もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

2020年06月

SilentVictory


「Silnet Victory」はGMT社が2015年に発売したシミュレーション・ウォーゲームだ。テーマは太平洋戦争での潜水艦戦で、プレイヤーは米潜水艦の艦長となり、ゲームシステムが操る日本軍と戦う。

これまでの展開 --> こちら

第15回目の哨戒

写真171945年である。我々は新たに2種類の装備を手に入れた。1つはMk.27「キューティ」。音響追尾方式の対護衛艦艇用の魚雷である。これはこちらを見つけて近づいてくる護衛艦相手に発射され、そのスクリュー音に追尾する。首尾よく敵艦のスクリューに命中したら、その艦を行動不能にできるだろう。
もう1つはNACジャマー。つまり音響ジャマーである。広帯域に渡って雑音を発し、相手のソーナー探知を妨害する。効果は限定的(確率1/3で探知を回避できる)だが、窮地に陥った時に命拾いするかもしれない。

これら新装備を手に入れた「シーライオン」が出撃したのは、1945年の3月であった。目的地は日本本土での哨戒任務である。今回は僚艦「スケート」(USS Skate, SS-305)及び「ハードヘッド」(USS Hardhead, SS-365)と組んでウルフパックの1艦として行動する。新兵器Mk.27「キューティ」は計4本搭載。そのうち3本を艦尾の発射管に装填した。くれぐれも機雷源には入りませんように・・・


写真06


今回の任務はあまり収穫がなく。撃沈は3隻、4,300tに留まった。その中には潜水艦「イ173」、駆逐艦「神風」も含まれていた。

第16回目の哨戒

次の出撃は1945年5月である。日本本土周辺の搭乗員救助任務だ。九州南方海上で撃墜された空母艦載機の乗員を無事救助した「シーライオン」は、途中何度か日本輸送船を発見したもののあえて攻撃を行わず。無事真珠湾に帰投したのは翌月のことであった。

写真07


第17回目の哨戒

写真16次の出撃は1945年7月である。これが「シーライオン」にとって最後の戦闘航海になった。目的地はまたもや日本本土近海である。この戦闘航海で「シーライオン」は4隻、7,800tを撃沈した。その中には駆逐艦「初霜」「秋雲」の2艦も含まれている。

この航海を最後に「シーライオン」にとっての太平洋戦争は終わった。戦争全期間を通じて私は「スレッシャー」「シーライオン」という2隻の潜水艦を指揮した。私は戦争全期間を通じて44隻、186,400tを撃沈した。その中には大型空母「赤城」、潜水艦「イ173」、駆逐艦「春雨」「秋雲」「神風」「初霜」なども含まれている。時には危ない場面もあり、爆雷攻撃で艦自体が危機に陥ったこともあった。機雷源にはまり込み、辛うじて脱出したことも1度ではない。しかし長い戦争全期間を通じ、私の艦からは1人の戦死者も出さなかったこと。全員が無事生きて帰ることができたこと。そして私自身が国家に対して義務を果たしたことは、私の生涯の中で誇っても良い事ではないかと思う。

写真19


感想

とにかくやり遂げて良かったです。戦争前半はあまり無理をせず、安全第一で行動したのが良かったと思います。後半は魚雷の性能が良くなって面白いように戦果があがるようになります。この段階でもう少し欲張っても良かったかもしれません。まあ結果オーライです。

ゲーム自体は面白いです。哨戒任務を決めて、遭遇判定を行い、敵を見つけたら雷撃を行う。これの繰り返しなのですが、時折現れる大型戦闘艦、戦果に伴う叙勲、乗員の練度上昇、新装備の導入などがゲーム展開を盛り上げます。プレイ時間は戦争全期間で4~5時間ぐらい。例えばイライラする1942年までをパスして、1843年からプレイするのであれば2~3時間で終わると思います。潜水艦戦のゲームは他にもあるのですが、シンプルなルールで潜水艦の哨戒任務を再現するというコンセプトは秀逸で、所謂「サブマリン」スタイルのゲームにはない面白さがあります。

さて、次はどんなソロプレイゲームを楽しもうか・・・。

USS_SeaLion


4

200324_熱砂の進軍


熱砂の進軍

トム・クランシー/フレッド・フランクスJr. 白幡憲之訳 原書房

1991年に始まる湾岸戦争(第1次湾岸戦争)は、20世紀最後の大戦争であった。冷戦終結後の1990年、イラクによるクウェート侵攻に端を発した湾岸危機は、1991年に多国籍軍による先制攻撃で「熱い戦争」に発展した。湾岸戦争、砂漠の嵐(Desert Storm)作戦である。
本書は、湾岸戦争で米第7軍団を率いてイラク軍最強の共和国防衛隊と激闘を交えたフレッド・フランクス元米陸軍中将が語る湾岸戦争地上戦史だ。本書は2巻構成になっていて、上巻ではフランクスがベトナム戦争に参戦して戦闘による負傷で片足を失う話。病院での苦しいリハビリ生活とそこから復活して陸軍に復帰するまでの過程。ベトナム戦争に敗北してガタガタになったアメリカ陸軍とそこからの復活。西ドイツ第11騎兵連隊でのフランクスの活動。湾岸危機の勃発と湾岸戦争開戦までが描かれている。
下巻では、地上戦の開始と第7軍団の進撃。共和国防衛隊の最初の接触と73イースティングの戦い。タワカルナ師団の撃破とメディナ師団との交戦(メディナ・リッジの戦い)。終戦そして戦後におけるフランクスの活動が描かれている。
本書の面白さは冷戦時代末期にドクトリンや装備を著しく発展させた米重機甲部隊とソ連型装備と編成のイラク軍精鋭部隊の対決を実際に体験できる点である。それは米軍が長年想定していた米ソ対決の縮小版であり、ヨーロッパでは遂に発生しなかった現代戦型機甲部隊による大機動戦であった。その戦いはハイテク戦争と呼ぶにふさわしいテクノロジー戦争的な側面がある反面、昔から変わらぬ戦争の血生臭い場面、つまり歩兵同士の近接戦闘や歩兵と装甲車両との食うか食われるかの対決といった場面が数多くみられる死闘であった。そして米軍にとって大勝利と言われるこれらの戦いが、「大勝利」ではあっても「楽な勝利」ではなかったことを知らしてくれる。
20世紀末期型軍隊の戦いを知るという意味では有益な著作である。

お奨め度★★★★

SilentVictory


「Silnet Victory」はGMT社が2015年に発売したシミュレーション・ウォーゲームだ。テーマは太平洋戦争での潜水艦戦で、プレイヤーは米潜水艦の艦長となり、ゲームシステムが操る日本軍と戦う。

これまでの展開 --> こちら

第9回目の哨戒

写真121943年12月の第9回目の哨戒任務は、「スレッシャー」にとっては苦難に満ちたものになった。「スレッシャー」にとっては5度目の日本本土近海への出撃となった今回の任務で、「スレッシャー」はまたもや機雷源にはまり込んでしまったのである。1回目は虎の子である「幸運のウサギ」(Rabbit's Foot)を使うことで回避できたが(「幸運のウサギ」はダイスを振り直すことができる)、運悪くまたもや機雷源にはまり込んだのである。2d6で"5"以下を出せば「スレッシャー」は爆沈する所であったが、最後の最後に幸運の女神が「スレッシャー」に微笑みかけた。

ちなみに機雷源と遭遇する確率は1/36であるが、1回の任務で6回ダイスを振るので、トータルでは1/6ぐらいのリスクがある。ただし機雷と遭遇する可能性があるのは、日本近海と東シナ海だけなので、そこへ行かなければよい。ただし命令を拒否できない(下っ端なので)のが辛い所。ちなみに階級が上がると命令に対する限定的な拒否権を行使できるようになるが、何故か昇進チェックに悉く失敗して未だに下っ端の「少佐」どまりである。早く「中佐」になりたいよぅ。

今回の任務では大型タンカー「極北丸」(10,100t)に遭遇した。しかし夜を待って攻撃を仕掛けようとしたところ、昼間の追尾に失敗してみすみす目標を取り逃がしてしまう。
「スレッシャー」は対潜掃討部隊の日本駆逐艦「春雨」に魚雷5本を命中させてこれを撃沈。この任務で辛くも戦果を残した。

1943年の総括。「スレッシャー」の戦果は戦闘艦1隻を含む艦船9隻(32,100t)。開戦以来の戦果は艦船18隻(54,700t)である。

USS_Thresher


第10回目の哨戒

写真111944年3月。我々は遂に完全な魚雷を手に入れた。これでもう魚雷の不発に悩むこともなくなる。そうなるはずであった。
我々に命じられたのは日本本土近海への哨戒。畜生。今度で6回目だよ。あそこは機雷源の巣窟だから行きたくないんだよな。そう思いながらも命令だからいくしかない。
豊後水道付近で最初の獲物に遭遇。日本の小船団である。新型魚雷の威力を試してみようと、900t級の小型輸送船と護衛の駆逐艦を同時に狙ったが、これが大失敗。小型輸送船には魚雷2本が命中したものの、なんと2本とも不発(欠陥は解消したのではなかったのかよ・・・・)。駆逐艦を狙った4本の魚雷は、こちらは悉く目標を外す始末。怒り狂った敵駆逐艦がこちらに突進してくるのを見て慌てて潜航。辛くも難を逃れて一息ついた。ふぅー。

写真13その3日後。敵輸送船団を発見した「スレッシャー」は夜間浮上攻撃を決意。3,200t級の貨物船と6,700t級の兵員輸送船にそれぞれ魚雷2本を命中させて両者を撃沈した。と、そこまでは良かったが、日本護衛艦艇の猛烈な反撃を受けた。日本海軍が急速整備しつつあった海防艦という護衛艦は(日本軍にしては)優秀なソーナーと対潜攻撃兵装を持ち、それが「スレッシャー」を苦しめたのである。3発の爆雷が至近距離でさく裂。艦内は浸水し、船体には衝撃が走る。乗組員の1人が衝撃により頭部打撲の重傷。さらに悪いことに衛生兵も軽傷を負ってしまう。衛生兵が軽傷で済んだのは不幸中の幸い。もし衛生兵が重傷又は死亡していたら、重傷を負った乗組員も恐らく助からなかっただろう。
その後「スレッシャー」は2度に渡って日本船団と遭遇。5000~6000t級の貨物船を2隻、900t級の小型輸送船1隻を撃沈した。今回の哨戒任務で「スレッシャー」は計5隻、22,100tを撃沈した。この戦果は「スレッシャー」にとっては空前の大戦果である。この戦果によって私は海軍勲功章(Navy Cross)を受勲した。

第11回目の哨戒

写真14Navy Crossを受勲した私は、新型潜水艦への転属を要求。受け入れられた。バラオ級潜水艦「シーライオン」(USS SeaLion, SS-315)である。この新型艦を率いて真珠湾を後にしたのは、1944年6月のことであった。今回の任務はマリアナ方面への哨戒任務である。今回の任務は大きな危険もなく4隻、10,500tを撃沈した。

USS_SeaLion


第12回目の哨戒

2か月後の1944年8月。「シーライオン」はフィリピン方面への哨戒任務に出撃する。この任務は戦果に乏しく、2,800tの独航船を撃沈したのみであった。そして「シーライオン」は無傷のまま真珠湾に帰投する。

写真05


第13回目の哨戒

写真15「13」という数値は西洋では縁起の悪い数字である。しかも命じられたのは鬼門である日本本土近海である。怖い怖い機雷源。と思ったら、早速機雷源に突入。あわわ。しかし幸運の女神は「シーライオン」を見捨てていなかった。何とか機雷源を突破して哨戒を継続する。
そして今回の任務は実り多いものであった。19,300tの大型タンカー「第2図南丸」に魚雷4本を命中させて撃沈したのをはじめ、合計5隻、41,700tを撃沈したのである。これもまた空前の大戦果であった。真珠湾に帰投した「シーライオン」は1本の魚雷も残っていなかった。そして真珠湾に帰投した私は、2度目のNavy Crossを叙勲された。

第14回目の哨戒

写真181944年12月、私は中佐に昇進した。他の同僚に比べるとやや昇進が遅れたが、上層部の覚えが悪かったのだろうか。今回はNavy Crossを2回も叙勲されていたので、文句なしでの昇進である。
14回目の哨戒任務。最初に輸送船団と遭遇したが、魚雷を命中させたにも関わらず撃沈できずに取り逃がす。しかしその2日後、我々は願ってもない大物に遭遇する。大型空母「赤城」(28,100t)。史実ではミッドウェー海戦で撃沈されている筈だが、この世界ではまだ生きていたのだろうか。
昼間の遭遇である。敵駆逐艦の反撃を食らう可能性が高い。しかしこの機会を逃す手はない。潜望鏡深度で中距離まで踏み込んだ「シーライオン」は「赤城」に向けて魚雷6本を斉射する。その直後に急速潜航して日本駆逐艦の反撃を躱す。
魚雷3本が「赤城」に命中した。全部の魚雷が正常に動作したが、さすがに大型空母「赤城」である。3本の魚雷を受けても沈没の気配がない。
反撃をやり過ごした「シーライオン」は、夜を待って再び襲撃を加えた。再装填した艦首魚雷発射管から6本の魚雷を発射する。3本の魚雷が「赤城」に命中して爆発。計6本を魚雷を受けた「赤城」はこれだけの打撃に耐えられる筈もなく、「赤城」は横倒しになって沈没する。「シーライオン」は敵の反撃を躱すために再び急速潜航。幸運にも敵の発見を免れて無事離脱した。

IJNS_赤城


その後「シーライオン」はさらに3隻、15,400tを撃沈し、翌年1月に真珠湾に帰投した。

1944年の総括は、空母「赤城」を筆頭に19隻、120,600tを撃沈。私自身の総合戦果は37隻、175,300tになった。そして私は3度目のNavy Crossを叙勲された。

つづく

SilentVictory


「Silnet Victory」はGMT社が2015年に発売したシミュレーション・ウォーゲームだ。テーマは太平洋戦争での潜水艦戦で、プレイヤーは米潜水艦の艦長となり、ゲームシステムが操る日本軍と戦う。

これまでに2回プレイしたが、いずれも戦争初期に日本の対潜部隊に追い詰められて圧壊沈没。自らも戦死するという失態を演じてしまった。

第1回目
第2回目

3度目の正直。今回は第1回目と同様にタンバー級の潜水艦を選んだ。艦名は「スレッシャー」(USS Thresher, SS-200)。戦時中に17隻を撃沈した歴戦艦である。

USS_Thresher


第1回目の哨戒

写真091941年12月7日、遂に日本との戦争が始まった。無制限潜水艦戦を宣言した合衆国は、麾下の潜水艦を日本の交通路破壊のために差し向けた。「スレッシャー」もその1艦として日本本土近海への哨戒任務に赴く。
「スレッシャー」にとって最初の任務は実りの多いものであった。4度に渡って日本の船団を遭遇。そのうち3つの船団を攻撃し、3隻を撃沈したのである。2,100t級の「せんかい丸」、1,900t級の「古徳丸」、そして3,000t級の「東征丸」だ。しかし最後の「東征丸」を撃沈した後、遂に日本駆逐艦の反撃に遭遇することになる。
5回に渡る爆雷攻撃により船体破損、モーター1基損傷、潜舵損傷、燃料タンク漏洩、バッテリー損傷、船内浸水、対空機銃破損、そして乗員1名負傷(幸い軽傷)と散々であった。しかも潜舵と燃料タンクが損傷したため、日本艦を振り切るのが困難になっている。急速潜航でも逃げ切れない。しかもこれ以上急速潜航を続ければ、船体圧壊の危険がある(私の前世はこれまで2度に渡ってその災厄に見舞われていた)。
もうダメかと思ったが、何とか日本艦を振り切って離脱に成功した。

「スレッシャー」が真珠湾に帰投したのは翌年1月20日のことであった。今回の任務成功によって、私は青銅星章(Bronze Star)を叙勲した。

写真01


第2回目の哨戒

修理を終えて再び「スレッシャー」が出撃したのは、1942年5月のことであった。任務はマリアナ方面への哨戒任務である。今回の任務では、5,500t級貨物船「ぼすとん丸」他1隻を撃沈。日本側護衛艦艇の反撃によって船体とディーゼルエンジンが損傷したが、幸いエンジンは修理に成功。無事真珠湾に帰港した。

写真01


第3回目の哨戒

写真10次の出撃に先立って「スレッシャー」は武装の強化が図られた。甲板上に装備されている大砲が、3インチ(76mm)砲から4インチ(102mm砲)へと強化されたのである。
3度目の出撃は1942年8月。東シナ海への哨戒任務である。東シナ海は大陸棚で水深が浅い。従って急速潜航で逃げられない。加えて多くの機雷源が敷設されており、機雷に食われる危険もある。「スレッシャー」も今回の出撃では2度に渡って機雷源に迷い込み、危うく触雷沈没する所であった。幸い機雷に触れずに脱出できたのは、全く幸運であったといえよう。
別の日には大波に遭遇。波を受けた乗組員1名が重傷を負った。
今回の戦果は900t級の小型貨物船1隻のみ。しかし虎口を脱して無事真珠湾に帰投できたことが「スレッシャー」にとっては最大の戦果であった。

写真02


第4回目の哨戒

4度目の出撃は1942年10月。その前にまたもや武装強化が行われた。甲板砲は5インチ(127mm)砲に強化されて、さらに後部の対空火器が新型のボフォース40mm機関砲とエリコン20mm機銃に換装されたのである。
写真03


今回はマーシャル諸島への哨戒任務である。今回の戦果は2隻で、合計4,900tであった。また敵に発見されることもなく、無事真珠湾に帰投した。

第5回目の哨戒

5度目の出撃は1942年12月。再び日本本土近海での哨戒任務である。この任務で「スレッシャー」は敵船団と遭遇、2,600t級の貨客船を撃沈した。その後の日本駆逐艦の反撃で爆雷攻撃を受けたが、運よく被害を免れた。
さらに「スレッシャー」は三陸沖で日本海軍の重巡洋艦「青葉」を発見した。大物であったが、昼間であったことや警戒が厳重であったので攻撃を断念。翌年1月12日に「スレッシャー」は真珠湾に帰投した。

IJNS_青葉


戦争開始から約1年。5度の出撃を果たした「スレッシャー」は、撃沈した敵船舶が9隻で22,600tである。何度か危険な目にも遭ったが、何とか切り抜けた。まずは上々の滑り出しである。

第6回目の哨戒

年が変わって1943年3月。「スレッシャー」が6度目の哨戒に出撃する。哨戒水域は日本本土近海。危険の伴う任務だ。途中、敵機の急襲を受けたこともあったが、幸いこれを躱して日本近海に進出。6,600t級の貨物船と、3,100t級の兵員輸送船を撃沈した。「スレッシャー」はほぼ無傷で真珠湾に帰投する。

第7回目の哨戒

次の出撃も日本本土近海であった。1943年6月。今回は計3隻を撃沈、トン数換算で9,500t。トータルで4万トン以上の戦果となった。

第8回目の哨戒

写真11 次の出撃は1943年9月である。マリアナ方面への哨戒任務。この時「スレッシャー」は初めてウルフパック戦法を行うことになった。3隻1グループの潜水艦が敵の輸送船団を襲うのである。「スレッシャー」と行動を共にするのは、「タンバー」(USS Tambor, SS-198)と「トラウト」(USS Trout, SS-202)である。
9月15日、単独航行中の4,900t級貨物船を撃沈した「スレッシャー」に僚艦「タンバー」から通信が入った。敵の輸送船団を発見したという。報告された遭遇地点に向かうと、SJレーダーが敵船団を捉えた。直ちに潜航。襲撃態勢に入る。3隻の輸送船に対して艦首発射管から6本の魚雷を発射した。2本が1,900t級貨物船に命中。別の2本が4,900t級の兵員輸送船に命中した。両船とも大爆発を起こして沈没していった。

写真04


つづく

4

200322_陸軍特別攻撃隊


陸軍特別攻撃隊

高木俊朗 文春文庫

いわゆる陸軍特攻隊を扱ったノンフィクションである。文庫本3冊分のボリュームは結構あるので、読み通すのはそれなりにヘビーである。
本書が扱う陸軍特攻は、1944年10月のレイテ戦から翌年1月のルソン島上陸までがメインとなっている。その後に行われた沖縄戦は軽く触れるにとどまっている。
この時期における陸軍の特攻作戦は、戦史に稀に見る異常な戦いであった。まず「特攻」という戦術が常態化したこと。また特攻が強制的に行われ(志願制などというのは皆無で、最初から「命令」により特攻を強要されていた)、いわば「自殺強要」が行われたこと。そして最後はそのような狂気の戦いを演じた司令部が、米軍のルソン島進攻と相まって台湾へ「逃亡」してしまったことである。前大戦中、旧陸海軍は喧伝された「精強さ」とは程遠い戦いを何度も演じ、その恥部を晒したことは今更触れるまでもないが、このフィリピン戦における陸軍特攻こそは、旧日本軍の卑劣さと歪んだ組織の姿をさらけ出した事例だと言えるかもしれない。
本書は旧軍に対して批判的な立場にある著者が書いたモノだけに、旧軍特に第4航空軍、中でも同軍を率いた富永恭次に対して極めて批判的な立場で書かれている。それに対して旧軍関係者からは多くの反発があり、中には「英霊に対する冒涜である」という批判が寄せられたという。しかし筆者は言う。これこそ旧軍に根強く残る権威主義に表れだと。そしてそのような権威主義こそが日本軍部を堕落させ、さらには戦後においても軍部による誤魔化しが横行する元凶になっていると。
本書を読んで、まず筆者の膨大な調査に感服するとともに。筆者の言うようにこの陸軍特攻戦ほど日本軍部、とりわけ高級軍人たちの卑劣さを浮き彫りにした戦いは他にはなかったと思う。しかしこれが必ずしも唯一の例ではなく、インパールやノモンハン、ガダルカナル、さらにミッドウェーの惨敗や海軍乙事件における奇妙な対応等、日本軍における高級将校の堕落ぶりは目に余るものがあった。このような例を見ると、旧日本軍は決して精強な組織ではなく、むしろ抜きがたい欠陥を抱えた腐敗した組織だと思えてならない。

お奨め度★★★★

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