もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

2020年12月

和歌山県北部にある高野山。関東在住の私にとっては山といっても登山の対象として考える事はあまりなく、ケーブルや車で上がって山上を観光する山上都市の趣きが強いです。首都圏で言えば高尾山に似ている所もありますが、車で行けるのでどちらかと言えば栂池高原という方が近いかも・・・。

最近、高野山への登山道がいくつかあることを知り、俄然興味が湧いてきました。調べてみると、高野山への登山道は主要なものが3本。町石道、京大坂道、黒河道というらしい。いずれも昔から使われていた道で、単なる登山道ではなく、街道と登山道を足したような道みたいです。

今回挑戦したのは、高野山への登山道のうち一番楽そうな京大坂道です。この道は、南海電鉄学文路駅を起点とし、高野山へ向けて街道を南下。途中で徐々に高度を上げつつ南海電鉄の極楽橋駅へ向かいます。極楽橋駅からは高野山への最後の登り道になり、登り切った所が高野山の玄関口である女人堂というコースです。コースタイムは約4時間。はてさて・・・・?。

写真37

河内長野発の始発列車に乗って学文路駅に着いたのは06:15でした。この駅で降りたのは私1人。高野山の登山道といってもそれほど人気はないのかな?。取り敢えず駅でトイレを済ませて歩き始めました。

写真38

駅の裏側で線路を渡り、徐々に高度を上げていくと最初の目的地というべき西光寺に到着。ここまでは駅から10分程度で到着します。

写真39
写真40

そこから徐々に高度を上げていきます。右手には紀ノ川の雄大な流れが見え、左右は和歌山らしいミカン畑。登り切った所に第4番目の地蔵堂があり、そこが河根峠。そこから急な下り坂となって河根の集落です。

写真41
写真42
写真43

集落の南にある千石橋で深谷川?を渡り、再び道は急な上り坂です。舗装路なので歩きやすのですが、それでも登り坂が続くのは結構キツイ。ようやく登り切った所が「日本最後の仇討ち場所」。明治時代の事でした。

写真44
写真45

ここから道はやや下り坂になり、神谷辻を経て旧白藤小学校跡に到着。ここにはベンチやトイレがあり、休憩にはうってつけの場所です。

写真46

そこから進むと、右手から列車の走行音が聞こえてきて、眼下に南海電車の線路が見えて来たと思うと、やがて極楽橋の駅に到着します。ここまでの所要時間は3時間弱。

写真47
写真48

極楽橋駅から先はいよいよ本学的な登山路か?。と思われましたが、実際にはこれまでと同じような石畳の道です。不動坂と呼ばれる坂道の途中で清不動堂と呼ばれる小さなお堂があり、そこからは少し山道っぽい道になっていきます。しかし10分程で元の石畳に合流。そこから少し歩いて車道に出て、程なくゴールの女人堂に到着しました。所要時間は4時間弱でした。

写真49
写真50
写真51

登山と言うよりは里山歩きといった感じのトレッキングでした。ノンビリ気持ちの良い山歩きでした。また極楽橋から女人堂まで徒歩で歩くのが意外と簡単なことが分かったことも収穫でした。高野山の楽しみ方がまた1つ増えた感じがします。

余談ですが、今回の帰路、バスとケーブルカーの混雑を避けるため、女人堂から極楽橋まで歩いて降りました。と、それは良かったのですが、帰りに少し道を間違えて危うく遭難する所でした。GPSつきの地図(しかも予備)があったことで事なきを得ましたが、まさか高野山で遭難しそうになるとは・・・。つくづく「山は怖いなぁ」と思わずにはいらません。


写真00


Patton's Best(以下、本作)は、第2次欧州大戦時の米軍戦車長になってドイツ軍と戦うソロプレイゲームだ。タイトルの"Patton's Best"は、ジョージ・S・パットン将軍麾下の第4機甲師団のことで、プレイヤーの立場は第4機甲師団に所属するシャーマン戦車の戦車長である。
それでは早速プレイしてみよう。

前号までは --> こちら

12月22日

真冬のアルデンヌ高原。ドイツ軍の大攻勢が始まっていた。後に「バルジの戦い」と呼ばれる攻撃作戦である。我が第4機甲師団は米空挺部隊が守るベルギーのバストーニュ目指して前進していた。私も新たな戦車M4A3E8(76)W、通称イージーエイトを受け取った。その戦車に「マンチカン」という名前をつけた我々は、曇り空の下、意気揚々と前進していく。
正午ごろ、敵対戦車砲の待ち伏せ攻撃を受けた。タスクフォースの先頭を進む「マンチカン」は至近距離からドイツ88ミリ砲を浴びせかけられた。煙幕によって危うく命中を免れたが、危ない所だった。

12月23日

翌日は晴天となった。この日もバストーニュ目指して進撃する「パットンズベスト」達。我々のタスクフォースは対戦車砲2門、トラック2両等を撃破したが、対戦車砲の待ち伏せ攻撃によってシャーマン戦車1両が撃破された。

12月24日

クリスマスイブ。しかし「クリスマスまでに戦争を終わらせる」と言っていた偉いさん達。終わらなかったじゃないか・・・。
昨日の晴天から打って変わって悪天候。しかし戦争に天気は関係ない。我々はバストーニュに向けて前進を続けている。その日の夕刻、先頭を進んでいた「マンチカン」は、ドイツ軍対戦車砲の待ち伏せ攻撃を受けた。反応する間もなく大型徹甲弾が車体前面に命中する。シャーマン戦車の前面装甲を苦も無く貫通した88mm徹甲弾は車内で炸裂した。被弾によってアシストドライバーが軽傷を負ったが、幸い「マンチカン」は誘爆しなかった。全員脱出。アシストドライバーの傷も大したことはなく、幸い全クルーが無事ベイルアウトに成功した。
結果的に「マンチカン」は何ら戦果を挙げることなく、僅か4日間で戦線離脱を余儀なくされてしまう。

12月25日

我々は新しい戦車を手に入れた。重装甲で76mm砲搭載のシャーマン・ジャンボ。M4A3E2(76)Wだ。私にとってこの「ジャンボ」に乗るのは2度目だ。私はこの大型戦車に「ジャイアン」という名前をつけた。
昨日の悪天候から今日は晴天。我々はバストーニュに向けて最後の進撃を行う。我が「ジャイアン」はその重装甲を買われて部隊の先頭を走ることが多い。そのため、一度は敵対戦車砲の待ち伏せ攻撃を受けて75mm徹甲弾を車体前面に食らったが、分厚い装甲は何事もなくそれに耐えた。一方で「ジャイアン」はドイツ軍のトラックに76mm榴弾を命中させ、これを撃破して初戦果を飾った。

写真32_M4A3E2_76


12月26日

この日、我々はバストーニュに突入する。その日は未明から雪が降っていた。幸い夜明けとともに雪が止んだ。我々は白銀に染まったアルデンヌ高原を前進する。我々は何度か敵の抵抗を受けたが、そのほとんどを支援射撃によって撃破し、我々の前に直接姿を現したドイツ軍は殆どなかった。
この日我々は味方の損害なしで戦車1両、突撃砲1両、対戦車砲2門その他の撃破を確認した。
そして友軍のエイブラムス中佐指揮の戦車大隊がバストーニュに突入し、バストーニュの友軍と連絡がつながった。

写真33_US101AirDiv


12月31日

大晦日である。我々はバストーニュ前面でドイツ軍の反撃を迎え撃った。我々は戦車2両、突撃砲/駆逐戦車2両を撃破したが、「ジャイアン」の戦果は歩兵1部隊のみであった。

1月1日

年が明けて1945年。激しく雪が降っている。雪で視界が効かないので激しい格闘戦になった。
午前中には敵歩兵部隊と交戦。「ジャイアン」は機銃を駆使して敵歩兵と交戦。6ユニットを撃破した。
午後に入ると多数の敵戦車と交戦。「ジャイアン」は激戦の中、75mm徹甲弾2発以上を車体前面に食らうも、分厚い装甲がその全てを跳ね返した。その一方で「ジャイアン」は、パンター戦車2両を撃破し、4号戦車も1両を撃破した。他の友軍部隊も奮戦し、その日1日、我々のタスクフォース全体で敵戦闘車両8両、歩兵部隊10個を撃破した。タスクフォースの損害は、損失戦車こそなかったが、歩兵部隊7個を失い、その損害は決して少なくはなかった。あまりの激戦のため、戦闘が終わった時、「ジャイアン」に残っていた徹甲弾は僅かに9発のみだったという。

この日の戦果で私は「銅星章」を受章した。

写真34
写真35

1月12日

バルジの戦いは連合軍の勝利のうちに終わった。その後数日平穏な日々が続いたが、1月12日になってドイツ軍が反撃を仕掛けてきた。友軍部隊はパンター戦車2両を撃破したが、「ジャイアン」の戦果はなかった。

1月15日

3日後、晴天下でドイツ軍機甲部隊の反撃を受けた。「ジャイアン」は大活躍し、4号戦車1両、4号駆逐戦車1両を撃破した。この戦いが終わった後、私はこれまでの戦功により少尉に昇進した。

1月21日

さらに6日後、敵との交戦があった。この日「ジャイアン」は軽駆逐戦車ヘッツァー1両を撃破した。

写真36


1月25日

この日も敵機甲部隊の反撃を迎え撃った。「ジャイアン」は4号戦車1両、3号突撃砲1両を葬った。

1月27日

パンター1両を撃破。

2月1日

2月に入っても激戦は続いている。この日「ジャイアン」はパンター戦車1両を撃破。その後敵歩兵部隊の猛攻を受けたが、友軍部隊の活躍で歩兵部隊7個を撃破した。

2月2日

翌日、我々は前進を開始した。ドイツ軍の抵抗を概ね撃破したこと。さらにやや寒気が遠のいたため前進に好都合となったからである。とは言え、地表は深い雪に覆われており、我々の前進は捗らなかった。「ジャイアン」は敵装甲車1両を徹甲弾で始末した他、他の友軍部隊が突撃砲1両、対戦車砲1門を撃破した。

2月22日

天気=深雪。
3週間の休暇の後、我々は戦場に戻ってきた。我々は前進中に敵の抵抗線と3度遭遇。「ジャイアン」は敵歩兵1、ヘッツァー駆逐戦車1両撃破。

2月23日

天気=晴れ。
敵との交戦が2度あったが、いずれも事前の砲爆撃で制圧し、「ジャイアン」に戦果はなかった。

3月15日

3月になっても我々の前進は続いていたが、ドイツ軍の抵抗は乏しく、交戦の機会は殆どなかった。
この日はモーゼル川を渡河し、クロイゼナッハで久しぶりにドイツ軍の抵抗を受けた。しかしこれまでの戦い同様、ドイツ軍は歩兵中心の部隊が殆どで、事前の砲爆撃のよってその大半が撃破された。この日「ジャイアン」に戦果はなかった。

3月27日

久しぶりにドイツ軍の反撃を迎え撃った。「ジャイアン」はこの日大活躍。戦車2両(4号戦車とパンター戦車各1両)と突撃砲1両を撃破した。ただし敵の反撃で友軍戦車1両を失う。

写真37


4月18日

その後我々は何度か敵との遭遇があったが、その大半はドイツ軍の歩兵部隊であり、脅威となる対戦車砲や戦車、突撃砲等との遭遇は殆どなかった。「ジャイアン」では密かにストックしているHVAP(高速徹甲)弾も、利用する機会がなく貯まっていく一方。今や「ジャイアン」の弾庫には23発ものHVAP弾が収納されていた。
4月18日も守りについていた我々に対してドイツ軍は反撃を仕掛けてきたが、その大半は歩兵部隊で、3号突撃砲1両が姿を見せたが、友軍戦車の反撃によって即座に撃破された。

4月18日が我々にとって最後の戦闘となった。その後我々はチェコスロバキア進攻に備えて後方待機となった。5月に入ってドイツは連合軍に降伏。我々のチェコスロバキア進攻作戦も幻となり、私にとっての戦争は終わった。

この戦争の全期間を通じて私の戦果は、撃破車両=戦車22両、突撃砲/駆逐戦車12両、トラック/装甲車4両の計38両。他に対戦車砲1門、歩兵29個分隊を撃破した。特に最後に乗車した「ジャイアン」での戦果が目覚ましく、戦車9両、突撃砲/駆逐戦車5両の計14両を撃破し、全戦果の40%以上が「ジャイアン」による戦果である。

写真38


一方で損害だが、乗車していた戦車5両が撃破され、1名が重傷を負って本国に送還された。戦車の損失理由は、戦車砲によるもの3両、対戦車砲によるもの2両である。

感想

結構時間がかかってしまった。トータルのプレイ時間は50~60時間ぐらいである。戦車同士のドッグファイトになると結構ワクワクしてくる。相手の側面を狙い、敵に狙わないように煙幕を張る。ハッチから身を乗り出して対空機関砲で敵歩兵を撃つ。するとどこからともなく敵砲兵射撃が始まり、破片が戦車長に命中してドキっとすることも再三あった。

少し気になることは、米軍に時間的な制約がないことである。要するにどれだけ時間をかけて攻撃してもペナルティがない。極端な例を挙げれば、プレイヤーが朝から晩まで弾薬補給を繰り返して時間つぶしをしても、別段ペナルティはない(そんなゲームが楽しいかどうかは別としてだが・・・)。だから冬場の戦い以降は、新しいエリアに進入する度に援護射撃は腹一杯実施することにした。特に乗車車両がシャーマンジャンボになった後は、一番怖いのは敵対戦車砲の待ち伏せ攻撃なので、とにかく間接射撃と前進射撃は怠らないようにした。おかげで最後に乗った「ジャイアン」は敵に撃破されずに戦い抜くことができたが、モタモタすることによるペナルティがないので、モタモタし放題なのだ。
ゲームとしては結構面白かった。チームの一員として戦車を率いる立場を体験できる。せっかくなので北アフリカ編とかドイツ軍バージョン等も見てみたい気がするが、今なら叶わぬ夢なんだろうなぁ・・・。ま、いいか・・・。

[
写真39
写真40

4
金剛山を縦走した あと、時間があったので、以前から行ってみたかった大阪難波の「なるとや」に行ってみました。やさい串巻きで有名なこの店は、大阪でも人気店で、電話で予約してもなかなか取れない店です。今回、時間が午後4時からという変則的な時間で、なんとか予約を取ることができました。

車の運転を控えていたのでお酒が飲めなかったのが少し残念。コーラーでお茶を濁しつつ、お店の看板メニューを注文しました。半熟卵ベーコン巻、カマンベールベーコン巻、アスパラ巻など、計10セットを程を注文し、さらに塩モツ焼ラーメンで締めました。どれも美味しかったですけど、アルコールが欲しい所ですね。

予約を取るのがなかなか難しい店ですが、チャンスがあれば行ってみたいお店です。

写真29
写真30
写真31
写真32
写真33
写真34
写真35
写真36


お奨め度★★★★

3
201119_山と渓谷

山と渓谷2020年12月号

特集は「レベル別本格雪山ベストルート」。冬の定番特集だが、今回は八ヶ岳の硫黄岳や上越谷川岳が初級編として紹介されていることが目を引く。そういえば初級編の定番である北横岳や蓼科山が紹介されていなかった。
他には雪山歩行技術についての解説等もあった。今年も雪山にチャレンジしたい私のような人間にとっては有益な一冊であった。

お奨め度★★★

写真09


千早城を散策 した後、そのまま金剛山へ向かいました。金剛山への登山路は千早城の背後から延びていて、千早城からの所要時間は約1時間。登山路は非常に良く整備されて歩きやすい。そして1時間ぐらいで金剛山頂に到着です。

写真10
写真11

金剛山の山頂付近は部分的に紅葉しており、さらに金剛山から大阪平野を一望できます。

写真12
写真13
写真14

今回はここからさらに足を延ばして南西方向に向かいます。通称ダイアモンドトレール。金剛山から和泉山脈の主脈線に沿って伸びている稜線です。金剛山の最上部にある葛城神社を抜けて少し歩くと千早園地と呼ばれる気持ちの良い公園に出ます。このあたりまでが金剛山頂部の一帯になります。

写真15
写真16
写真17
写真18
写真19
写真20

そこからは道がやや狭くなり、登山路と言う感じになってきます。左手には紀ノ川沿いの美しい河川風景が見えています。

写真21
写真22

伏見峠、久留野峠、千早峠等、いくつかの峠を越えていきます。基本的には下りの登山なのでそれほどきつくはないですが、それでも時折登りがあります。

写真23
写真24
写真25


谷尻峠で国道310号の金剛トンネルの上を超え、行者杉という老杉の場所を超えていく。この行者杉で軽く昼食をとりましたが、距離的にはこのあたりが丁度中間付近です。

写真26


行者杉から杉尾峠を抜けて少し歩くと急な石段の下りになります。それを下り切ったら道路が広くなり、自動車の通行が可能になりそうな山道になってきました。少し歩いた所が紀見峠。取り敢えずここが今回のゴールです。

写真27


紀見峠から20分ほどで南海電鉄紀見峠駅に到着。ここから電車に乗って河内長野駅に戻ります。

写真27


今回は所要時間約6時間の山歩きでした。登山路は良く整備されていたので歩きやすく、特に危険個所はなかったように思います。ただし標高差は900mぐらいはあり、かつ縦走路のアップダウンがあったので、累積標高差は1000mを超えていたと思います。歩いた距離も約15kmで歩数は30,000歩以上あったので、 10月の北アルプス なみです。
アルペン風の景観こそなかったものの、安全な低山をノンビリ歩くのは気持ち良かったです。

↑このページのトップヘ