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Frederick the Great(邦題「フリードリヒ大王」、以下本作)は、1975年にSPI社から発表されたシミュレーションゲームである。プロイセンのフリードリヒ大王がオーストリア、フランス、ロシア等と戦った7年戦争を1シナリオ1年で再現する。本作は、その後Avalon Hill社から再版され、そのライセンス版が日本でもHobby Japanから発売された。私が今手元に持っているのは、そのHobby Japan版である。

システム詳細については、こちらの記事を参照されたい。

今回、本作を初めて対人戦をプレイしてみた。

シナリオ2(1757年)

最初にプレイしたのは、1757年(開戦2年目)シナリオである。下名は反プロイセン陣営を担当する。
1番最初のプレイではルールの致命的ミスが発生してしまった。それは5.37項の適用忘れである。このルールは、プロイセンを除く各国において、最上位揮官以外の指揮官は、決して最上位指揮官麾下の兵力を超える兵力を指揮できないというもの。これはすなわち「バカ殿」を戦列から外して遊ばせておく、という運用を禁止するルールである。このルールを失念していたため、特に連合軍はカール・アレクサンダー(Charles)(1-1-1、指揮能力-付加攻撃力-付加防御力、以下同じ)のような能力の低い総大将を小兵力で遊ばせておく戦略を採用した。しかしこれはルール違反だったのだ。

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1~2Turn

というわけでやり直しである。先ほど同様1757年シナリオで、下名は反プロイセン陣営を担当する。
先ほどの間違いプレイでは、No.1のカールを排斥し、No.2のダウン将軍(Daun 1-2-3)やNo.3のブラウン(Browne 2-2-2)麾下に主戦兵力を集結させてプロイセン軍フリードリヒ(Frederick 3-3-2)に対抗させる戦略を採用した。しかし今回その手が使えない。そこでオーストリア軍の兵力を3等分し、それぞれカール、ダウン、ブラウンに指揮させることにした。この場合、局所集中するフリードリヒ麾下の軍に個別に対抗できない。そこで決戦は極力回避し、フリードリヒに捕まりそうになったら城砦に逃げ込む手とした。城砦ごと包囲される危険もゼロではないが、城砦が落ちてもプロイセン軍に対して多大な損害を強要できるのであれば、それも良しである。
ザクセン州のドレスデン(Dresden 1623)を発したフリードリヒは、国境を越えてオーストリア領内に侵攻。プラハ(Prague 1125)にてオーストリア軍総司令官カールの率いるオーストリア軍を包囲した。一方、ダウン将軍及びブラウン将軍率いるオーストリア軍別動隊は、ケーニヒグレーツ(Koniggratz 1230)を基点としてシレジア地方のプロイセン領を伺う。

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4Turn

プラハがフリードリヒの包囲攻撃に耐えかねて落城した。城を守っていたオーストリア軍は平和的な開城が認められ、総司令官カールを含めて全兵力がケーニヒグレーツへ向けて後退した。
その頃西部戦線では、フランス軍によるハノーヴァー進攻が始まっていた。フランス軍のデ・ストリーズ将軍(D.Eestrees 0-1-1)麾下のフランス軍がライン川。ミュンスター(Munster 2206)を守るハノーヴァー軍を包囲攻撃していた。兵力で圧倒するフランス軍はミュンスターを包囲し、遂にこれを落城させた。ハノーヴァー軍No.3の指揮官ザストロフ将軍(Zastrov 1-1-1)はフランス軍の捕虜になった。
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6Turn

フリードリヒはプラハから長駆進撃し、ケーニヒグレーツを包囲する。包囲の中にオーストリア軍カール麾下の兵力が含まれていた。
一方西部戦線では、フランス軍コンタード将軍(Contades 1-1-1)麾下の分遣隊がミンデン(Minden 2310)を包囲攻撃。これを落城せしめて、ハノーヴァー軍カール将軍(Karl 1-1-1)を捕虜にしていた。
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7-8Turn

フリードリヒが彼らしい大胆な行動に出た。まず麾下全兵力を率いてケーニヒグレーツの包囲を解き、シレジア南部の山々に布陣するダウン将軍麾下のオーストリア軍を襲った。その兵力は計40戦力。ダウン麾下のオーストリア軍は13戦力。その比率は3-1に達した。地形に依るオーストリア軍は善戦し、フリードリヒに対して4戦力の損失を強いたが、自軍の損害は5戦力に達し、さらに2戦力が捕虜として取られてしまう。オーストリア軍副将格のナダシー将軍(Nadacy 0-1-1)も戦死する。
この後がフリードリヒの本領発揮である。後退したオーストリア軍に対して機動力の優越を生かしたフリードリヒは全戦力を率いて蹂躙攻撃を実施。圧倒的な兵力差を前にオーストリア軍は成す術もなく全滅。オーストリア最良の将軍の1人であるダウン将軍も哀れプロイセン軍の捕虜になってしまう。

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西部戦線では、フランス軍の進撃は続き、ハノーヴァー(Hannover 2413)を占領していた。
さらに8Turnには東方の巨人、ロシア軍が登場し、ケーニヒスベルク(Konigsberg 3741)を包囲した。

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9-10Turn

シレジアでの大敗北を喫したオーストリア軍は後方地帯に後退。オルミュッツ(Olmutz 0834)、ブルン(Brunn 0631)、そしウィーン(Vienna 0231)といった拠点に籠城戦の構えを見せる。それに対してプロイセン軍は再びケーニヒグレーツを包囲し、ここを占領していた。
西部戦線では、コンダード将軍麾下のフランス軍10戦力が、ハノーヴァー軍主将カンバーランド公(Cumberland 0-1-1)をシュターデ(Stade 3011)で襲った。戦闘比は1-1に届かず、損害はフランス軍の方が多かったが、コンダード将軍の指揮能力のおかげで敗北は免れた。

この時、もしフランス軍が勝利していれば、ハノーヴァー軍の残りは全て回復不能の状態に陥る所であったが、惜しいことをした。


12-13Turn

プロイセン軍主力はオーストリア方面を去って西部戦線に向かう。これを見たフランス軍は進撃を中止して後方に下がっていく。一方でオーストリア軍はケーニヒグレーツに舞い戻ってここを包囲し、第12Turnに同地を奪回していた。

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ロシア戦線では、ロシア軍はケーニヒスベルクを奪取し、さらに西へ向けて進撃の構えを見せる。

13-15Turn

フリードリヒが西部戦線に到達し、ハノーヴァーを包囲する。しかしハノーヴァーの守りは固く、陥落する気配はない。その間、シレジア方面ではオーストリア軍が逆襲に転じ、シレジアに侵入。グラツ(Glatz 1532)、シュフィドニツァ(Schweidnitz 1631)を次々と陥落させた。さらにブジェグ(Brieg 1634)を包囲する。
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16-18Turn

冬になった。行動中の各部隊は次々と冬営に入っていく。行動を続けているのは、フリードリヒ麾下のプロイセン軍と、ブラウン将軍麾下のオーストリア軍だけであった。

本作のシナリオは一部例外を除いて18Turn構成になっている。そのうち16~18Turnは冬季扱いである。冬季の場合、要塞に籠って「冬営」している部隊以外は全て消耗の対象となり、スタック毎に1Turnに1戦力の割合で戦力を失っていく。従って冬になると両軍とも消耗を避けるために次々と冬営に入ることとなる。

オーストリア軍としてはフリードリヒが戻ってくる前にブジェグ攻略を完了させたかった。しかしここではダイス目振るわずブジェグ攻略を完遂できなかった。フリードリヒに野外で捕捉されれば勝機はない。ブラウン将軍は麾下の兵力を率いてグラツに後退。そこで冬営に入った。

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かくして1757年の戦役は終わった。

結果

プロイセン軍:占領90VP-損耗36VP=54VP
反プロイセン軍:占領110VP-損耗34VP=76VP
反プロイセン軍の実施的勝利。損耗のVPはほぼ同じ。プロイセン軍にとっては、西部戦線で多くの要塞を失ったことと、第12Turn以降のオーストリア軍による反撃によって、シレジアの2都市を失ったことが敗因となった。


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