もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

2017年04月

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

カラーのものがメインマップ。
白黒のものがプロットシートです。
既にお気づきだとは思いますが、本作ではFLAT TOPと同じプロットマップ方式を採用しています。

「ダミーマーカーの方がプレイアビリティが良い」

という意見もあり、確かに一理あるのですが、ダミーマーカーは実際の戦略とは関係ない所(例えば駒を動かす順番等)に気を使う必要があり、好きにはなれません。またダミー方式の方がプレイアビリティが高いという話も、方式の優劣よりは作り方に依存する問題だと思います。ダミー方式でも面倒なシステムを作ろうと思えば、いくらでも作れますしね。(例えば航○母艦)

イメージ 12

4月初旬。桜の花を楽しみに訪れた京都は、例年にはない遅い桜の開花状況に災いされて殆ど桜はなし。仕方がないので、予定を急きょ変更し、京都の観光地巡りをしました。

一乗寺でラーメンを食べた後、バスで京都市街に戻ってきて、「一応桜が咲いている」という話だった知恩寺と京都御苑を回ってみました。確かに桜は咲いていましたが、満開というには程遠い状況。一応桜の写真を撮った後、次の目的地へ向かいました。

イメージ 1


次の目的地は二条城。京都御苑から歩いてたっぷり30分はかかりました。さすがに京都を代表する観光地だけのことはあり、二条城にはかなりの人が来ていました。入場料\600を払って中に入り、まずは二の丸御殿唐門へ。名前通り唐風の華やかな門が青空に映えています。

イメージ 2


その後二の丸御殿に入って中の屏風絵を堪能。中には将軍徳川慶喜が大政奉還を宣言したという大広間もありました。当然ながら内部の撮影は禁止。写真はありません。

その後二の丸庭園を見ながら堀を渡って城の西側へ。城郭の西南端には天守閣の跡地があり、少し高くなった石垣の上からは二条城の全景を見ることができます。

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8


その後堀を渡って城の西側に出て、内堀と外堀の間を北側へ迂回して正門に戻ります。その間、桜が咲いている場所があったので、そこで写真をパチリ。この旅で見た貴重な桜の写真になりました。

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11


正味1時間半ぐらい。城めぐりとしては結構時間がかかりました。それだけ見所の多い城であり、また歴史的な価値の高い城だと言えます。純軍事的に見た場合、城郭としての規模は小さく、また高低差も少ないので城の防御力は余り高くはなさそう。どちらかと言えば、軍事面よりも政治面で着目された歴史的城閣といえましょう。

今年も5月14日(日)開催予定のゲームマーケット2017春に出品することになりました。

場所は東京ビックサイト。YSGAさんのブース(R15)です。

先行予約受付の件

先行予約を受け付けます。
先行予約される場合、非公開メッセージで下名宛に予約希望の旨ご連絡ください。
その時「連絡先メールアドレス」もあわせてご提示ください。

折り返し確認のメールと予約番号をお知らせいたします。
当日は予約番号をご提示下さい。


出品作品

出品作品は以下の3点です。

決戦!ア・バオア・クー

機動戦士「ガ○ダム」における最終決戦であるア・バオア・クー会戦を戦術作戦級で再現します。1ユニットは中隊規模のモビルスーツ部隊又は数隻の艦船を表し、ガンダム、ジオング等の著名なユニットは当然登場します。
ルールは中級レベルですが、ウォーゲームに慣れた方ならすぐに理解できるレベルです。

・決戦!ア・バオア・クー
・1Hex=?、1Turn=?、1ユニット=中隊規模のモビルスーツ/戦闘機、数隻の艦船
・ルールブック:1式
・チャート:1式
・カウンターシート:表裏各1枚
・マップ:A2版1枚
・価格:1500円

イメージ 1


ソロモン夜襲戦

第2次世界大戦における日米の水上戦闘を1ユニット1艦単位で描きます。巡洋艦以上は全て個艦名入りで、日米の主要艦はほぼ全て、さらに英海軍、オーストラリア海軍、ニュージーランド海軍の艦艇も登場します。
今回の評判が良ければ、欧州大戦編、架空艦船編なども発表する予定です。

・ソロモン夜襲戦
・1Hex=1500m、1Turn=5分、1ユニット=艦船1隻(巡洋艦以上は個艦名入り)
・ルールブック:1式
・シナリオブック:1式(シナリオ計16本、キャンペーンシナリオ含む)
・チャート:1式
・データブック:1式
・カウンターシート:表裏各1枚
・記録シート:1式
・マップ:変形A4版9枚
・価格:2000円

イメージ 2



PFB2016

NPB(日本プロ野球)2016年シーズンを再現する野球ゲームです。共通のルール基盤でデータカードを毎年更新するタイプのゲームで、今回は2015年度の12球団がデータ化されています。選手は全て実名入りで各チーム40名ずつがレーティングされています。ルールは至って簡単。慣れれば1試合20~30分でプレイ可能です。
また特別データカードとして、2016年に引退した主要な選手の「最も輝いていた時期」の選手カードも同梱されています。三浦や黒田といった往年の名選手達の在りし日の姿を顧みてみるのもまた一興かと・・・。

・PFB2016
・カード1枚が選手1人を表す
・ルールブック1式
・データカード:49シート計488枚
・チャート1式
・価格:2000円

イメージ 3


宜しくお願いします。

イメージ 13

戦国時代における戦いを1Turn=1週間、1Hex=@@kmという共通のスケールで描いた「戦国群雄伝」シリーズ。1980年代後半におけるウォーゲーム界一大旋風を巻き起こした作品群です。「秀吉軍記」はその第5番目の作品で、山崎、賤ヶ岳、小牧・長久手と言った3つのシナリオで、秀吉の天下取りを再現します。

今回プレイするのは、シナリオ2「賤ヶ岳」。タイトル通り羽柴秀吉と柴田勝家の激突となった賤ヶ岳の戦いを作戦レベルで再現します。今回のプレイでは、ツクダ版のコンポーネントを使用し、ルールはGJ版による最新の解釈を適用しました。

下名の担当は反羽柴方です。

第1Turn

最初の4Turn、柴田勝家及び北国の軍勢は、情勢判定セグメントで"1"の目を出さないと行動を開始できない。北国の積雪による行動制限を再現したルールである。しかしここでは事もあろうにいきなり"1"の目を出した柴田軍。柴田勝家(2-3-4★★)や佐久間盛政(2-3-3★)、前田利家(2-2-4★)ら計28ユニットが越前の地から出撃する。

イメージ 2


それと呼応するように、伊勢の国では、長島(5119)に本拠を構える滝川一益(2-3-4★)が、計8ユニットを率いて出撃の気配を見せていた。

イメージ 1


第2Turn

柴田隊は北近江に進出する。琵琶湖西岸から機会を伺う丹羽長秀(2-2-4★)を牽制しつつ、勝家率いる主力部隊は、羽柴方前線基地である長浜城(4413)を囲んだ。柴田側の動きに対し、羽柴方の堀秀政(2-2-4★)や蒲生氏郷(2-2-4★)は間合いを取りつつ機会を伺う。

伊勢の地では、羽柴側についた北畠信雄(織田信長の次男)(2-0-3★)が長島城北部の沼地に進出。滝川一益の本城たる長島城を伺う。滝川一益もこの動きを無視する訳にはいかず、長島城付近に舞い戻り、北畠信雄と対峙する。

その頃、西方の畿内では、羽柴秀吉・秀長兄弟が率いる羽柴軍主力が摂津の国に入ろうとしていた。

第3Turn

柴田勝家は長浜城に対して激しい攻撃を仕掛けるも、長浜城はその攻撃に良く耐えていた。そうこうしている間に北近江に羽柴秀長(2-2-4★)率いる15ユニットの直率機動部隊が姿を現してきた。その一方で秀吉本隊は東海道沿いに伊勢方面に向かい、滝川一益討伐の動きを見せている。

第4Turn

北近江の戦場では、柴田勢が続々と北へ向けて撤退し始めていた。羽柴秀長の軍勢と柴田勢。兵力的な差はそれほど大きくはないが、羽柴勢が羽柴秀長の指揮下で統一指揮されているのに対し、柴田勢はバラバラで統一が取れていない。柴田側最強の柴田勝家本隊ですらその兵力は10ユニット20戦力に過ぎないのに対し、羽柴秀長隊は15ユニット39戦力と倍近い火力を誇っている。これでは如何に戦上手の柴田勝家(野戦修正が1有利)といえ、まともに戦えば勝ち目はない(戦力差が能力差を越えている)。さらに羽柴方の強みは、秀長以外の丹羽、堀、蒲生といった武将達がいずれも行動力4を持っているので主導権と機動力で優越しているのに対し、柴田側で行動力4なのは柴田勝家と前田利家の2人のみ。柴田側としては、勝家、利家コンビによる遅退戦術によって時間を稼ぐのが当面の戦略となった。

イメージ 3


第5Turn

伊勢方面に羽柴秀吉(2-2-4★★)その人率いる本隊が戦場に到着した。戦上手の滝川一益とはいえ、北畠信雄と羽柴秀吉の2人が相手ならさすがに野戦で勝ち目はない。本城である長島城に籠城して機会を伺う。

イメージ 5


北近江の戦場では、朽木峠を越えて敦賀平野に撤収してきた柴田勢と羽柴秀長隊との鍔迫り合いが続いている。一歩一歩下がりながら時間を稼ぐ柴田隊とそれを追う羽柴隊。羽柴勢の別動隊である丹羽長秀隊が敦賀城(4008)を囲んだ。

イメージ 4


第6Turn

越前南部、現在の北陸トンネル付近まで後退してきた柴田勢に対し、羽柴秀長隊が強襲を仕掛けて来た。この山地線を死守線として防戦する柴田勢であったが、兵力差は如何ともし難く、徐々に劣勢を強いられてきた。
さらに先に包囲されていた敦賀城がこのTurnに陥落。敦賀城を囲んでいた丹羽長秀隊も野戦軍に合流してきたため、柴田側の劣勢がいよいよ明らかになってきた。

イメージ 6


第7Turn

伊勢方面では、亀山城(4723)、神戸城(5022)といった滝川型の諸城が次々と陥落。残るは滝川一益の本城である長島城と、それに隣接する桑名城(5120)だけとなっていた。

イメージ 7


越前方面では、山間部を守っていた柴田隊が全面後退。柴田側の本城である北ノ庄(4301)周辺に集結して最後の防衛戦を企図する。対する羽柴勢は、北ノ庄へ直接攻撃仕掛けることはせず、手前の府中城(4024)に対して攻撃を仕掛けて来た。兵站基地確保のためだろうか・・・。

イメージ 8


第8Turn

府中城を包囲する羽柴勢に対して逆撃を仕掛けるべく、柴田勝家率いる柴田本隊が出撃してきた。いくつかの小規模戦闘で勝利を得た柴田勢は、久しぶりの勝報に溜飲を下げた。

イメージ 9


伊勢方面では桑名城が陥落。遂に伊勢に残る滝川の城は、長島城だけになっていた。その長島城も羽柴秀吉、北畠信雄による包囲攻撃によって徐々に弱体化しつつあった。最終Turnまでは持ちそうもない。

イメージ 10


第9Turn

越前府中城が陥落した。出撃していた柴田勝家本隊は北ノ庄付近まで後退。勝利した羽柴勢も府中城からは動かず、兵力の再編成に努めている。

第10Turn

伊勢長島城の状況はいよいよ急を告げて来た。落城を前にして討って出ることを主張する滝川一益。それを押し留めようとする家臣たち。こんな図式が長島城内で繰り広げられているのだろうか・・・。

第11Turn

越前では兵力の再編成を終えた羽柴秀長隊が北上を開始した。柴田勝家の前線陣地と接触する羽柴勢。柴田勢は交戦を避けて北ノ庄と越前大野の二手に分かれて後退していく。羽柴勢は北ノ庄と越前大野との間に進出し、その連絡線を遮断した。

イメージ 11


第12Turn

最終Turnである。これまで参戦を控えていた岐阜城(5313)の神戸信孝(2-1-3★)が反羽柴方に立って旗揚げした。ゲーム終了までに旗揚げしなければ、VPを相手に献上してしまうので、それを避けるための措置である。とはいえ、岐阜城付近には、金山城(5812)の森長可(2-2-4★)、曽根城(5012)の稲葉一鉄(2-1-3★)といった行動力に優れた武将がいるので、下手に動くと岐阜城に帰れなくなってしまう。結局の所、岐阜城のヘクスで頑張って、敵主力が来たら岐阜城に籠るぐらいしか、この誇り高き織田信長の三男坊に出来ることはない。能力的には見劣りする織田信雄が、長島城で滝川一益を囲んで壊滅寸前に追い込んでいるのと比べると、つくづく「人の働きは能力で決まるものではないな」と思ってしまう。

そんな長島城であるが、羽柴秀吉の度重なる開城勧告によって遂に滝川一益は城を開いた。これによって所謂「伊勢・北陸の役」と呼ばれる羽柴・反羽柴連合の戦いは終了した。

イメージ 12


後日談

ゲーム終了時点でVPを計算すると、滝川一益以下の武将が計12点、落城した城が長島(3)、亀山(2)、神戸(1)、桑名(1)、敦賀(1)、府中(0)の計6城(カッコ内は城のレベル)で計15点。計27点。一方で羽柴方で1ユニットが討ち取られているので-1点で計26点。羽柴方の勝利ラインは30点以上なので、4点足りない・・・・。

という訳でシナリオの勝利者は反羽柴方になりました。

対戦相手氏曰く。「岐阜の神戸信孝を包囲しておけば9点得られるので勝てた」とのこと。まあ相手のポカミスによって勝を拾った形にはなりましたが、勝利は勝利なので、一応めでたいめでたい・・・。

感想

ゲーム上は勝利を得たが、相手のミスで拾ったようなもの。神戸信孝が包囲されていれば負けていたのは確か。長島城を落した羽柴秀吉が北上してきたら、果たして神戸信孝は野外で頑張れたかどうかはかなり微妙だ。
そんなこんなで、このシナリオ、羽柴方がミスをしない限り、羽柴方有利は動かないと思う。とはいっても柴田方がつまらない訳ではなく、乏しい兵力を使って右往左往するのは結構楽しい。今回のプレイでも、越前防衛戦ではもう少し上手く戦えたのではないかと私自身思っている。

純粋にゲームとしてみたら、詰将棋的に詰んでしまう部分もあるが、勝敗に拘らず「与えられた条件で最善を尽くす」ことに徹すれば、結構楽しめるゲームではないかと思った。プレイ時間も手頃(今回はセットアップを除いて4時間弱)なので、広くプレイして欲しいゲームだ。

ゲームバランスを(少しだけ)補正するために、以下のハウスルールを提案したい。
それは宇喜多勢を羽柴麾下の中小大名とせず、独立した勢力として扱うことである。そうすることで宇喜多麾下の3戦力ユニットを秀吉、秀長麾下に組み入れることが不可能となり、秀吉、秀長の暴力的な破壊力が(少しだけ)緩和される。それでも反羽柴方が不利な事は変わりないが、羽柴方がミスをすれば手痛い打撃を与えるチャンスが出てくる(かもしれない)。

イメージ 13

京大。京都大学。日本を代表する国立大学で、東京大学と並んで偏差値では日本トップクラスのエリート大学だ。また京大は、将来の官僚候補が約束されているような東大とは異なり、国家権力とは一定の距離を置いたイメージがあります。さらに京都という土地柄が昔から革新系の政党が強いということもあり(街路のそこかしこに日本共産党の看板があります)、京大には未だに(政治的な意味で)革新的なイメージを強く残しているような所があるとかないとか。

こういった話を定宿のご主人から聞いたものなので、一体どんな所なのか覗いてみたくなりました。そこで4月初旬のある日。京大=京都大学を覗いてみた訳です。

イメージ 1


百万遍のバス停を降りた目の前に京大の入り口があり、早速中に入ってみると・・・。

「ない。xxxの看板がどこにも・・・ない」

どこにも「戦争反対」とか「成田闘争」とかいった看板が見つかりません。あれ、宿の主人に担がれたのかな、と、思いながらも歩きまわること数十分。

結局、本部構内と呼ばれるエリアにはその手の看板はほとんど見当たらず、正門入り口に「立て看反対」という立て看があったぐらい。これなら「ノンポリ大学」「企業の犬」と言われていた私の母校の方が、まだ元気だったような・・・・。

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6


本部構内に隣接する吉田エリアに移動すると雰囲気は一変。掲示板には左翼系活動家の手と思われるポスターが一面に張られており、その種の活動が未だに盛んに行われていることを伺わせます。また吉田エリア南端に位置する「吉田寮」は、今にも朽ち果てそうな佇まい(窓ガラスが所々で割れていて、建物も半ば崩れかかっている)ならも、未だに活動家たちの活動拠点になっているそうです。

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10


京大に隣接した熊野神社の近くにある京大熊野寮は、つい最近大阪府警による家宅捜索が入り、学生と一触即発の状況になったといういわくつきの場所。その外観は鉄筋コンクリートの至って普通の学生寮で、吉田寮のような如何わしさはない。だけどネット情報によれば、未だに中核派の活動拠点になっているとのこと。

イメージ 11

イメージ 12


だけど京大って一応「国立大学」でしょ。ということは国の税金で運営されている訳でして・・・。そんな所が中核派の活動拠点というのは如何なものでしょうね・・・。

↑このページのトップヘ