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Game Journal誌72号の付録ゲーム「九州三国志」は、1980年代にツクダホビーから発売されていたゲームの再販版である。テーマは戦国時代における九州における戦い。天正6年から12年(1578~1584年)における島津、大友、龍造寺3氏による戦いを描いた作品である。

今回、メインシナリオである「九州三国志」を3人でプレイした。これは3人のプレイヤーがそれぞれ島津氏、大友氏、龍造寺氏を担当し、自国勢力の拡大を図る。私は龍造寺氏を担当した。

序盤、龍造寺は主力を島原半島に投入。同地を守る有馬氏を攻撃する。有馬氏は我々の敵対国である島津氏と同盟関係にある。また島津は八代ー島原半島の間に海上交通路を確保しており、放置しておくと面倒なことになる。島原半島を平定し、有明海の島津海上ルートを遮断すれば、我が龍造寺は後方地域が安泰となる。 そんなこんなで我々は島原半島に殺到した。

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有馬氏の抵抗は激しかったが、龍造寺による全力攻撃に対抗できる訳はない。島津側も黙ってみている訳ではなく、島津歳久(3-2-3)麾下の増援部隊を島原半島に派遣してきたが、兵力に勝る龍造寺勢には対抗できなかった。時間は少しかかったが、2ヶ月足らずの戦いの後に有馬氏は壊滅。島原半島全域は我が龍造寺の支配する所となった。
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島原半島を平定した龍造寺は、島津と和睦して現戦線で進攻を停止。共同で大友氏に向かうことにした。島津は宮崎方面へ、龍造寺は久留米から北に向けて進攻する。岩屋城、秋月城を落として意気上がる龍造寺軍。しかしその頃、豊後方面から進攻してきた大内氏の別動隊(田原親賢2-2-4)が、阿蘇山ちかくにある高森城を落とした。さらに阿蘇方面を自らの領土とする阿蘇氏の本城である岩尾城にも攻め込んできた。

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そこで龍造寺は、同盟国である阿蘇氏を守るため鍋島直茂麾下の兵力を阿蘇方面に派遣した。鍋島直茂接近を受けて大友方田原親賢は岩尾城の囲みを解き、豊後方面へ撤退していった。
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しかし一度和睦したはずの島津勢が、熊本南方で不穏な動きを見せている。島津義久(3-3-4)麾下の主力部隊が薩摩から北上してきたのである。島津を牽制するため、龍造寺隆信(2-3-4)自らが約2万(20戦力)の兵力を率いて南下。熊本付近に布陣して島津を牽制する。

とまあ、こんなところで時間の関係上ゲーム終了とした。今回は約3時間のプレイ(セットアップ除く)で全24Turn中11Turnまでプレイした。WW2陸戦ゲームとは違って盤上の駒が少ない(軍団ボックス編成になっているので、盤上で取り扱う部隊数は、守備隊を除くと10個以下になる)ので、思ったよりも時間がかからなかった。この分では全24Turnの本シナリオであっても、1日あれば十分に決着がつきそうである。

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