もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

2020年02月

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中正紀念堂を見た 後。MRTの乗り潰しを少ししてから夕方になってから象山に向かいました。
象山とは、台北市内にある標高183mの小山で、MRTの象山駅から直接徒歩で登山が可能です。
駅から地上に出ると、目の前が象山の公園になっています。公園を左手に見ながら歩き、途中で左に折れてややキツイ坂を上り、さらに右に曲がった所に象山への登山口があります。
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登山口からは石段になっていて、その石段が山頂まで続いています。石段なので歩きやすく、足元に注意すれば危険はほぼありません。ただし人が多く、しかも途中で記念撮影をしたり、子供をあやしたりしているので、しばしば渋滞します。

山頂までの所要時間は駅からを加味しても20~30分といった所でしょうか。山頂に特に「これが山頂だ」的な表記はありませんが、上り下りが切り替わるので容易にわかります。
山頂からさらに少し歩いた先に展望所があります。ここからは目の前に台北101を始めとする信義地区のビル街が見えています。

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夜になるとビル群がライトアップされるため、さらに幻想的な景観になります。残念ながらメインの台北101は山頂部に雲がかかっていて、その全貌を見ることはできませんでした。

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帰りは夜になっていましたが、幸い登山路には街灯が灯っていて危険を感じる場所はありませんでした。

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下りの所要時間は15分ぐらい。手軽に登れて景観も楽しめる良い山だと思いました。今度登る時には、今度は台北101の全貌を拝みたいです。

(つづく)


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Great War at Sea(GWaS)シリーズは、第1次世界大戦前後における海上戦闘を作戦レベルで再現するシミュレーションゲームシリーズだ。ユニットスケールは原則として1隻1ユニット、ただし駆逐艦以下の小型艦は複数艦で1ユニットを構成する。マップは作戦マップと戦術マップに分かれ、作戦マップは段差型スクエア(TAHGCの"Bismark"と同じ)で、1スクエアは実際の36海里に相当する。戦術マップはヘクス方式で1Hex=8000yd。1Turnは実際の4時間に相当する。
"1904-1905"(以下、本作)は、GWaSシリーズの1作品で、テーマは日露戦争。同戦争における日本とロシア両海軍の対決を8本の戦闘シナリオ、11本の作戦シナリオ、2本のキャンペーンシナリオで再現する。今回はその中から作戦シナリオの1本であるOperationnarl Scenario#9 "Breakout and Pursuit"をプレイした。これは1904年8月10日の黄海海戦を作戦レベルで再現するシナリオである。私は日本軍を担当する。

前回まで-->こちら

1904年8月13日

AMC01朝鮮半島南西端の木埔木浦沖で東郷艦隊は旅順艦隊主力を捉えた。艦橋で小躍りする秋山参謀。しかしロシア艦隊は日本艦隊の追撃を巧みに回避し、再び霧の中に姿を消していった。切歯扼腕して悔しがる秋山参謀。
その頃、下北半島の東方沖から急電が飛ぶ。ロシアの仮装巡洋艦が下北半島沖に現れたのだ。蜘蛛の子を散らすように逃げる日本の商船。日本海を東に進む第2艦隊の分遣隊(装甲巡洋艦2、防護巡洋艦3、出羽少将麾下)は津軽海峡へ向けて急進する。

1904年8月14日

木埔沖で再び日露の主力艦隊が相まみえた。ロシア艦隊は戦艦6、巡洋艦3の計9隻。日本艦隊は戦艦4、装甲巡洋艦6、防護巡洋艦2の計12隻である。日本艦隊は先に対馬を出撃した上村艦隊との合流を既に終えていた。

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IJN_AC08Nisshin隻数で優る日本艦隊であったが、戦艦の隻数で優るロシア艦隊に苦戦を強いられた。戦艦「敷島」が多数の命中弾を受けて損傷する。装甲巡洋艦「常磐」も集中砲火を受けてその搭載火砲全てが使用不能になる。一番集中攻撃を受けた装甲巡洋艦「日進」は、多数の命中弾を受けて沈没していった。
日本艦隊も負けてはいない。戦艦「セバストポール」は日本戦艦の放つ大口径砲弾を受け、弾薬庫に命中を受けて爆沈した。装甲が弱いために日本側中口径砲に狙われまくったロシアの巡洋艦「パラーダ」「アスコリド」「ディアナ」も多数の命中弾を受けて沈没していった。それでも重装甲を誇るロシア戦艦は、中口径砲の砲撃を受けても良く耐えていた。

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IRN_B11Tsesarevitch劣勢のロシア艦隊は雷撃戦に活路を求めた。ロシア戦艦、巡洋艦が次々と魚雷を発射する。その1本が日本の戦艦「富士」に命中。機関部に損害を受けた「富士」は航行不能に陥ってしまう。日本艦隊は敢然と敵に突撃。至近距離から雷撃を敢行する。戦艦「ポルタワ」には1本の魚雷が命中。こちらは「ポルタワ」に大浸水を引き起こして「ポルタワ」は航行不能となってしまう。戦艦「ツェサレーヴィチ」には魚雷2本が命中。こちらも大破したが、航行能力には未だ支障がなかった。

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この時点でロシア軍には5隻の戦艦が残っていた。うち1隻「ポルタワ」は航行不能、もう1隻「ツェサレーヴィチ」は大破してほぼ戦闘不能、「レトヴィザン」が中破し、残り2隻は無傷であった。一方の日本軍は、戦艦「富士」が航行不能、戦艦3隻が中破。装甲巡洋艦は1隻「常磐」が大破して戦闘不能、2隻「浅間」「八雲」が中小破、2隻「春日」「磐手」が無傷であった。未だに両軍の戦闘は予断を許さない状況であった。この戦いはどちらか一方が完全に倒れるまでは決して終わることがないだろう。

感想

この時点で単なる殲滅戦の様相を呈してきたので、一旦お開きにすることにした。ここまでで25Turnが終了。全体の約42%で所要時間は約6時間である(セットアップ含む)。仮に最終Turnまでプレイするとしても1日でかなり良い所まで行けそうだ。
感想としては、 前回にも書いた が、戦術戦闘のルールが面倒だ。殆ど戦術的な選択肢がないのにやたらと手間がかかり、しかも結局はダイス勝負である。しかも決してリアルではない(何か変な海上戦闘になる)。手間がかかる理由は、射撃の機会が多い(1ラウンドあたり5回もの射撃機会がある)上、命中判定の後に損害判定で2D6を振る必要があるからだ。これが結構面倒だ。さらに損傷艦が出れば火力減少が発生するので、各艦ごとに現時点での火力をチェックする必要がある。これらの手間が「楽しい」行為ならまだ許せるが、決して楽しい訳ではなく、単に面倒なだけである。
また水上戦闘の「死ぬまで戦う」システムにも問題を感じる。一旦水上戦闘に入り、両者が射程距離内に入った場合、余程の視界不良や夜間ではない限り戦場離脱は殆ど不可能になる。結局水上戦のダイス目勝負になり、戦略・戦術的な面白さはなきに等しい。

とまあ、ここまで悪口を書いたが、評価できる点もある。まず作戦機動の部分は極めて面白い。マップ1枚で艦隊を動かすタイプのゲームであるが、事前に航路をプロットしておく必要があり、海上作戦の「ままならなさ」は上手く表現されている。しかもシチュエーション的な切り取り方も見事で、今回の黄海海戦について言えば、旅順方面から出撃する旅順艦隊とウラジオストクから出撃するウラジオ艦隊。その両面に対処しなければならない日本軍の戦略など、それなりに複雑な状況を楽しめる。戦術戦闘部分さえ無視すれば、それ以外の部分は結構面白い作品といえる。

作戦級の海戦ゲームといえば、空母戦ゲームは結構あるものの、空母が出てこない時代の作戦級海戦ゲームは意外と少ない。今回紹介したGWaSシリーズはその数少ない例外だが、システムを見る限り決定版とは言えない。そういった意味では未だ未開拓の分野であり、今後の発展が期待できる分野ともいえる。作戦級で描く日露海戦。

誰か作ってくれないかな・・・。

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台北MRT乗潰し の過程で立ち寄ったのが中正紀念堂です。そもそも駅名からして大袈裟であり、かつ駅の駅名表記も如何にも勿体ぶった感じなので、前から気になっていました。
なお、中正紀念堂を英訳すると"Chiang Kai-Shek Memorial Hall"となっていました。これを日本語に再翻訳すると「蒋介石記念ホール」となり、我々的にはしっくりきます。

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中正紀念堂駅とは地下道で直結している中正紀念堂なのですが、私は出た出口の関係で、駅から5分ほど歩く羽目になりました。遠くからはその姿を伺い知れませんが(台北における高層建築ラッシュは日本を遥かに凌いでいます)、目の間に行くとかなり迫力があります。
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内部は土産物やカフェ、蒋介石関係の展示コーナーになっています。

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そもそも中正紀念堂自体が故蒋介石総統を記念した建物で、最上階には巨大な蒋介石の銅像があり、その前で2人の衛兵が微動だにせず総統の像を守っています。

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中正紀念堂の正面は広大な公園になっていて、自由公園という名前がついていました。その端っこでチアダンスのチームみたいな一行が銃剣を持ってポーズを取る練習をしていましたが、これが未来の衛兵のための訓練なのでしょうか。
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昼食は中正紀念堂駅近くの「八方雲集」という店で取りました。台湾風の乾麺の水餃子が美味しゅうございました。

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(つづく)

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Great War at Sea(GWaS)シリーズは、第1次世界大戦前後における海上戦闘を作戦レベルで再現するシミュレーションゲームシリーズだ。ユニットスケールは原則として1隻1ユニット、ただし駆逐艦以下の小型艦は複数艦で1ユニットを構成する。マップは作戦マップと戦術マップに分かれ、作戦マップは段差型スクエア(TAHGCの"Bismark"と同じ)で、1スクエアは実際の36海里に相当する。戦術マップはヘクス方式で1Hex=8000yd。1Turnは実際の4時間に相当する。
"1904-1905"(以下、本作)は、GWaSシリーズの1作品で、テーマは日露戦争。同戦争における日本とロシア両海軍の対決を8本の戦闘シナリオ、11本の作戦シナリオ、2本のキャンペーンシナリオで再現する。今回はその中から作戦シナリオの1本であるOperationnarl Scenario#9 "Breakout and Pursuit"をプレイした。これは1904年8月10日の黄海海戦を作戦レベルで再現するシナリオである。 前回紹介した"Battle of the Yellow Sea"のソロプレイ では、黄海海戦の戦術的側面だけを再現するシナリオであったが、本作はもっと広い範囲を扱っている。すなわち旅順口からのロシア艦隊の出撃とそれに対する日本艦隊の迎撃。ウラジオストックから出撃するウラジオ艦隊とそれを捕捉撃滅せんとする日本側第2艦隊。これら日本海と黄海を舞台とした一大海上作戦を全10日間で再現するものだ。

前回 の紹介では漏れていた本作の作戦部分について説明する。GWaSシリーズ共通のシーケンスは以下の通りだ。

1.天候フェイズ
2.命令フェイズ
3.艦隊移動フェイズ
4.接触チェック
5.戦術フェイズ

上記のシーケンスから予想できる通り、基本システムは非常にシンプルだ。しかも海戦ゲームにも関わらずダミーもブラインド方式もない。艦隊は(一部例外を除いて)全てマップ上に置かれ、プレイヤーからその位置が判明している(ただし艦隊番号はわからないように裏返しに置かれる)。肝は艦隊任務と命令ルールで、輸送や対地砲撃等の任務を実施するためにはそれぞれ「輸送」「砲撃」と任務を与える必要がある。任務の種類によって何turn先まで命令をプロットしなければならないかが決められており、例えば「輸送」「砲撃」といった任務の場合は出港時に全ルートをプロットしておかなければならない。一番柔軟性の高い「襲撃」「迎撃」といった任務の場合も2Turn先までプロットしておく必要がある。しかも航空機は未だ発展途上である20世紀初頭の海戦では、航空機による偵察にも多くを期待できない。従って両軍とも手探りでお互いの動きを探るような展開になる。移動途中に彼我の艦隊が同一スクエアを占めた場合に戦闘が発生し、戦術マップを使った戦術戦闘になる。

という訳で次に今回プレイする「黄海海戦」シナリオについて考察する。本シナリオの勝利条件は敵艦船の撃沈・撃破によるもの、商船襲撃によるもの、そして本シナリオ固有のものとしてロシア第1太平洋艦隊のウラジオストクへの突破がある。最後の条件は、旅順口に初期配置されているロシア艦のうちウラジオストクまで回航できた艦船は、沈没時と同等のVPをロシア側が受領する。従って旅順艦隊が突破に成功すれば、ロシア側が勝利を獲得できる。ただし突破に失敗してもロシア側がVPを失うことはないので、突破する姿勢を示しつつ日本艦隊を牽制する手もある。その間にウラジオ艦隊が日本船団を攻撃してVPを獲得するのが狙いだ。ちなみに旅順とウラジオストクとの海上距離は41スクエア。ゲームの長さは60Turnで艦船は原則1Turnに1スクエアしか移動できない。従って旅順艦隊は遅くても20Turnまでには出航しなければならない。逆に言えば20Turnまでに旅順艦隊が出港しなかった場合、日本艦隊は旅順港封鎖を解除し、全力でウラジオ艦隊撃滅に向かっても良い。
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今回、私は日本軍を担当することになった。日本軍としては旅順艦隊のウラジオストクへの突破を阻止しつつ、ウラジオ艦隊による日本船団への襲撃阻止を画策することになる。そこで日本艦隊は東郷提督率いる第1艦隊(戦艦4、装甲巡洋艦4、その他)を旅順方面を哨戒させて旅順艦隊の出撃に備えつつ、上村提督(*1)率いる第2艦隊(装甲巡洋艦4、防護巡洋艦5)を朝鮮半島に待機させてウラジオ艦隊の出撃に備える。さらに上村艦隊から兵力の半数を割いて津軽海峡方面へ移動させ、太平洋で通商破壊を図るであろうロシアウラジオ艦隊の退路を断つ位置に進出せしめる。

1904年8月10日

IRN_DD44旅順口を警戒する東郷艦隊は、防護巡洋艦3隻を分離させて旅順口を包囲する態勢とする。そして主力の戦艦部隊は旅順口の南方60海里に布陣し、旅順艦隊の出撃に備える。
巡洋艦「高砂」が勇敢にも旅順口の入口まで出撃。港口にてロシア艦隊と小競り合いをしつつ南方へ撤退する。それを追うロシア駆逐艦隊は日本側の敷設した機雷原に踏み込み、駆逐艦1隻が触雷沈没する。

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IJN_C08Takasago夜になって俄かに旅順口が慌ただしくなり、ロシア艦隊が相次いで出港したとの報が入った。俄然緊張する日本艦隊。旅順口港南方を警戒中の「高砂」がその艦首を旅順口に向けた刹那、追撃してきたロシア駆逐艦と不意遭遇戦になった。複数の駆逐艦による追撃を受けた「高砂」は勇敢に戦い、駆逐艦2隻を撃沈した。しかしロシア駆逐艦の放った魚雷1本以上が「高砂」に命中。火薬庫に火が回った「高砂」は大火焔を上げながら旅順口外にその姿を没した。

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1904年8月11日

IJN_B03Shikishima ロシア艦隊出撃を報を受けて日本艦隊は哨戒網を広げつつロシア艦隊の南下に合わせて南下していく。威海衛沖でロシア側小艦隊と遭遇した東郷麾下の日本主力艦隊は猛然と追撃戦を実施し、3隻のロシア砲艦を悉く撃沈した。しかしその過程で日本の戦艦「敷島」が魚雷1発を受けたのは不覚であり、「敷島」の被害が軽微だったのは全くの僥倖であった。

1904年8月12日

旅順口を出撃したロシア艦隊は朝鮮半島西岸沖に向けて前進していく。それを包囲する日本艦隊は、ロシア艦隊の視認距離外を付かず離れずで追っていく。また対馬海峡を警戒中の上村提督麾下の第2艦隊分遣隊(装甲巡洋艦2、防護巡洋艦2)が対馬の基地を出港。黄海に向けて針路を取る。
午後に入り、朝鮮半島南部群山沖まで後退してきた東郷提督麾下の主力艦隊は、ロシア水雷艇8隻と不意遭遇戦を演じた。この戦いで砲力の優越を見せつけた東郷艦隊がロシア艦隊を一方的に殲滅し、二度目の勝利を得た。

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(つづく)

その翌日 は、台北市内を縦横に走るMRT(地下鉄)路線の乗潰しに出かけました。地下鉄といっても(日本の場合と同じく)かなり郊外まで路線を伸ばしており、さらにその先に支線がいくつかあります。従って全線乗り潰すのは結構難儀。まあ取り敢えず行ってみますか・・・。

新北投支線

台北北部の温泉地として知られている北投地区。その中心地北投駅から東へ延びている約1.2kmの枝線です。駅は北投と新北投の2駅のみ。4両編成ぐらいの列車が、1編成でその間を行ったり来たりしています。

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この列車がなかなか面白く、車内は日本の観光列車のような内装になっていて、中に入るだけでウキウキした気分にさせてくれます。また「熊モン」みたいなキャラクターの模型も飾られており、「熊モン」もどきのイラストも展示されていました。

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淡水LRT

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これはMRTではなく、LRT(ライトレール)です。MRT淡水線(RedLine)の紅樹林駅から乗り換えて、Kanidng駅までの7.3km11駅の路線です。ライトレールということですが、前半部分は専用の高架線を走るので、かなりの高速でかっ飛ばします。左右には淡水河東岸地区に広がる高層住宅地が見えています。恐らく台北地区へのベッドタウンなのでしょう。

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途中の淡水行政中心駅から先は地表レベルになり、道路の真ん中を走ります。日本の路面電車と同じですが、道路部分と路線部分の間に仕切りとなるブロックがあり、一般車両が路線に入ってこれないようになっています。
終点までの所要時間は約20分。終点は車両基地になっていて、数編成のLRT車両が停止していました。

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紅樹林駅を降りた時に気づいたのですが、この路線一帯は1884年の清仏戦争(現地語では「清法戦争」)の舞台となった場所だそうです。清仏戦争について詳しくは知らないのですが、こういった関連の遺構には興味があるので、時間がある時にじっくり回ってみても良いかもしれません。

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淡水信義線(RedLine)

こちらは台北MRTの中でも大御所の部類に入り、日本で言えば銀座線が丸ノ内線あたりに相当するのかな、と、勝手に想像しております。
この路線の面白い所は、台北中心地を抜けると地上に出て走る所。特に淡水付近では左手に広大な淡水河が見えてきて、なかなかの景観です。地下鉄に乗っているだけでも結構旅行気分を味わえる路線でした。

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ちなみに今回の旅行で乗り潰したのは、上記以外に中和新蘆線(Orange Line)と松山新店線(Green Line)があります。それ以外にも板南線(Blue Line)は既に乗り潰し完了。残るは全線高架路線の文湖線を乗り潰せば台北のMRTは乗潰し完了です。・・・・。
しかし近々、環状線(Yellow Line)と呼ばれる新線が開業する予定であり(2019年末とのことでしたが、2020年にずれこみそう?)、桃園空港線も延伸の予定ありとのこと。さらに今回乗り潰した淡水LRTも延伸計画があり(既に線路は敷かれていました)、台湾乗り鉄の旅はまだまだ先が長そうです。

(つづく)

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