もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

2015年08月

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北北海道を旅行した際、途中駅の名寄で立ち寄った定食屋です。
当初の予定では、もう少し駅から離れた場所の店を狙っていたのですが、覗いて見ると意外と混んでいたので、そこに入ってみました。
「鳥照り焼き特製マヨネーズ炒め定食」を注文。見た目は骨付きの鳥肉を柔らかくなるまで炒めて、それにマヨネーズを絡めたもの。マヨネーズと鳥肉がややくどい感がなきにしもあらずですが、その味がビミョーにマッチしていて、ご飯が進む味です。

「孤独のグルメ-北海道編」があったら、取りあげて欲しいお店でした。

お奨め度★★★

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礼文島の桃岩コースといえば、花あり、海あり、絶景ありと、変化に富んだ景観を楽しめるコースです。しかもゆっくり歩いても3時間弱という手軽さから、礼文島でも屈指の人気コースになっています。

今年私が礼文島を訪れた際も、このコースを歩きました。が、この日は一面の霧、霧、霧。コースが見えない程の霧ではないので歩くことはできましたが、100mはおろか、50m先までも見えないという状態。こんな状態で桃岩コースを楽しめるか、と、少し不安になりましたが・・・。

確かに桃岩の絶景や青い海は見えませんでたが、それでも多彩な花々が迎えてくれました。霧の為遠くが見えないことが逆に幸いし、花々がより一層美しく見えたものです。こういう天気も捨てたものではないな、と、改めて礼文島の奥深さを知った次第。

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「ビルマの落日」は、2005年(今から10年前。もうそんなになるんだねぇ・・・)にGame Journal誌の付録として発表されたシミュレーションゲームである。テーマは1944年以降のビルマ戦線。1944年のビルマ戦線といえばインパール作戦に代表される「日本軍負け続け」のイメージがあるが、1943年のアキャブ戦では英軍相手に勝っていたし、インパール作戦後も補給不足に苦しみながらも連合軍相手に組織的な抵抗を続けている。そういった意味で本作のテーマは、我々日本人にとっても興味深いものと言えよう。

本作の基本システムは移動と戦闘の繰り返しである。ただし両軍共、2次移動・戦闘が認められており、日本軍は3次移動・戦闘まで認められている。こう書くと日本軍が無敵のように思えるが、そこには仕掛けがあって、2次移動、3次移動を行ったユニットは、それぞれ1ステップ、2ステップを自動的に失う。日本軍の師団ですら最大3ステップしか持っていないため、3次移動なんてやった日にはもうボロボロである。しかも一旦疲弊したユニットを回復させるための補給ポイントなんて殆どないのが現実(後半の連合軍は別である)。従って特に日本軍は、状況を見極めた上で追加の移動・戦闘を仕掛ける必要がある。
もう1点特徴的なのは、部隊を活動状態にするためには補給ポイントの消費を必要とすること。活動状態ではない部隊は移動力半減、攻撃禁止、そしてZOCなしという状態になる。勿論全ての部隊を常時活動状態にするような補給ポイントはないので、両軍とも活性化状態と非活性化状態を上手く使い分けて運用する必要がある。

今回本作をプレイするにあたり、下名は日本軍を担当した。

1Turn(1944年1月)

日本軍はアキャブ方面とインパール方面に攻勢を仕掛ける。とはいってもインパール方面はこのTurn準備期間とし、主攻勢はアキャブ方面である。同方面では疲弊した僅か1個師団の日本軍(第55師団)(4-6)が3個師団もの英印軍と対峙している。それでも日本軍は果敢に攻撃を実施。3方面から国境沿いに展開する英印軍1個師団を包囲攻撃した。オッズは1-2の低比率であったが、包囲された連合軍は低比率攻撃でも意外とこけてくれるのだ。
「空砲を3発撃てば敵は撤退する決まりになっておる」
かどうかは兎に角、しかしこの時は敵の航空支援もあって1-2攻撃は失敗に終わってしまう。

2Turn(1944年2月)

アラカン山脈を挟んでインパールを南から伺っていた日本軍第33師団が突如進路を変更。そのまま西のアラカン山脈に分け入り、山岳地帯を走破してベンガル湾沿岸に姿を現したのだ。日本軍の不整地移動能力の優位と3次移動ルールを生かした「神出鬼没作戦」である。日本軍のまさかの移動によりチッタゴンは電撃的に陥落し、英印軍は強烈なショックを受けた。チッタゴンに進入した第33師団はそのTurnの英軍フェイズに反撃を受けて壊滅するが、アラカン地区の英印軍を一時的に補給切れにする等、全般戦局に与えた影響は大きかった。

3Turn(1944年3月)

日本軍は弱体化したアラカン地区を強化すべく、新たに増援の第2師団(6-6)と1個旅団をアラカン方面に送り込んだ。これによって同地区の兵力は2個師団+1個師団となり、弱体化した英印軍3個師団に比して優勢を獲得したのである。

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一方インパール方面では、日本軍2個師団+1個旅団とインド独立軍1個師団の計3。5個師団が英印軍5個師団と対峙していた。兵力的には劣勢にある日本軍であったが、ここでも日本軍は不整地移動力の優位を発揮し、英印軍を包囲、消耗を強いていた。

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4Turn(1944年4月)

日本軍が再び神業的な機動を見せて英印軍を翻弄する。まず第15師団がパトカイ山系を突破して英印軍の間隙をつきインパールを電撃占領した。さらにその北方では第31師団が要域コヒマを扼する山岳地帯に進出する。これによりインパール盆地に進出していた英印軍3個師団がいずれも補給切れに陥った。さらにインド独立軍の師団もインド領内に進出し、インパールに臨時政府を樹立する勢いである。ここに至って連合軍は敗北を認め、雨季の到来を前にして、インパール作戦は日本軍の勝利に終わった。

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感想

今回はかなり極端な結果になってしまったが、このゲームはかなり癖があり、しかもテクニカルな面がある。そういった意味でユニットの移動や配置にはかなり気を使う必要がある。本ゲームを初めてプレイする連合軍プレイヤーにとってはやや荷が重かった点は否めない。

ゲームとしては悪いゲームではない。むしろ佳作と言って良い。ユニットの別のキャラクター性や細部の再現性についてはバッサリとオミットされているが、その分ビルマ戦線の全体像を描き出そうというデザイン姿勢には好感を感じる。またキャラクター性については、例えば「第15師団と第31師団の違い」といった所ではなく、「日本軍と連合軍の違い」に焦点を当てている点も興味深い。日本軍といえば「不整地での機動力が高い」「損害に対する耐久力が高い」「無理と精神力で何でも解決」といった特徴があり、対する連合軍は「兵力が多い」「個々の部隊の戦闘力は高い(戦車と砲兵の効果か?)」「補給物資に恵まれている」「航空支援に恵まれている」「航空輸送能力に長けている」「囲まれると脆い」等である。やや誇張され過ぎている感もなきにしもあらずだが、このスケールのゲームとしては許容範囲内だろう。

ルールは比較的簡単で口頭インストでもプレイ可能だが、使いこなすのは難しい。特に日本軍は様々な特殊能力を使ってまるで「忍者のような」行動が可能だが、忍術を使うと必ず疲弊(=ステップロス)するので、何度でも使える技ではない。ここぞという時だけ「忍術」に頼るようにしたい。
一方の連合軍は日本軍の「忍術」に対する備えができるようになる必要がある。今、この状態で日本軍が何をできるのか。あるいは何を狙っているのかを的確に捉え、それに対処する必要がある。時間の経過と共に連合軍は有利になるのだから、序盤は攻勢よりも自軍が崩壊しないように努めるのが得策であろう。特にインパール、コックスバサール、チッタゴンの死守は重要である。くれぐれも裸にして敵に取られた、ということがないようにしたい。
あと連合軍にとって重要なのが航空戦力である。地上支援の修正に回すのも良いが、それよりも空中補給や空挺攻撃に航空戦力を使いたい。特に空中補給は慈雨の恵になる。また空挺攻撃は使い方によっては破壊的な威力を示す上、日本軍に空挺攻撃の脅威をチラつかせることでその行動を掣肘できる。

本作について少し難を言えば、ルールブックの書き方がわかりにくい。それ程難しいゲームではないにも関わらず、ルールブックを読むだけでは細かい部分は理解できない。しかも例えば補給線通過禁止地形などの重要な概念がルールブックで詳しく説明されておらず(地形効果表を見て初めて気づいた次第)、プレイの途中でルールブックを何度もひっくり返して説明を探してみた。ルール自体は比較的シンプルなだけに、やや残念な所だ。

ビルマ戦を扱ったゲームとしては、他にもOCSの「ビルマ」やCMJの「両虎対決」等があるが、前者はフルマップ2枚以上というビッグゲームで、後者はビルマ戦のシミュレーションというよりはビルマを含めたCBI戦線全体のシミュレーションというべき作品である。そういった意味で大戦後期のビルマ戦線全体を扱ったシミュレーションゲームとして、本作は貴重である。ゲームとしても考える所の多い佳作なので、再戦し、最後までプレイしてみたい作品だ。

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宗谷本線は、北海道中部の旭川と最北端の稚内を結ぶ全長約260kmの路線です。北海道の中では結構重要度の高そうな路線なのですが、なんせ人の少ない場所を走るので、列車本数はかなり少なめ。沿線最大の都市、名寄までなら1時間に1本程度の運転本数があるのですが、名寄以北は本数が極端に少なく、特急列車3本を含めても1日6~8本。2時間に1本程度という密度の低さです。

その宗谷本線に乗りました。

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旭川1111発の快速「なよろ1号」に乗り出発。快速といいながら、退役寸前の旧式ディーゼルカー1両編成。しかしローカル線の旅は旧式車両が似合う。名寄までの風景は、旭川近郊の都市区間を除けば。概ね北海道らしい広大な牧草地域が広がる。青空であれば、絶景だ。

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名寄で昼食を取った後、1415発の稚内行きに乗る。こちらも旧式ディーゼルカー1両編成。そもそも宗谷本線では、一部の特急列車を除けば全て旧式ディーゼルカーしか走っていない路線なのだ。名寄から先は天塩川に沿った景観となる。この時お奨めなのは稚内に向けて進行方向左側の窓際席。天塩川が殆どその方向で流れているので、景観的に断然こちらの方が良い。

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音威子府から天塩中川までは山岳景観が続くが、そこから先はサロベツ原野の雄大な風景が広がる。天気が良ければ海を隔てた利尻岳が雄大な姿を見せてくれるが、今回は天候に恵まれず、利尻岳の姿を見ることはなかった。

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約7時間の旅を終えて稚内の2つ手前にある抜海駅に着いたのは1830頃であった。今回は都合によりこの抜海で下車。しかしこの抜海駅もローカル線の風情漂う良い駅であった。

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YSGAの例会会場である西公会堂から徒歩3分程度の場所にあります。
一見すると洋食屋風ですが、実は「なんでも屋」に近い感じで、和食系、洋食系いずれもOKです。
私はランチメニューである「鯖の塩焼き定食」を注文しました。
鯖も十分に美味しかったのですが、ご飯が良かった。
少し固めでしっかり炊いた感じのご飯は、私の好みとピッタリでした。

お奨め度★★★★

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