もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

2018年08月

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自作空母戦ゲーム「海空戦、南太平洋1942」(以下、本作)。今回は、追加シナリオであるミッドウェー海戦に挑戦する。まずはソロプレイで試してみた。

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「海空戦!南太平洋1942」は自作の空母戦ゲームです。
作品についての詳しくは-->こちらを参照して下さい。
また入手方法は-->こちらを参照して下さい。
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なお、ミッドウェー海戦シナリオの概要は-->こちらを参照されたい

前回までのあらすじ

ミッドウェー攻略を目指す日本艦隊は、南雲中将率いる空母機動部隊と近藤中将率いる攻略部隊に対して同島攻略を命じた。しかしミッドウェー近海には空母3隻からなる3群の米機動部隊がやはり奇襲を企図して遊弋していたのである。激しい航空決戦で日本側は空母「赤城」「加賀」「蒼龍」の3隻が大中破し、いずれも航空機運用能力を失った。一方の米軍は「ヨークタウン」「ホーネット」が中小破した。
決戦2日目、日本側砲撃部隊がミッドウェーに接近し、激しい艦砲射撃でミッドウェー基地を壊滅させた。そしてその夜半、日本側の上陸船団が遂にミッドウェー近海に姿を現したのである。

詳しくは-->こちら

6月6日

02:00

日本軍はミッドウェーに対する上陸を開始した。

06:00

夜明けと共に両軍は活発な索敵戦を展開した。ミッドウェー基地を無力化された連合軍は、ジョンストン島から飛行艇を発進させ、空母艦載機と共同で広範な索敵戦を展開する。一方の日本軍は、空母艦載機と水上偵察機で索敵戦を展開したが、両方とも損耗が激しく、索敵兵力を捻出できない。

イメージ 6結果は明白であった。米軍の索敵機が次々と日本艦隊発見を報じたのに対し、日本側の索敵機は米機動部隊を発見できない。米軍の攻撃機はミッドウェーに上陸中の日本軍上陸部隊を襲った。輸送船1隻と駆逐艦1隻が沈没した。それでも残りの輸送船はなおもミッドウェーに対する上陸を続けている。

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10:00

イメージ 4米軍機による攻撃は続く。しかしこのTurnの攻撃は冴えず、損傷していた輸送船1隻を撃沈したのみであった。日本軍に残った輸送船は9隻。そしてこのTurn、ミッドウェーに対する上陸作戦が完了したのである。

14:00

イメージ 5ミッドウェー東方海域で日米の空母同士の決闘が戦われた。日本空母「飛龍」と米空母「エンタープライズ」「ホーネット」との決闘である。しかし戦いの決着は一瞬であった。先手を取った米機動部隊が日本空母を奇襲した。空母「飛龍」には、SBD艦爆の投じた1000ポンド爆弾2発が命中した。「飛龍」の艦上で発進準備待機していた戦爆連合27機が次々と誘爆を起こした。一瞬にして「飛龍」は大破した。
さらなる攻撃が日本艦隊を襲う。重巡「利根」が直撃弾を受けて大破。僚艦「筑摩」はSBD艦爆27機の集中攻撃を受けて多数の命中弾を受けて轟沈した。戦艦「榛名」も魚雷1本を受けて中破する。

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結果

この日22時にサドンデスラインを超えたためにゲーム終了となった。日本軍のVPは113、連合軍は206。連合軍の勝利である。両軍の損害を以下に示す。

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日本軍は空母2、重巡2、駆逐艦1、輸送船3を失い、空母3、戦艦2、重巡1が大中破、重巡2が小破した。航空機の損害は212機。連合軍側に沈没艦はなく、空母2隻が中小破した。航空機の損害は152機である。史実に比べれば日本軍の損害がやや小さいと言えるかもしれない。またミッドウェーに対する上陸を成功させた点も史実より高評価になる。しかし日本軍の損害は連合軍を遙かに上回っている。ゲーム上で連合軍が勝利したことは妥当な結果と言えよう。

感想

ミッドウェー海戦は、空母同士の戦いで全てが決する典型的な空母決戦であった。史実を見れば明らかなように、空母決戦に敗れた日本海軍は作戦そのものを失った。また史実とは逆に日本側がもし空母決戦に勝利していれば、MI作戦は日本側の勝利に終わっただろう。空母部隊を失った米軍にとって、圧倒的な日本側の侵攻部隊を阻止する術はなかったからだ。
このような史実を考慮すると、空母決戦でいずれか一方が勝利を得た段階で、シナリオ自体も完了できるのが望ましい。本シナリオでは両軍にサドンデス条件を設定することでこれを実現している。すなわち一方が空母戦に敗れて大量のVPを失った場合、対する側が自動的に勝利できる仕組みだ。

ところで空母戦の結果が痛み分けの場合、作戦自体はどちらの勝利に終わるのだろうか。例えば南雲機動部隊と米機動部隊の双方が打撃力を喪失した場合、作戦自体の勝者は果たしてどちらか。
もし両者が彼我の状況を知悉していた場合、日本側が勝利するだろう。なぜなら空母を失った米軍にとって、「大和」以下の圧倒的な日本艦隊を阻止することは不可能だからだ。
しかし史実における日本軍の立場に立ったとき、痛み分けの結果から勝利を引き寄せ得たであろうか?。
この疑問に対する回答こそデザイナーの歴史観が問われる。
私は、「否」とする。
何故か。
それは日本軍にとって「想定外」の出来事だからである。
「妾の子でも勝てた」
「米空母なぞ鎧袖一触」
それが作戦前における日本海軍の一般的な認識であった。
それが「本妻の子」である筈の精鋭1,2航戦が米空母との戦いで"EX"の結果を食らって壊滅してしまった。これは聯合艦隊司令部をして驚愕せしめる事態であったことは想像に難くない。だから南雲機動部隊が戦闘力を失った時点で聯合艦隊は作戦中止を決断しただろう。思い返せば、珊瑚海海戦でも勝利したはずのMO部隊は、作戦を中止して引き上げているではないか。

だから本シナリオでも日米が痛み分けの結果に終わったときには、米側が勝利するようにデザインされている。日本側のサドンデスラインを低めに設定することでこれを再現しているのだ。

因みにこの結果、本シナリオは日本側にとって些か不利なシナリオとなっている。兵力的には優勢だが、航空戦力では必ずしも優勢とは言えない南雲機動部隊は、自隊とほぼ同等の航空兵力を持つ米機動部隊相手に勝利を収める必要があるからだ。それはそれで良いとは思うが、やや日本軍に苦しすぎるきらいがあるので、若干VPラインを日本側に甘くしようと思う。



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武人の本懐 FROM THE SEA 東日本大震災における海上自衛隊の活動記録

高嶋博視 講談社

サブタイトル通り東日本大震災における海上自衛隊の活動記録である。筆者は震災当時横須賀地方総監で震災における海自作戦行動の指揮を執った人物である。旧海軍風にいえば横須賀鎮守府長官といったところだろうか。
本書は日記風のスタイルで書かれており、震災当時における海自の行動を筆者の視点で描いている。海自の活動といっても陸自のそれに比べるとやや地味だが、本書を読めば海自が目に見えない所で重要な役割を果たしていることがわかる。救援物資の輸送、生存者救助、行方不明者捜索、そして原発事故対応等。本書を読めば、海上自衛隊にとっては初めての本格的な実戦となった東日本大震災における活動の一端に触れることができる。
値段の割に文字数が少ないので1~2時間程度で読み終わるのが少し寂しいが、万人にお奨めしたい作品である。

お奨め度★★★★

自作空母戦ゲーム「海空戦、南太平洋1942」(以下、本作)。今回は、追加シナリオであるミッドウェー海戦に挑戦する。まずはソロプレイで試してみた。

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「海空戦!南太平洋1942」は自作の空母戦ゲームです。
作品についての詳しくは-->こちらを参照して下さい。
また入手方法は-->こちらを参照して下さい。
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なお、ミッドウェー海戦シナリオの概要は-->こちらを参照されたい

前回までのあらすじ

ミッドウェー攻略を目指す日本艦隊は、南雲中将率いる空母機動部隊と近藤中将率いる攻略部隊に対して同島攻略を命じた。しかしミッドウェー近海には空母3隻からなる3群の米機動部隊がやはり奇襲を企図して遊弋していたのである。激しい航空決戦で日本側は空母「赤城」「加賀」「蒼龍」の3隻が中破し、「赤城」「蒼龍」が航空機運用能力を失った。一方の米軍は「ヨークタウン」「ホーネット」が中小破した。
夜になって両軍とも航空兵力を再整備し、被弾機の修理を急ぐ。しかし航空兵力の損害は共に大きく、日米両軍とも機動部隊の稼働機数は100機強に過ぎなかった。

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6月5日

06:00

日本艦隊はミッドウェー西方海域から同島に近づく、そして夜が明ける頃には近藤中将の砲戦部隊がミッドウェー近海に近づいていた。一方の米機動部隊は一旦ミッドウェー東方に退く。
夜明けと共に両軍とも積極的な索敵戦を展開した。やがて両軍の索敵機は次々と敵発見を報じた。

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まずミッドウェーを発進したSBD、SB2U、B17の混成編隊がミッドウェー近海で近藤部隊を攻撃する。戦艦「比叡」が攻撃目標となり、1000lb爆弾3発を食らった「比叡」が中破した。

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次に「エンタープライズ」を発進したSBD艦爆36機が近藤部隊上空に来襲し、唯一の空母である軽空母「瑞鳳」を集中攻撃した。4発の1000ポンド爆弾を食らった「瑞鳳」は大破して航空機運用能力を失う。

最後に飛来したのは「ホーネット」を発進したSBD艦爆36機である。この部隊は「瑞鳳」の零戦隊9機による迎撃を受けたが、零戦隊はSBD隊による反撃によって3機を失ってしまう。SBD艦爆は、先に被弾した「比叡」を再び襲う。4発の1000ポンド爆弾が命中し、戦艦「比叡」は大破した。

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イメージ 6航空攻撃によって大きな被害を被った近藤部隊であったが、ようやくミッドウェーに接近し、戦艦2、重巡4が同島に対して激しい艦砲射撃を浴びせた。戦艦を含む砲撃によって小さな島の飛行場は瞬時に壊滅。攻撃を終えて帰投していたSBD艦爆隊やB17爆撃隊は地上で次々と撃破された。一連の攻撃でミッドウェーの飛行場は大打撃を被り、少なくとも続く1日間程度は同島の飛行場が使用不能になる。

10:00

ミッドウェー近海の近藤部隊が再び米空母機の攻撃を受けた。SBD艦爆36機が2波に分かれて飛来し、重巡「妙高」は爆弾3発を食らって轟沈。同じく重巡「愛宕」「羽黒」の2艦が小破した。

近藤部隊の残った諸艦はミッドウェーに対する2回目の砲撃を実施していた。先の砲撃で沿岸砲台はほぼ壊滅させたので、先に砲撃に参加していなかった軽巡や駆逐艦が対地砲撃に加わる。弾薬を撃ち尽くして砲撃に参加できない重巡を除き、戦艦、軽巡、駆逐艦などがミッドウェーに対して激しい砲撃を実施した。これによってミッドウェー島は合計で18打撃(前Turn分含む)を被った。同基地の航空隊はほぼ壊滅。基地の機能も2日以上停止することとなる。

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14:00

イメージ 7ミッドウェー砲撃を終えて撤退を開始した近藤部隊に対し、米空母艦載機がなおも襲いかかる。空母「ホーネット」を発進したSBD艦爆18機が雲の合間を縫って奇襲に成功。軽空母「瑞鳳」に4~6発の1000ポンド爆弾を命中させてこれを撃沈した。

空母「エンタープライズ」を発進したSBD艦爆18機は、近藤部隊を飛び越えてさらに西方に進撃。眼下に見えるミッドウェー攻略船団を捉えた。水上機母艦「神川丸」を発進した零式観測機が果敢にこれを迎撃する。SBD艦爆3機が撃墜されたが、残った各機は果敢に急降下爆撃を敢行した。爆弾3発が輸送船1隻に命中。その輸送船は大爆発を起こして沈没していった。

イメージ 8潜水艦「ボーンフィッシュ」がミッドウェー西方120海里に日本空母2隻を発見した。これこそ南雲部隊の生き残りである「加賀」「飛龍」である。護衛の駆逐艦を狙って雷撃を実施したが、惜しくも魚雷は外れ。その後の対潜攻撃を「ボーンフィッシュ」は辛くも逃れた。

18:00

しかし「ボーンフィッシュ」の報告は無駄にはならなかった。日本空母の位置を特定した米機動部隊は、2波に渡る攻撃隊を発進させたのである。索敵報告を待たない決め打ちの攻撃だ。距離が遠いためF4Fの護衛はつけられず、SBD艦爆18機からなる攻撃隊が2個のみだ。
最初に目標上空に到達したのは「エンタープライズ」を発進した18機の艦爆である。この攻撃隊は日本軍の防空網を首尾よく突破し、日本艦隊上空に達した。対空砲火によって3機が撃墜されたが、残りは急降下爆撃を敢行。狙いをつけたのは大型空母「加賀」だ。
「加賀」万事休す。
しかしこの時は「加賀」の回避運動が功を奏し、ギリギリの所で米艦載機の急降下爆撃を回避した。

イメージ 9続いて「ホーネット」を発進したSBD艦爆18機が日本艦隊に迫る。この攻撃隊は日本側CAP機の迎撃を受けた。攻撃隊の半数が零戦に阻止されて爆弾を投棄する。しかし残った9機のSBD艦爆はやはり「加賀」を狙って急降下する。さすがの「加賀」も2度目の幸運はなかった。1000ポンド爆弾1発が「加賀」の飛行甲板を貫いた。悪いことに「加賀」の艦上では、敵空母攻撃に爆装した18機の艦爆が待機していた。爆撃によって艦爆18機が次々と炎上。搭載していた爆弾が爆発する。「加賀」は沈没こそ免れたものの完全に大破し、その戦闘力を失った。これで日本艦隊に残された正規空母は「飛龍」1隻のみ。対する米機動部隊はなおも3隻の空母を保有している。

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22:00

損害を受けたが、日本軍の輸送船団は遂にミッドウェー近海に到達した。次のTurnより上陸作戦が始まる。このTurn終了時点で連合軍の獲得したVPは115点。終了宣言するにはあと5点足りない。ゲームはまだまだ続く。




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大朝日岳は、山形県朝日連峰の主峰で、標高1870mである。
この山は主峰までのアクセスが結構遠く、登山口からのコースタイムは最短でも6時間。往復の所要時間は軽く10時間を超える。山頂付近には避難小屋があり、寝袋・食料持参で宿泊可能だ。

今回、この大朝日岳にチャレンジしてみた。装備の軽量化を重視して日帰りプランを立てる。すなわち古寺鉱泉から入山し、古寺山、小朝日岳を経由して大朝日岳に向かうルートである。大朝日岳の登山ルートとしては最短コースの1つであるが、それでも登りのコースタイムが6時間、下りが4時間強、トータルで10時間以上の長丁場である。

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朝日連峰に近いホテルを早朝4時過ぎに出発。レンタカーを飛ばして古寺鉱泉の登山口に着いたのは午前5時前で準備を整えて出発したのは5時15分頃だった。約5週間ぶりの登山だったので、最初は息が上がって苦労した。しかし20~30分で体が馴染んでくると、いつものペースに戻ってきた。

今回の朝日岳で少し助かったのは、標高差が比較的小さかったこと。登山口の古寺鉱泉から山頂の大朝日岳までの標高差は約1200m。決して小さい値ではないが、普通の登山でも1200mぐらいの標高差は時々ある。とはいえ、アップダウンがあるので累積標高差は1500m以上になるので、相当に厳しい山である。その難易度は昨年夏に登ったトムラウシにも匹敵するのではないだろうか。

歩き始めて3時間弱で古寺山山頂に到着する。標高1500m。標高的には大朝日岳まであと300m少しだ。古寺山山頂からは朝日岳連峰が一望できるはずだが、生憎この日は天気が悪くて山々が見えない。

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古寺山からは少しアップダウンがあり、小朝日岳の頂上を巻いて大朝日岳へ向かう稜線歩きになる。この稜線はアップダウンが比較的少なく、しかも朝日連峰の雄大な景観が堪能できる好コースだ。この日は霧雨混じりの天気なので視界が効かないのが恨めしい。

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稜線を登り切った所に朝日岳避難小屋がある。そこか歩いて15分ほどで大朝日岳の山頂だ。例によって悪天候で視界は効かない。風も強いので早々に引き上げる。

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帰りは来たコースを逆向きに戻る。帰りは往路はバイパスした小朝日岳の山頂に登ってみた。小朝日岳から振り返ると、少し晴れ間が見えてきて、大朝日岳の姿が見えてきた。

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古寺山を越えて最後の下りルートを降りていく。鍛えかたが足りなかったのか、右足が痛んできた。痛む足を引きずって古寺鉱泉に降りてきたのは午後3時頃だった。

所要時間は往路が5時間、復路が4.5時間である。往路はコースタイムよりも短かったが、復路はコースタイムを超過した。超過した理由は、途中で小朝日岳に寄り道したことと、右足の痛みでスピードを出せなかったことである。

今回の大朝日岳で95番目の100名山を制覇した。あと5つ。

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以前に紹介した香川を代表する骨付き鳥の店「一鶴」、その支店が横浜にあると聞き、早速訪ねてみました。
横浜西口から歩いて2~3分。ビックカメラの向いにあるビルの中にありました。
ビール、ひな鳥、そして鶏飯という定番メニューで挑戦しました。
鳥の味は香川で食べた時と同じで、ひな鳥はスパイシーでビールとの相性はサイコー。まさに「食べ出したら止まらない」おいしさです。また鶏飯は普通の鶏飯なのですが、こちらは上品な味で、やはり箸が止まりません。
YSGAの定番会場である西公会堂からも近い場所にあるので、ゲーム帰りに立ち寄るのもまた良しです。

お奨め度★★★★

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