もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

2021年02月

静岡駅から徒歩15分ぐらいの所にある静岡おでんの店です。静岡おでんだけではなく、旬の魚やお酒、焼き鳥などの一品メニューや、ご飯、焼きそば等のメニューもあります。
メインの静岡おでんは味噌仕立て風。それにダシ粉をかけるという独特のものです、これはこれで美味しい。また静岡おでんだけではなく、関東風のおでんもあり、こちらは醤油味の薄口風で、上品な味わいのおでんになっています。
他には焼き鳥や白子を注文しました。焼き鳥はまあまあでしたが、白子は絶品。柔らかい白子とポン酢の味わいが絶妙です。

駅からやや遠いのが難点ですが、「乃だや」。機会があれば訪れてみたいお店です。

お奨め度★★★

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大和1941


今回紹介するのは、自作の水上戦ゲーム 「ソロモン夜襲戦」 の追加シナリオである。この春のゲームマーケットで発売予定にしている「ソロモン夜襲戦」のサポート誌第1弾である「水上戦No.1」に掲載を予定しているシナリオだ。

JP_BB11aシナリオのタイトルは「天一号作戦」。これは連合軍の沖縄侵攻に対抗して日本軍が用意した海空決戦の作戦である。この戦いで戦艦「大和」は護衛艦艇9隻と共に沖縄近海へ向かい、その途中に九州坊ケ崎沖で米空母艦載機の攻撃によって撃沈されている。

このシナリオは、その「大和」出撃をテーマとしたものだ。「大和」が沖縄に向かってくることを知った米軍は、まず戦艦による迎撃を企図した。そこで白羽の矢が立ったのが、米デヨ少将麾下の第54任務部隊である。戦艦10隻、巡洋艦13隻などの大兵力を持つ第54任務部隊は、「大和」迎撃の命を受けると、麾下の艦隊から戦艦6隻、巡洋艦7隻等を引き抜いて「大和」迎撃のための特別任務部隊を編制した。

このシナリオは、「大和」が米空母艦載機の攻撃を受けることなく沖縄近海に到達し、そこでデヨ少将の特別任務部隊と遭遇した場面を描いた仮想戦である。

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登場兵力

日本側は史実における第1遊撃部隊10隻(「大和」他、軽巡「矢矧」と駆逐艦8隻)とした。
米軍は史実における特別任務部隊をほぼ踏襲したが、「ソロモン夜襲戦」でユニット化されていない一部の巡洋艦については、同型艦で代替した(さて、どれでしょ?)。また米駆逐艦については、史実では21隻引き連れていたことになっているが、面倒なので約半数の12隻とした。その代わりと言っては何だが、米駆逐艦12隻のうち5隻は、最新鋭の「A.M.サムナー」級とした。

登場兵力

勝利条件。連合軍は「大和」の撃沈は当然として、自軍の損害を最小限に留めなければならない。対する日本軍は「大和」沈没は避けられないとしても、その過程でできるだけ多くの損害を連合軍に与えて、帝国海軍最期の栄光を飾らなければならない。

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1Turn

彼我の距離は27Hex(約40km)。両軍とも巡洋艦部隊を速度6に増速して艦隊を広く展開させようとする。移動終了時点における彼我の距離は22Hex(33km)。しかし日本艦隊の最後尾を進む「大和」の艦上からはまだ敵が見えない。

2Turn

US_BB43a主導権は日本軍が取った。日本軍は先攻を選択する。両軍はなお敵に接近を図る。移動終了時点における彼我の距離は18Hex(27km)。そして「大和」も遂に射程距離内に敵を捉えた。距離24Hex(36km)で「大和」の46cm砲が米艦隊の先頭を走る戦艦「テネシー」に向けて発射された。轟音を残して9発の46cm一式徹甲弾が発射された。主砲弾は大きな弾頭軌道を描いて、「テネシー」の左舷前方約1000ヤードに巨大な水柱を上げた。


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3Turn


「敵艦発砲」

旗艦「テネシー」艦上で見張員が叫ぶ。「テネシー」からはまだ「大和」は射程距離外だ。既に日本駆逐艦は「テネシー」の射程距離内に入っていたが、主目標はあくまでも「大和」だ。小物は巡洋艦以下に任せておけばよい。

「もっと距離を詰めろ」

旗艦の艦上でデヨ少将が叫ぶ。
移動終了時点で「テネシー」と「大和」との距離は22Hex(33km)まで迫っていた。

「敵艦射程距離内に入りました」

「テネシー」の砲術長が叫ぶ。

「主砲射撃開始」

「テネシー」が主砲を放った。12発の36cm砲弾が中空に放たれた。砲弾は「大和」を飛び越えてその後方で水柱を上げる。

「敵艦発砲」

「大和」からm「テネシー」の発砲は確認できた。

「怯むな、どんどん射撃を続けろ」

「大和」からも反撃の砲火が飛ぶ。しかしその砲弾は相変わらず明後日の方向に飛び去って行った。

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4Turn

US_CL63a米戦艦は2群に分かれた。36cm砲装備艦3隻からなる第3戦艦戦隊は「大和」の前方、40cm砲装備の「コロラド」級戦艦3隻からなる第4戦艦戦隊は「大和」の後方に回り込む。
第3戦艦戦隊の3隻が「大和」をその射程距離内に捉えたため、3隻が「大和」に集中砲火を浴びせた。しかし命中弾はなし。「大和」は無傷のまま航行を続けている。
また米戦艦部隊の前方を進む快速部隊は、その主砲射程距離内に日本の第2水雷戦隊を捉えた。軽巡「サンタフェ」と「モービル」が日本駆逐艦を狙い、「ポートランド」以下重巡4隻が二水戦旗艦「矢矧」に集中砲火を浴びせた。
軽巡「モービル」の主砲弾が駆逐艦「浜風」に命中した。これが両軍通じて最初の命中弾となる。

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5Turn

JP_CL20a二水戦は駆逐隊毎に右へ転舵し、敵に向かって向首する。中距離から撃たれ続けても一方的に潰されるだけだから、一か八か接近戦に全てを掛けようという算段だ。彼我の距離は近い所で10Hex(15km)まで迫った。 米戦艦4隻が「大和」に集中砲撃を浴びせる。しかし未だに「大和」に命中弾はない。しかし米重巡による射撃は、距離が近づいたために効果を発揮し始めていた。重巡「ミネアポリス」の放った20cm砲弾2発が軽巡「矢矧」に命中。「矢矧」は軽微な損害を被った。
軽巡「モービル」も「浜風」に再び命中弾を与えた。
「大和」の主砲弾が遂に「テネシー」を捉えた。46cm砲弾1発が「テネシー」の中央部に命中する。「テンシー」の甲板装甲を苦も無く突き破った46cm砲弾であったが、弾薬庫や機関室といった致命的な部分に命中するには至らず、そのため「テネシー」の被害も軽微なものに留まった。

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6Turn

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「蛇行運動を行え」

「テネシー」が左右に転舵を行う。サルヴォーチェージング。敵の砲撃を躱すための回避運動だ。数に勝る米艦隊は、「大和」に狙われている戦隊を適宜回避運動を行わせつつ、狙われていない側の戦隊で「大和」を狙うという芸当が可能なのだ。無論、日本側も同様の戦術で敵の砲撃を躱している。

このTurn、「大和」に対して砲火を開いたのは、米第4戦艦戦隊の「コロラド」級戦艦3隻だ。いずれも40cm砲装備の戦艦で、砲戦距離は19~21Hex(28~32km)。しかしまたもや下手糞な米戦艦は、「大和」に命中弾を与えることができなかった。

一方で巡洋艦戦隊は着実に日本側二水戦にダメージを与えていた。凄腕の重巡「ミネアポリス」は、距離14Hex(21km)で軽巡「矢矧」に2発の20xm砲弾を命中させた。「矢矧」は小破で持ちこたえたが、そろそろ限界が近づいてきた。
軽巡「サンタフェ」は駆逐艦「磯風」に2発の命中弾を与え、同じく軽巡「ビロキシー」は駆逐艦「雪風」に1発を命中させていた。

対する「大和」は、距離17Hex(25km)に迫った「テネシー」に対して渾身の一撃を放ったが、無情にも弾は逸れた(50%で命中弾を得る筈だったのに・・・)。

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つづく
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12月下旬。世間では「コロナ第3波」が叫ばれている中、名古屋駅地下の「山本屋総本家」で味噌煮込みうどんを食べました。いつもなら行列のできるこの店ですが、コロナ禍の影響なのか、アッサリ店内へ。展開も着席率は50%以下。まあ店内で大声で騒いでいる団体や若造がいなかったのは有難かったです。

海老付き味噌煮込みうどんと御飯のセットを注文。税込みで2,068円です。味噌煮込みうどんは固めの麺に熱熱の味噌スープ、そして具材は海老天、油揚げ、ネギ、生卵。これを御飯と一緒に食べるのが、旨い。名古屋めしはいずれも美味しいのですが、その中でも味噌煮込みうどんは間違いなく「ワンオブベスト」です。

なお感染対策ですが、入口での消毒、テーブルの清掃、客同士の間隔確保等、基本的な部分では不安を感じる事はなかったです。お客さんが少ないということで、店側は色々大変だとは思いますが、何とか頑張ってほしいものです。

お奨め度★★★★

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201202_ポケット海軍年鑑

ポケット海軍年鑑:日英米仏伊独軍艦集1937年版

海軍研究者編

今でいえば「世界の艦船」別冊のような本。1937年といえばスペイン内戦の真っ最中で、日中戦争が始まった年。後から振り返れば「戦争へ一直線の暗い世相」と思えるが、紙面は拍子抜けするほど「明るい」。ワシントン軍縮条約は日本にとって不平等条約で、無条約時代になったことで「各国が国情に応じた海軍の整備が可能になったことは、自衛権の立前上誠に慶賀すべきこと」とし、まさかこの2年後に世界大戦がはじまり、4年後には太平洋戦争が始まろうとしていたとは、少なくとも紙面から感じることはできない。
紙面を見ると、現在の「世界の艦船」別冊ほど細かくはないにしても、そこそこ細かい諸元が記載されている。特に海外の艦艇については現在の我々が知り得る情報に近いレベルの情報は記載されている。その一方で日本艦の情報はかなり制限されており、航空機の搭載数や魚雷発射管の口径等はさりげなく隠されている。
当時は未だに戦艦中心と思われがちであるが、航空母艦(当時は空母ではなく航母と呼んだらしい)の威力や対空兵装の必要性についても触れられており、航空機が相応に有用な存在だとみなされていたことがわかる。
我々は少ない小遣いを使って「世界の艦船」別冊を購入しそれこそ貪るように読んだものだが、当時の軍国少年達も本書を読んで似たような感慨を得ていたのだろうか。

お奨め度★★★

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奈良県高取町にある高取城は日本最強の山城らしい。そんな噂を聞いて近鉄壺阪山駅を降りたのは、12月も半ば過ぎのとある日曜日早朝であった。駅前の雰囲気は、昔ながらの郊外型の町で、高齢者が多く住んでいるような感じであった。

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駅前の信号を渡ってすぐに右折。「高取城までは5km」という標識がある。ある程度歩くことを覚悟してきたので5kmでビビることはないが、やはり先は長そうだと気を引き締める。
石畳の街並みを歩いていく。昔ながらの武家屋敷といった佇まい。しばらく歩くと、「夢創館」という観光案内所がある。時間的に早かったので、まだ営業はしていない。

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さらに歩くと児童公園があり、その先にやや広めの道路を渡って砂防公園を過ぎると、いよいよ道は山道に入っていく。ここまでの所要時間は約30分。この時点で距離的には約半分をこなしたことになっている。

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高取城への山道は歩きやすい登山道と言った感じ。普通の道よりも斜度はあるが、道幅が広く、障害物も少ないので歩きやすい。ただし標高差は約400mとちょっとした登山程度はある。雰囲気的には 10月末に歩いた金剛山 をスケールダウンした感じだ。

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1時間ほど歩いて二ノ丸跡に到着。このあたりから高取城の縄張りに入っていく。天守閣のような建物類は残っていないものの、石垣はほのそのまま残されており、それが幾重にも連なっている。高取城が極めて堅固な縄張りを持った城郭であることを伺わせる。

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さらに10分程歩くと高取城の核心部につく。所謂本丸だ。ここも石垣が幾重にも巡らされていて、これでもか、これでもか、とばかりに現れてくる。こちらはただ歩いているだけなのに、「おいおい、一体いつまで石垣が出てくるんだよ」と突っ込みたくなる。

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ようやく高取城の最終地点に到着。駅からここまでの所要時間は約1.5時間だ。恐らく壺阪山の最高地点と思われる場所である(一等三角点が設置されていた)。そこから見る大和盆地の美しさと言ったら・・・。何とも言葉が出ない程である。

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帰りは元来た道を通らずに反対側の車道を降りていく。こちらは往路よりもやや距離的には長い。車道は本丸のすぐ下まで来ているが、柵が置いてあって中には入れない。自動車用の駐車場は遥か下方の壺坂寺の付近にあり、そこからだと往復2時間弱はかかりそうである。

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壺坂寺を横目に見ながらハイキングコースを降りていき、やがて朝と追った街並みを過ぎると近鉄壺坂山駅に到着だ。所要時間3時間10分。軽い登山ともいうべき高取城散策であった。

感想だが、高取城の堅固さが良く分かった。通常の平城と比べても縄張りは遥かに堅固であり、しかも山城だから敵側から城の縄張りはなかなかわからない。そういった意味で「日本一の山城」というのは確かに頷ける話だと思う。

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今回は初冬の訪問となったが、季節を問わず楽しめそうだ。紅葉の方は盛を過ぎて枯葉が地面に敷き詰めらえている状況であったが、それなりに美しかった。もし秋の盛りに来たら、もっと素晴らしい景観だっただろうと思う。
高取城の堅固さは理解できたのだが、何故この場所にこのような堅固な城郭が必要だったのかは、少し疑問を感じた。南北朝時代であれば、吉野へ至る進入路を管制するという意味で重要だったとは思うが、戦国時代だとどうなんだろうか。奈良と和歌山の交通路を扼する、ということだろうか・・・。

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