もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

2015年09月

秋田県大仙市大曲で毎年8月第4土曜日に開催される花火大会は「日本一の花火大会」と言われているそうです。
日本中から花火師が集まり、玉や演目での優劣を競うという一種の「花火選手権大会」になっています。そのため花火師も手抜きができず、その日のために趣向を凝らした花火が一同に会するという訳です。
そのためか市内のホテルもその日ばかりは満員状態。宿によってはその日だけは通常の3~5倍の宿泊料を徴収する所もあるそうです。資本主義だねぇ・・・。

私も以前からこの花火大会を見たいと思っていたのですが、幸か不幸か近くの宿が取れたので、土日の休みを利用して出かけてみました。

大曲駅に着いたのは当日の11時過ぎでした。小雨が降っていたので駅前のコンビニで傘を買い、その他に夕食の弁当も購入しました。駅前の焼肉屋で昼食。その後少しのんびりし、雨が上がるのを待って会場に向かいました。

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最初は普通に会場へ入ろうと思ったのですが、会場へ向かう途中に丸子川(雄物川の支流)の堤を歩いていると、そこかしこにビニールシートが敷いてあり、どうみても「ここで花火を見るぞ」的な体制になっていました。スペース的にはまだまだ余裕があったので、私も方針変更。花火会場には入らずにこの丸子川堤防から花火を見る事にしました。時に時刻は午後1時。花火開始までまだ4時間以上も時間があります。

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ヒマつぶしの道具はそれなりに用意していたし、眠たくなれば堤で昼寝という手もあるので退屈はしませんでした。途中で駅まで切符を買いに戻ったりもしたので、時間は苦になりません。ただ時折雨が強く降ってくるのには参りました。近くに雨宿りする場所もなく、かといって長時間その場を離れるのも何なので傘をさして我慢しました。隣に座っていたカップルは雨合羽を用意していましたが、合羽は正解だったかもしれません。

花火そのものは昼の部と夜の部に別れていて、昼の部は1730~、夜の部は1850~となっています。
昼の部で使われる昼花火は、所謂狼煙から発展したようなもので、上空に打ち上げられた花火から落下傘が飛び出し、赤、青、黄、紫等の色の煙を引きながら落ちて行くというもの。煙が描く模様の綺麗さを競う部門です。あまり期待していなかったのですが、予想していたよりも面白く、見応えがありました。ただ昼の部の途中で再び雨が強く降ってきたので、傘をさしての花火見物は結構辛かったです。

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夜の部は花火大会の本命で、花火師が技を競うもの。「芯入割物」「自由割物」「創造花火」という3つの部門があり、出場している28社は全てに出場しなければなりません。
「芯入割物」というのがいわゆる1発勝負の打ち上げ花火で、1発の玉が上空で炸裂するという単純なものです。単純なだけに見応えがあり、見ていて一番飽きなかったのがこの「芯入割物」でした。
「自由割物」は省略して「創造花火」というのは、複数の花火を次々と打ち上げて演技するという内容です。ストーリー性のある花火なので最初は一番面白く見られるのですが、そのうちだんだんと飽きてくるパターンです。

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演目の途中で「大会提供花火」という演目があるのですが、これが一番の見どころ。一種の「創造花火」なのですが、そのスケール間が半端ない。大会会場一杯を使って大量の花火を一気に打ち上げる贅沢さ。演技が終わった瞬間、丸子川の堤一帯から大きな拍手が起こりました。

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雨に祟られた今回の花火大会でしたが、十分に堪能できました。残念なのは昼花火で、これだけは晴れた日にもう一度見てみたいです。あと花火の写真は難しい。今回手動設定で色々チャレンジしてみましたが、素直にデジカメの花火モードで撮るのが良かったかもしれません。
逆に正解だったのが発泡スチロールのふた。宿の主人の勧めで魚のようなものを入れる発泡スチロールのふたをビニールシート代わりに持参したのですが、これが大正解。大雨の中でもお尻だけは濡れずに済んだ上、尻が冷えるのを抑止できました。

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Ukraine'43は2001年にGMT社から発売されたシミュレーションゲームである。クルスク戦の後、第4次ハリコフ戦からソ連軍によるドニエプル川渡河作戦というややマイナーな時期を扱いながら、独ソ両軍がウクライナを舞台に繰り広げるダイナミックな機動戦で多くのゲーマーを魅了した傑作ゲームだ。

この度、そのUk43の続編が出た。2015年発売の第2版がそれだ。第1版では移動、相手側対応移動、戦闘、二次移動といった複雑だったシーケンスが、移動、戦闘という形で単純化された。要塞効果も抑制され、より機動戦がしやすくなったが、全般的にドイツ軍にとってより苦しいようにも思える。このような修正によって果たしてバランスがどう変化しているのかが新版の見所だ。

今回、Ukaraine'43新版のVASSAL版が発表されたと聞き、早速プレイしてみることにした。対戦相手は某氏。これまでこの新版Uk43を何度もプレイし、その癖を掴んでいるベテランプレイヤーだ。新版対戦経験1回の下名が対戦するのはおこがましい感もあるが、ここは胸を借りるつもりでプレイしてみる。

シナリオはキャンペーン。下名はソ連軍を担当した。



13Turn(43/10/01-05)

10月に入ると天候が悪化する。ダイス目によって晴、曇、雨がそれぞれ1/3の確率で発生する。ソ連軍にとって一番嫌な天気は「雨」であるが、それについては今後触れることがあるだろう。

イメージ 9このTurnの天候は「曇り」。最悪ではないが、空挺作戦には若干の悪影響を与える天気だ。その悪天候を突いて3個のソ連軍空挺部隊が3箇所で降下作戦を実施する。降下地点はニコポリ(Nikopol 3431)北方のドニエプル川が湾曲した突出部、クリヴォイローク(Krivoy Rog 2829)北方、そしてキロヴォフラード(Kirovograd 2225)北方の3箇所である。しかし悪天候の為の2番目の降下作戦は失敗に終わった。降下作戦実施が1Turn遅かったか、と感じた一瞬である。

イメージ 10ドニエプル川河畔地区では、大規模な渡河作戦が実施されていた。
一番西では、第1戦車軍を主力とする7個機械化軍団がカニェフ付近で渡河作戦を実施。ドイツ軍第320歩兵師団(2-5-4)を撃破して橋頭保を確立。さらに機動襲撃で第68歩兵師団(5-7-4)も撃退した。

その下流地区では、先のTurnにクレメンチューク付近に橋頭保を築いた第5親衛戦車軍が橋頭保拡大のための攻撃を実施した。突撃砲旅団に支援されたドイツ軍第101猟兵師団(5-8-5)を撃破し、さらにその東を守るドイツ第39歩兵師団(4-7-4)も撃破して橋頭保を拡大した。

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イメージ 11その下流部では、ソ連第3親衛戦車軍団(8-9-6)を主力とする部隊がドニプロゼルジーンシク付近でドニエプル川渡河作戦を強行。ジューコフ将軍の苛烈な指揮と航空機の支援もあって渡河作戦は成功し、戦闘後前進によってドニプロゼルジーンシクを占領した。これによって要域ドニエプルペトロフスクはその西方を押さえられ、包囲の危機が迫った。

ドニエプル川東岸地区では、パブログラード付近で包囲されているドイツ軍3個師団をソ連軍が包囲攻撃。砲兵支援もあって3-1で実施された攻撃によってドイツ軍3個師団は悉く壊滅した。

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その南では、ドイツ軍第3山岳師団(3-5-4)が守るメリトポリを第1親衛戦車軍団(8-9-6)を含むソ連軍が包囲攻撃を敢行。第3山岳師団を撃破したソ連軍がメリトポリを占領した。

ドイツ軍は2箇所に降下した空挺部隊をAutoDSによって撃破した後、カニェフ橋頭保とクレメンチューク橋頭保に対して反撃を指向してきた。しかしいずれもソ連軍による死守が成功してドイツ軍による反撃は失敗。中でもソ連第1戦車軍の頑強さには、ドイツ軍指揮官をして「親衛赤軍昇格どころではない大健闘」と言わしめるほどであった。

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14Turn(43/10/06-10)

天候は晴れである。この時点でソ連軍の獲得しているVPは24点。ベースラインは20点なので、26点以上獲得したらソ連軍のサドンデス勝利となる。その焦点となったのは、ドニエプル川河畔の重工業都市ドニエプルペトロフスク。2VPの価値を持つこの都市に対してドイツ軍は遅まきながら築城工事を進めていたが、それが完了する前にソ連軍による猛攻を受けることとなった。

イメージ 12ドニエプルペトロフスクを守るドイツ軍は、損耗著しい第5SS装甲擲弾兵師団「ヴィーキング」(4-3-7)とこれまた損耗著しい2個の歩兵師団でその防御力は計13。対するソ連軍は2個機械化軍団と4個歩兵軍団、その他支援部隊がドニエプルペトロフスク攻撃に参加し、その攻撃力は大河川による半減効果等も加味して計27。ドイツ軍の防御力は大都市で倍加しているので戦闘比は1-1。そこにジューコフの指揮、2個の砲兵が加わり、ドイツ軍も練度修正を適用できるので最終的な戦闘比は3-1となる。戦闘結果はDR。ドイツ軍はなけなしの航空支援を使って第5SS装甲擲弾兵師団で死守。当然ながら死守は成功したものの「ヴィーキング」師団も壊滅してしまう。
イメージ 13そこへドニエプルペトロフスク南部を渡河してきたソ連の新鋭、第3親衛戦車軍が弱体化したドニエプルペトロフスクに対して機動襲撃を仕掛けてきた。戦闘比は1-1で修正なし。出目6ならその時点でドニエプルペトロフスクは陥落。出目4以上でドイツ軍に死守チェックを強要でき、死守に失敗(確率1/3)すればドニエプルペトロフスク陥落。ソ連軍はサドンデスにぐっと近づく所であった。
しかし出目は最悪の1。ジューコフによる振り直しを使いたい所だが、生憎その前の渡河戦闘でジューコフ振り直しを使った後であったため失敗。ドニエプルペトロフスクはギリギリの所で持ちこたえた。しかしドニエプルペトロフスク南部での渡河作戦成功によってドニエプルペトロフスクへの補給線を断つことには成功し、次Turnでの同市の陥落はほぼ確実となった。

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イメージ 14その他にはクレメンチューク橋頭保が南東部に向けてその範囲を拡大し、ドニエプルペトロフスクを包囲するソ連軍と連絡する事に成功した。またカニェフ橋頭保でも2箇所で攻撃を実施。ドイツ軍を撃退して領域拡大に成功した。また目立たない所では、ノガリステップを西進してきたKV戦車装備の戦車旅団が、クリミア半島への入り口であるペレコープ地峡(Perekop 3041)を無血占領。さらにペレコープ地峡への交通線であるベリスラフ(Berislav 2836)の鉄橋南部をソ連軍第7機械化軍団(7-8-6)が占領。ペレコープ地峡への突破口を塞いだ。

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イメージ 15ドイツ軍はクレメンチューク橋頭保に対してはGD師団(10-7-7)を含む3個装甲師団を投入して反撃を実施し、ソ連2個歩兵軍団を撃退する。さらに機動強襲で戦火拡大を図るも、戦闘結果DRXを出してしまい、虎の子GD師団がステップロスしてしまう(重戦車シフトが使えなくなる)。
またカニェフ橋頭保でもマンシュタイン将軍直接指揮の元、ティーガー重戦車大隊(3-2-5)を含む3個装甲師団、1個装甲擲弾兵師団を以て反撃を実施。ソ連第3機械化軍団(5-6-6)をドニエプル川向こうへ撃退し、さらに戦果拡大を図るも、こちらも機動襲撃の戦闘結果はA1/DR。ソ連軍を撃退することには成功したものの、自らもステップロスしてしまう。そしてカニェフ橋頭保はまだ生き残っている。

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15Turn(43/10/11-15)

イメージ 16戦場に初めて雨が降った。雨が降ると二級道路が使えなくなり、小河川を渡河する際の移動コストが+1になる。また戦闘時に左へ1コラムシフトが適用される。攻勢側のソ連軍にとって不利な天気である。一気にサドンデス勝利を狙いたいソ連軍にとっては、とんだ水入りとなってしまった。

イメージ 11このTurn、遂にドニエプルペトロフスクが陥落する。弱体化した2個歩兵師団に対し、機械化軍団3個、歩兵軍団5個、その他支援部隊で攻撃したのだから、抵抗できる術もなかった。これでソ連軍のVPは26点に達し、サドンデス勝利まであと1点に迫った(このTurnのベースラインは21点)。
またドニエプルペトロフスク南方では、薄く張ったドイツ軍前線をソ連軍機械化部隊が強行突破。退路を断たれたドイツ軍第257歩兵師団(5-7-4)が壊滅。さらにソ連第3親衛戦車軍による機動襲撃で第454保安師団(1-4-3)も壊滅した。ソ連軍の先鋒はニコポリ付近にまで到達した。これによりドニエプル川湾曲部の西岸地区はソ連軍が支配する所となり、湾曲部の先端に位置するザポロジェのドイツ軍は包囲下で孤立することとなった。

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キエフ北方ではドイツ軍の配備ミスをつき渡河作戦を強行したものの、悪天候と出目の悪さに祟られて攻撃は失敗。キエフ攻略への手掛かりを築くことはできなかった。

イメージ 17ドイツ軍は2箇所で反撃を実施。カニェフ橋頭保ではティーガー重戦車大隊に支援された2個装甲師団(実質的な力では1個装甲師団相当)がソ連軍の歩戦連合スタックを攻撃。しかし雨によるコラムシフトを忘れるというポカをしてしまったため攻撃は失敗に終わる。
またチェルカッシー(Cherkassy 2118)に包囲された友軍を救うべく第24装甲師団(9-8-7)と第10装甲擲弾兵師団(4-5-7)が攻撃を実施。攻撃自体は成功しチェルカッシ―を解囲することには成功したものの、戦闘結果A1/DRで貴重なステップを失った。

イメージ 18なお、このTurnから4Turnに渡ってドイツ軍はクリミア半島から撤退してくる4個師団の増援を得る。しかし先のTurnにクリミア半島の入り口であるペリコープ地峡をソ連軍によって占領されてしまったため、これらの増援は登場できない。増援部隊の中には有力な装甲師団も含まれていたため、ペリコープ地峡の早期放棄を嘆くドイツ軍なのであった。


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Ukraine'43は2001年にGMT社から発売されたシミュレーションゲームである。クルスク戦の後、第4次ハリコフ戦からソ連軍によるドニエプル川渡河作戦というややマイナーな時期を扱いながら、独ソ両軍がウクライナを舞台に繰り広げるダイナミックな機動戦で多くのゲーマーを魅了した傑作ゲームだ。

この度、そのUk43の続編が出た。2015年発売の第2版がそれだ。第1版では移動、相手側対応移動、戦闘、二次移動といった複雑だったシーケンスが、移動、戦闘という形で単純化された。またソ連軍のキラースタックをドイツ軍がZOCボンドで囲んで殺す、という「派手だがちょっと極端な」展開も出にくくなった。要塞効果も抑制され、より機動戦がしやすくなったが、全般的にドイツ軍にとってより苦しいようにも思える。その分、ドイツ装甲師団には全てエリート効果で攻防共に1シフトが得られ、グロスドイッチュランド師団はティーガー戦車シフトが適用されることになった。さらにドイツ軍の補充が旧版の2倍となっている。このような修正によって果たしてバランスがどう変化しているのかが新版の見所だ。

今回、Ukaraine'43新版のVASSAL版が発表されたと聞き、早速プレイしてみることにした。対戦相手は某氏。これまでこの新版Uk43を何度もプレイし、その癖を掴んでいるベテランプレイヤーだ。新版対戦経験1回の下名が対戦するのはおこがましい感もあるが、ここは胸を借りるつもりでプレイしてみる。

シナリオはキャンペーン。下名はソ連軍を担当した。


10Turn(43/09/16-20)

イメージ 13面倒な事が起こった。消耗したドイツ軍の歩兵師団1個(第82歩兵師団、2-5-4)がコノトプ方面からソ連軍後方に進入。我が鉄道線を伺う気配を見せてきたのだ。既に後方連絡線も断たれようとしている敵の歩兵師団1個なんぞ本来は無視しても良い筈であったが、本当に無視したのがいけなかった。ずうずうしくも彼らは、鉄道線を狙う位置までコソコソと移動してきたのだ。それを追うソ連歩兵部隊も機動力の差(ドイツ軍歩兵部隊の移動力は4、ソ連軍のそれは3)から追い切れない。そこで泣く泣くキエフ方面に進出していた第3機械化歩兵軍団(7-8-6)を呼び戻し、戦線後方の警備に当てたのだ。貴重な機動兵力を残敵相当に充てるのは忍びないが、補給線を切られれば攻勢そのものがストップしてしまうのだ。

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イメージ 14その間、戦線北西部のキエフ方面では、ブロバルィーのドイツ軍が強力なことを見越し、その南に布陣するドイツ軍混成歩兵部隊(4-7-4)を第1戦車軍を基幹とする機械化軍団4個、歩兵軍団1個、その他の兵力で攻撃した。4-1の比率の所を航空支援を投入して5-1とした。攻撃は当然の如く成功。ドイツ軍のドニエプル川の向こう側に追いやり、さらに突破前進したソ連軍は、遂にキエフを対岸に臨むドニエプル川河畔に到達した。

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イメージ 15ハリコフ南西部では、第5親衛戦車軍を主力とする3個機械化軍団と2個歩兵軍団その他が消耗したドイツ軍2個師団の守るクラスノグラードを攻撃した。3-1の所を戦車とジューコフ効果で5-1で突破口を啓開。さらにレゾバヤ付近から突破してきたソ連騎兵軍団その他が(Pereshchepino 3821)付近で合流。その北東部に布陣するドイツ軍精鋭2個師団を包囲輪に閉じ込めた。機動襲撃と正面からの強襲攻撃によって精鋭第3装甲師団(6-5-7)は壊滅。僅かに歩兵師団1個がステップロスした状態で現地に踏みとどまった。

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さらにアゾフ海方面では、Sanara川源流付近で突撃砲大隊(2-2-7)に支援されたドイツ軍第46歩兵師団(5-7-4)を機械化軍団3個、騎兵軍団1個、歩兵軍団3個その他のソ連軍が半周包囲攻撃。砲兵支援も手伝って5-1の圧倒的な比率となり、ドイツ軍は潰走。戦線南部にも突破口を穿った。その後1-2の低比率機動襲撃が失敗に終わったためソ連軍の戦果拡張はならなかったものの、ソ連軍は南方でも突破の端緒を得た事になる。

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ドイツ軍はハリコフからアゾフ海にかけての南部戦線では大きく後退。要塞化したポルタワを放棄し、ドニエプル川沿いにキエフ~ドニエプルペトロフスク(Dnepropetrovsk 3724)のラインまで後退する。ドニエプルペトロフスクから南はドニエプル川から少し東方に張り出した戦線を構築し、Sarama川沿いにパブログラード(Pavlograd 4123)まで戦線が東に伸び、要塞化したパブログラードからはSarama川沿いにポロギ(Pologi 4331)付近まで戦線を構築した。

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イメージ 16一方キエフ方面では、ブロバルィーを守る第11装甲師団と第503重戦車大隊が反撃を仕掛けてきた。さらにドニエプル川対岸からは第7装甲師団(6-5-7)、第10装甲擲弾兵師団(6-7-7)等が反撃を支援する。ソ連第10戦車軍団(5-3-6)は撃退されて後退。ドニエプル川河畔を守るソ連第1戦車軍もティーガー重戦車を前に苦戦を強いられたが、決死の死守命令が功を奏し、現時点でとどまり続けた。第1戦車軍の奮戦により現地点での停止を余儀失くされたドイツ軍。そのがら空きとなった背面に対し、ソ連軍による強力な反撃が仕掛けられようとしていた。

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11Turn(43/09/21-25)

イメージ 17キエフ方面では、がら空きとなったブロバルィーをソ連軍機械化軍団が占領した。さらに第1戦車軍を主力とする機械化5個軍団、歩兵2個軍団、その他からなるソ連軍が、第11装甲師団を基幹とする1個軍団相当のドイツ軍(装甲師団1、歩兵師団2、重戦車大隊1)を包囲攻撃する。退路を断たれたドイツ軍。しかしここで第11装甲師団が決死の死守チェックに成功。現時点を固守した。

その他の戦線では、ソ連軍はドイツ軍の重防御拠点を回避し、一気にドニエプル川に向けて肉薄していく。キエフ、カニェフ(Kanev 1715)、チェルカッシー(Cherkassy 2118)、クレメンチューク(Kremenchug 2820)、ドニプロゼルジーンシク(Dneprodzerzhinsk 3524)といった拠点付近にソ連軍部隊が姿を現し始めていた。そしてドニエプル川に取り付いていく。その前進過程で、先に包囲したドイツ軍第161歩兵師団が壊滅する。

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南方では、3個機械化軍団を主力とするソ連軍がポロギ付近のドイツ軍を撃破し、戦闘後前進で要域ザポロジェ(Zaporozh'ye 3928)まであと3ヘクスまで肉薄した。

イメージ 16ドイツ軍はプロバルィー方面で第11装甲師団と第503重戦車大隊が再び反撃を仕掛けてきた。既に数個の機械化軍団に包囲されつつあるドイツ軍であったが、ドニエプル川の対岸に後退するであろうというソ連軍の予想を裏切って、その反撃は果敢であった。キエフ前面に橋頭保を築いていたソ連軍歩兵部隊(3-5-3)と戦車旅団(2-2-6)は退路を失って壊滅。さらに踵を返したドイツ軍機械化部隊の鋭い槍がソ連軍機械化部隊に襲いかかる。第2機械化軍団(5-3-6)と第4親衛機械化軍団(5-3-6)からなるスタックはドイツ軍の猛攻を受けて後退する。さらにソ連第1戦車軍に対してドイツ軍による猛反撃が続いたが、そこは出目に恵まれずドイツ軍の攻撃は失敗する。

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12Turn(437/09/26-30)

イメージ 189月最後の週。クレメンチュークを占領したソ連軍が、そのままドニエプル川渡河作戦を敢行した。兵力は機械化軍団2個と歩兵軍団1個が戦車旅団3個を伴ってドイツ軍第106歩兵師団(5-7-4)が守るドニエプル川を攻撃する。1-1の戦闘を航空支援とジューコフ指揮で3-1までアップ。ドイツ軍も航空支援を投入して渡河阻止を図ってきたが、ソ連軍はそれを撃破して渡河に成功。ドニエプル川西岸に最初の橋頭保を築いた。ドニエプル川渡河一番乗りの部隊名は永く記憶に留められるであろう。第5親衛戦車軍所属の第5親衛機械化歩兵軍団(8-9-6)。ソ連軍最強の部隊の1つだ。

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イメージ 19プロバルィー方面のドイツ第11装甲師団(6-5-7)その他に対しては、ソ連軍実に機械化軍団5個と歩兵軍団1個、その他を投入する。砲兵支援もあって5-1という高比率攻撃でティーガー装備の第503重戦車大隊を撃破。その他の部隊をドニエプル川の対岸へ撃退した。この成功でキエフ付近のドニエプル川東岸地区は全てソ連軍の支配する所となった。

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イメージ 20戦線中部、ドニエプルペトロフスク前面では、パブログラードを占領したソ連軍が、ドイツ軍1個軍団相当(第13装甲師団6-5-7、及び歩兵師団2個)をパブログラード付近で包囲した。歩兵軍団6個と砲兵師団2個を投入した攻撃によりドイツ軍包囲下部隊はDRの結果を被ったが、ドイツ軍装甲師団による決死の死守が成功し、ドイツ軍が持ちこたえた。

その南、ザポロジェ前面では、ザポロジェ、メリトポリ(Melitopol 3935)街道を守る消耗したドイツ軍歩兵師団(2-5-4)その他を、新編成の第3親衛戦車軍他からなる快速部隊が襲いかかる。7-1の最高比で戦線を突破した赤軍機械化部隊がさらに機動襲撃で戦果を拡大。ザポロジェ、メリトポリ間に突破口を穿った。

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ドイツ軍はクレメンチューク付近を渡河してきた第5親衛戦車軍に対し、第4装甲師団と第9装甲師団の混合部隊が反撃を実施してきた。しかしこの反撃は失敗に終わり、ソ連軍は橋頭保をガッチリ確保している。
なお、ドイツ軍はパブログラードから後退してきた第13装甲師団と歩兵2個師団が交戦離脱を試みたものの失敗。サマラ川対岸地区に取り残されることになった。この交戦離脱失敗が痛かったとドイツ軍後に述懐。


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高原温泉で紅葉を見た翌日、高原温泉に隣接する緑岳に登頂しました。緑岳は標高2000m強の山で、登山口である高原温泉との標高差は700~800m。登山口から山頂までの所要時間は約3時間です。

第1,2花畑

緑岳最初の見所は標高1500~1600mに広がる第1花畑、第2花畑と呼ばれる高層湿原です。登山口からの所要時間は1時間弱。最初のウォーミングアップには最適です。ここからは周囲の紅葉と共に眼前に見える緑岳が魅力です。

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緑岳斜面

第1,2花畑を抜けるとハイマツ帯に入って行き、しばらくは水平面に近いダラダラ歩きになります。ハイマツ帯を抜けるとガレ場の急登になり。緑岳山頂へ向けてラストスパートになります。ここからは眼下に見える緑岳斜面の紅葉が綺麗です。

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緑岳山頂にて

緑岳山頂についたのは0950頃でした。登山口からの所要時間は3時間弱。まあこんなものでしょう。山頂から来た道を見降ろすと、眼前にスケール感の大きな紅葉帯が広がっています。既に何度も見てきた光景ですが、こうして改めてみてみると、そのスケール感に圧倒される思いがあります。

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帰路

ここから赤岳山頂を経由して銀泉台に下りて行く縦走コースも一瞬考えたのですが、山頂付近の風が思いのほか強かったので、縦走は諦めてピストンで下山。帰りは往路と同じコースを歩いたのですが、光線の向きが変わるとまた別の魅力が見えてくるのが紅葉の面白い所です。

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下山

下山の途中から天候が悪化してきて、高原温泉の登山口に着いた頃は小雨が降っていました。時計を見ると1230過ぎ。所要時間5~6時間の中程度の山歩きでした。

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毎年のように出かけている高原温泉地区は、北海道東大雪に位置する高層湿原地帯です。
紅葉の美しさでは日本随一で、毎年多くのカメラマンがベストショットを求めてやってくる場所です。
かくいう私も、例年通りやってきました。

滝見沼

高原温泉地区の中では比較的標高の低い滝見沼は登山口となるガイドセンターから歩いて1時間ほどの場所にあります。紅葉の美しさでは定評のある場所で、高原温泉地区の中でも屈指の名所です。今年も美しい紅葉を堪能できました。

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緑沼

緑沼は滝見沼に隣接した場所にある沼です。緑沼自体の紅葉は、残念ながら今年は今一でした。そこで緑沼からさらに渓谷を登っていった場所に散在する紅葉も合わせて紹介します。

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えぞ沼

高原沼温泉地区の中では標高の高い場所にあるえぞ沼。ここも毎年美しい紅葉を見せてくれますが、今年はやや盛りを過ぎた感がありました。

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式部沼

えぞ沼から階段を20~30段ほど登った場所にあるのが式部沼です。ここの紅葉はまあまあ良かったです。

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高原沼

高原温泉地区で一番標高の高い場所にあるのが高原沼です。登山口のガイドセンターから約2時間の距離にあります。ここは沼の背後に見える緑岳とのコラボレーションが見事です。

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その他

その他、途中で見た紅葉をいくつか紹介します。

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まとめ

今年は紅葉が全般に早めであり、私が高原温泉地区を訪ねた時期は、やや盛りを過ぎた感がなきにしもあらずでした。しかし全般的に天候には恵まれていたため綺麗な紅葉を撮れたことは良かったです。

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