大損害を被り、事実上戦闘能力を損失した。




一方ペルシャ湾に浮かぶ小国バーレーンでは、ソ連軍の親衛空挺部隊2個連隊が降下。イラン空軍F-4Eファントム中隊による地上支援もあってバーレーンの守備隊を撃破。バーレーンをその支配下に置いていた。


ソ連海軍航空隊はペルシャ湾岸に機雷を敷設。水上部隊の活動と共にペルシャ湾へ向かう米軍の補給ルート(SLOC)を妨害する。
7Turn(6月13日)

ソ連軍はカタールに空挺部隊2個連隊を投入。首都ドーハに対する直接攻撃を仕掛けたのである。しかし攻撃は失敗。空挺連隊は大損害を被って撃退されてしまう。

サウジアラビア正面ではイラン軍の機甲部隊が次第にリヤドに接近してきた。サウジアラビア軍はいよいよ後がなくなってきた。
8Turn(6月15日)

カタールの首都ドーハへ侵攻中のソ連軍は、先に大損害を被ったにも関わらずさらなる増援部隊を投入して攻撃を継続する。しかし兵力不足に加えて空から米空軍のF-4Eファントムが支援に現れてソ連空挺部隊を妨害するので、攻撃は捗らない。このTurnもソ連親衛空挺部隊はドーハに指一本触れることができずに停滞。しかも南からはアラブ連合軍が迫りつつある。


そして頃合い良しと見たアラブ連合がカタール前面で反撃に転じた。アラブ連合の主力はアラブ首長国連邦の機甲旅団(3-2-8)で、それにカタール軍が加わる。決して強力な部隊ではなかったが、連日の爆撃で疲れ切っていたソ連空挺部隊にとっては致命的であった。空挺部隊4個旅団は文字通り壊滅し、ソ連軍によるカタール攻略戦は失敗に終わった。



軽空母「キエフ」撃沈。


ここにペルシャ湾方面のソ連/イラン水上部隊は壊滅した。


マスカット基地を爆装したF-15Cイーグル、F-4Eファントムが発進。バーレーン方面を目指す。バーレーンでは先に攻略作戦を担当したソ連親衛空挺連隊2個が守備隊として配備されていたが、彼らは補給も届かず、半ば見捨てられたような部隊であった。米軍機はこの不幸な空挺隊員達に対して容赦ない爆撃を敢行。空挺部隊の戦力を一挙に半減させた。攻撃側に被害なしである。
イラン軍は残った力を振り絞ってサウジアラビア中心部への進撃を続行中である。首都リヤドまであと3ヘクス。
