もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

2016年05月

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「新福菜館」は京都を本拠とするラーメンチェーンで、京都を中心に関西地区や首都圏にも出店しています。
今回訪れたのは、滋賀県大津市のJR大津京駅前にある店。ラーメンと焼き飯の定食を注文しました(\950)。
ラーメンは京都風ラーメン特有の濃い醤油味。麺は京都ラーメンとしてはやや珍しい中太麺です。そしてこの中太麺と醤油スープの相性が良い。醤油の濃い味とやや太めの麺とが上手く絡み合い、くど過ぎず、かといって弱過ぎず、丁度良い按配です。
焼き飯の方も黒い醤油味。辛めの好きな私としてはストレートど真ん中です。ラーメンとの相性も抜群。ボリューム的に決して少なくないのですが、それでもペロリと平らげてしまいました。

お奨め度★★★★

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GWに主題のゲームをプレイした。キャンペーンシナリオを4人で分割担当する。下名の担当は北軍の西部戦線。グラント将軍などでミシシッピ河畔の制圧と、アラバマ、ジョージアといった南軍心臓部への侵攻を目指す。

1Turn(1861年)夏

戦争は東部戦線で始まった。
南軍ジョセフ E.ジョンストン(J.Johnston 1-2-4★★★)中将麾下の攻撃は、北軍パターソン(Patterson 0-0-4★★)少将が守るハーパーズフェリー(Harper's Ferry 1545)7を陥落せしめた。しかし総兵力に劣る南軍はすぐにハーパーズフェリーを放棄して撤退していく。

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イメージ 12北軍リヨン(Lyon 2-1-5★)准将が3SP(1SP=5000人)を率いてミズーリ州平定に出撃。スプリングフィールド(Springfield 2305)では南軍プライス(Price 1-1-4★)准将と戦って一度は敗れたが、南軍が自主的に後退したためにスプリングフィールドを占領した。さらに州境を越えてアーカンソー州に進入。フェイエットビル(Fayetteville 2703)を占領した。

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2Turn(1861年)夏

イメージ 13ハレック(Halleck 1-1-3★★★)中将が西部戦線に赴任した。カイロ(Cairo 2316)からミシシッピ川を渡った前進拠点であるバフィントン(Buffington 2414)に集結中の北軍部隊に着任する。それに対して南軍はナッシュビル(Nashville 2622)にアルバート S.ジョンストン(A.Johnston 2-1-4★★★)中将が着任。2SPの戦力を率いてケンタッキー州侵攻の機会を伺う。
機を見たハレック中将はニューマドリッド(New Madrid 2515)の浅瀬でミシシッピ川を渡河。南軍ポーク(Polk 0-1-4★★)少将の守る対岸陣地を攻撃した。5倍の兵力を誇るハレック軍は最悪のピンゾロを出してしまったが、支援カードの助けでなんとか渡河に成功。テネシー州に橋頭保を築いた。

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イメージ 14トランスミシシッピでは、先に戦死したリヨン准将に代わって着任したカーティス(Curtis 1-1-4★★)少将がアーカンソー州を快進撃。リトルロック(Little Rock 3108)を占領。さらに東へ進み、(Clarendon 3210)を占領してミシシッピ川からトランスミシシッピへの連絡線を遮断した。

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3Turn(1861年)秋

イメージ 15南軍ヴァンドーン(Van Dorn 1-0-5★★)少将が登場。道路移動を利用してトランスミシシッピ奥地に突然出現。北軍カーチス少将麾下の部隊の補給線を脅かす。カーチス少将は直ちに反転。ヴァンドーン軍を追う。ボストン山脈の南部、クラークスヴィル(Clarksville 2905)でヴァンドーンを捕捉したカーチスはこれを猛襲。4倍の兵力でヴァンドーンを撃破した。
また新たにカイロに着任したポープ(Pope 1-0-4★★)少将は、6SPを率いてミシシッピ川を渡河。ミシシッピ川右岸の港町オシオーラ(Osceola 2812)の南軍要塞を攻撃。これを撃破していた。

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イメージ 16南軍はモーガン(Morgan (2)-1-7)騎兵将軍麾下の騎兵部隊をトランスミシシッピに派遣。北軍の後方連絡線を脅かす。カーチス少将がそれを追うが、騎兵の機動力には敵わない。モーガンの騎兵部隊はフェイエットビルに突入。これを奪回した。

東部戦線では、北軍マクドゥウェル(McDoWell 0-1-4★★)少将(中将か降格)麾下の部隊が南軍ジョンストン中将の部隊を戦って大敗を喫したという情報が入ってきた。


4Turn(1862年)冬

グラント(Grant 2-2-5★★)少将が登場した。またフート(Foote +1)提督率いるミシシッピ河川艦隊も強化された。南軍モーガン騎兵将軍が騎兵を率いてミシシッピ川を渡河。ミシシッピ川東岸のテネシー、ミシシッピ州へ移動したので、トランスミシシッピ川のアーカンソー州への脅威は減った。その機を利用してカーチス少将麾下の部隊がアーカンサス・ポスト(Arkansas Post 3409)を占領した。


5Turn(1862年)春

イメージ 17新任のローズクランス(Rosecrans 1-1-4★★)少将が5SPを率いてケンタッキー州ボーリンググリーン(Bowling Green 2323)を出撃。テネシー州都ナッシュビル(Nashville 2622)を占領した。さらにナッシュビル付近のクラークスビル(Clarksville 2521)、さらにはテネシー川、カンバーランド川を扼する要域ドーバー(Dover 2619)を占領した。これにより、東海岸とミシシッピ川河畔地区をつなぐ鉄道線を北軍が完全支配。ミシシッピ川へ向けた進撃体制を整えた。

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イメージ 18新たに河川艦隊司令官に就任したポーター(Poeter +1)提督は、麾下の河川砲艦部隊を率いてミシシッピ川を南下。メンフィス(Memphis 3013)要塞に守られた南軍河川艦隊を捕捉した。沿岸砲台からの激しい妨害にもめげずポーター艦隊は南軍艦隊を捕捉。それを完全に撃滅した。北軍艦隊は河川砲艦1隻が大破したのみ。ポーター提督の圧倒的な勝利であった。

また海上からはメキシコ湾に浮かぶ聖フィリプ/ジャクソン要塞(Fort St.Philip/Fort Jackson)をファラガット提督(+1)率いる艦隊とバーンサイド(Burnside 1-1-4★★)少将率いる地上部隊が海上から強襲上陸を敢行。要塞守備隊を撃破して同地を占領した。この要塞はメキシコ湾側における南軍主要な貿易港であり(+3)、要域ニューオーリンズを扼する要域でもあった。


6Turn(1862年)夏

イメージ 21グラント少将が中将(★★★)に昇進した。解任されたハレック中将に代わってテネシー軍を編成。計18SPの兵力を率いてメンフィス(Memphis 3013)要塞に攻め込んだ。グラント中将の揮下には猛将シャーマン(Sherman 1-1-5★★)少将、ポープ少将が入り、支援カードの支援も付けて+6の修正がつく。対する南軍はメンフィスにレベル1の要塞を構え、それを守るテネシー方面軍がブラッグ(Bragg 1-1-4★★★)中将麾下の9SPである。前任の猛将A.S.ジョンストン中将は先の戦いで既に戦死していた。
メンフィス攻防戦は北軍の勝利に終わり、グラント中将は初陣を飾った。南軍期待のメンフィス要塞は一撃で陥落した。

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イメージ 14メンフィスの陥落はミシシッピ川河畔における南軍の戦略に大きな衝撃を与えた。ミシシッピ川の制水権は北軍の手に落ち、トランスミシシッピ地区に展開する南軍部隊はいきなり補給切れとなった。さらにカーチス少将の北軍部隊はアーカンソー川からミシシッピ川へ河川水上移動を実施。ビックスバーグ(Vicksburg 4011)北東部の河川港湾ヤズーシティ(Yazo City 3812)を占領した。

メンフィス西方で作戦行動中の南軍部隊計2万5千はテイラー(Taylor 2-1-4★)准将とハインドマン(Hindman 1-0-4★★)少将麾下の2部隊に分かれて撤退行動。テイラー准将の部隊がリトルロックを奪回し、補給線を回復した。さらにトランスミシシッピの南軍は、アーカンサス・ポストの北軍守備隊を攻撃。これを奪回していた。

7Turn(1862年)夏

イメージ 19カーチス少将がトランスミシシッピから西部戦線へ移動したので、その後任としてブラント(Blunt 0-1-3)准将がセントルイス(St.Louis 1713)の司令部に着任してきた。師団規模(3SP)の兵力を率いたブラント准将は、ミシシッピ川を南下してヘレナ(Helena 3211)に上陸。クラレンドン(Clarendon 3210)の湿地帯に布陣した。しかしミシシッピ川右岸で待ちかまえていた南軍ハインドマン(Hindman 1-0-4★★)少将麾下の6SPが待ってましたとばかりにブラント師団を猛襲。ブラント師団はほうほうの体で逃げることになり、一気にニューマドリッド付近まで後退した。

イメージ 20北軍主力であるグラント中将麾下のテネシー軍はミシシッピ川左岸を南下。テネシー州からミシシッピー州に進入した。ミシシッピ川の要域ビックスバーグ(Vicksburg 4011)を強襲した。テネシー軍の戦力は18SPという最強級。対する南軍の要塞守備隊は指揮官抜きの4SPに過ぎない。戦いは一方的で南軍の要塞守備隊は壊滅。ビックスバーグは北軍の支配する所となった。メンフィス攻防戦に続いてグラント中将の快挙である。

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慌てた南軍テネシー軍。ビックスバーグの対岸で要塞を構築している最中であったが、対岸のビックスバーグが何もしない間に陥落したので慌てて要塞を撤退。計5SPの兵力を率いてニューオーリンズ方面へ後退を図る。それをビックスバーグを出撃した北軍グラント中将指揮下のテネシー軍が追う。両者はバトンルージュ(Baton Rouge 4712)付近で接触するも、南軍騎兵隊の事前偵察によって南軍側が戦闘回避に成功。両軍の追いかけっこは南軍側に軍配があがった。

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イメージ 22北軍別動隊、シャーマン少将麾下の6SPはコリンス(Corinth 3118)からミシシッピの原野を抜けて鉄道の交差点であるジャクソン(Jackson 4013)に進入。同地を占領した。ビックスバーグとジャクソンはミシシッピ州中南部の鉄道拠点と言って良い場所であり、両地の陥落は北軍にとってアラバマ方面への進撃路が開かれたことを意味した。

8Turn(1862年)秋

南軍の装甲艦がアーカンソーポストで建造中という情報が入った。そこで艦隊を派遣してこれを撃破する。

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イメージ 21グラント中将麾下の部隊はミシシッピ川を渡河。ヴィックスバーグ背後の要塞を潰した後、別動隊のマクファーソン少将(McPherson 1-2-4★★)麾下の5SPがルイジアナ州へ遠征。アレキサンドリア(Alexandria 4408)を占領し、さらにサムナー少将(Sumner 0-1-4★)率いる別部隊がオペルーサス(Opelousas 4709)を占領した。
主力のグラント中将はメリディアン(Meridian 4017)まで進出。トムビックビー(Tombigbee)川を挟んで南軍主力と対峙する。

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前回は熊野古道中辺路ルートのうち、滝尻王子-近露王子間を紹介した。そこで今回は近露王子-発心門王子間を紹介する。なお発心門-本宮大社間はこちらで紹介済みなので参照されたい。なお、今回も経路の関係上通常ルートとは逆の発心門王子-->近露王子という経路で歩いた。

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宿が提供する無料のマイクロバスに乗って発心門王子についたのは0830頃。発心門王子で写真を少し撮った後、出発したのは0840頃だった。最初から山道になるが、緩やかな下り坂を降り切った所に船玉神社がある。ここは休憩所になっており、トイレも整備されている。

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船玉神社からは、道川の渓流に沿って山道が続く。渓流と新緑のコラボレーションが美しい。渓流沿いに標高を稼いで行き、登りつめた所にあるのが三越峠である。そこには綺麗な休憩所とバイオトイレがあった。ここまでの所要時間は約1.5時間。

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ここから一旦高度を下げて湯川王子、そして湯川川(変な名前だ)を渡った所に蛇形(じゃがた)地蔵がある。蛇形地蔵からは未舗装の車道に出て高度を稼いでいく。途中岩神王子経由のルートが閉鎖になっているため、迂回路へ向かうように指示される。その迂回路がこの未舗装の車道だ。時計を見ると早くも11時。あれ、いつの間にこんな時間に・・・

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車道の途中で熊野古道は山の中に入っていく。再びの山道。暫く歩くと熊瀬川渓谷を眼下に見る景勝地に辿りつく。周囲の山々が一望できる景勝地。しかも天気がサイコー。熊野古道の魅力が凝縮された場所である。

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山道沿いに標高を一気に200~300mほど下げる。目の前に熊瀬側の清流が見え、そこを渡って暫く歩くと、迂回路は終了。本道と合流する。時計を見ると12時を既に回っていた。
そこから山道を少し歩いて小高い峠になった所が小広峠。小腹が空いたのでここで昼食をとる。それにしても熊野古道は兎に角トカゲが多い。横の草むらが「カサカサ」といったと思ったら、トカゲが走り回っている。蛇じゃないだけまだマシだが(そういえば昨日のルートでは小さな蛇を見た)、トカゲもあまり気持ち良いものではない。食事中にトカゲが飛び込んできたら、と、思うとゾッとする。

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小広峠を降りてしばらく歩くと広い休憩所に出る。久しぶりのトイレだったので、ここで済ませておく。そこからさらに歩いて車道に出た所が小広王子。ここまでの所要時間は約4時間、全18kmの行程のうち、ようやく半分強を終えた所。近露王子発のバスの時刻が16時なので、あと3時間ほどしかないが、果たして大丈夫なのか・・・。
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ここから熊野古道は山道を終えて車道歩きになる。つづら折りになっている車道をのんびりと下っていく。アスファルト道なので歩きやすいが、山道に比べると少し味気ない。しかし道路から見える紀伊山地の山々の景観は素晴らしい。
綺麗な休憩所とトイレがあり、その向こうに立派な新高尾トンネル。それを横目にしばらく歩くと、道路が二手に分かれて熊野古道は高い方の道へ上がっていく。秀衡桜を過ぎて継桜王子。ここは立派な階段があったので、立ち寄って見た。

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時計を見ると13:45頃だ。近露王子発のバスは16:05なのでこの分では余裕である。こうなるとコースタイムが気がかりだ。何とか6時間以内としたいと思い、ここから少しペースを上げた。アスファルトの道を下るだけなのでペースは速い。結局残り約4kmを40分ほどで走破し、14:40頃に近露王子に到着した。所要時間は約6時間。コースタイムを少しだけ下回った。

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バスの時間まで1時間以上あったので、近露王子の公園で少しノンビリした後、周りを歩いてみた。「なかへじ美術館」という設備があったので入って見ようかとも思ったが、入場料を取られるのが嫌だったので止めにした。我ながらケチだねぇ。野長瀬一族の墓というのにも立ち寄って見た。南北朝時代に南朝方について戦った武士の一族らしい。思ったよりも立派だったので感心した。

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熊野古道の感想だが、普通の登山に比べると設備が整っているので歩きやすいし、体力的なロスは小さいと思う。しかし一度山に入ると結構本格的な登山路であり、特に滝尻~近露王子、小広峠~発心門王子は登山道と考えた方が良い。その分景観も本格的で登山に近い景観を楽しめる。その一方でアスファルト道歩きでは、ハイキングの趣きもある。登山とハイキングの組み合わさった愉しみが熊野古道の魅力だと思う。

熊野古道には今回歩いた中辺路ルート以外にも様々なルートがあるようなので、機会があれば挑戦してみたい。

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グレートトラバース・日本百名山一筆書き

田中陽希 NHK出版

私は知らなかったのだが、NHKで「グレートトラバース」という番組を放送していたそうな。なんでも日本百名山を人力だけを使って走破したのだという。「海はどうするの?」という疑問がわくが、海はシーカヤックを使ったとのこと。話を聞いて興味がわいたので、早速Kindle版をダウンロードしてみた。
内容は主人公の「僕」が屋久島の宮之浦岳から始まって北海道の利尻岳までの百名山全てを踏破した記録となっている。それだけなら「ふーん、それで?」ということになるのだが、それがごく最近、つまり2014年に行われたというのが凄い。2014年といえば、御嶽山で噴火があった年で、本書にも御嶽の噴火についてはしっかりと書かれている。
本書を読んで凄いと思ったのは、主人公の体力もさることながら(まあ、これはプロだから当然と言えば当然)、それよりも何度も何度も怪我や体調不良に悩まされている点である。それは旅の前半から早くも出てきて、早々に医師の診察を受ける羽目となっている。そのような過酷な状況の中、旅を続けて目的を達成した著者の精神力、体力に感服する。
また本書では百名山の山々が出てきて、かつて登った山や未だ登っていない山々の景観が分かり易く紹介されている。深田久弥の「日本百名山」は永遠の傑作であるが、やや時代にそぐわない面が出てきたことを考えると、本書は新たな百名山伝説かもしれない、と書けば少し大袈裟か。
2~3時間で読み終えられるボリュームなので、山好きには是非お奨めしたい。

お奨め度★★★★

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熊野古道については、以前に説明したので省略する。その時は、熊野古道のうちほんの一部を歩いただけだったので、GWを利用して中辺路ルートの未踏破部分を歩いてみることにした。
最初に挑戦したのは、近露王子から滝尻王子に至るルートである。本来ならば、中辺路ルートの起点は滝尻王子で、近露王子は中辺路ルートの中間に位置する宿場町と言った所だが、今回は行程の関係上逆ルートで歩くことにした。

滝尻王子の駐車場にレンタカーを置き、始発のバスに乗って近露王子へ移動。近露王子についたのは0730頃だった。近露王子自体は何度か車で通過したことがあったが、改めて降り立ってみるとその広大さに驚く。山の真ん中に突然「人が住める所が現れた」。まさにそんな感じだ。天気は快晴。周囲の山々が新緑に包まれて綺麗である。まさに桃源郷に来た思いがする。

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最初に向かうのは牛馬童子。1kmも歩かないうちに目的地に到達する。やや高くなった所から見下ろす近露王子の景観が素晴らしい。

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そこから一旦高度を下げ、道の駅中辺路近くまで降りた後、再び熊野古道は山の中に入っていく。どんどん高度を上げて眼下に見える日置川が小さくなっていく。一通り登りきった所に休憩所のような場所があり、そこが十丈王子だ。トイレもあり、一休みするには丁度良い。

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そこから緩やかなアップダウンの続く山道を小一時間歩くと、目の前にアスファルトの道が現れて人家が見える。そこが高原霧の里。周囲の山々が一望できる景勝地だ。

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そこからは再び山道に入り、やはり小一時間歩いた所にあるのが飯盛山である。「いいもりやま」ではなく「めしもりやま」と読むのがいかにも・・・

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飯盛山から小一時間で滝尻王子につく。滝尻王子は中辺路ルートの出発点なので熊野古道記念館なるものがある。今回は時間の関係上立ち寄らなかったが、機会があれば立ち寄ってみたい所だ。

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今回の行程は歩行距離が約13km。高低差は500~600mぐらいはあったように思う。所要時間は5時間強でコースタイムよりはやや短い。とはいえコースタイムは逆方向で設定されており、標高的にも逆方向の方がきついので、あまり自慢にはならないが・・・。
何はともあれ、熊野古道中辺路ルートの約半分は制覇した。

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